八十一話 指名手配
雷獣の峡谷を越えた僕は、無事にカリントへと到着した。
まだ午前中なので宿を取るには少し早い。
それよりもまずは食事をしたい気分。
何日も干し肉で我慢してたから、今は美味しい物をお腹いっぱいに食べたかった。
適当な食堂に入って注文する。
数分後テーブルに熱々のステーキが置かれた。
思わず緊張に喉を鳴らす。
「あむっ……むふぅ!」
ジューシーな脂の甘味が脳みそを直撃する。かみ応えも程よく肉を食べている感が心地良い。おまけに塩と香辛料が最高にマッチしている。
絶対に村では食べられなかった料理。
料理に関してだけは魔界に来て良かったと思うよ。
「もしかしてあいつ……」
「あの目と髪色、間違いない」
声が聞こえて隣の席に顔を向ける。
二人の男性悪魔が僕を見ながらこそこそ話をしていた。
彼らの持つ紙に視線が向き、反射的にそれを取り上げた。
紙には僕の顔が描かれており、その他の特徴が記載されている。
『この者を見かけた際は最寄りの詰め所へご連絡ください。ルドラーク第三騎士団』
なんで、なんで僕が?
指名手配に??
店内を見渡せばいくつもの視線が向けられていた。
その全てが敵意をにじませている。
ここにいるのは不味い。理由は分からないが、僕は確実に狙われている。
「捕まえた! この犯罪者め!」
「!?」
男の一人が羽交い締めにする。
もう一人が目の前で右手を突き出した。
「大人しくしてろよ、いますぐに眠らせてやるからな」
魔術を放つつもりだ。
僕は床を蹴って後転、腕を強引に剥がし、羽交い締めをしていた男の真後ろへ着地する。
放たれた魔術は目の前の男に直撃、倒れていびきをかき始めた。
「ちっ、よけやがったな!」
「お代はここに置いていくね!」
テーブルにお金を置いて店を出る。
追いかけてきた男は町中で魔術を放ち、道行く悪魔を次々に眠らせた。
「誰か捕まえろ! そいつは犯罪者だ!」
男が大声を上げたせいで無数の視線が僕に向く。
至る所から次々に魔術が発せられ、僕は咄嗟に建物の屋根に上がることで難を逃れた。
冷や汗が止まらない。なぜ僕が狙われなければならないのか。
あと少しで例の遺跡だというのに。
お願いだから僕を人間界へ帰して。
僕は帰らなければならないんだ。家族が待ってる。
屋根から屋根へ走り続ける。
後方では数を増やした追っ手がいた。
しかも全員が人間離れした身体能力で、軽々と屋根から屋根へと飛び移っている。
多数の悪魔を相手にするのがこんなにも恐ろしいなんて知らなかった。
ただ、幸いなことに僕の方が身体能力は上らしく、一人として追いつけない。
このまま町の外へ出てやる。
不意に足下に影ができた。
見上げればワイバーンのような生き物が低空を飛んでいる。
背に乗っているのは人狼。
目が合った瞬間、激しい目眩がして地上へ転げ落ちた。
「捕まえたぞ!」
「なにが……」
「手こずらせやがって! こいつ!」
大勢の悪魔に囲まれ踏みつけられる。
地上に降りたワイバーンから人狼が降りてきて僕の髪を掴んだ。
「間違いない。こいつが依頼された者のようだな」
「懸賞金はもらえるんですか!」
「なぜ出さなければならない。捕まえたのは我ら騎士団だぞ」
「いや、でも捕獲したのは!」
「くどい。それ以上言えば貴様達も牢に入れる」
人狼の言葉に悪魔達は僕から離れた。
これ以上は意識を保つことができない。
僕は眠りに落ちた。
◇
冷たく堅い感触に目が覚める。
長い時間眠っていたようで体には痛みはなかった。
「ここは……」
どこかの地下牢だろうか。
石の壁に囲まれた薄暗い湿った場所。
鉄格子の外には兵士が二人立っていた。
「ちょうど目が覚めたようだな」
ライオンの頭部を有した悪魔が牢の前にやってくる。
折り目の付いた小綺麗な紳士服を身に纏っていて、彼は僕を見るなり笑みを浮かべた。
気味が悪い。何が目的なのだろう。
「初めまして。俺はキーマ工業の最高責任者ガオン。ピスターチの後継と言えば君にも分かりやすいか」
「ピスターチ!?」
つまりロッカクさんに指示を下した人!?
まさかこんなところにまで追いかけてくるなんて!
