七十七話 追いかける者達
キーマのとある一室。
重苦しい空気が立ちこめ一人の男が拘束されていた。
手足は金属製の杭で縫い止められ青い血がしたたり落ちる。
男の身体には無数のミミズ腫れが目立ち、今はぐったりと顔をうつむいていた。
僅かに呼吸をしていることから生きていることは確認できる。
「嘘はいけないわねシュルル」
「報告したとおりだ……俺はあのガキを殺した……」
「じゃあなぜ死体が出てこないの? そもそもガオンは命じたはずよね。生死は問わないが魂だけは必ず持ってこいと」
「忘れてたんだよ。うっかり屋さんだなぁ俺は」
びしっ、ヌーラが鞭を容赦なく振るう。
ロッカクは歯を食いしばり痛みに耐えた。
「強情ね。どうしてあんな子供を庇うのかしら」
「だから言ってるじゃねぇか。俺は殺したと」
「ありえないわ。悪魔は魂に敏感、近くにむき出しの強力な魂があれば必ず気が付く。もし気が付かなかったとすれば、それは貴方が見逃した他に説明が付かない」
「あんたも強情だねぇ。だったら煙草を一本くれないか」
ヌーラはポケットから箱を取り出し煙草を一本抜く。
それをロッカクの口に入れ魔術で火を付けた。
「ふぅううううう、気分がいいぜ」
「それで子供はどこに行ったの」
ロッカクは煙草をくわえたまま口角を上げる。
「知らんね。興味が失せたからどっかに行けと言ったんだ」
「なぜ見逃したの」
「さっき言っただろ。興味が失せたんだ」
「そう」
ヌーラは目を細める。
彼女は脇に控えていた男から書類を受け取った。
「貴方バッカス書店の店主と仲が良かったみたいね。それで調べて見たんだけど、バッカスという男、昔は名のある傭兵だったそうじゃない。それにこの町では書店を営みながら、情報屋もしてたそうね」
「馬鹿言うなよ。俺に頼まれてしょうがなく高値で引き受けてただけのバイトだ。そんな情報屋なんて大層なことをあいつはしてねぇよ」
「じゃあそのよしみで見逃したのかしら」
「違うね」
ロッカクは器用に口だけで煙草を吸い続けていた。
異常なまでに速い吸引速度は数分もしない内に煙草を吸い殻にする。
「足りねぇ、もう一本くれよ」
「いいわ」
傍に控えていた男がロッカクに煙草を咥えさせる。
ヌーラは自ら与える役を早々に放棄した。
「ふぅううう、あいつは俺が書いた本のファンなんだよ。まだ作家になりたいとか夢見てた頃のな。馬鹿な奴だ。とうの昔に筆を折っちまったのに、ファンレターなんかよこしやがって。しかも俺が暮らしてる町で書店なんか開きやがる。つい顔を見に行っちまったのがそもそもの間違いだったんだろうな」
「貴方の思い出話なんてどうでもいいのよ。あの子供はどこに行ったの」
「初めてもらったファンレターだったんだよ。もっと早くに貰っていれば筆を折ることもなかったのにって思っちまった。あいつ、作者を前にして自慢気に本を語るんだよ。ほんと馬鹿な奴だ。だから気に入っちまった」
「いいから教えなさい」
鞭が振るわれる。
しかし、ロッカクは意に介した様子もなく話を続ける。
「どこの馬の骨かもしれねぇガキを命を賭けて守ろうなんて正気の沙汰じゃねぇ。でもな、馬鹿だから多分あいつはそうするしかなかったんだ。そもそも本一冊に感動したから書店を開こうと考える奴なんて普通じゃねぇよ」
身体に強烈な鞭が叩きつけられる。
血がにじみ部屋に紫煙が漂い続けた。
「腕は四本もあるのに頭は全く足りてねぇ。だからガキに同情しちまったんだろ。死んだ自分のガキに姿を重ねて傷口を舐めてよぉ、そんなんだからアレが厄介ごとの種かどうかも分からなくなっちまうんだ。ほんと馬鹿だよおっさんは」
ヌーラはロッカクの髪を掴んで冷たい視線を向けた。
「無駄話は嫌いなの。要点だけ話して」
「へへ、気の短い女だね――げぼっ!?」
強烈な蹴りが鳩尾にめり込む。
ロッカクは唾液が混ざった血液を吐き出した。
「はぁ、はぁ……言っただろどこに行ったのか知らねぇって。今頃はトイオックスを出てんじゃねぇのか」
「トイオックスの外!? そうか、ルドラークね!」
