第1曲目 第45小節目:fruits
「「……?」」
ハテナを浮かべる沙子とおれの前で。
大サビのコードをジャーンと鳴らしながら、市川が、歌い出した。
「『知らないふりして また笑ってみせた たった一つだけの 当たり前の平凡な日常
』」
市川は、おれの知らないメロディで最後の歌詞を歌いきる。
そして、手を止めて、おれの方に向き直って訊いてくる。
「こんなの、どうかな?」
時間が、止まった。
おれは、
座ってたから分からないけど、腰も抜けてたかもしれない。
首をかしげている市川におれは何も言えないまま、
「い、市川……」
「市川さん……?」
この数分でどれだけのことが起こってしまっているんだろう。
だって、市川、いや、amaneは、それが出来ないんじゃ……?
「い、今の、市川が、作ったんだよな……?」
やっとのことでおれはそう言う。
今のは、吾妻の歌詞に対して付けた、
「あ、あれ? 私……うそ……? 今、曲、作った……?」
今さら気づいたと言う感じで、市川が自分の手を見ながらわなわなと震え始めた。
「ねえ、小沼くん、今、私、曲を作れたの……?」
「お、おう……」
おれの感情は居場所を探して暴れ回っていた。
amaneの新曲の誕生の瞬間に立ち会えた喜びか?
自分が曲を作ろうとしていた歌詞を奪われた怒りか?
市川がもう一度曲を作れたこと自体に対する賞賛か?
その曲があまりにも素晴らしいことに対する嫉妬か?
それとも、おれの役目が、存在意義が……?
「拓人……」
沙子が心配そうにおれの名前を呼ぶのがかすかに聞こえる。
でも、それに答えることも出来ない。
混乱しているおれをよそに、市川は口を引き結んで、真剣な顔になった。
「もしかしたら、今なら……」
そう言って、市川は、震える手をギターにそっと添えた。
目を閉じて、ふぅーっと息を吐いて、すぅーっと息を吸う。
何度か繰り返し、もう一度目を開く。
これは、市川が曲を始める時の儀式。
そして、Cのコードを押さえて、ぽろんと鳴らした。
「まじかよ……」
つい、そう声が漏れる。
そのコード、そのフレーズ。
それを、間違えるはずもない。
インストアライブで最初に聞いた、amaneのシングル曲。
おれが今までの人生で、一番聞いた曲。
わけも分からず、視界がぼやける。
「うそ……」
手が震えているのだろう。うまく押さえられずに、ピン、といくつかの音が綺麗に鳴らずに止まってしまう。
それでもamaneは、C、G、Cとゆっくり弾いていく。
3つ目のCはフェルマータ。弾きっぱなしで音を伸ばした。
イントロのフレーズを弾き終わったら、そこから。
歌が入るはずのところだ。
amaneがすぅーっともう一度大きく息を吸う。
ゴクリ、と自分がつばを飲む音がやけに響いた気がした。
次の瞬間。
「『ねえ、自分にしか』……」
声になったのは、そこまでだった。
かすれきって声にならないかすかな音がマイクを通してかろうじて聞こえてくる。
挑戦していたが、そのあと1フレーズだけ歌おうとしてから、ギターも含めて演奏をやめた。
「えへへ、やっぱダメかあ……」
そして、悔しそうに、そう笑った。
「市川……」
「市川さん……」
目の前で起こっていることに、おれはなんと言えばいいのか分からなかった。
「いけるかもって、思ったんだけどなあ……」
下唇を噛んで、何かをこらえている。
市川のその表情を見て、ハッとする。
『ちゃんと、こういうことから、言葉にするようにしよっと』
なんと言えばいいのか分からなかった、じゃねえだろ。
おれはすぅーっと息を吸う。誰かの何かみたいに。
そして、声を発した。
「ふざけんな!」
そんな、言葉を。
「「……?」」
市川と沙子が
いや、おれの口から出た言葉に一番驚いていたのは、おれかもしれない。
でももう、おれは正直な言葉しか、心からの声しか誰かの心を打たないことを知っているから。
だから、もう、言うしかない。
「おれが昨日の夜中、何時間かけてこの曲作ったと思う? その先を行く曲をあんなにすーっと作りやがって」
「小沼くん……?」
「おれは……めちゃくちゃ悔しい」
くそ。くそ!
「そんで、めちゃくちゃ怖い」
「どうして……?」
「amaneが自分で曲を作れて歌えるようになったら、おれなんか要らなくなるんじゃねえかって」
「拓人……!」
ぎゅっと拳を握って、言葉を吐く。
市川は、じっとおれのことを見ていた。
『そんなことないよ』なんて、そんなに簡単に否定してくれない。
市川は正直だな、とおれはふっと笑った。
「だからさ」
「うん」
もう、市川の瞳は揺れていない。
「それまでに、もっと良い曲を作れるようになってやる」
「うん……」
「だから、」
おれは最高に情けない言葉をつむぐ。
「もうちょっと時間が欲しいから、ゆっくり、歌えるようになればいい」
へらへらと笑ったおれを見て、
「……うん」
と市川はそれでも真面目な顔でうなずく。
「だけど、絶対にまた歌えるようになろう」
「うん……!」
市川は、amaneは、絶対大丈夫なんだ。
だからこそ、負けてたまるか。
おれはもう一度、ぎゅっと拳を握りしめていた。
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