異世界ファンタジー2
さて前回でひっくり返された、話を考えてみよう。
芯のところは変わらないのだから、それは現実味である。
そう言いはしたが実際、読者からしても作者からしても、知識的にしか現実味ではなくて、経験的には非現実的なストーリーである。
それが面白いと感じる理由になっているのだろう。
異世界ファンタジーでの面白さの一つであるこの部分。
実は異世界ファンタジーでなくとも味わえてしまう感覚がある。
知識的な現実味と経験的な現実味はまったくの別物であることがわかるだろうか。
これは『生死』を例えにするとまさにそれだ。
『生』というのは今自分らが経験中な現実にあることである。
しかし、『死』は経験ではなく、知識でしかない。
現実にはあることはわかっている。
生きていればいずれ死ぬことはわかっている。
それだ。
「生きていればいずれ死ぬ」というものは現実にあることで、知識の範囲だ。
では実際に本当に死ぬかと言われて、目の当たりにしてきたのは知識の域から出ていない。
体験はしていない。
体験をしていればもうここにはいまい。
説明が悪いな、すまない。
生死はストーリーでも見かける話である。
『死』は我ら『生』を体験中の者にとっては非現実的な物事に過ぎない。
誰かが傍で『死』に、そこでやっと現実味が増してきても、では『死』んだらどうなるか、などという経験はなく、知識からは出られない。
日常生活で味わえないことであるから、『生死』もまた、同じ類いのものであるのだ。
しかし、『死』を体験することで転生する異世界ファンタジーは、現実味から非現実的な体験へと持っていく。
ストーリーであるこれは、『生死』の繋がりでいうと体験の出来ない非現実的な空想。
この最初からぶっ飛んだ展開は、異世界ファンタジーの面白さの一つ。
そもそも異世界ファンタジーは、何処からぶっ飛んでいても、構わないのだ。
空想に、正しい順序はあるか?
ないだろう。
異世界空想小説に、正しいことはない。
あるとすればそれは作者がそう設定しただけになる。
うん、ここまで考えて「面白さ」とは、と問われて言えることがまとまっておらぬな。
なかなかまとまらない。
というかどんどん自分が呑まれていってしまっているな。
うだうだとあぁだこうだといっても、結局は、『日常生活で得られない非現実的』だろうな。
まぁ、ここまで考えてわかるように、こうなってくるともう異世界ファンタジーでなくともそういった面白さは味わえるわけだ。
では、異世界ファンタジーならではの面白さはなんだ。
それが『小物』なのだ。
ストーリー展開に『落差』があるホラー小説だが、異世界ファンタジーでも味わえる。
『落差』をつければよいのだ。
だが異世界ファンタジーとホラー小説で味わえない面白さは何だったか。
ホラー小説の『恐怖』も、異世界ファンタジーにもストーリーの要素として入れてしまえばいいだけの話。
嗚呼、嗚呼と鳴けばいいのではない、ということだ。
話をかなり戻すことになる。
そもそも「面白さ」を求めても、どんな面白さを求めているか、であるのだ。
これが定まらないから、ジャンルだからこその面白さは?
とか面倒になる。
まぁいっそ異世界ファンタジーならではの面白さを求めるのではなく、ただ単純に異世界ファンタジーで得られる面白さだけにスポットライトを当てていればいい話だから、話を裏返すぞ。
異世界ファンタジーの面白さはストーリーの中の『非現実的』『落差』『小物』などのものとなっていく。
あくまでも『空想』であることだ。
知識的な現実と経験的な現実とはいっても、読者はそれを見ない。
それをただ非現実と見なすか現実味と見なすかだけの話で、正直これを語る必要はほとんどないのだ。
理解しやすい理由にしかなっていないという内容であるからな。
異世界ファンタジー小説は自分で書いた小説だと、「転生と見せかけた始まり方」をした、『転移』であったのだ。
異世界『転生』ではなく『転移』。
だから結局は異世界から現世へと帰った。
その現世もまた、戦国時代であるからそれはそれで非現実的だし、いっそ主人公であった者も忍であるという時点でもう現実味が薄い。
異世界ファンタジーにはある程度の現実味があるからこそ、バランスが取れているからこそ面白く感じる為が揃うようで、実はいっそ現実味は影に潜んでいる自然な意図的でもない芯という部分から無意識的に得られるものがあるので、非現実的まっしぐらなバランスもクソもないもので構わない。
カオスな世界観というか常識というか、そういうものを詰め込んだ空想で構わない。
いや、構わないのではなくそういうものであるのだ。
読者が理解するもの、ではなく異世界ファンタジーは作者が読んで理解出来ていればいい。
リクエストとして読者に読んでもらう為ならば、ある程度整えて自分の空想に踏み入って貰わなければならないが。
いっそ、わけがわからなくていい。
異世界は現世と異なるのだから、まずはわけがわからないのが当たり前。
主人公がその状態に陥るように、読者等の我々も主人公のようにそう陥って、徐々に慣れていき、こういうものなのだと知る。
それはそれで面白いのではないだろうか?
