第31話 軍拡に走ったら、こうなった(四)

 リードが参戦すると、二週間で大阪攻めの様相が変化した。

 戦線が大阪側に向って移動を始めた。ガレリアがロマノフに戦いを挑んだせいで、ロマノフは大阪に向けて兵力を回せなくなった証拠だと思った。


 遂に大阪に部隊が肉薄すると、ロマノフのテレジアから会談の申し込みがあった。

 テレジアは前回、椿を裏切った記憶がないような態度で、しおらしく申し出た。

「ごきげんよう、椿国王様」


 椿はあまりの悪びれのなさに、多少なりとも怒りを感じ、皮肉をぶつけた。

「ごきげんよう、の前に何か言うことはないですか。前回の件で、他に仰りたい言葉はないんですか、テレジアさん」


 テレジアは椿の皮肉なんて、タンポポの種ほども気にせず、可愛らしく小首を傾げた。

「さあ、なんのことか全然わかりませんわ。確か前回、交渉で譲歩した記憶ならあるんですが」


 なんて女だ。自分の都合のいい事実しか覚えていない。それとも、イブリーズでは俺の考え方が間違っているのか。ここは悪党の巣窟か。


 椿が葛藤していると、テレジアは時間が惜しいとばかりに、用件を切り出した。

「この度は、とても簡単なお話があってきましたの。これ以上の戦争は無益、ここは互いに条件なしで和平を結びましょう」


 絶句とは、こういう場面で使うのだろう。今は圧倒的に月帝に有利な局面なのに、無条件和平をテレジアは提案してきた。

 相手が男なら中指をビシッと立てて「おととい来やがれ、このすっとこどっこい」と罵倒するのだが、相手は女性のテレジアなので、表現を変えた。

「その条件では、飲めませんね」


 丁寧な口調で答えたのが気に入らなかったのか、テレジアから見えない位置にいる伽具夜が、鬼をも殺しそうな恐ろしい顔で椿を見ていた。

 テレジアから伽具夜は見えないので、テレジアはいけしゃあしゃあと言葉を紡ぐ。

「では、こうしましょう。お互い無条件といいましたが、こちらが譲歩しますわ」


 来た、テレジアお得意のフレーズだ。

「大阪の施設を破壊せず、無血開城で明け渡しますわ。その代わり一年は、ペテルブルグを攻めないでくださいね」


 微妙なタイミングでの申し出だった。おそらく、戦線が大阪側に押しているので、戦っても大阪は落せる目処は既についている。

 だが、戦争で大阪を落としてしまった場合、大阪の街に被害が出て兵器の生産能力は落ち、徴兵にも影響が出るのはどうしても避けられない。


 ロマノフの戦いぶりによっては、大阪攻めは想定外に兵力は消耗するかもしれない。相手がロマノフだけならいいが、コルキストとは依然、戦争状態だ。

 大阪が無傷で手に入ってしまえば、コルキストを睨みながら、一年もあれば兵力を蓄えてから、月帝国の西側からペテルブルグまで一気に落せる。


 とても魅力的な話に聞こえるが、一年後にペテルブルグが危なくなるのは、テレジアも見越しているはず。

 テレジアには何か策があるのだろうか。それとも、ガレリアの攻撃が激し過ぎて、単なる急場凌ぎをするしか手がなくなったのだろうか。


 椿が迷っていると、伽具夜からイヤホンを通してアドバイスが飛んだ。

「和平はまだ早いわよ。テレジアの提案を拒否しなさい。または、和平したいのなら、ペテルブルグもよこせと言いいなさいよ」


 椿はテレジアには聞こえないように手に握ったスイッチで音声を切って、口元を隠して、伽具夜に相談した。

「でも、大阪を戦火に曝さず、獲得できるなら、和平に応じたほうがお得だよ。下手に仙台の時のように工場を壊されると、後始末が大変だよ」


 伽具夜からすぐに怒声が飛んだ。

「馬鹿、ペテルブルグを落としておけば、後々、ガレリア、バルタニア、ポイズンのどこかに譲渡するなりして交渉材料に使えるでしょう。今、落ち目のテレジアを葬っておいたほうが後々、有利になるのは間違いないのよ。ペテルブルグは月帝国内にできた橋頭堡だって、忘れたの」


 伽具夜の言葉を聞いても、椿は決断できなかった。それより、別の不安が頭を過ぎった

「そうすると、ガレリアが強くなりすぎなるよねえ、ガレリアのリードって、あからさまに危険な感じのする指導者なんだけど」


 ガレリアは、なんだかんだ理由をつけて、すぐにロマノフに宣戦布告しなかった。そのせいで、月帝は六ヶ月以上に渡る要らぬ消耗戦に入ったとも判断できる。

 だったら、ガレリアがあまり強大にならないように、ロマノフとは一度は和平しておいたほうが良い気がしてならなかった。


 また、椿をないがしろにする伽具夜に対する反発も、なかったとはいえない。

 あまり長い間、ずっと音声を切っておくのも不自然なので、椿は音声を入れて決断した。


「わかった。大阪の設備を破壊しない、大阪から財産を持ち出さない条件で兵を引けば、ペテルブルグは攻めない」

 もちろん、前回に学んだ教訓から、約束は完全に守る気ではなかった。一年が経たずとも、状況によっては兵を進めて、奪いに行く気、満々だった。


 今度は椿が裏切り返す番だ。今度こそ優位な立場に立って、上から目線で言ってやる。

 テレジアは両手を胸の前で組み、安堵した表情を浮かべた。

「よかったですわ。椿国王様が紳士なお方で」


 こうして、大阪を手にした月帝国は、前回と同じだけの領土を回復した。

 テレジアが約束通りに兵をペテルブルグまで引き、大阪を手にした事実で、椿は自信を回復させた。同時に、安価な歩兵至上主義の軍事国家の強みを理解した。


 あとは、このまま大阪で歩兵と兵器を増やして、ペテルブルグを蹂躙して、対コルキスト戦に臨むだけだ。

 ただ、自信を回復した椿を、伽具夜が苦い顔で見ていた。

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