七十九話 雷獣の峡谷

 現われた盗賊は十一人。

 馬車の前後を塞ぎギラついた目を向ける。


「お、おい、護衛だろ! 早く片付けてくれ!」

「分かってるよ!」


 僕とフレッドは荷台から飛び降りてそれぞれで対峙した。

 前方はフレッド。後方は僕だ。

 五人を相手しなければならないと考えると恐怖で足がすくみそうだ。


 前方にいるリーダー格の男は、毛皮を纏い右手には鉈を持っている。薄汚く軽薄な表情を浮かべ、いかにも盗賊然とした人物だった。あれをフレッドが相手すると思うと、少し心配になる。


「たった二匹のガキで俺達をどうにかできるとでも思ってんのか。馬鹿な商人だ、護衛代をケチらなきゃ生きてここを抜けれたかもしれないのによぉ」

「ぬぐぐ、盗賊にそんなことを言われる筋合いはない!」


 おじさんは痛いところを指摘されて激高する。

 悪党の言うことだけど正論だと思う。


「野郎共、荷物には傷を付けんなよ」


 じりじりと男共が近づく。

 いずれもその手には取り回しの良い片手剣や片手斧が握られ、ニヤニヤとしながら舌なめずりしていた。

 負ければ魂を吸われる。すなわち死だ。


「僕は、僕はこんところでは死ねない……生きて帰るんだ」


 ナイフを捨て、獣のように姿勢を低くする。

 相手は死線をくぐり抜けた盗賊だ。同じ戦い方では分が悪い。

 ここは僕のやりやすいスタイルで戦うべき。


 強く地面を蹴り刹那に肉薄する。

 一人の首筋へ噛みついて魂を一気に啜った。


「ひぎゃぁぁあああ!? 放せ! なんだこいつ、動きが速すぎる!!」

「じゅるるるる」


 どさりと一人が倒れる。

 口の中に強い甘味が広がり脳みそをくらくらさせた。

 気持ちが良い。最高の気分だ。


 振られた斧をスウェーだけで避け、跳躍して背後から首筋へ。

 迸る甘露は最高のデザートだ。


「このガキ! よくも仲間を!」

「ふっ」


 片手剣を片手で受け流し、間髪入れず拳を鳩尾にめり込ませた。

 背後からの攻撃も体を反転させ蹴りで対応、残りの一人は抜き手で心臓を貫いた。


 引き抜いた手にべっとりと付いた血液、バラのように綺麗な色だ。


 なんだ、今の僕の身体能力ならぜんぜん敵じゃなかった。


 僕は逃げ出そうとする残りの二人を捕まえ首筋に牙を立てた。


「ふぅうう、こっちは片付いた――フレッドの方もそろそろかな」


 馬車の前方を見た僕は動揺した。

 そこには首筋に噛みつかれる彼の姿があったのだ。


「あああああああ」

「じゅるるる」


 フレッドは股間を濡らし青ざめた顔でなすがままになっている。

 リーダー格の男は容赦なく魂を啜り、数秒後にフレッドだった物は地面に落とされた。


「うっすい魂だぜ。これだからガキの魂は吸う価値がねぇんだ」

「頭、後方が全滅したようです」

「あ? おいおいマジかよ。ガキにやられるなんて自慢話にもなんねぇぞ。お前らさっさと始末しろ」

「ういっす」


 五人が僕に向けて駆けだした。

 だが、僕はフレッドの死を目撃して、激しい怒りが頭の芯を焼いていた。


 友達ができたと思った。

 フレッドはすごく良い奴だったんだ。

 なのにこんなのはあんまりだ。


 許さない。

 お前達にはふさわしい不幸を与えてやる。


 体内の魔力がイメージに反応して紫の炎を創り出す。

 どす黒い殺意の炎。僕の怒りの象徴だ。


 右手を前に出す。


 炎を解き放った瞬間、紫炎は爆炎となって六人を包み込んだ。


 轟音が響き地面がえぐれる。

 衝撃波が激しく木々を揺らした。


「あぐ……」

「ううう」

「腕が、腕が」


 六人はまだ生きていた。


 悪魔だけあって魔力抵抗は高いのだろう。

 リーダー格の男に至ってはほんの少しの火傷のみで、ふらつきながらも鉈を掴んで立ち上がる。


「ガキにしちゃ……なかなかの魔術じゃねぇか。驚いたぜ。だが、大人を舐めるんじゃねぇぞ」