トイオックスは三方が海に囲まれた半島に存在する。
ヌーラがルドラーク方面へ行くと考えるのは至極当然だった。
「そうそうそっちそっち」
「……騙されないわよ。貴方は港町から船を使って逃げたと思わせたいのでしょうけど、可能性を考えれば、わざわざ遠い海を目指すよりルドラークを目指す方が生き延びる確率が高いわ」
「わからねぇぜ。あのガキ意外に頭が回るしな」
「だったら二方面で追っ手を出すわ。どうせ嘘だと分かってるけど」
ロッカクは内心で舌打ちをする。
ロイがルドラーク方面へ逃げたのは確認済みだったからだ。
もはや誤魔化しは通用しないと察した。
ヌーラは男性を連れて部屋を出る。
残されたロッカクは残り少ない煙草を吸いながら天井を見上げた。
「まったく損な役回りだよな。これじゃあ主人公を助ける良い奴じゃねぇか。表面では軽いが実は冷酷的なキャラを演じてたってのに、実際は情に厚くいざって時は頼りになるお兄さんになっちまってる。どこで間違えたんだか」
左腕を杭から強引に引きちぎる。
彼は歯を食いしばって激痛に耐えた。
「これじゃあしばらく左腕は使い物になんねぇな」
割けた左腕で右手を縫い止めている杭を引き抜く。
ぼたぼた、青い血液が床を塗らした。
「やっぱりそうか……『魔封じの杭』。ウチの組織がこんな物まで持ってたとはね、道理で力も出ねぇし元の姿に戻れねぇわけだ」
杭を床に投げ捨て、次に足に突き刺さった杭を抜く。
ロッカクは力なく床に倒れ、仰向けになって大きく息を吸った。
「参ったね。誤魔化せるとか思ってたんだが、予想以上にガオンとヌーラはあのガキに執着してやがる。やっぱピスターチの力が目当てなんだろうな。ボスの魂を取り込んだあのガキの魂が」
そうしている間にロッカクの傷は塞がり始めていた。
しかし、完全に治癒するには数日を要する。
彼は出血が止まったことを確認してから立ち上がった。
「これは貰っていくぜ。退職金代わりだ」
四本の杭をポケットに入れロッカクは部屋を出た。
キーマの細い路地。
キーマ工業本部を抜け出したロッカクは座り込んで煙草を吸っていた。
見上げる空は赤く雲が漂っている。
「抜け出したのはすぐにバレるだろうな。あの女が俺を長く生かしておくとも思えねぇし」
紫煙を吐き出し、彼は壁に手を突いて立ち上がる。
ふらつく身体に舌打ちした。
「早いところあのガキを追わねぇと……いやいや、なんで俺がそんなことを。あー、くそ、調子が狂うぜ。あのガキ、ほんと疫病神だな。悪魔を狂わせやがる」
ロッカクはそう言いつつ自宅へと向かっていた。
彼の家はボロボロの安っぽい木造建築物の一画にある。俗に言うアパート、賃貸物件である。狭い階段を上がって自室の扉へたどり着くと鍵を取り出して開けた。
がらんとした部屋。ベッドと積み重ねられた本だけが彼の目に入る。
彼はタンスの前に移動すると数枚の服を取り出し適当なバッグに入れた。それから煙草を十箱ほど放り込み、タンスの裏に隠してあった非常時用のお金を抜き取った。
「まだバレてねぇな」
カーテンの隙間から外の様子を窺う。
監視するような人影は見当たらなかった。
ロッカクは部屋を出ようとして足を止める。
「…………持ってくか」
振り返って本の山を崩す。
その中から自著を引き抜きバッグの中に入れた。
彼はどこに行くにも自分の本を連れて行った。それは大切だからではない。捨てる機会をずっと窺っていたからだ。未だ捨てきれない自分の夢とどこかできちんと決別したい、そんな想いがこのような行動をとらせていた。
部屋を出た彼は階段を足早に下り、大家の元へと顔を出す。
「うぃーす、もう帰ってこられないと思うから部屋の中は好きにしてくれよ。これ今月の家賃な」
「ずいぶん勝手だね。ふらりと来てふらりとどっか行くなんて」
大家である老婆はしかめっ面でロッカクに文句を言った。
彼はにへらと笑って「悪いなばっちゃん」と別れを告げた。
アパートを出た彼はとある場所へと向かう。
その場所は『馬車乗り場』である。
魔界において馬とはユニコーンやバイコーンを指す。
