第8話 ローストチキンを作るには太った鶏が必要だ(二)
科学大臣と言われて、五十代半ば、赤い軍服を着た男が立ち上がった。腰にはサーベルも差していた。
(え、貴方が科学省の大臣なの。顔と格好からいったら、さっきのビン底眼鏡の女の子が科学大臣で、こっちが軍務大臣だよね。見た目、逆だよね。え、これ、間違ってないの。ひょっとして俺が軍服だと思っていた服って、月帝では普通のスーツみたいなものなの。月帝のファッション文化って、そうなの。それに、科学にサーベルって不必要だよね。なぜ持っているの)
椿の心の突込みを他所に、科学省大臣が厳格な口調で口を開いた。
「科学省大臣の、アルタイ・ベガスです。科学省としては、最初から人工衛星を保持していたので、国王様に見てもらおうと、詳細な地図を持ってきました」
椿はそこでやっと、ひっかかりに気が付き、手を上げて発言した。
「ちょっと、閣議ストップ、最初からってどういうこと? そういえば、さっき軍の報告を受けるまで、伽具夜も国軍の軍備を知らなかったよね。それにスタート時って、さっきも言ったよね。なんか、月帝っておかしくない? まるで、つい最近できた国みたいだよ」
伽具夜がすぐにムッとした表情で口を開いた。
「最初に言っておくわ。お前の猿頭に湧いた疑問には答えあげるわよ。ただし、閣議を止めるのは有用ではないので、やめてちょうだい。追加の質問は閣議が終るまで許さないわ。良いわね」
伽具夜は良いも悪いも、椿の答を聞く前に教えた。
「月帝はね。つい最近できたのよ。正確に言えば、ロマノフもコルキストもね。この世界は、気が付いたら存在していた、歴史のない大陸にできた国によって築かれた世界なのよ。人間に知識や記憶があっても、それはそう思い込んでいるだけ」
「え、そんな、無茶苦茶な世界観なの」
椿の言葉を全く気にせず、伽具夜が言葉を続けた。
「大臣は気が付けば大臣。私は王様がやって来るまでの間、一時的に女王の席にいるだけ。国王誕生以後は皇后となり、王様の補佐するためにだけに存在するのよ。もちろん、一般国民は世界の仕組みを何も知らないわ。知らないほうが幸せだからね」
椿は衝撃を受けて疑問をぶつけた。
「これじゃあ、まるで、ゲームでしょう。そんな世界、有り得るの? ここは、やはり完全仮想現実の世界なんですか」
伽具夜は怖いで椿を睨みつけて、言い放った。
「質問は許さないといったはずよ。でも、いいでしょう。これはだけは、覚えていて」
伽具夜がいきなり椿の手を取ると、噛み付いた。
椿は痛さに伽具夜を振り払うと、手には伽具夜の歯形が付いて、手から血が滲んでいた。
「痛っ、いきなり、何をするんですか?」
伽具夜が火遊びをする子供をきつく叱るような怖い顔で椿を見ながら命令した。
「もう、噛まないから、怪我したほうの手を出しなさい」
椿は傷ついた手を出したくなかったが、伽具夜に逆らえず、手を出した。伽具夜は噛み付いた椿の手を、動物の親が子供の傷を舐めるようにしながら、優しく説明した。
「確かに、これは神様にとっては残酷なゲームなのかもしれない。でも、椿にとっては、少なくとも現実なのよ。傷つけば血が流れる、椿だけは真面目にやらないと、その先の結末は死なのよ。更に先にあるのは、宇宙からの消滅なの。わかってちょうだい。役割としての補佐役の心情もあるけど、本当はお前を死なせたくなんて、ないのよ」
創られた存在として、役割は果たさなければいけない悲哀。真実を知る悲しさ。それに、椿の身を思っての伽具夜の言葉が、椿の胸に響いた。
椿自身の身に何が起きているのは皆目わからないが。ただ、不真面目な行動をとる行為だけは、伽具夜や閣僚たちに対して悪い気がしてきた。
伽具夜が舐める手から血が出なくなると、伽具夜はハンカチを出して、椿の手に巻きながら「地図を」と科学省大臣に命令した。