「うっ!?」


 奴から脳を揺らすほどの音波が発せられる。

 僕は立っていられなくなり片膝を突いた。


「あの世へ行く記念に俺の本当の姿をその目に焼き付けろ」


 男の体が二回りほど膨らみ、服をビリビリに破き肌の色は濃い緑へ変る。

 粘液を帯びた無数の触手が出現し、ぎょろりと黄色い大きな一つ目が高い位置から見下ろす。


 それは触手でできた玉のような生き物だった。

 ねとねとしたたる粘液が生理的嫌悪感をかきたてる。

 だが同時に、盗賊らしい真の姿などとも思った。


 目にも留まらぬ速さで触手が伸ばされ、僕の体を締め付ける。


「くっ」

「さぁ大人しく俺の糧となれ」

「あぐっ!?」


 みしみし骨がきしむ。

 すさまじい力に息ができない。


 このままでは死んでしまう。


「うぉおおおおお!」


 おじさんが斧を振り下ろして触手を切断した。

 拘束がほどけ地面でびちびちと動く。


「さっさとあいつを倒せ!」


 おじさんの言葉に頷く。

 一気に加速、触手の玉に飛びついて噛みついた。


「やめろぉおおおおおお! 離れろ!」

「じゅるるるる」


 魂と一緒に粘液も喉を通り抜ける。

 気持ち悪さに吐きそうになったが、それでも必死で吸い続けた。

 暴れる触手は木々に体当たりして僕を剥がそうとするもそれは叶わなかった。


 どすん。触手が地面に横たわり大きな目の瞳孔が開く。


「ぺっぺっ、最悪だ」

「よくやったな。ガキだと馬鹿にしたことは謝る」

「別にいいですよ。それよりも」


 僕はフレッドの元へ駆け寄り抱きかかえる。

 やはり彼は死んでいた。


 最初から僕一人で相手すれば良かったんだ。そうすれば彼が死ぬこともなかった。

 ごめんフレッド。僕のせいだ。


「落ち込んでるところ悪いんだが、そろそろ出発してもいいか」

「……はい」


 僕はナイフを拾い上げ腰に収める。

 荷台に乗り込むと馬車はごとごと走り出した。



 ◇



 無事にフィンストンに到着した。

 荷台から飛び降り依頼主と軽く挨拶をして別れる。

 すでに報酬はもらっている。


 今回の仕事は十万ベルトだったので、これで所持金は二十三万ベルトだ。

 多めに二万もらったのでそこそこ良い仕事だったと言える。

 これでしばらくまともな生活もできそうだし、傭兵としてお金を稼ぐのも案外悪くない選択だったのかもしれない。


 フィンストンは森の中にある静かな町だ。

 町の入り口には川が流れ、石の橋がかかっていた。


 すれ違う悪魔は姿こそ恐ろしいが、その顔は穏やかで人と変らない普通の生活をしているようだった。


 僕は適当な宿を探し入る。

 カウンターにはそばかすの残る少女がいた。


「一泊いくらですか」

「五千ベルトです」


 キーマと同じくらいの値段にほっとする。

 出費は少ない方がいい。ただでさえぎりぎりなんだ。


「あの、ウチはお風呂はあるんですが、洗濯機は置いてないんです」

「そうなんだ」

「衣類はできれば川で洗ってください」


 洗濯機がない代わりにこの宿では朝食が付いているらしい。

 まぁ、人間界から来た僕としてはお風呂があるだけでも異常なんだけどね。

 どうやら悪魔は人間よりも綺麗好きのようだ。


 借りた部屋に入りベッドに腰を下ろす。


 フレッドの死は僕の心に重くのしかかっていた。

 また知り合った悪魔が死んだ。しかも友達になれそうだった同年代の少年だ。

 もし彼が生きていたなら今頃は楽しく話ができていたに違いない。


 この場所は僕を孤独にして行く。


 でもそれは当たり前のことかもしれない。

 僕はここでは異質な存在だ。いてはいけない。

 魔界は悪魔の世界で、人がいるべき場所じゃないんだ。

 早く僕のあるべきところへ戻らなければ。


 僕は横になって天井を見つめた。



 ◇



