八十二話 魂の涙

 僕とロッカクさんは町を出て林に入った。

 彼は手を放すと煙草に火を点ける。


「ふぅ、ここまで来れば捕まらないだろう」

「あの、ありがとうございます」

「礼なんて言うな。俺はお前の恩人を殺した奴だぞ」

「それでもです。もしロッカクさんが来てくれなければ僕は死んでいました」

「ま、そうだろうな」


 岩に腰を下ろした彼は、包帯を巻いた手で煙草を吸っている。

 もしかして僕を逃したことでキーマ工業に何かされたのだろうか。


「その手……」

「気にするな。これは転んだだけだ」

「転んで包帯なんて巻かないですよね?」

「……ちょうど棘があったんだ」

「本当に?」


 彼は顔をしかめて『これ以上聞くな』と無言の圧を向けた。

 傷の理由を僕に知られたくないのだろう。だからもう聞かないことにする。

 それよりもこれからどうするかの方が重要だ。


 ロッカクさんもそう思っていたのか質問する。


「で、お前はこれからどこへ行くつもりだ」

「僕は……遺跡に向かいます」

「はぁ? 遺跡? あの人間界と繋がってるって噂のか?」

「はい。僕はそこから魔界へ落ちてきたので、きっとどうにかすれば帰れると思うんです」

「帰るって、お前悪魔だろ」

「今はこんな感じですが、元は人間です」


 彼は僕から一気に距離を取った。

 まるで恐ろしい者を見たかのような。


「そうか、あの噂は本当だったんだな」

「噂?」

「悪魔の肉を食った人間は怪物になるって噂だ。普通は死んじまうが希に適合して桁違いの力を手に入れる。俺達悪魔が人間の魂を求めるのは、危険な存在の数を減らすって意味もあるのさ」


 つまり僕は普通の悪魔じゃないってこと?

 だからピスターチやルドラーク王の魂を喰らうことができたと?


 彼は警戒を緩めて近づく。


「しかし納得はした。どっかから飛ばされたとか言ってたが、どうも嘘くさくて怪しいと思ってたからな」

「バレてたんですね」

「嘘つきは嘘を見抜くものだ」


 ニカッと笑う彼にほっとする。

 バッカスさんの仇だけど、なんだか憎みきれない。

 もちろん許したわけじゃない。許したわけじゃないけど。

 それでもこの人がいることで僕は救われた気持ちだった。


「遺跡を使って人間界に帰りたいってのは分かった。で、方法を知っているのか。言っちゃなんだが、悪魔が人間界へ召喚を介さずに行くなんて聞いたこともねぇぞ」

「でも! この本に帰還の方法が!」


 彼に遺跡研究の本を差し出す。

 内容が難しくてまだ半分も読めていない。


 パラパラめくった彼は「なるほど」と呟く。


「あーだこーだ理屈をこねちゃあいるが、結局何が言いたいのかさっぱりだ。もうちょい読み込まねぇと結論は見えねぇ感じだなこりゃ」

「もしかして帰れないかもしれないってことですか」

「わかんねぇな。けど、来られたなら行くこともできるってのは俺も同感だ。そもそも召喚ってものが存在している時点で、その可能性は多いに担保されている」


 そうだよね、やっぱりそう思うよね。

 だとしたらやっぱり人間界へ戻ることができるんだ。


 本を受け取りリュックの中へ仕舞う。


「乗りかかった船だ。遺跡とやらまで付き合ってやる」

「そこまでしてもらうのは……」

「じゃあ聞くが、これから追いかけてくるだろう奴らをお前一人で追い払えるのか。脱走がバレるのは時間の問題、直後にルドラーク王が死んだとなれば、全ての罪はお前にかぶせられるだろう。ガオンの奴らだって簡単に諦めるとは思えない」