閣議室の大型ディスプレィに『づ』状の大陸が映し出された。『づ』の左下がアップになった。そこには七つの都市が記されていた。
都市に名前が付いていた。北からベルポリス、仙台、陸奥、東京、堺、大阪、ペテルブルグとなっていた。
今度は、さすがに声が出た。
「えーつ、ちょ、なに、これ。仙台、陸奥、東京、堺、大阪って、日本の都市名そのものでしょ。正確には、陸奥は都市ではないですけど。なんで、日本の都市名や地名があるんですか。やっぱり、この世界、おかしいでしょうが。やっぱり、俺にとっても現実じゃなくて、ゲームなんですか」
カラオケ店で椿がトイレに行っていたので、勝手に飲み物も注文しておいた、というような軽い口調で、伽具夜が応じた。
「都市の名前ね。お前のお猿さんみたいな頭でも覚えられるように、都市の名前は、国王・椿の命令として、お前が知っていそうな名前に変更しておいたわよ。お礼は言わなくていいわ。もっとも、都市の名前を変えられた住民は王様を恨んでいるようだから、宮殿から出たら、石の一つも飛んでくるかもしれないわ。なので、外出時には、晴れていても傘をお忘れなく」
「ちょ、伽具夜さんの出した命令って、お礼を言わせてもらうような、命令ではないでしょう。むしろ逆。俺は国民に恨まれたくないよ」
伽具夜が椿の抗議を完全無視で進言した。
「それと、仙台と大阪は状態が自治都市になっているから、首長の首を切って、中央集権体制に変えちゃいなさいよ。どうせ、嫌われる政治をするなら、一つ嫌われるも二つ嫌われるも、同じでしょう」
さすがに民主的に選ばれた首長の首を飛ばすのはまずいと思って、椿は抗議した。
「それは、やっちゃダメでしょう。住民が自治して選挙で選んだ首長を勝手にこちらで替えたりしたら、反乱が起きませんか」
伽具夜が椿の反論に面白くなさそうに応じた。
「大丈夫よ。住民は結構、辛抱強いから、首長を替えただけじゃ、暴動は起きないわ。むしろ、歩兵や戦車を駐留させれば、涙して従うわよ。それより、仙台と大阪の首長の性格が危険なのよ。両者とも平和志向だから、都市の近くで戦争になったら、こちらの指示に従わないで、勝手に降伏される可能性があるわ。自治なんか許しちゃダメよ。最悪、ロマノフやコルキストの口車に乗れば、独立して、武力で再統合しなければいけなくなる面倒が生じるわ」
さっきの伽具夜の良い言葉が急に色褪せた。
やっぱり、これ、俺って何かの拍子に記憶を操作されて、強制的に参加させられた完全仮想現実の世界にいるのか。
坊さんのスパンコールの袈裟といい、日本の地名といい、明らかに、急に異星界から王様が来ました、って感じではないよな。
なんか、作為的に日本を滑り込ませているよね。それとも、あれか、仮想現実を作っているプログラマーが納期ギリギリで、手を抜いたために、細部がおかしくなっているのか。
軍服姿の科学大臣が椿を完全無視のまま、伽具夜を見ながら話を続けた。
「それで人工衛星の技術と、我々が最初から持っていた地下資源の調査技術の結果、大阪湾の海底に大規模油田が見つかりました。また、堺にレアメタルが、首都近郊にベルタ鉱が、発見されました」
伽具夜が感想を交えながら、意見を述べた。
「油田、レアメタル、ベルタ鉱ね。本当なら、バレン鉱もあればよかったけど。これ、本来なら、初期ラッシュを決めて、勝ゲーね」
(おい、勝ゲーとか、初期ラッシュって、完全にゲームの世界の言葉じゃねえか。え、なに、さっきの良い話は嘘? 俺、知らない間に、やっぱりゲームの世界にいるわけ)
声に出したいが、質問禁止なので自重した。質問して、手を噛まれたのだ。
また、閣議を止める質問をすれば、もっと痛い目を見そうなので、声にできなかった。なにせ、傷は偽物かもしれないが、痛みは本物なのだ。
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