第1曲目 第24小節目:下唇

 結局バンド名は決まらないまま、土曜日が終わり、日曜日も終わり、翌週が始まった。


 市川に作曲のことがバレてから、もう一週間も経ったのか......。


 くあぁ、とあくびをしながら廊下を歩いていると、吾妻とすれ違う。


 お互いに分かる程度の小さな会釈をしてすれ違おうとしたところ、右腕に突然柔らかい感触が巻きついて来た。


「おはよ、たくとくん!」


「「はあ!?」」


 みみみみみ右腕を見ると、英里奈さんがおおおおれのう、うでをだだだ、だいていた。


 至近距離で見ると、さすがえりな姫と言われているだけあって、すごく整った顔をしている。お人形みたい、という表現がぴったりだ。


「ちょ、英里奈、小沼、どゆこと!?」


 素モードの吾妻がツッコミを入れる。


「わー、ゆり、たくとくんのこと知ってるんだー?」


「たくと......くん......?」


「いや、吾妻、これは......」


 しどろもどろになったおれが口をパクパクしていると、


「だめだよ、たくとくん」


 耳元をふわりとくすぐるようにそんなささやきが聞こえた。


「さー、教室にいこー!」


 え、このまま行くの!?


 ポカーンとする吾妻を取り残して、英里奈さんはおれを引きずりながら6組の教室へと入っていく。


 扉をくぐった途端、


「ほへぇ!?」


 よく通る声が一瞬教室に響いた。


 声の主を見ると、ほけーっとこちらを見ている。


 市川だ。


 いや、違うんだ、市川、とやけに焦る自分を疑問に思っていると、パッと英里奈さんの手が離れた。


「ありがと」


 そう小さく呟くと、英里奈さんはたたたっと自分の席へと向かう。


 ぼーっとしながらも席に着くと、うしろの席の安藤がなんか言っていたが、全然覚えてない。



 昼休み。


 トイレに向かうために廊下を歩いていると、4組の前を通った時に、


「小沼っ!」


 と声がした。


 振り返ると吾妻がそこにいた。


「ちょっと、顔貸しなさい」


 そう言ってまた視聴覚室の前まで連れていかれる。


「今朝の、どうゆうこと?」


 吾妻が腕を組んでこちらをじろーっとにらみ上げる。


 いろんな意味で視線が泳ぐ。


「どうゆうことっていうか......」


 作戦上、意図をバラすわけにはいかないだろう。


 とはいえ、吾妻ねえさん怒ってて怖え。


「いや、別に小沼と英里奈が付き合ってないことは分かってるからね?」


「あ、そうなの?」


 すっとんきょうな声が出てしまう。


「思いあがんな、バカ」


 吾妻が鼻でフンっと息を吐く。


「どうせ、英里奈に『ちょっと、コヌマくんと仲良くしてる感ださせてよぉ』とか言われたんでしょ」


「いや、あの、」


「図星でしょ?」


「......はい」


 すみません、英里奈さん......。


 吾妻は、はぁー、やれやれと言った感じで額を抑えてため息をつく。


「だいたい、分かるっての。英里奈の意図も分かる」


「ほお」


 すげえな。


「吾妻は、その......知ってるのか?」


「何を?」


「英里奈さんが、その......」


「ああ」


 ふっ、と吾妻が優しく笑った。


「小沼、いいとこあんじゃん」


「え、なにが?」


「英里奈の気持ち、言っちゃいけないって思ったんでしょ?」


「いや、えっと......」


 まごつくおれをもう一度笑ってから。


「英里奈を見てれば、分かるよ」


 と吾妻はそう言った。


「そういうもんか?」


「うん、そういうもんだよ」


 おれには全然わかんなかったな......。


「吾妻にはそういう洞察力があるから、ああいう良い歌詞を書けるんだろうな」


 おれが感想を口にすると、


「ちょ、いきなり何!?」

 

 吾妻が頬を染めておれの肩を叩いてくる。


「いや、思ったこと言っただけだよ」


「ばかじゃないの!」


 打撃を受け止める腕の間から、少しだけにやけている吾妻の顔が見えた。


 吾妻はひとしきりおれのことを叩いたあと、


「それにしても......」


 とまた物憂げにため息をついて、


「英里奈も、そんなことしたって、上手くいくとは思えないけどな......」


 そう呟いて、下唇を噛んだ。 

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