第2曲目 第37小節目:夏祭り

「拓人……?」


 沙子の普段平坦な語尾が上がってしまうくらいには、おれはのぼせあがった顔をしていたらしい。


「あ、す、すまん……」


 いやいや、なんで幼馴染相手にどもってんだおれは……。沙子とだけはどもらずにちゃんと話せるはずなのに……!


「それで、『れ』ってなに」


 沙子が質問をしてくる。


「あ、い、いや、だから、『おつかれ』って言った、だけなんだが……」


「え、どういうこと」


「『おつか……』と『れ……』の間にちょっと文章はさみ過ぎただけというか……」


 しどろもどろになって説明する。


「なんだ、変ながあったから、なんか『れ』から始まる褒め言葉でも言ってくれんのかと思ったじゃん。ややこしいから、やめてよ」


「おお、すまん……」


 すみません、ほんと……。深読みしてくださったこと自体はとてもありがたいです……。


「……それで、感想、訊いてるんだけど」


 口をとがらせている沙子を改めて見る。


 沙子が着てきたのは、藍色あいいろの地に、白や桜色の鮮やかな花火があしらわれた浴衣。帯は濃いめの黄色だ。


 綺麗な色だなあ、と帯をぼんやり眺めながら、


「なんというか、やっぱり、似合うな……」


 と言うと、


「……拓人、どこ見て言ってんの」


 沙子がジト目で胸もとをおさえた。


「へ……?」


 ……あ、そういうこと!? 沙子ちゃん的な体型の人は似合う的な意味で言ったと思われてるの!? かなり心外なんだが!


「いやいや、そういうんじゃなくて! 帯が沙子の髪の色とあいまって、その浴衣、めっちゃ似合ってるっていう話をしてるんだって」


 おれは弁解のために言葉を尽くす。そんなことを誤解されてはかなわない。おれは女性の胸部に注目するようなゲス野郎ではないのだ! ほ、ほんとだよ!


「……あっそ」


 だが弁解の甲斐かいなく、沙子はそっぽを向いてしまった。


 ただ、その斜め後ろから見た広角は0.数ミリ上がっているように見える。


 それはそれでなんかむずむずと恥ずかしいじゃないですか……。


「それじゃ、行こ」


「お、おう」


 一夏中学校ひとなつちゅうがっこうへと歩き出した沙子の下駄げたがカランコロンという音を響かせ、今さらおれはTシャツにスニーカーを履いてきているということを実感する。


「……なんか、おれ、普段着ですまん」


「別にいい、けど」


 沙子は振り返って言う。


「拓人の浴衣姿は、めちゃくちゃカッコよかったから、また見たい」


 カッコよかった……? おれは浴衣なんか小さな頃に一回着たくらいで、沙子の前で浴衣を来たことなんか一回もないんだが……。


 駅から一夏中学校ひとなつちゅうがっこうまでは歩いて15分くらい。


 今日は花火大会だからその道の脇にずらーっと、屋台が並んでいる。


 チョコバナナ、金魚すくい、射的、焼きそば、フランクフルト、わたあめ、お面屋さん、ベビーカステラ……。


 この光景を見ていると、ああ、夏祭りだなあ、と当たり前のことを実感する。


 ちなみに、なぜ一夏中学校に向かっているかと言うと、一夏中の校庭にレジャーシートを敷いて花火を見上げるのが地元民ジモティーの楽しみ方だからである。


「拓人、レジャーシート持ってきた」


 歩きながら、沙子が訊いてくる。(多分)


「やば、忘れた……」


 悠長に『地元民ジモティーの楽しみ方だからである』とか解説してる場合じゃなかった。沙子が浴衣着てくるなら、どう考えてもおれの役目だよなあ……。


「すまん……」


「大丈夫。どうせ、他のとこで見るから」


「他のとこ? 一夏中ひとなつちゅうじゃなくて?」


「一夏中だよ」


「はい……?」


 何を言うてるの沙子ちゃん。なぞなぞ?


「ていうか、夜ご飯どうする?」


 花火見ながらでもいいけど、とりあえず一夏中に着くまでに手に入れておく必要があるだろう。


「焼きそば食べたい」


 沙子が、少し前方に並んでいるものすごい行列を指差した。


「いや、こんなに並ぶものじゃなくてもよくないか? たこ焼き食おうぜ、たこ焼き」


「やだ、絶対焼きそばがいい。拓人と焼きそば食べる」


 無表情のまま、首を振る沙子。イヤイヤ期の子供かよ……。


 こんなに焼きそばに執着するのは沙子かみおちゃんくらいのもんだろう。間違えて焼きサバ買わないようにしないと大げんかになっちゃって最終的に力強く仲直りしてしまう……。


「……わかったよ、そんじゃ並ぼう」


「うん、並ぶ」


 そうして列の最後尾に並ぶと。


「あ、沙子っちと小沼じゃん!」


 目の前に並んでいた女子2人の片方が手を振りながら声をかけてきた。


「ひな」


「お、おお、水沢みずさわ……」


 なんか、あんまり見られたくない人に見つかった気がする……なんとなく、だけど……。


 水沢みずさわひなた。おれと沙子の中学の同級生だ。


 陸上部のエース。元気っ子なのはいいんだが、とにかくプライベートスペースというものがなく、良くも悪くも距離感が近い。……よく考えると、市川とちょっと似てるところがあるな。


「今年は2人で来たのー?」


「うん」


 沙子が広角を0.数ミリあげて答える。


「まあ、去年別々に来てたのが不自然だったくらいだもんねー。いや、沙子っちの金髪にもかなりびっくりしたけど……。あ、こちら、吉野よしの夏織かおり! うちの高校の友達!」


 水沢が一緒に来ていたらしい浴衣の女子を紹介してくれる。


 ていうか、なんで吉野さんはこんなにちゃんと浴衣着てきてるのに水沢はTシャツに短パンなの? かわいそうじゃない?(これ、ブーメランじゃない?)


