八十四話 仮説
村で宿を取った僕らはその日、同じ部屋で宿泊した。
「しけた村だとばかり思ってたが、なかなかいい風呂を置いてるじゃねぇか」
「悪魔ってみんなお風呂が好きなんですか」
「あん? まぁ、そうなるんだろうな……元々紅蓮国からの輸入文化だったんだが、いつの間にか魔界全土に定着しちまったし」
湯気が漂う湯船でロッカクさんはだらしない表情をしていた。
しかも狐の姿で。大きな尻尾が目をひく。
僕はそんな彼の姿を鏡越しで見ながら、タワシで体をゴシゴシ洗う。
「知ってるか、悪魔ってのは元の姿に戻ってる時が一番リラックスするんだぜ」
「そうなんですか。悪魔って大変ですね」
「はぁ? いやいや、俺が言いたいのは、お前もそろそろ本当の姿になってゆっくり休めってことだよ。つーか、ずっとその姿で疲れないのか」
僕の本当の姿??
意味が分からず首を傾げる。
するとなぜかロッカクさんも首を傾げた。
「まさかお前、悪魔になってから一度も本当の姿になったことがないのか!?」
「なに言ってるんですか。本当も何も、今の姿が僕ですよ」
「それはそうなんだが……元人間だと説明するのが面倒だな」
「???」
彼はざばぁと湯から立ち上がってぶらぶらさせる。
僕の目には立派なキノコがまざまざと映った。
「いいかロイ、よく聞け。悪魔にとって人の姿とは仮だ。どんな悪魔にも悪魔らしい相応の形態と力がある。それはお前も例外じゃない」
「僕にも
「なんだその、でーもんふぉーむって」
「分かりやすく名称を付けたんです」
「とにかく、お前にもその
へぇぇ、それは知らなかった。
てっきり今の状態が悪魔としての姿だと思い込んでたよ。
体を洗うと湯の中へ体を入れる。
ロッカクさんも再び温かいお湯の中へ体を沈めた。
「どうやってなれるんですか」
「そう、そこが難しい。悪魔ってのは元の姿から人の形態へ変じる。だから簡単に戻れるわけだが、その逆ってのは初めてのケースだ」
「僕が今の姿を本来の自分と捉えていることが原因なのかな」
「たぶんそれだ」
でもそれは変えたくない認識だ。
僕は人間として生まれ人間として育ってきた。それを否定すれば、僕は本当に人でなくなる気がするのだ。
「僕は人として生を全うしたい。これは我が儘ですか?」
「いいんじゃないか。人として生きたいのならそうすればいい。ただし、より困難が付きまとうだろうがな」
「例えば?」
「お前は本当に姿をさらけ出した悪魔と戦ってどう思った」
「手強かったです」
「だろうな。人の姿ってのは悪魔にとっちゃ、鎖でがんじがらめにして強引に押し込んだような状態だ。その分パワーも落ちるし本来の特性も使えない。本気を出せないってことだ。一方で人の姿は何かと便利でもあるがな、省エネで器用だし小回りも利く」
なるほどなるほど。だから悪魔は人の姿になるのか。
また一つ勉強になった。
「俺の場合はこの姿だと煙草が吸いにくいってところだな。それと出自を探られたくない」
「その姿を見られると問題なんですか」
「大ありだ。紅蓮の狐一族っていやあ諜報で名を馳せてる警戒すべき対象だ。そんな奴が自国でうろついてりゃあ誰だって裏があると思うだろ。その点、トイオックスは気にしない奴らが多くて楽だったんだがなぁ」
「すいません」
「なんでお前が謝る」
人の姿に戻ったロッカクさんは僕の頭をガシガシ撫でる。
嘘つきだし粗野な人だけど……根はいい人だと思う。
「しかしだ、いつ危険になるかわからねぇ。いつでも本当の姿になれるようにしておけ」
「その方法が分からないんですけど」
「お前の言う通り認識が変れば自然となれるんじゃねぇか」
