2曲目

第2曲目 第1小節目:バウムクーヘン

 冷房のよく効いたリビング。


 窓の外からは、プールバッグを持った小学生の笑い声と、自転車のベルと、セミの鳴き声が聞こえる。


 ソファでは妹のゆずがアイスを食べながらテレビをぼけーっと見ている。


 テレビでは熊谷くまがやの最高気温がどうたらとキャスターが数字を読み上げている。


 それは、典型的な夏休みの光景だった。


 あのロックオンが一学期の終業式の日にあったのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、時は夏休みに突入していた。


「たっくん、夏休みなのに用事ないの?」


「そうなあ……」


 ぼっちを卒業したはずだったのだが、学校が終わったら呆気あっけにとられてしまうほど特に用事もなく、夏休みぼっちへと肩書きを変えただけだったことに気づく。


「って、お前も家にいるじゃん」


「いんだよ、ゆずは今日はこの後ひなた先輩と出かけるんだよー」


水沢みずさわか……」


 水沢ひなたは、おれと沙子の一夏中ひとなつちゅうの時の同級生だ。2つ下のゆずは中学生の時に一緒に体育祭の応援団をやっていたとかなんとかで、仲が良いらしい。まあ、おれにはあまり関係のない話だ。


 と、その時。


 リビングのテーブルに置いてあったおれのスマホが小刻みに震えた。


「たっくん電話ー」


「言われんでも分かってる」


 当たり前のことを言う妹におれはそう答える。


 あれ、この光景アニメかなんかで見たことあるな。……夏休みちゃんと1回目だよね? エンドレスなんちゃらしてないよね?


 電話を出たら、『キョン、あんたどうせ暇でしょ?』とか言われないことを祈りつつ、心のどこかで実は期待もしつつ、スマホを覗き込む。


 表示された2文字の名前に胸をドキつかせながら、そっと通話ボタンを押した。


 ゆずに絡まれそうだから、そっと席を外し自室に戻る。リビングを出るとむわっとした空気に包まれ、汗が吹き出た。


『あ、小沼くん、お、お久しぶりです!』


 可愛らしさを持ちながらも透明感のある、電話越しでもよく通る声が、耳元に聞こえる。


「……うす」


 なんとなく久しぶり(つっても一週間ぶりくらいだけど)に会話していることが気恥ずかしく、反応が下手くそになってしまう。いや、反応が上手だったことなんて一回もありはしないんですけど。


 電話の相手は、市川天音いちかわあまね


 ”元”天才美少女シンガーソングライターamaneであり、おれのバンドのギターボーカルであり、2年6組のクラスメイトである。


『えーっと、今、何してるところ?』


「電話……」


 分かりきったことを聞いてくるぜ。……いや、照れてるわけじゃないからな!


『そんなのわかってるよ! えっと、げ、元気?』


「ん、まあ、元気だけど……」


 閉じっぱなしになっているパソコンを横目に、おれは答える。


『そっか、それはよかったです。えへへ……』


「うん……えっと、市川は?」


『え、私? うん、わ、私も元気だよ』


「あ、そう、よかった」


 無言。空白。


 遠くで市バスが発進する音が聞こえた気がした。


 ……市川さん、緊張してる?


「えっと、用件は……?」


『あ、えっとね、小沼くん、オトガどうするかなって』


「オトガって……?」


 どうするも何も、何を言ってるのかがわからない。


『え? 音楽部合同合宿おんがくぶごうどうがっしゅくのことだよ?』


「……音楽部合同合宿?」


『そう、音楽部合同合宿!』


 …………。


 再度、しばし無言の時間が流れる。これは多分、さっきの沈黙とは別の意味のやつ。


「……何それ?」


『……あれ?』


 意味がわかっていないおれの様子を察したのか、電話の向こうで市川が『んー?』とか『あっ!』とか『ありゃー……』とか言ってる。


 なんか表情が想像出来て可愛らしいのはいいんだが……。


「おれの予想、言ってもいいか?」


『はい……』


「多分、うちの音楽部が合同で合宿するんだな、この夏休みに。そんで、それはきっとおれの知らないロック部LINEとかそういうので周知されてて、そこにおれが入っていないことに、今、市川は気づいた、と」


『ご明察……』


 ふぅ……。


「ご明察、じゃねえよ!」


『ごめんさつー!』


「びっくりするほどうまくないな!」


 完璧超人の市川にしては珍しいミスだ。


 合宿ってことはあれか。アニメでいうと温泉回とか、海回とか、プール回とかそういうのがあるあれか。


「てか、沙子は?」


 あいつはこのこと知ってるんだろうか。


『沙子さんは来る予定だよ! LINEでもそう言ってた』


「え、そうなの?」


 なんで沙子をLINEに入れる時におれを入れてくれなかったのでしょうか……?


