第2話 最初は処女の如く(二)

 ゴミ箱の横にあったカーテンを捲って外を見た。

 椿が住んでいた町の情景は一片もなかった。窓からは広大な街を囲うような高い城壁と、内側にどでかいビルが建ち並ぶ、巨大な都市が見えた。

 下を見渡せば、広場と庭が見えた、大きな通りが挟んだ向こう側に大勢の人が見える。


 どうやら、五階建の洋風の黒い宮殿にいるらしいと理解した。

 日本に、こんな真っ黒な宮殿はない。こんな黒い宮殿がある大きな街も知らない。椿はやっと椿自身が日本どころか、地球にすらいない事実を目の前に突き付けられた気がした。


 これが、俗にいわれる、宇宙人に攫われる事態なのだろうか。だとすると、内臓を抜かれたり、変な機械を入れられたりするかも。

 椿が椿自身の考えにゾッと戦慄していると、背後から伽具夜の声がした。

「最初だから、死んで行く前の記念に、戴冠式と国民に対する顔見世をやっておいたらどうかしら」


「ちょっと待ってください、戴冠式って、誰のですか」

 伽具夜が半ば馬鹿にしたような表情で言い返してきた。

「むろん、椿の戴冠式よ。それとも、お前、王様候補でもないのに、一国の女王と寝ておいて、タダで済むと思っているの? だったら大したものだけど」


 呼称が「貴方」から「お前」に変わった、明らかに段々、椿の価値が下がり始めていた。

 椿はすぐに辞退した。

「できません。俺に、国王なんて。それに、夏休み明けには学校が――」


 伽具夜が両眉を吊り上げて罵声を浴びせた。

「お前は最初に見た時からダメなやつだと思ったけど、本当に頭が可哀想な子よね。状況がここまで来て、できませんとか、夏休みとかがあると、本当に思っているわけ? それより、まず、目の前の現状に現実的に対処しようとは思わないのかしら。今となっては、お前にとって、日本や高校生活が非日常になったと、なぜ、わからないのよ。ほんとに、馬鹿は死ななきゃ治らないのかしら」


 椿の正気はそれでも、現在の状況を受け入れられず懇願した。

「俺は夏休み中ずっと、午前中から午後に掛けて夏期講習に行き、夜はダラダラでゲームの『天上天下唯我独尊』をやり、時には友人と話たりする、ふつーな、夏休みを過ごしたいんですってば。日本に帰してくださいよ」


 伽具夜は目を閉じて首を小刻みに振り、最悪だとばかりのリアクションを返してから、思いついたように、発言した。

「よし、じゃあ、こう考えなさい。実は、お前が高校生だったというのは、嘘の記憶なのよ。お前は大学生四年生なのよ。そうして今は就職試験中、就職試験の一環として、完全仮想現実の中で入社試験として、王様をやって幹部職員採用コースに受かるか落ちるかの瀬戸際なの。この説明なら、いいかしら」


 よくない。だいたい、そんな完全な仮想現実を実現する装置は今の日本にはない。

 王様が務まるかどうか、就職試験だなんて嘘だ。

「それ、おかしいでしょう。だって俺、高校二年生、だったわけだし――」


 椿はそこまで口にしてから、少し不安になった。

(待てよ? 宇宙人に拉致られるのと、記憶を改竄されて完全仮想現実によって行われる就職試験。どっちが、ありえるかといえば、就職試験の可能性が、まだあるな。だとすると、ここで完全に拒否するのって、まずくないか。適応能力無しで、眼が覚めた後、不採用通知とか渡されたら、凄く、ショックを受けるだろう。しかも受けた試験が最終試験で、国家公務員Ⅰ種とか、大企業の採用試験なら、立ち直れなくなるかも)


 悶々とする椿に、伽具夜が怒声を浴びせた。

「もう、グダグダね。高校二年とか、椿幸一とかいう自己認識は捨てなさい。お前の頭ではもう、異常な事態に巻き込まれている現実は、理解しているんでしょ。だったら、あんたも狂ちゃいなさいよ。狂った世界で行く秘訣は、狂った世界より更に狂った人間になることよ」


 嫌な秘訣だ。でも、もうここまで来ているのなら、目の前の異常な現実に適応するしかないのだろうか。

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