「でも、それだとロッカクさんも危険な目に遭いますよ」

「いいんだよ俺は。大人ってのは自分のケツは自分で拭くもんさ」


 彼はそう言って歩き出した。



 ◇



 首都カリントを出て二日目、僕とロッカクさんは道に沿って歩き続ける。

 羽織っているのは途中で購入した外套。フードを深くかぶりできるだけ顔を露出しないようにしていた。


「遺跡は近くなんですか」

「もうすぐのようだ。なんせ大昔のものだからな、手入れもされてなくて見るからにボロボロらしい」

「誰が作ったものなんですかね」

「たぶん大昔の悪魔だろう。その頃は今よりも技術が発達していて、高度な魔術が存在していたらしい。タリスマンもその産物だな」

「確かすごい道具なんですよね」

「そう言えば人間界にもあったな。どうして魔界の古代遺物がそっちにあるのかは分からねぇが、未だ不明とされている空白の歴史を埋めることができれば、それも自然と判明するんだろうよ」


 ロッカクさんが言うには、魔界には謎に包まれた時代があるらしい。

 それを悪魔は『空白の歴史』と呼んでいて、どうやらその時代にタリスマンは大量に製造されたらしい。魔界の研究者達はこぞって歴史の真実を解き明かそうとしているそうだが、未だ多くのことが解明されていないとか。

 なんせ数万年前の出来事らしく資料はほとんど残っていないそうだ。


 歴史的スペクタクルに僕は、話を聞く度に興奮してしまった。


「ロイはもしかしたら研究者向きなのかもな」

「研究者?」

「ああいうのはブレーキのぶっ壊れた好奇心旺盛な奴がなるもんだ。うっかり魔界に落ちてくる奴にはぴったりじゃないか」

「うっ……」


 痛いところを突かれた。

 そう、僕が魔界にいるのは自分の不注意が原因。

 もう少し警戒心を働かせていればこんなことにはなっていなかった。


 彼は僕の背中を強く叩く。


「細けぇことなんざ気にすんな。人生ってのは後悔の連続、いちいち引きずってちゃ気持ちよく生きていけねぇぜ。美味ぇ飯を食いたきゃ余計なことは考えんな」

「そんなものですかね」

「そんなもんだ」


 うーん、ロッカクさんはちょっと考えなさすぎる気がするけど。

 正しいことを言っているような気もする。

 失敗はこれからに生かせってことかな。


 前を歩いていたロッカクさんが急に止まる。

 僕は彼の背中で顔を打った。


「いたぁ、どうしたんですか突然に」

「お客さんだ」


 道の先の木陰から十二人がぞろぞろ現われる。

 先頭に立つのはガオンとヌーラと呼ばれる男女だった。


「先回りしておいて正解だったな。やはりガキを助けに来たか」

「ほんと油断ならない男。キーマから消えたかと思えば、こんなところでこそこそ動いていたなんてね。シュルル」


 ロッカクさんが舌打ちする。

 僕は姿勢を低くして戦闘態勢に移った。


「よせ、お前じゃあの二人には勝てない」

「でも今の僕は力が増してます」

「慢心するな。地力が上がっても扱いきれねぇんじゃ意味ねぇだろうが。力ってのはな、繰り返し繰り返し錬磨し続けてようやく物になるもんなんだよ。バッカスのおっさんはそんなことも教えてくれなかったのか」