「いい加減ですね」
「そこまで責任もてるか。自分のことは自分でなんとかしろ」
彼は引き締まったお尻を僕に見せて湯船から出て行く。
部屋に戻るとロッカクさんはベッドに座って本を読んでいた。
どうやら遺跡について調べているらしい。
「何か分かりましたか」
「これを書いたジジイに会ったら俺は間違いなく殴るだろうな」
「そこは僕も同意見です」
とにかく内容が難解、専門用語でみっちり書き綴り、まるで答えを出さないように遠回しに回り道に回り道を重ねている印象だ。一行で語れることを二十ページくらい引き延ばしていると言えば分かりやすいか。
とにかく回りくどい。これを全て読んだだろうバッカスさんを尊敬せずにいられない。
「一つ分かったことだが、この作者によればあの遺跡は元々あった出入り口を、こちら側から制限しているんじゃないかって」
「待ってください。それだと悪魔は人間界にいつでも来られる存在だったってことになりますけど」
「そうなるよな。もしこの遺跡が悪魔の作った物なら、自分たちであえて出入り口を塞いだってことになる。いや、制限を掛けたというのか」
この仮説はロッカクさんでも動揺したようだ。
もちろん僕だって。
昔から悪魔は人間界に来たがっていると思っていた。
なぜならいくらでも食料にできる魂があるからだ。村でも悪魔は恐ろしい存在として語られていて、奴らは虎視眈々と人間界へ来る方法を探していると教えられていた。
仮説が本当ならその前提が崩れることになる。
「ロッカクさんも、やっぱり人間界へ行きたいですか?」
「俺はどっちでもいいな。腹一杯魂を食えるってのは魅力的ではあるが、だからってあんな不便で頭のおかしい連中のいる世界へ好き好んでは行きたくねぇよ。知ってるか、召喚された悪魔は悪魔と戦わされるんだぜ。そんなの奴隷じゃねぇか」
でも彼はこうも述べる。
「今の魔界が成り立っているのは、人間が懲りずに召喚してくれるおかげでもある。悪魔同士で食い合えば最後には絶滅するのが目に見えているからな。だから悪魔と人間ってのは持ちつ持たれつの関係でいられるんだ」
「でももし悪魔が魂を食べなくてもいい時代が来たら」
「魔界に大変革が訪れるだろうな。全ての悪魔の苦しみがなくなる最高の時代だ」
煙草を咥え火を点けた彼は、天井を見上げながら煙を吐く。
「魂を食べるのは辛いですか」
「食い始めの頃は気分が良いんだよ、けどな、だんだんと回数を重ねるごとにこの魂の持ち主はどんな人生を送ってきたんだろうな、とか思うようになんだ。まともな神経してりゃあ罪悪感にもさいなまれるだろ」
確かに……そうかもしれない。
僕が吸収した魂は全てそれぞれの人生があったんだ。
いずれ僕も彼のような気持ちを抱くのだろうか。
「そう言えばお前、宿の裏でパンツ洗ってたらしいな」
「な、なんでそれを!?」
「何だお前、まさかむせ――あでっ!?」
リュックを掴んで顔面めがけて放り投げた。
直撃したロッカクさんは向こう側の床に頭から落ちる。
「僕は、僕はそんなことしない!」
「ただの生理現象だろうが、つーかだからお前はガキなんだよ。もっと自分から色々経験して学べ。女との色事とかよ」
「い、いろごと!? ひぇ!」
怖くなってベッドに逃げ込む。
僕は知っているんだ。父さんが腰を悪くした理由の一つを。
父さんも常々こう言っていた『女は魔性だ。毎日、精力を奪われ腰の寿命を削る。ロイ、お前もよく考えて嫁を持て』と。あの時の父さんはいつも死んだイノシシのような目をしていた。
僕はまだ父さんのようになりたくはない。
「こりゃあ嫁になる奴は苦労しそうだな」