 結局6組のLINEグループにも入ってないから、おれのLINEフレンズは一向に増えないままである。


『これからはちゃんと連絡するから許してー……』


「いやだから、おれを入れてくれたらよくない?」


『んんー、まあ、そうだね……』


 なぜかおれをLINEグループに入れるのを渋る市川。


 なんじゃらほい、と思いながら、おれは当たり前に訊かないといけないことを訊く。


「で、いつ?」


『しあさって、です……』


「しあさって!?」


『小沼くん、来て欲しいんだけど、無理かな……?』


 いや、来て欲しいならちゃんと教えてね……。


「……まあ、行けるけど」


『ほんと!?』


 電話越しでも表情がパァっと明るくなったのがよくわかる。


「予定なんか無いからな……」


『良かったあ……。一時いっときの感情のせいで大事な思い出作れないとこだったよ……』


一時いっときの感情? 大事な思い出?」


 何を沙子みたいなこと言ってるんだこいつは。


『あははー、ごめんね、こちらの話!』


「そうかい……」


『それじゃあ、集合場所とか、そういうのLINEしとくね!』


「いやだから、ロック部LINEに入れてくれたらよくない?」


『あはは、それじゃね!』


 そう言って市川は通話をオフにした。


 ぷー、ぷー、と言うスマホ。


 部屋には、閉じられたパソコン、弦が錆びて黒くなってしまったギター、ほこりをかぶった電子ドラム。


「とはいえ、どうするかなあ……」


 おれはつぶやきながら、ロックオンの日のことを思い出していた。


 * * *


 ロックオンがあったのは一学期の最終日のこと。


 夕日の差し込む2年6組の教室に二人の人影。


『小沼くんは、私の、憧れなんだ。』


 今しがた、目の前の美少女が言ったセリフが、頭の中でこだましていた。


「えっ……と?」


 憧れっていうのは……? どのような意味でして……? ってか教室いきなりめっちゃ暑くない? なんで? 明日から夏休みだから? そうだね! きっとそうだ!


 おれが心中で動揺しまくっていると、


「えっと……これ、小沼くんの真似まねなんだけど?」


 市川が照れくさそうに上目遣いで言ってくる。


「お、おれの真似?」


「そうだよ、ていうか小沼くんの方がひどかったよ。私をいきなり下の名前で呼んでさ……」


「ああ、あれのことか……!」


 それは市川と初めてまともに話した、amaneの曲をいつかもう一度歌ってくれることを条件に市川におれの曲を渡すことを約束した時のこと。


『amaneは、おれの、憧れなんだ。』


 おれはそう言ってすぐに赤面することになったのだった。


「そんな顔するくらいなら、小沼くんもあんなこと言わなきゃよかったのにね?」


 市川が意地悪な笑みを浮かべる。


「いや、あのamaneは市川の下の名前じゃなくて、アーティスト名の方だろうが……」


「そ、そうだよね……あははー」


 市川がほほをぽりぽりと触っている。


「まあ、誤解させたのは悪かったけど……」


 おれも頭をかく。


 なんだこれ。


「そしたら、さ……さっきのは?」


 市川が再度上目遣いでもじもじとしながら訊いてくる。


「さっきの?」


「うん……ライブの時、えっと、『わたしのうた』歌い始めの時にも、あの……『あまね!!』って……言ってなかった?」


 は……? え……?


 …………!!


 ……………………!?


 やっばい! 言ってた気がする! え、え!? 言ってたね! 言ってたわ! 言ってました! しかも、それは、amaneじゃなくて……。やばい、恥ずかしすぎる!


「あ、あれ? そんなこと言ってたか? 『あわれ!』とかじゃなくて?」


 おれはとっさにぼっちスキル《おとぼけ》を発動させた!


「『あわれ』って何!?」


「そ、そりゃ、『かわいそうに』ってことじゃないの?」


「歌えない私を見てそう言ったの!? 最低じゃない!?」


 信じらんない! という感じで市川が目を剥く。


「いや、違うな。なぜならおれは最低じゃないからだ。じゃあ、『あさげ!』とか」


「朝ごはんってこと!?」


「『あられ!』とか……」


「朝ごはんに食べるの……?」


「『あかね!』とか……」


「誰……?」


 乱馬らんま許嫁いいなずけかな……。


「……私、嬉しかったんだけどなあ」


 誰に言うでもなく市川がぼやく。いやおれしかいないんだが。


「……すまん」


 何に謝っているのか、もはや全部に謝ってるような気持ちで、頭を下げる。


「……もう一回呼んでくれたら許すけど」


 市川が窓の外を見ながら、そっとそんなことを言う。


「ええ……?」


 夕日の色か分からないが頬が赤くなった市川がこちらを見て、


「ん」


 と、おれに促す。


 なんか、市川さんテンション上がっちゃってない……? そんなこと言う子だったっけ……?


「言うの? ここで? 今?」


 どうしたらいいかも分からずにあたふたしていると、おれのポケットのスマホと、市川が机に置いていたスマホが同時に震えた。


由莉『天音、小沼、遅い!』


波須沙子『変なことしてないよね?』


 LINEメッセージが届いている。互いに目を見合わせた後バッと目をそらす。


 市川も我に返ったらしい。良かった。良かった……ですよね?