「僕の中にあるピスターチの魂が目的なのか」
「勘違いしないでくれ。これは我らなりの仁義なんだよ。魔界にも悪魔にも通すべきスジがある。君のような力だけを求める野良悪魔には分からない話かもしれないが」
「聞いて欲しい! 僕はピスターチを殺そうと思って殺したわけじゃ――」
「言い訳など聞きたくもない。頭を殺され、看板に泥を塗られ、俺を含めた幹部達がどれほど悲しみ落胆したことか……お前には分かるまい!」
ガオンは掴んだ鉄格子を握りつぶす。
すさまじい殺意に恐怖した僕は壁際へ身を寄せた。
「もっと冷静になりなさいガオン」
「すまないヌーラ。興奮しすぎてしまった」
頭部から無数の蛇を生やした美しい女性が姿を見せる。
彼女は彼の肩に手を乗せる。
襟を正したガオンは表情を変え、微笑みを浮かべた。
「明日にはこの俺が自ら処刑する。楽しみにしておくのだな」
「…………」
二人が去り、牢の前にいた兵士もこの場を後にする。
残された僕は牢屋の隅で声を押し殺して泣いた。
――どれほどの時間が経ったのだろう。
僕は妙な音に気が付き目を覚ます。
音の発生源は鉄格子だった。
がちゃがちゃ、カチン。
誰もいないはずの扉が静かに開く。
足音が近づいてきて僕は恐ろしさに震えた。
「怖がるな。助けに来てやったんだ」
「誰? 誰ですか?」
「俺だ」
すぅ、見えなかった姿が突然現われて僕は名前を呼びそうになる。
が、手で口を押さえられそれは叶わなかった。
彼は僕を殺そうとしたロッカクさんだった。
「どうして……」
「うぃーす、正義の味方ロッカクさんだ」
「どちらかと言えば悪の手先だったと思うけど」
「物事ってのは常に変ってんだよ」
彼はあっさり僕の手枷と足枷を外した。
僕の手を取って立ち上がらせる。
「さっさとここから逃げるぞ」
「でも僕はキーマ工業の方々を悲しませて……」
「馬鹿野郎」
額をデコピンされる。
地味に痛い。
「ガオンは旦那が死んだことに一ミリも悲しんじゃいねぇよ。それどころか幹部連中は喜んでるくらいだ。旦那は荒くれ者だが、ルールには厳しかったからな」
「じゃあ幹部以外の人が悲しんでいるんじゃ」
「んなこと気にしてちゃキリがねぇぜ。それよりもガオンに力を持たせることの方がヤバい。あいつはキーマ工業をルドラークに明け渡すつもりだ。そんでもって奴は爵位をもらい、王の側近になるつもりらしい」
明け渡す?
自身が支配するキーマを?
「そうなるとキーマは、トイオックスはどうなるの」
「あそこにいる連中の大半はどっかの犯罪者だ。そうなりゃほとんどが引き渡しか、処刑の対象になるだろうな。で、見事貴族となった奴は改めてトイオックスを領地としていただく。もしかしたらルドラーク王を後々喰らうことまで計算してるかもな」
ロッカクさんは話を続ける。
「いくつかの国では魂を喰らった相手に権利が与えられる決まりがある。ルドラークではそれが王位に適用されていて、貴族階級にいる者のみに移譲が許されているんだよ。ここまで言えばガオンが爵位を欲しがる意味も分かるだろ」
あの時見せたガオンの怒りは嘘だったのか。
でもそれでも僕にこだわる理由が分からない。
キーマ工業を売り渡すことと僕がどう関係するのか。
その疑問にロッカクさんが答えてくれる。
「あいつがお前を狙う理由、たぶんルドラーク王にはまだ力が届かねぇからだ。魂を喰らいたくても喰らう事ができねぇんだ」
「でも噛みつけば誰でも」
「アホか。そんなにほいほい魂が喰えりゃあ誰も困らねぇんだよ。魂の質の差はすなわち力の差、隔たりが高ければ高いほど喰らうことができなくなる。雑魚が強者に噛みついたところで逆に吸収されるのがオチだ」
初耳だった。
じゃあピスターチの魂を喰らった僕って何?
あれは偶然だったったてこと?