ロッカクさんのつぶやきが聞こえた。
◇
次の日、僕らは再び遺跡へと向かう。
今日中に帰還することができなければ次はいつになるか分からない。
「とぉ!」
走ってくると急いで舞台に上がり血を垂らす。
すかさず魔力を流し込んで待った。
これもダメだ。次。
舞台の周りをぐるぐる回り十周すると、血を垂らして魔力を流し込む。
しかも今回は多めに。
だが黒い球体が出てくる気配はなかった。
「どうすれば起動するんですかね」
「しらねぇな。お前が落ちたときはどうだったんだよ」
「妖精を追いかけてて気が付いたら遺跡が発動してました」
「はぁ? 妖精?」
「えっと、実際のところそれが何かは不明なんですけど、小さな光る生き物だったので妖精って呼んでます」
本を読んでたロッカクさんは「妖精ねぇ」とぼやく。
「この魔界にゃ、悪魔以外にも様々な種族が暮らしている。家事や裁縫に長けたエルフ、鍛冶に長けたドワーフ、狩りに長けたケンタウロス、圧倒的巨体を誇るタインズ。だが妖精ってのはさすがに聞いたこともねぇ」
「人間界でも魔界でもおとぎ話の存在なんですね」
「もしかしたらソレは、妖精の姿をした別のナニかだったのかもな」
そう聞いて急に寒気がした。
僕は見た目に騙されうっかり引き寄せられてしまったのだろうか。
思えばあの妖精は僕を誘導するように行動していた気がする。
妖精の目的は僕を魔界に落とすことだった?
まさか……ありえない。
僕を魔界に落とす必要性なんてあるわけないじゃないか。
ただのどこにでもいる村人なのに。
「それで帰る方法は検討がついたか」
「まったく」
「だろうな。たくっ、しょうがねぇから付き合ってやるよ」
「どう言う意味ですか」
「最後までってことだ。お前を人間界へ戻すまで世話してやる」
彼の申し出は非常にありがたい物だったが、同時にどうしてそこまで僕に力を貸してくれるのだろうかと疑問も抱いた。
ロッカクさんにとってはほぼ無関係な赤の他人だ。助ける義理なんてない。
「どうしてですか」
「俺もバッカスのおっさんと同じで、お前をほっとけなくなったのかもな。正直、最初はおっさんへの罪滅ぼしのつもりでお前を助けてたんだが、だんだん興味が湧いたというか、行く先が見てみたくなってきたんだよ」
「でも、僕は普通の人間ですけど」
「今は悪魔だろ。元人間がこの魔界で何を成すのか気になるじゃねぇか。それにお前は、疫病神のくせにやけにするりと懐に入ってきやがる。悪魔を狂わせる悪魔キラーなんだろうな」
「なんですかそれ」
悪魔キラーって、なんだか悪魔を騙すのが上手いみたいに聞こえるじゃないか。
僕はただ、生きるのに必死なだけだ。
そんなものになろうと思ってなったわけじゃない。
「残念ですけど、僕は何も成さずに人間界へ帰ります」
「それならそれでいいさ。ようは暇だから付き合ってやるって言ってるだけだからな」
「たぶんロッカクさんはろくでなしですね」
「ははっ、よく言われる」
褒めてないよ!?
なんでそんなに眩しい笑顔なの!??
「……なんだか騒がしくないですか」
「おん? そういえばそうだな」
二人で村を見下ろせる崖に立つ。
眼下では獣に乗った三十人ほどの騎士が村にやってきていた。
「不味い、あれはルドラークの騎士団だ」
「もう手が回ったってこと?」
「そう考えるのが妥当だ。さっさととんずらするぞ」
「でもどこへ」
「この本によれば、近くの国にも遺跡があるらしい」
彼の言葉に頷き、僕らは荷物を背負って遺跡を旅立った。
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