現代ファンタジー
現代ファンタジーというジャンルの面白さを思考していこうと思います。
異世界ファンタジーと現代ファンタジーの違いは『舞台』なのではないか、寧ろ、それだけなのではないかと思うんです。
異世界ファンタジーは現実世界、この今いる世界とは異なった別の世界を舞台に繰り広げられている話ですが、現代ファンタジーの場合はその舞台が異世界でなく今いるこの現実世界を舞台に繰り広げられている話なだけ。
では、『舞台』が異なることによって産まれる面白さとなってくるのでしょう。
正直自分は現代ファンタジーはあんまり書かない。
異世界ファンタジーだってあんまりなのに。
舞台よりもストーリー、ストーリーよりもキャラクター、キャラクターよりもセリフな自分ですからね。
異世界ファンタジーならではの面白さは前回述べましたが、現代ファンタジーの場合はどうでしょうか。
まず異世界ファンタジーでは『自由』『独特』『非現実的』等となりましたが、これは異世界であるからこそ何があっても可笑しくない話です。
寧ろ普通過ぎると異世界ファンタジーでなくても現代ファンタジーで良くね?さらには、極端には現代ドラマじゃん。となりますね。
現代ファンタジーでは異世界ファンタジーとの『舞台』以外でも何か「だからこそ」な差が出る物があれば!
異世界ファンタジーの『非現実的』は現代ファンタジーの『非現実的』と比べれば圧倒的に大きい。
そういったイメージです。
現代ファンタジーは、現実世界での「もしも~であったら」を叶えるものではないでしょうか。
ただ、怖いだけならばホラーというジャンルに引っ括めてしまえばいいのです。
ホラーに舞台は関係無く、怖ければホラー小説となるので異世界であろうと現代であろうと怖いだけなのでホラーというジャンルに投げ込むことは出来ます。
後は作者がどちらのジャンルとして読んで欲しいのか、というだけのことなのです。
読者がいくらジャンル違くない?と感じても作者がそうと言えばそうなので。
そして現代ドラマと現代ファンタジーの違いもハッキリしなければやはり同じようにどっちでも良くなります。
面白さ要素としては、『舞台』というものは現代ファンタジーについては本当に「どっちでもいい」要素になります。
面白さの要素として現代という『舞台』は、『現実味』として確かにいいんでしょうけど、それ単体とは言えません。
というか現実にいる自分らにとっては現代ファンタジーにある『現実味』は蚊に刺されるようなものですから、面白さとしては薄い感覚です。
『現実味』が必要最低条件みたいなもので、異世界ファンタジーや現代ドラマ等ジャンルと『舞台差』をつける為といってもいい。
そう感じております。
厳密にいうとそれ以外はあるのでしょうけど今ここではそうなります。
異世界ファンタジーでもある『非現実的』と『現実味』の比率が現代ファンタジーと違うというイメージが早いのではないでしょうか。
ファンタジーであるからには、空想的な、そう『非現実味』がいるわけです。
異世界ファンタジーは『非現実味』が強めです。
それは当然、「異世界」という『非現実的』なものを舞台とした「ファンタジー(空想)」というまた『非現実的』なものをぶん投げているものですからね。
一方現代ファンタジーは「現代」という『現実味』のある舞台で「ファンタジー(空想)」という『非現実的』を組み合わせたものですから、五分五分といったところでしょう。
というか、超能力だとかいう「ファンタジー」要素ですけど、これ本当に「異世界」だろうが「現代」だろうがどっちでもいい。
『舞台』がどうのこうのって話じゃないの?としか。
(もう、似たものを並べると混乱しちゃうんですよね……。)
ただ異世界ファンタジーではなんでもござれなジャンルである。
現代ファンタジーは現代という縛りがあるということ。
だから少なくともモブが人間であったり、周囲のものが現実にあるもので溢れているということ。
未来を語るにしても、それなりに「名残り」というものがそこにあるわけですね。
獣人がいたとしても、それは「共存」をテーマにした「ファンタジー」要素であってあくまでも「現代」であること。
(考えながら進行形で書いてるので話の糸がこんがらがるんで何か可笑しくても許してくださいね。)
ということで、他ジャンルと比べると辛くなる脳みその為に現代ファンタジーのみで頭を働かせてみましょうか。
現代ファンタジーの面白さとは何か。
『現実味』と『非現実的』が五分五分で上手くバランスがとれている状態なのかな?
いや、きっちり五分五分でなくてもいいんですけど、『現代』という枠を外れない程度の『非現実的』な要素があるということで。
「ドラ〇もん」が良い例かもしれません。
あれは不思議な様々な「道具」を使っておりながらも舞台は「現代」です。
現代ファンタジーの面白さは『現実味+非現実的』であることでしょう。
自分が書く現代ファンタジー小説であるとすれば、忍が現代に存在し、尚且つ忍術を使ったりする辺りでしょうか。
過去と現在が混ざったそれに、忍術という代物でファンタジー感を加えたものです。
忍が実際に使っていた忍術+魅せる為に作られた架空の忍術を駆使して忍が現代で戦闘や生活を繰り広げる小説になるので、現代ドラマとは言えません。
架空というファンタジー(空想)がそこにある時点でそうでしょうし、忍が時代を超えて現代にいる時点でファンタジー(空想)でしょうが。
しかも、戦闘するとなれば現実でそんな忍術を使った戦いなんてこれまたファンタジー(空想)。
ただ、ファンタジーという『非現実的』ばかりを押しているわけでもないのです。
その忍と関わる人間も、登場人物それぞれの感情も、周囲の物だって、常識だって『現実味』。
忍の常識と現代人間の常識が異なって生じる問題も、『非現実的(忍)』+『現実味(人間)』=『ファンタジー(問題)』のような式的な流れでしょう。
現代ファンタジーの面白さはそういう現実味と非現実的がぶつかりながらも、共存出来るところではないでしょうか。
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