見舞い
遠くにそれはそれは大きな入道雲が見えた。灼熱の日差しが岩木の背中を照りつける。彼はかげろうが揺れる国道を自転車でひた走っていた。
今日は日曜日で学校には入れない。だから、病院に行くのだ。今日は小宮駿の見舞いである。
***
「本当にごめんなさい、キョーヘイ!」
岩木が病室に入るのを見るなり、小宮はベッドの上で勢いよく頭を下げる。青白い顔をした、どことなく儚げな少年である。
「いやいや、そういうのいいから」
岩木は面倒くさそうな素振りをして小宮の謝罪に取り合わない。
「でも、僕の代わりに内装チーフをやってくれてるんでしょ。本当に申し訳なくて・・・」
やっぱり、と岩木は感じる。人に代わってもらうのも申し訳なくなるような理不尽な役回りをしてるって分かってるんだな。
「クラスのために頑張って、それで体調崩したやつを誰も責めたりしない。もう、いいから。それで、これ見舞い。胃を痛めたらしいから食べ物じゃないが」
岩木はレジ袋に入った漫画を差し出す。それを見て、小宮は一瞬目を輝かせた。
が、すぐに頭を左右に振ると、
「いや、でも、キョーヘイにちゃんと謝らないと」
だから、いいって。普段気弱なくせに変なところで強情なやつである。
***
「体調はどんな感じだ?」
「今はぼちぼちって感じかな。一時期は死ぬほど痛かったけど」
小宮は苦笑いする。
「やっぱり、自分のキャパを超えることしちゃダメだね」
夏休み前、小宮は内装の設計図作成に追われていた。休みに入る前になんとしても仕上げなければならない。それなのに、納期直前で色々なチームから要望が入り、変更が相次ぐ。
「ここの脚本が変わったから、この設備を増やして」
「演出のために、この部分にどうしても小道具の収納スペースが欲しい」
「照明用のライトを取り付けたいから、舞台直上の空間を空けてくれ」
小宮はそれらの要求に対処した。要求の中には、設計をほぼ根本から見直さなければならないものまであった。彼の睡眠時間はどんどん削られた。
そして、徹夜の続いたある日、彼は倒れたのだ。
岩木は教室にあった完成した設計図を思い出す。的確かつ、丁寧な指示。そこまで追い込まれながらも小宮はあの設計図を完成させたのだ。
「要求を断ればよかったではないか」
「もっとテキトーな設計図でも良かったではないか」
何も知らない人はそういうだろう。
だが、小宮はそれができない。彼の気弱な性格は頼まれると、NOと言えないのだ。そんな彼だからこそ、あのような設計図を作れたわけなので『リーダー』の采配は『適材適所』と言うことができる。配置される側にしたらたまったものではないが、彼らは最初からクラスの成功のことしか考えていない。たとえ、個人が病院送りになっても。
「それで、内装の方は順調?」
「まあ、ギリギリだな。なにせ、今の時期は人が来ない。俺しかいないっていうこともザラだな」
「やっぱり、そうなんだ」
そう言った小宮の表情はどことなく悲しそうだった。自分の悪い想像が当たったかのように。
「あ、いや、でも、あれだ。教室に俺一人ってわけじゃないぞ。なんだかんだで大体いつも小野田がいるしな」
「へー、小野田さんが」
「そう。夏期講習ないからって、ほぼ毎日。それで、毎日のようによくわからないイタズラしてるな。いや〜ああいうやつとは思わなかったわ〜」
岩木は話をそらすためにわざと関係もない小野田の話をした。だが、意外にもこの話に小宮が食いついてきた。
「小野田さん、元気そうにやってるんだ。良かった」
小宮はなぜか安堵の表情。
「ん?どういうことだ」
「岸森と小野田さん、付き合ってたんだ」
「そうなのか」
初耳である。
「それで、この間、岸森が小野田さんを捨てたんだ」
彼によると、岸森と小野田が付き合い始めたのは高3の五月頃かららしい。その関係を
「僕も断片的にしか分からないんだけどね。岸森が乗り換えた先が6組の滝谷さん」
その名を我が学年で知らないものはいない。我が校が誇る美人として有名なのだ。その美しさから、6組の主演女優に満場一致で抜擢されたという逸話まである。なるほど、美男美女カップルの誕生というわけだ。
だが、岩木はそこになんとなく違和感を感じた。
「でも、この時期に付き合い出すか?」
高校3年の夏。なんだかんだ受験を控えている我が校では、カップルが別れることはあっても、生まれることは珍しい。ましてや、乗り換えなど。
「さあね。まあ、僕らには分からないよ。ああいう人たちが考えていることは」
そうだな、と岩木は同調した。だが、彼の中の違和感はなぜだか晴れないままだった。
***
「じゃあ、そろそろ行くわ」
「うん、今日はありがとね」
病室に差し込む日の光が赤くなりかけた頃、岩木は辞去することにした。
「またな」と言い残して岩木が病室を去ろうとすると、「キョーヘイ!」と呼び止められた。
「ん?」
「あのさ、内装チーフを引き受けてくれて、本当に助かってるんだけどさ」
「うん」
「もし、キョーヘイが嫌なら辞めてもいいと思う。そりゃ、文句を言う人もいるかもしれないけど。でも、今回は2年前と違って僕も同じクラスだから。頼りないかもしれないけど、」
普段気弱な少年が力を込めて岩木を見つめた。
「キョーヘイの望むようにやっていいと思う」
それを見て岩木はフッと笑う。
「ありがとな。だけど、遠慮しておく。俺の望みは無難に残りの高校生活を終えることだからな。お前は
***
そう、無難に終わればいいんだ。
真っ赤な夕日を背に自転車を走らせながら岩木はそう思った。
たとえ駒のように扱われても。
たとえ無理難題を押し付けられても。
「制裁」がなく、無難に終わればそれでいい。
交差点を右折した時、ふと最近よく耳にする声が囁いた気がした。
「岩木くんはそれで満足なの?」
岩木は困惑してしまう。その問いに何も答えることができなかったから。
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