「…………」


 その通りで言い返せなかった。

 バッカスさんを殺したはずの人が、バッカスさんをよく知っているのが悔しい。

 仇であるはずの人に諭されてしまうなんて。


「お前は他の十人をやれ。俺があの二人を仕留める」

「ロッカクさん一人じゃ……」

「心配するな。俺には秘密兵器があるんだ」


 彼は笑みを浮かべて自身の胸を軽く叩く。

 そこに秘密兵器とやらがあるのだろう。


 しかし十人を相手にしないといけないなんて緊張する。

 いくら魂を吸って強くなったと言っても相手は屈強な大人だ。

 勝てる保証なんてどこにもない。


「ガキを殺せ。ただし魂は俺に献上しろ」


 ガオンの命令に十人が飛びかかってくる。

 僕とロッカクさんはそれぞれ五人を相手に近接戦を繰り広げた。


 振られるナイフを躱し、すかさず鳩尾に拳をめり込ませる。

 一人を殴り飛ばすと、真後ろにいた相手も蹴りで戦闘不能にする。

 動体視力が上がっているおかげで敵の動きが見える。

 毎日コツコツ訓練を積んでいたおかげでそれなりに戦うこともできていた。


「捕まえたぞ!」


 相手に腕を握られる。


 だが筋力の差は歴然だ。

 力任せに相手をひっくり返しナイフを持った手を踏み潰した。

 殺さなくとも戦えなくすればいい。

 それにいちいち魂を喰らっている時間はない。


「炎!」


 五人を片付け、僕は残りの五人とロッカクさんの間に紫炎を走らせた。


「すまん! そいつらをこっちに来させるなよ!」

「はい」


 対峙する五人。

 彼らは服を破り悪魔本来の姿となった。


 人型の一つ目豚。

 蟻のような姿の鼠。

 無数のムカデに包まれた何か。

 触手の生えた巨大なナメクジ。

 蛙の顔をしたカマキリ。


 最初に攻撃をしてきたのはナメクジだ。

 触手を伸ばし僕を捕まえようとする。


 咄嗟に跳躍して空に逃げた。


 しかし、カマキリが鎌を振るい見えない風の刃が僕を切り刻む。

 反射的に炎の魔術で応戦するも、鼠が土の壁を作り炎を防いでしまった。


「ぐっ!」


 着地と同時に激しい痛みを受ける。

 そこへ一つ目のオークが体当たりした。


 僕は背中から樹に叩きつけられ意識が飛びそうになった。


「なんだこいつ弱いじゃないか。ピスターチ様の魂を喰らったというから警戒していたが、距離を取って攻撃すればたいしたことないな」


 ムカデに包まれた黒い人型が笑う。

 近接では敵わないが遠距離なら相手にならない、そう判断されてしまったらしい。

 悔しいがその予想は当たっている。僕は魔術が苦手だ。


「炎よ!」

「防ぐまでもない。弱いな」


 五人は僕の紫炎を受けても平然としていた。

 たぶんイメージが弱いんだ。

 あの時のような爆発を起こすことができない。


風斬エアロスライサー

水切アクアカッター

闇断シャドウアックス


 三種の刃が僕に放たれた。

 だがしかし、僕は逃げずに前へと飛び出す。


 もちろん死ぬために前に出たわけじゃない。

 試してみたいことがあったのだ。

 悪魔は魔力抵抗が高いと聞く、だから僕の拙い魔術も効かないのだ。だったらもし至近距離で放つことができればどうだろう。少しくらいはダメージを負わせることができるんじゃないか。


「こいつ!!」

「炎よ!」


 傷を負いながらも僕は、一つ目のオークの懐へと入ることに成功した。

 どうせ効かなくても近接攻撃に切り替えて倒せばいい。


 紫炎が敵の腹部で弾ける。


 次の瞬間、一つ目のオークの上半身が爆発によって消し飛んだ。

 ぴゅーぴゅーと青い血が肉の塊から噴き出し倒れる。


 四人は恐怖に染まった顔で僕から距離を取った。


「そうか……圧縮か。なんだか分かってきたかも」

「ひぃい」


 先ほど彼らが使っていた魔術を模倣する。

 今の僕の魔術ではただ垂れ流しているだけだ。けれど、そこに圧力が加われば威力は格段に上がる。それを至近距離で放てば悪魔にも通用するのだ。


 触手の生えたナメクジに肉薄し、風の刃を放つ。


風斬エアロスライサー!」

「ぐぎゃ!?」


 ナメクジは真っ二つとなった。


砂壁サンドウォール!」

闇断シャドウアックス


 闇の斬撃が砂の壁を切断。

 僕は手刀で蟻のような鼠の頭部を貫く。


 残るはムカデとカマキリ。


「君の魂もらうね」

「いやだ、いやだいやだ! ひぎゃぁあああああああ!」


 ムカデに覆われた黒い人型に噛みつく。

 じゅるるると甘露が口の中に流れ込んだ。


 全身を駆ける快感。

 この瞬間が一番好きだった。


 どさり。死体を投げ捨てれば最後の一人はもうそこにはいなかった。


 カマキリの味も知りたかったけど、逃げられたのなら諦めるしかない。

 非常に残念だ。魂をもっと味わいたかったのに。


「あれ?」


 なぜか頬を涙が伝っていること気が付く。


 何も悲しくないのに変だな。


 僕は袖で目元を拭った。


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