 この人も、いきなり知らないやつと出会わされてさぞかし困惑してるだろう……。


「えと、ど、どうも」


 ほら、汗かいちゃってかわいそうに。


「「どうも」」


 おれは、精一杯優しい声で挨拶あいさつしたつもりだったが、沙子とハモった結果、なんか不愛想ぶあいそな感じになってしまった。ごめんね吉野さんとやら……。


 


「こちらは一夏中の波須沙子と小沼拓人! 今は同じ高校行ってるんだよね?」


 水沢がおれを吉野さんに紹介してくれる。まるでおれたちを知らない世界観の人におれたちが何者なのかを説明するように。(ほぼ事実)


 それにしても、丁寧ていねいでいいやつではある。


 それに対してうちの沙子ちゃんの返事がこちらです。お聞きください。


「ん」


 ぼっちを卒業したばかりのおれにも分かる、これは初対面の相手にしてはいけない反応!


「いや沙子、あいづち短すぎるから……。えっと、すまん、水沢、と吉野……さん。通ってるのは武蔵野国際むさしのこくさい高校です」


 おれもおれとて、しっかりと高校名までフルで伝える。水沢の丁寧ていねいがうつったらしい。


「そうだそうだ、武蔵野国際!」


 ふう、と息をついていると、元気っ子がニコッとしてまたもや爆弾を投下してくる。


「二人はもう付き合ってるの?」


「「ええ!?」」


 なんだいきなり水沢……! 驚きすぎて吉野さんとハモっちゃったよ。


「い、いや、付き合ってねえよ!」


「否定が強くない……?」


 沙子の語尾が上がっている……!


 いやいや、でもさ。


「そんなこと言ったら、水沢と西山だって……」


 西山にしやま青葉あおばは、水沢の家のすぐ近くに住んでいるメガネの優男やさおとこだ。


 こないだも水沢と西山が一緒に帰っているところに沙子と一緒に帰った日に会った。


 だってほら、一緒に帰ってるとかもはや付き合ってるようなものじゃない?(これ、ブーメランじゃない?)


 


「いやいや、うちと青葉はそんなんじゃないから! ね、夏織?」


 あははー……と吉野さんが苦笑いをしている。


「だから付き合ってないって言ってんじゃん、ばか拓人。幼馴染だって」


 後ろからもやたら強めのツッコミをいただく。ていうか沙子は幼馴染って言葉ほんと好きだな。この子、『友達』すらやだっていうからなあ……。


「次のお嬢ちゃん!」


 頭の中でうーんと考えて居ると、水沢が焼きそば屋台のおじさんに声をかけられる。


「あ、呼ばれちゃった。沙子っち、小沼、またねー!」


「じゃ」


「お、おう」


 なんつーか、突風みたいなやつだったな……。吉野さん、あんまり振り回されないようにがんばです……! とか言って、吉野さんが案外攻めるタイプだったりしてな……。


「ねえ、拓人」


「ん?」


 沙子がぼーっとしていたおれの袖口を引っ張る。


「うち、拓人が買った焼きそばを食べたい」


 えーっと、それは……?


「……おごれって言ってる?」


「そうじゃなくて、」


 珍しくキラキラと目を輝かせて、沙子が言い直す。


「拓人が持ってる焼きそばが食べたいんだってば」


 情報量増えてないっつーの……。


 はあ、とため息をついて、おれは焼きそばを全額自分のお金で買った。


 そのあともおれは、沙子と連れ立って、屋台を冷やかしながら一夏中に向かった。


「ねえ、拓人」


「なんだよ」


「焼きそば、ちょうだい」


「はいよ」


 おれが焼きそばと箸を渡そうとすると。


「……何やってんの?」


 沙子が口を開けて待っていた。


「食べさせて」


「はあ……?」


 何、本当にこの人、童心に返りすぎじゃない?


 て、ててていうか、あーん、とか、そういうの、おれ、やんねえし……。小さな頃にゆずにしてやってた時期があったかな、ってくらいで……。


「拓人」


「……無理!」


 ねだってくる沙子に焼きそばと割り箸を渡して、おれはズンズンと前に進む。


 そもそも割り箸が一膳いちぜんしかないのだっておれは本当はめっちゃ恥ずかしいんだからな!


 ややあって、Tシャツのすそをひっぱられた。


「拓人、あれ」


 沙子が指差した先には、射的の出店でみせ


「あれが何?」


「昔、拓人があれで景品取ってくれた」


「は? そんなことあったか?」


 まったく覚えてないんだが……。


「うん、絶対、取ってくれた。ピカチュウのソフビ人形、ちゃんとまだ持ってるもん」


「そうですか……」


 あげた記憶のないものを大事にされているっぽいというのは、なんとも言えないな。自分がすごく冷たいやつに思える。


「ね、また、取ってよ」


 なんだかやたら、ねだってくるなあ。


 おれが射的をやったのなんか、あの浴衣を着た時に、迷子になったピカチュウをあやすためにやった一回くらいしか……。


 ……いや。


 脳みその奥の方から、そっと、記憶を手繰たぐり寄せる。


 そうだ。


 おれは確かに一回だけ、ピカチュウのお面をかぶった迷子に、ピカチュウのソフビ人形を、この射的で取ってあげたことがあった。


「は、もしかして……」


 沙子が期待するような目をしてふふっと笑う・・


「沙子が、あの時のピカチュウ……?」


「ばか拓人、やっと気づいたの?」 

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