彼女の理由

 岩木が教室に戻ると、案の定、誰もいなかった。

 そのかわり軽快な音楽が流れている。黒板には衣装をまとったキャストたちの写真が何枚も出たり消えたり。それは、クラス演劇のエンドロールで、写真は登場キャラクターの後日談という設定なのだろう。誰かが消し忘れたらしい。

 それを特に気にすることもなく、彼は近くの紐を引っ張る。すると、教室の天井に渡された紐を伝って大きな鍋がやってくる。

 これは『工具移送システム』だ。鍋は家庭科室から調達した。教室内のどこで作業をするにしても鍋に乗って工具が運ばれるので、立ち上がる手間が減る。少しでも効率化して、早く終わらせたい『内装チーフ(代理)』の思いの結晶である。

 岩木は鍋から金づちと釘を引っ掴んで打ち付ける。

 ガンっ、ガンっ

 八つ当たりではない。舞台製作だ。

 ガンっ、ガンっ、ガンっ、ガンっ!!

 八つ当たりではない。・・・ちょっと音が大きいだけだ。

 「ねえ、これさ〜」

 「ガンっ」以外の音が聞こえたので岩木は顔を上げる。

  いつから現れたのか小野田理恵が傍に立っていた。

 「演劇の一番最後に流すんだよね」

 彼女はエンドロールを指差している。

 「ちょっと、物足りない」

 「どこが?それなりにクオリティは高いと思うが」

 岩木は赤くなった目を見られたくなかったので再び釘を見る。

 「でも、結局写ってるのはキャストだけだもんな〜。私もこんなに頑張ってるのに」

 なんだかんだで小野田も毎日教室に来て作業をしていた。やっている仕事は毎回違う部署のものだったが。

 「そんなに言うなら、やっぱりキャストやれば良かっただろ?『私青春できない!』とか言ってないで」

 岩木は釘を打ち続けながら素っ気なく言う。それに対する小野田の返答は少し間が空いたようだった。

「・・・頼まれてるんだ」

「は?」

「小野田理恵は青春しないでください、ってね」

 彼女の言葉の真意がつかめず、岩木が顔をあげると、

 パシャリ!

 「おお、無愛想な顔!」

  いたずらっ子の笑顔とスマートフォンを携えて小野田理恵が岩木を見下ろしている。

 「また、『イタズラ』か?」

 「そうかもね」 


 

 数日前の『プリンチペッサ事件』。

 あの後、折を見て岩木は彼女に尋ねた。

「お前、あんなことして何のつもりだ?」

「あんなこと?」

「高級菓子の箱にスーパーで買えるようなモノ入れたろ。お前はどこの食品偽造業者だ?」

「ああ、あれはイタズラだよ」

 小野田は楽しそうにいうのだ。はい?

「『プリンチペッサ』のクッキーだと思って知ったかぶりするキャストのみんなを見るのは楽しかったな〜」

 恍惚として言うのだ。もう一度、はい?

 その後も彼女は『イタズラ』を続けた。

 三日前は、黒板のチョーク置き場の中に千歳飴が紛れ込んでいた。

 (今でも黒板の一部がペトペトしている。誰かが期待通りやってくれたらしい・・・)

 二日前は、工具箱の底に人の顔の写真を貼り付けられていた。

 (「彼」はノコギリや金づちの隙間から微笑んでいた。・・・びっくりする)

 昨日は、薄暗い教室に生首(人形)が吊るしてあった。しかも、喋る!

 (よく聞くと、センター試験の英語リスニング。・・・何で?受験生だから?)

 まあ、別に誰かに危害や迷惑をかけるわけでもないが・・・。

 


「お前、なんでイタズラなんてするんだ?」

 岩木は金づちを握りなおすとまた舞台製作を再開する。

「そこに、イタズラすべきモノがあるからだ!」

「ねえよ」

「私の辞書には『イタズラ』の文字ないからだ!」

「困るわ。なんだ、そのイタズラ大百科事典」

 ここ数日で岩木の彼女の扱いは驚くべきほど雑になっている。

「まあ、強いて言うなら・・・楽しいからかな。」

「誰が?」

「それはもちろん」彼女は当然とばかりに、

「私が!」

「・・・結局、自己満足じゃん」

 真面目に聞いて損したと、岩木は釘打ちに集中する。まあ、別に対して興味があったわけでも・・・

「岩木くん」

 名を呼ばれ、思わず顔を上げる。

「一ついい事を教えてあげます」

「はあ」

 彼女は急に上から目線で、ニコリと微笑む。

「幸せとは自己満足のことだから。」

「はい?」

「たとえ、どんなに厳しい茨の園でもそこに美しい薔薇の花を見つけられたら、そこは楽園でしょ?」

「・・・やけに文学的だな」

「それほどでも」

 彼女はちょっと顔を赤らめる。いや、褒めてるわけじゃないんだが。

「まあ、簡単に言うと、辛い状況でも楽しもうと努力して自分を満足させられたら幸せだろう!ってこと」

 彼女は力説する。それはもう自信満々に。

 

 そんな彼女の表情を見てふと岩木は考える。彼女は今辛い状況なのか、と。

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