「待たせちゃってるし、行こっか……?」


 はにかむ市川の照れ笑いに、おれはつばを飲み込みながらうなずくのであった。



 すぐに準備をして昇降口に向かう。


「二人とも遅いよぉー!」


 そこにはなぜか英里奈さんが仁王立におうだちしていた。


「おう、アマネ、コヌマ、お疲れ」


 はざまが気楽に声をかけてくる。


 アマネってお前、おれが今さっきそう呼ぶのにどれだけ……!


 チェリーボーイズの面々も後ろに控えている。


「おー、大天使アマネル、今日まじやばかったっす! ていうか、この状況やばくない? 高2四天王してんのう全員揃ってるじゃん! 誰の人望? 俺?」


 チェリーボーイズのギターでおれの後ろの席でモブ全般担当の安藤夏達あんどうかたつがそんなことを言う。


「四天王?」


 なんだそれ。


「小沼、そんなんも知らんの? 大天使アマネル、英里奈姫、由莉嬢、沙子様の4人で四天王だろ!?」


 安藤が熱弁を振るっている。そうなんだ、この4人、四天王なんだ。なんのだよ。


「それ言ってんの夏達かたつだけだから」


 はざまがツッコミを入れる。


「でもはざまっちも分かるって言ってたじゃんかよー」


「うるせえよ」


 チェリーボーイズがやいのやいのやっている中、チェリーボーイズではない(だが童貞ではある)おれは思っていた。


 沙子だけただの『様』付けでちょっとかわいそうじゃない?


「なに見てんの……」


 あわれみの目で見た先の沙子に怪訝な顔をされていると、


「んじゃー、みんなでヨ地下に行こぉー!」


 と英里奈さんがのたまった。


「よちか……?」


 おれが首をかしげていると、


武蔵境むさしさかい駅前のヨーカドーの地下のフードコートのこと。小沼は行ったことないかもだけど」


 元ぼっちの吾妻ねえさんが横から差し込んでくれる。優しい。


「ああ、そうなの……」


「武蔵野国際の生徒の溜まり場っていうか、みんなでポテト一つとかで延々と居座れるから、結構いること多いよ」


「へえ……」


 また一つ覚えた。


 まだおれの知らないことが沢山あるんだろうなあ……。



 と言うことで、やってきました『ヨ地下』とやら。


「一学期お疲れぇー、そしてみんなロックオンお疲れぇー!」


 なぜか英里奈さんが乾杯の音頭を取って、みんながコップを掲げる。


 中に入っているのはセルフサービスで冷水機から汲んできた水(無料)だ。高校生は無料をさかなに水が飲めるのだ。そこら辺の感覚はリア充も元ぼっちも変わらないらしい。


「それにしても、バンド……amaneだっけ? すごかったな。さすが新部長って感じだわ。やべえ」


「それ!」


 はざまと安藤がバンドの”amane”を褒めている。


「2曲目もオリジナルなのか? めっちゃ良い曲だったけど。アマネ、あんなん作れんだな」


「ありがと……」


「んまあ、歌詞はコヌマのドラムがうるさくて聞こえなかったけどな」


「すまん……」


 まあ、事情があったというか衝動というか……。


 そんな感じでダラダラと話していると、小柄な栗色の髪をした女の子とロングのパーマがかった黒髪の女の子が席の横を通りがかる。


「はわっ! 天音部長じゃないですか!」


 栗色の髪の子がびっくらこいている。


「あ、つばめちゃんお疲れ〜」


 栗色の子はつばめちゃんと言うらしい。なんか庇護欲ひごよくをそそる子だなあ……。


「天音部長のバンド、すっごくすっごく良かったです! アンコールとかもうほんと最高でした!」


「……アンコール、すごく良かったです……」


 黒髪のミステリアスな女の子も恥ずかしそうに付け加えてくれる。


「ありがとう! 嬉しい」


 向かいに座ってそんな風に対応している市川を、おれは他人事ひとごとみたいにぼんやりを見ているのだった。


 

 少し経って、えんもたけなわ。


 おれはみんなのコップを乗せて運ぶか、と、市川の近くにあったトレイを指差して、


「市川、ちょっとトレイ取ってもらってもいいか?」


 と言うと、


「はいどうぞ、市川ですー」


 と返事しながらトレイを渡して来る。


 ……?


 トレイにコップを載せながら、おれは尋ねてみる。


「市川、どうかした?」


「はい市川です、別にどうもしないよ」


「なんか怒ってます?」


「はーい市川です、怒ってないよー」


 謎の市川推し。


「なに、市川って名前気に入ったの……?」


「……どっちかっていうと逆」


 いっちょんわかりません。


「私、嬉しかったんだけどなあー」

 * * *


 結局あれはなんだったんだろうか。


 ぼーっとしていた首を振って、おれはいそいそと準備を始めた。


 何を持ってこう、何を着ていこう。


 市川のミスの理由はよく分からんが、なんにせよ、しあさってで良かった。


 それ以上は、待ちきれなかったかもしれない。

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