 翌日、僕は町を出た。

 目指すは次の町カリント。


 このルドラークの首都にあたる町だ。


 フィンストンからはかなり離れており、難所である雷獣の峡谷を越えなればならないらしい。

 この雷獣というのは魔界に生息する怪物の一つで、その身にすさまじい電力を帯びているらしい。

 近づくだけで敵を消し炭にしてしまう凶暴な獣だ。

 そんな危険極まりない怪物が何頭も生息するのが雷獣の峡谷なのである。


 しかし、だからといってそこを避けて通ることはできない。

 なにせ峡谷の先には首都があり、近くには例の遺跡があるのだ。

 今の僕にのんびり遠回りをしている余裕はなかった。


 覚悟を決めろ。

 すでにゴム製の外套も購入して雷獣には備えている。

 きっと無事に抜けられるはずだ。


 森を歩き続け、塔のような断崖絶壁の山が並ぶ地帯へと足を踏み入れる。


 長く険しい道を進み、ようやく難所へと到着した。


「ひぇ」


 ひゅううううう。風が谷を抜けると不気味な音が響く。

 底の見えない巨大な大地の亀裂が僕を迎えた。


 谷には金属製の頑丈な橋がかかっていて、その中央にはゴムの絨毯が敷かれている。

 強度には問題なさそうだが、それよりも気になるのが谷の底でぴかぴかする黄色い閃光だ。

 獣のうなり声が響き、雷が地上から空に向かって走った。


 橋に足を乗せる。


 ミシリ。その音で谷の底が静かになる。


 雷獣は橋を通る生き物をよく餌にしているらしい。

 僕がここを通っていることを悟られれば、一斉に集まってくるだろう。

 そうなれば終わりだ。焼け焦げた状態でむさぼり食われるに違いない。


「ごくり……」


 反応はない。

 まだ様子を見ているらしい。


 十分ほど動きを止めた。


 もう一歩踏み出す。

 音はなかった。いける。


 床がゴム製なので音はしにくい。

 そもそもゴムなんてものは魔界に来て初めて知った物だ。フィンストンでゴムのことを聞いたらその場にいた人達にずいぶんと笑われた。

 少し恥ずかしかったが、知らないままの方があとあと後悔しただろう。


 ミシリ。再び音が鳴る。


 すでに橋の半ばまで来ていた。

 あと少しでここを越えられるのだ。


「ぐるるる」


 うなり声が聞こえ金属製の橋に黄色い閃光が走った。

 手すりの部分でバチバチ放電が起こる。


 僕は恐る恐る振り返る。


 体高はおよそ三メートル。

 毛は黄緑の蛍光色、虎のような体躯に目は赤かった。

 体からは放電をしており絶えずぼんやりと光っていた。


 雷獣だ。


「バレた……」

「ぐるるる」


 後ずさりするとその分雷獣は近づく。

 まだ向こうは警戒しているようだ。


 こんな時は急いで逃げてはダメだ。背中を向けずにゆっくり後退する。


 雷獣は近づいては来るもののまだ獲物としてはみていないらしい。

 その証拠によそ見が多い。

 時折谷底を覗いて何かを確認している。


 この調子なら逃げられる。

 あと少しの辛抱。


「!?」


 雷獣が目前まで歩みを進めた。

 手を伸ばせば触れそうな位置で立ち止まり匂いを嗅ぐ。


 恐怖で毛が逆立つ。


「すんすん……ふっ!」


 荒々しい鼻息を出した。

 それからくるりと反転して背を向けてしまう。


「がぉん!」

「ぐがぁぁあああ!」


 谷底から鳴き声が聞こえ、それに反応するかのように雷獣は橋から飛び降りた。

 黄色い閃光はジグザグに壁を蹴りながら暗い底へと消える。


 ほっとした。一瞬、食べられるかと覚悟をした。


 もしかすると好みの餌じゃなかったとか。

 理由は不明だが辛うじて僕はなんとか命を拾った。


 その後、橋を渡りきり僕はルドラーク首都へと至るのだった。


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