第2曲目 第35小節目:花風

 それぞれ飲み物を飲み終えて少し話してから、マックを出る。


 そろそろ市川も『ご飯の手伝いしなきゃだから帰るねー!』と言って手を振る時間だ。


 いつも、「あ、じゃあ……」みたいな情けない返事しか出来ていないから、今日くらいはなんかおしゃれでスマートな返しをしてみよう、と出来もしないことを思案しあんしていると。


「小沼くん、次はどこ行こうか?」


「え、まだいくの?」


 笑顔で市川が質問してくるのに、ソッコーで答えてしまった。


「……そんなにいやなの?」


 あ、やばい。


 天使が本気で傷ついている……。傷だらけのエンジェルだ……。


「あ、いや、そういうんじゃなくてな、いつもこのくらいの時間に帰ってるから。ほら、親御おやごさんに心配かけるだろ?」


「ああ、そういうことか」


 市川はふっと笑う。


「優しいね、小沼くん」


「いや、優しいとかじゃなくて……」


 おれが怒られたくないだけなんだけど……。


「でもさ、英里奈ちゃんとはデートじゃなくてもマック何回か来てて、沙子さんとは長ーい帰り道一緒の時あってさ、」


「はい?」


 いきなりなに……?


「それで、由莉とは今度旅行行くんでしょ?」


「……は?」


 本当に何を言ってるんだろうこの人は……?


「あ、違う、この話はこっちの世界観に持って来ちゃダメなんだった。ゆずちゃんに怒られちゃう……」


「世界観……? ゆず……?」


 妹の名前が出て来た気がするんだけど……?


「ううん、ごめん、なんでもない! とにかくさ、」


 そこまで言って市川がすぅーっと息を吸って、


「もうちょっとだけ一緒にいようよ、って誘ってるんだよ、私は」


 と、やや遠回しにその意図を教えてくれた。


 


 10分後、おれと市川は夕暮れの井の頭公園に来ていた。


「おお、これが『ボート』の聖地か……」


「聖地って! おおげさだよー、まあ、嬉しいけど……」


 市川が照れくさそうにはにかんでいる。


「あ、うん、いや、おれにとっては、ねー……」


「そっかあ、えへへ……」


 あまりにも天使な笑顔に、おれは「『聖地』っていうのは界隈かいわいではアニメの舞台とかロケ地になったところを指す言葉で、曲のモデルになったこの場所をそう呼んでみただけで、別にここに神がかった何かを感じてるわけじゃないんだ! 分かりづらいこと言ってごめんね? ぐへへ」とはもう言えなくなってしまった。


 まあこの言葉のおかげでこの地に天使が舞い降りたので結果的には聖地になったということでいいか。(いいのか?)


「小沼くんさ、」


 市川が池を眺めながら訊いてくる。


「今朝の『ボート』って、誰に贈りたかったの?」


 その横顔は優しく微笑んでいるような気がした。


「あ、いや、それは……」


 いきなりの質問に口をもごもごさせてしまう。


「私の勝手な予想だけど、1人目は、由莉かな? 器楽部の部長、すっごく頑張ってるもんね。本当に、今朝の演奏会の時の由莉は、すごかったなあ……」


「そうなあ……」


 たしかにすごかった。おれは一週間くらい前のことのように思い出す。あれ今朝かあ……。


「それで、2人目は英里奈ちゃんかな?」


 市川が小首をかしげた。


「えーっと……」


 それがなんで分かってしまったんでしょうか……? 吾妻ねえさんにスキルを習ったの?


「あはは、図星かな?」


「あっははー……」


 作り笑いが下手すぎる。


「きっとさ、小沼くんしか知らないこととか、みんな、小沼くんにしか話せないこと、いくつもあるんだろうなあ。由莉も、英里奈ちゃんも……沙子さんだって、そう」


 秘密があるということ自体が秘密という可能性もある。


「いや、そんなことは……なんも、聞いてないしな、うん」


 おれがなんとか隠そうとすると、


「小沼くんは、優しいなあ……」


 と、市川は寂しそうな笑い声を出して、こっちに向き直る。


「いや、優しいとかじゃなくて……」


 否定をしようと口を開くと、


「小沼くんは、誰にでも、優しい」


 そう遮られた。


 それは、どういう……?


「小沼くんのそういうところ……、ズルいなあ」


 そう言った市川の表情は、西陽の逆光で、よく分からないままだった。


「なーんてね、私に何か言う権利なんかないのにね! ごめんね、勝手に」


「い、いや、別にそんなことは……」


 ドギマギして答える。


「あはは、私にも・・優しいね」


 その表情は分かりづらいけど。


 なにか、元気が出るようなことを言えないだろうか。


 今日はやたら、市川はデートにこだわっていた。デートっぽいこと、デートっぽいこと……。


「えーっと、ボートとか乗ったりする……?」


「えっ!? ボート!?」


 市川が驚いた声を出した。


「あの、で、でで、デートっぽいということを気にされているみたいなので……」


「そっか……うーん……」


 市川は少し考えた後に、


「小沼くんと乗りたいけど、小沼くんとは絶対に乗らない」


「な、なんで……?」


 支離滅裂しりめつれつでは……?


「縁起が悪いから!」


 そう言って、市川は、駅の方へと歩いていく。


 その後ろ姿を見ながら、おれは『ボート』の歌詞を思い出していた。


「帰ろ? 小沼くん」


「お、おう……」


 トコトコと後ろをついて行った。



 

「それじゃあね、また、行こうね!」


 改札までたどり着いて、改札に入ると、市川が改札の向こうから手を振った。


 あ、そっか、市川、家吉祥寺だもんな……。


 ……ていうか公園の方じゃなかったっけ?




 一夏町駅で電車を降りる。


 ちょうどその時、スマホが震えた。


波須沙子『明日、夕方5時に駅前集合!』


 うんうん、沙子は、LINEだとちゃんと感嘆符かんたんふを付けられるんだよなあ。普段口頭で話をして居る時だって、本人的には感情を十分表現しているつもりであの平坦さなんだろうな。


「…………明日?」


 つい、口から疑問がこぼれた。独りなのに!


 え、明日、何!?


 スマホを見ながらうーん、と考えていると、追い討ちをかけるようにLINEが来る。


波須沙子『遅刻したら、死刑だからね!』


 どんだけハルヒ好きだよ。(誰が?)


 ていうか、明日の準備がどうとか行って沙子は帰って行ったけど、あれ、おれとの用事だったの? 身に覚えがないのですが……。


 でも、これで『明日って何?』とか訊いたらさこっしゅが怒ることくらいは、おれにだって分かります。


 どうしたらいいのかは分かりませんが……。


「はあ……」


 と、ため息をついて見上げると、駅の掲示板に貼られた大きなポスター。


「あっ……!!」


 おれが再び独りで声をあげてしまったその視線の先には。


『一夏町花火大会』


 との文字とあわせて、明日の日付が書いてあった。


 沙子の明日の予定、これだったのか! 予定確認せずに承諾したからなあ……。まあ、空いてるから大丈夫なんだが。


 脳内のスケジュール帳(ほぼ空欄)に予定を書き込んでいると、またスマホが震える。しかも、今回は小刻みに長く。


 いや、沙子ったら、そんなに念を押さなくたって大丈夫だってば……。

 

 そう思いながら電話に出ると。


『たくとくぅーん、大変だよぉ! ピンチだよぉー!』


「あ、英里奈さん!? どうしたの?」


『相談があるよぉ! 明日会える!?』


「あ、明日……?」

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