人間界の馬車とは根本から違う乗り物だ。
その移動速度は最大で八十キロ。ロイが目撃した魔導蒸気機関車とは速度も積載量も劣るものの、小回りが利き自由な走行が可能。トイオックスの荒れた大地では非常に重宝される乗り物だ。
彼がなぜ馬車を選んだのかは理由があった。
トイオックスにも魔導蒸気機関車はあるものの、ヌーラ達と鉢合わせする可能性が非常に高かったからである。それに加えロイを追い抜く危険性もあった。そこで多少移動速度は落ちるが遭遇の確率が高い馬車を選んだのだ。
ロッカクは馬車の御者に声をかける。
「ルドラーク行きで頼む」
「はいよ」
金属製の荷台に乗り込み彼は煙草に火を付ける。
「お客さん、煙草は勘弁してくれ。馬が嫌がる」
「あ、わりぃ」
火を付けたばかりの煙草を握りつぶした。
車が走り出しロッカクの身体は左右に揺れた。
馬車に搭載されたサスペンションで衝撃はほとんどない。
荷台を引くのは黒い毛並みと二本角が特徴的な魔獣バイコーンである。
馬車は町を出て道を五十キロで走行した。
馬車の走った後には土煙がもうもうと上がり地面には蹄の跡が残る。
「なぁ、そろそろ煙草吸っていいか」
「走行中なら構わないよ」
煙草を取り出し火を付ける。
紫煙が風に流され尾を引いた。
「流れ者にゃお似合いの結末だな。今回は三十年いられたんだから上等じゃねぇか」
馬車から眺めるキーマに彼は呟いた。
◆
キーマ工業の一室。
デスクで報告を受けたガオンは顔をしかめた。
「目を離した隙に逃げられただと?」
「油断していたのは認めるわシュルル」
ヌーラは目をそらしてガオンの怒りに備える。
だが、彼は怒声をあげることなく笑みを浮かべた。
「そうか、やっぱり羊の皮を被っていたか」
「どう言う意味?」
「前々からピスターチがやけに可愛がっているのを不思議に思っていたのだが、どうやら奴は実力を隠していたようだな。もしかすると俺達を始末した後にあいつを据えるつもりだったのかもしれん」
「幹部候補だったって言うの。あの下っ端がシュルル」
「十分にあり得る話だ。あいつは俺達がここに来た後に入ってきた、比較的新しい構成員だ。ある程度慣して席に座らせることくらいあの男はするだろう」
ガオンは煙草を取り出し火を付ける。
紫煙を吐き出し椅子から立ち上がった。
「それよりも今はあのガキだ。あいつはピスターチの力を取り込んだ極上の魂、俺達がここを治めて行くには絶対に必要だ。力なき悪魔にどのような末路が待っているかはお前も知っているだろう」
「ええ、もちろん。すでにルドラーク行きの列車は準備させてあるシュルル」
「よろしい。では行くとするか」
ガオンはヌーラを連れて部屋を出た。
向かうはルドラーク行きの列車が待つトイオックス駅だ。
「お待ちしておりました」
ガオンが現われると同時に車掌が一礼する。
通常この列車はキーマからルドラークへ鉄を運ぶ為に存在している。しかし、一応ではあるが客席用の車両も連結されており、ルドラークとの行き来は可能となっていた。
ガオンは頷くのみで車両に乗り込む。後に続くはヌーラと十人の部下。
彼は他の幹部にロイの魂を奪われないよう伏せて行動していた。その結果少数精鋭となったのである。
車掌が合図を出し魔導機関車はゆっくりと動き出す。
ルドラークまでは障害物を越えて行く為、かなりの回り道をしなければならない。それでも魔導機関車の利便性は非常に高く、ガオンは移動に際し馬車を使うことを選択肢にあげなかった。ロッカクの予想が的中したのだ。
「ガキはどこまで行っていると思う?」
「せいぜいルドラーク首都までの間でしょう。車掌からはここを利用したという報告はなかったわシュルル」
「相変わらず仕事が早いな」
「それが私の長所だものシュルル」
ガオンは唯一心を許す女に微笑んだ。
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今回の更新はここまでです。
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