「ただし、お前はどうも特別らしい。昔から魔界じゃ目の光る奴には気をつけろって話を聞くが、そういうことなんだろうな」
「どういうこと?」
「自分で考えろ。行くぞ」
彼は僕の右腕を掴む。
すると彼と僕の姿が消えた。
「何ですかこれ!?」
「俺の固有能力だ。姿が変えられるなら消すことだって簡単だろ」
ぐいっと引っ張られて牢から出される。
バッカスさんの仇なのに不思議と怒りは湧かなかった。
この人の雰囲気がそうさせるのか、それとも僕自身が彼に少しばかりの恩を感じているのか。
ただ、バッカスさんと彼を戦わせたことへの罪悪感は確かにあった。
「静かに」
彼が立ち止まり僕も足を止める。
地下を出る階段の前に二人の兵士がいた。
「陛下もお戯れが過ぎる。あのような小物と取引をされるなど」
「お前知らないのか。トイオックスは近いうちに、軍の独断という建前で侵攻作戦を行うんだぞ。交わした契約も肝心のキーマ工業がなくなれば無効さ。陛下は刺激しないように今はあえて話に乗っただけなんだよ」
「なんだ。そういうことか」
会話を耳にしてゾッとした。
ルドラークはトイオックスを滅ぼすつもりだ。
「しかし、キーマの先々代と交わした契約はどうするんだ。不干渉って話だっただろ」
「そっちもピスターチが死んで無効だ。あの契約は代表者が後継を指名して初めて継続される。ガオンを指名しないまま死んだおかげで契約は切れたのさ。つっても肝心のガオンも他の幹部も気が付いてないがな。ぶはははっ」
兵士達は笑いながら階段を上がっていった。
「やっぱりな。旦那が死んだってのに、ルドラークがやけに大人しかったのはこれが理由か。やっぱキーマを出てきたのは正解だったみてぇだ」
「そのままにしていいんですか」
「俺にゃ関係ねぇ。あそこは別に故郷って訳でもねぇし。まぁ、世話になった奴らは何人かいるが……それもわざわざ助けたいってほどじゃねぇ」
「本当にいいんですか」
「……どうしろって言うんだ。俺はただの流れ者だぞ」
姿の見えない今なら僕でもできることがある。
ようはルドラークが混乱状態になればいいんだ。
そうなれば僕とロッカクさんの逃げ出す時間も稼げるし、トイオックスに向かう軍の足も遅らせることができるかもしれない。
「お願いします。僕を王様のいる場所へ連れて行ってください」
「まさかお前」
ロッカクさんは悩んでいるようだった。
ここで逃げれば面倒事に巻き込まれずに済む。
でもキーマが火の海になるのは望んでいない。
彼の心の声が聞こえた気がした。
「お前は本当に疫病神だな」
「もしそうなら良い疫病神でありたい」
「なんだよそりゃあ。だがピンチをチャンスに変えるってのは嫌いじゃない」
彼は「案内してやる」と腕を引っ張った。
兵士に気取られないように僕らは城内を走る。
そして、とある扉の前に到着した。
ガコン。
前触れもなく扉が開き僕らは壁際に身を寄せた。
「それでは陛下、身柄の引き渡しよろしくお願いいたします」
「うむ、承知した。彼のお方へよろしく伝えておいてくれ」
「はい。きっと喜ばれるでしょう」
出てきたのは一人の男性。
グリーンの長髪を首裏で縛り右手には見事な槍を持っている。
その容姿は作り物のように美しく、一瞬女性かと思ったほどだった。
「……ふふっ」
男の目は僕らを捉えていた。
しかも察したように微笑みを浮かべる。
だが、彼は視線を前に向け歩き去った。
ロッカクさんの腕が震えていることに気が付く。
飄々としていて余裕たっぷりの彼がだ。
「どうしたんですか」
「まじかよ。なんでこんなところにいるんだよ」
「何者なんです?」
「あれはベオルフの腹心にして十二魔将の一人。順位三位の『絶風のメルフェントス』だ。なんで奴がここに……」
彼の言葉が僕にはまるで理解できない。
ベオルフとは。十二魔将とは。順位とは。
ただ、それが恐ろしいことだけは分かった。
「扉が開いている内に入りましょう」
「あ、ああ、そうだな」
僕らは足音を立てず部屋の中へ入る。
どうやら謁見の間と呼ばれる場所のようだ。
一番の奥の玉座には王様らしき男性が座っている。
彼は僕らに気が付いた様子はなく頬杖を突いて窓の外を見ていた。
「ベオルフめ、とうとうルドラークにまで手を伸ばすつもりか」
「やはりここは条件を断り、今まで通りゼノス側に付くべきかと」
「それは難しい話だな。今やゼノスは身内のことで頭がいっぱいだ。あのような不抜けた男に我が国が加担するだけの価値は見いだせぬ。それにベオルフは使える駒は非常に優遇すると聞く、これを機会に彼の者と距離を縮めるのも悪い判断ではない」
控えていた者達に「一人にしてくれ」と指示を出し玉座から立ち上がった。
王は窓際へ立ち、小さく笑い声をあげる。
「所詮この世は力と金だ。いずれ余がベオルフもゼノスも喰らってみせ――あぐっ!?」
僕は王様の背中に飛びつき首筋へ牙を立てた。
勢いよく魂を啜り極上の甘味に脳みそを痺れさせる。
美味しい美味しい美味しい美味しい。
「じゅるるるる!」
「離れろ! なんだこいつ!」
暴れるルドラーク王をにしがみつき魂を啜る。
最後の一滴まで吸い尽くしてから死体を床に横たえた。
「ふぅ、これでこの国はトイオックスを攻める状態じゃなくなる」
「ははっ、マジかよ。お前さんやっぱ普通の悪魔じゃねぇな」
ロッカクさんは玉座に座ってニヤリとしていた。
「やっぱり変ですか?」
「まぁな、お前とルドラーク王の実力は三倍くらい違っていた。なのにあっさりと食らえたのはどう考えても異常だ。もしかするとロイ、お前は魔界の力関係を変えるくらいの怪物なのかもしれねぇ」
「怪物……」
「案外マジで俺は正しい判断をしたのかもな」
彼は玉座から立ち上がって僕の腕を掴む。
一瞬で僕らの姿は消えた。
「すぐに騒ぎになる。町を出るぞ」
「はい」
僕らは走り出した。
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