『リーダー』とは

 昔の夢を見た夜が明け、岩木は今日も教室に行って舞台を作る。

 そして、正午の少し前、彼は教室の外に出た。工具やら木材やらが所狭しと並び、消防法に引っ掛からないか心配な廊下を抜け階段へ。踊り場の窓からは他クラスのキャストが中庭で練習しているのが見える。ひときわ目立つ美人がいるので3年6組だろう。階段を登っていると何やら大きな金属板を持った生徒たちとすれ違う。

 

 学校は非日常空間と化していた。

 

 岩木が屋上に出ると、探していた人物がいた。

「うん、そうかもね。ハハッ、じゃあ、そうしよう。」

 彼は柵に寄りかかって電話をしていた。彼の楽しそうな様子と漏れ聞こえる会話の内容から、女子と話してるんだろうな、と岩木は想像する。・・・リア充め。

「うん、うん。わかった。またね」

 彼は通話を終えると、岩木の方を見てニコリと微笑んだ。その爽やかさと言ったら!

「やあ、岩木!」

 彼こそ、我らが監督、岸森正樹だ。

「舞台製作お疲れ様!人手がなくて本当に大変だったでしょ」

「ああ」

「ホント、ごめんな。午後のキャスト練が終わったら、キャストの人たちにも手伝うように声をかけてみるから・・・」

「そのことなんだが」

 岩木は無理矢理に本題を切り出した。そうでもしないと岸森に丸め込まれるような気がしたのだ。

「舞台完成の納期を延期してほしい」

 そして、岩木は頭を下げる。

 今の進行状況では8月8日の完成は怪しかった。このまま進行して納期に間に合わなかったらどうなるか。それは岩木には容易に想像できる。

 全体スケジュールの遅延。クラス内の不協和音。それを解決するため、原因を作った人物への「制裁」。

「無理は承知のうえで頼んでる。だが、頼む」

 岸森に向かって深々と頭を下げ続けた。

 自分が頭を下げるなんて理不尽だ、と岩木自身も思う。だが、それでも頭を下げるしかない。ここでは理不尽がまかり通ってしまう。もう、2年前のような経験をするのは嫌だった。

「ねえ、岩木」

 岩木の頭の上から岸森の声が降ってきた。


 「無理だよ」


「・・・どうしてもか?」

 岩木は力なく頭をあげる。残酷な判決を下した目の前の男は驚くほど明るい表情だった。

「うん、どうしても。文化祭本番までにキャストには舞台での立ち回りを覚えてもらわないとね。そのためには、実は8日でも遅いくらいなんだ」

「でも、このままじゃ・・・」

 岸森は微笑む。

「そこも含めて、内装チーフの責任じゃないかな?」

「責任」という単語が岩木に重くのしかかる。

「なあ、一つ聞いてもいいか」

「なんだい?」

「・・・俺が任されたのは内装チーフなのか?」

「どういう意味?」

 岩木は岸森の目をじっと見つめた。


「俺はクラスのになることを求められてるんじゃないか?」

 

 今でこそ来る人数の少ない内装チームだが、本来は教室を『リフォーム』することができるようにメンバーは大所帯である。だから、内装チーフにはその大人数を捌く指導力が必要なはずだ。つまり、『リーダー』こそ適任者だ。

 だが現在、夏期講習のために働き手はほぼ来ない。それでも、舞台は早急に完成させなくてはならない。

 そんな内装チームのチーフに求められるものは何か?『リーダー』としてのうつわではない。

 責任者として、自分の時間を犠牲にしてでも納期に間に合わせること。

 そして、間に合わなかった場合、分裂しそうなクラスをつなぎとめる人柱になること。

 だからこそ、『リーダー』のような優秀な人材ではなく、岩木京平が選ばれたのだ。

 

『リーダー』の命令には逆らわず、ただ黙って自分を犠牲にするとして。


「なるほどね〜」岸森は空に向かって両手をあげると、伸びをした。「まあ、結果だけ見れば否定はしないよ」

 その口調は平然としている。

「でも、クラスを維持するためには必要なことじゃない?誰かがやらなければ、うちのクラスは終わる。かと言って派手に嫌がる人に命令しても争いの火種を撒くことになる。そこで君だ」

 岸森は岩木を指差す。

「岩木なら、素直にやってくれるだろ?」

「・・・今すぐにでも辞めてもいいんだぞ」

「辞めたいのならお好きにどうぞ。まあ、どうせ辞めないだろうけど」

 岸森の口調はそれまでと全く変わらない。だが、もう目は笑っていなかった。

「今、辞めても責任放棄の罪でクラス全員の負の感情のはけ口になるだけだよ。つまり、だ。岩木とクラスの利害は一致してるんだよ。どちらも、納期までに舞台を完成できないと困る。

 これは素晴らしい人材配置じゃない?」

 岩木は死刑を宣告されたように俯くしかなかった。

 内装チーフなんて引き受けるんじゃなかった、と後悔しかけたが、それはすぐに違うなと気がつく。引き受けなかっときはクラスに非協力的だ、ということで吊し上げられるのだろう。

 『リーダー』の前で俺に選択肢など最初からないのだ。

 そんな岩木に岸森は優しげに声をかけた。

「ちょっと厳しい言い方になって悪かったね。でも、俺の立場もわかってもらえると嬉しいな。クラス全体のことを考えないといけないから。俺さ、岩木には本当に感謝してるんだよ。なんだかんだで予定通り作業を進めてくれてさ」

 そして、何も言わない岩木の肩にポンと手を置くと、耳元で囁いた。


「納期、頑張ってね。クラスのためにも、君のためにも」

 

 じゃあ、キャスト練があるから〜、と岸森は背を向けて校舎の方へ歩き出した。岩木はその背に何も言うことができない。黙って拳を堅く握る。彼にできるのはそれだけだった。


 俺は弱者だ。

 俺は臆病者だ。

 そして、俺はもうあんな目には会いたくない。


 だから、『リーダー』の命令に忠実に従えばいいのだ。そうすれば、少なくとも「制裁」を受けることはない。だから、頑張って納期を守ればいい。別に不可能なことじゃない。

 ・・・そんなことは十分承知している。それなのに。

 

 なぜ、こんなに目頭が熱いのだろう?

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