小説として取り入れる要素はこれである、と決めるとさらに現実味が増すではないか。
それこそ面白味もない。
だが答えるならば、これと決めてそれを詰め込むのではなく、縛られるわけでもなく、自由に作者が思い描く空想を先ずは書いてみることからではないか?
異世界ファンタジーの面白さは、『縛られない自由』『無制限』から始まる大きく壮大は世界であろう。
日本人は特に、厳しいのだ。
だから、せめてここではこのカオスであってもいいから、自由な世界に浸ってしまえ。
取り入れる要素、ではなく、取り入れなくていい要素というものがある。
それは、『ルール』。
自由であれ。
異世界ファンタジーは、作者の空想に読者が試しに踏み入れて、嗚呼、この世界を望んでいたのだと感じてやっと面白く思える。
異世界ファンタジーの面白さとは、「作者の空想に読者が触れて共感する」という流れであろう。
面白いと思うのは、自分の望んだ要素が詰まっているから。
作者はまず、自分を満たした異世界ファンタジーを書くことから始めるべきではなかろうか?
それから、やっと面白いと思って欲しいと思うのでは?
そして、どう「面白い」と思って欲しいか。
異世界ファンタジーの「面白さ」を求める行為は、自分の趣味に共感して欲しい、自分と同じ要素を求めている読者が欲しい。
そういった繋がりからではなかろうか?
勿論、そうでない作者はいるだろう。
売れる小説が、好かれる小説が、と縛りに縛り尽くす。
異世界ファンタジーとは、そんな面白味のない心から産まれるジャンルであったとは、自分とは合わんようだな!!
それはそれでいいのでは?
だが、ここではそうなると語れない。
つまり、ここで「面白さ」とはなんだと言っても問うても、今読んでいる貴方と今書いている自分が、異世界ファンタジーのこれらのように、合わなければ意味は成されない。
貴方の望んだ異世界ファンタジーは何だろうか。
読まれる異世界ファンタジーとは何だろうか。
リクエストにより相手を楽しませることの出来る作品を書くための「面白さ」を何と定義しようか。
定義して縛り、こんな要素を入れてしまえと言っている時点で異世界ファンタジーは面白味が作者の方にない。
まぁ、リクエストだから、相手の趣味を入れてしまえば早い話である。
だがしかし、それはそれで危ういのをご存知か?
趣味を入れてしまえといっても、相手の趣味を好みを誤解していたら?
使い方を間違えれば?
そう、相手の為に書くのであれば、作者は相手を知ることから始めなけれなならなくなる。
異世界ファンタジーに非現実的な要素でありつつも、相手の趣味を取りいれる。
相手を理解しなければ違和感や惜しいという感覚から萎えてくるだろうなぁ。
自分はそうであるし。
さて、ただ読まれ好かれたいならば多くの人間が好くであろう要素を探せばいいだけだ。
それを使え。
乱暴だが、それを使いこなせば読まれるし、多くに好かれるだろう。
だが、誤ることなかれ。
その要素を入れたからとて、ストーリー等が他の作品と被りに被ってしまえばそれこそありがち扱いで、何処が他と違って面白いのかと探したくなる。
はい、そこらで異世界ファンタジーの面白さで必要そうなものとはなんだ。
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