七十六話 ルドラーク
僕は荒野をひたすらに歩き続けた。
町を見つけても立ち寄ることはせずトイオックスを出ることだけを優先した。
今の僕は一ヶ月食事をしなくとも死ぬことはない。食事は所詮魂を摂取するまでの間の空腹しのぎにすぎないのだ。
昼間は歩き、夜は読書と訓練に励んだ。
バッカスさんに教わったことを反芻して自らの血肉にしようと努力した。
ちなみに僕が持ってきた本は四冊。
言語辞典、地図、悪魔辞典、遺跡調査書だ。
言語辞典は習得中の言語が記載された書籍である。
地図はこの大陸を大雑把に記載したもの。詳細に記載されている地域もあるのでおおよそだがどっちに向かっているのかはこれで判断できる。
悪魔辞典は現在確認されている悪魔種族の特徴を記載した書物だ。種族的な固有能力も載っていて非常に参考になる。読んでいて非常に面白い本だ。
遺跡調査書は勧められて未だに読めていない書籍。難しい言葉が並んでいて内容を理解するには今の僕では無理かもしれない。少なくとも単語を解説してくれる誰かが必要な気がする。
兎にも角にも僕は白紙のノートに何度も何度も単語を書いて覚えようと務めた。
きっかけは店の仕事だったが今では習慣になりつつあった。
武術の稽古は正直順調かどうか不明だ。
指導してくれる人を失った僕にできることと言えば基礎を反復することくらい。ひたすら攻撃と受けを繰り返し身体に覚えさせる。脳裏に浮かぶのはバッカスさんの教えだ。
僕は決めたのだ。もう悪魔と必要以上に関わらないと。
その為には己の力だけで身を守れるようにならなければならない。
強くなるしかないんだ。この魔界では。
そして、いつか家族の待つ人間界に帰ってみせる。
僕はそう誓っていた。
◇
かれこれ歩き始めて数週間が経過した。
僕は迷いながらも歩き続け、ある日荒野を抜けた。
気が付いたのは抜けて数分経過してからだ。
歩いているときは『やけに植物を見かけるようになったな』とか思っていたが、緑の絨毯が広がっている大地に足を踏み入れる瞬間はぼーっと無意識状態だった。
改めて周囲を見渡せば木々が生い茂り鮮やかな緑が目に入る。
遠くでは狼のような獣が岩の上からこちらを観察し、興味が失せたのか方向を変えて去って行く。
相変わらず空は赤いし鉄や獣の臭いはするが、人間界に戻ってきたような感覚があって僕は嬉しくなった。まさか緑がこんなにも眩しいなんて思いもしなかったことだ。村では飽きるほど見てきた光景なのに。
僕は道の脇で地図を確認する。
「……トイオックスを抜けたんだ」
ここはトイオックスの隣にある『ルドラーク国』の領土だ。
トイオックスと比べると十倍の広さを誇る。
これはあくまで体感だが、トイオックスはグランメルンの数倍の大きさを有しているように思われる。なのにこの大陸ではあまりにも小さい。もし国として数えるなら一番小さいといえるくらいだ。
僕は魔界の広大さに驚き、目の前がくらくらした。
遺跡を見つける為にどれほどの距離を進まなくてはならないのかゾッとした。
しかし、今さらこなことで諦めるわけにもいかない。
僕は必ず帰還すると己に誓った。そしてバッカスさんにも。
地図をリュックに入れて背負う。
ひとまずここから一番近い町に行くとしよう。
そこで物資を調達して情報を集めるんだ。
後できれば必要以上に他者と関わらなくて済む仕事を探そう。
僕は再び歩み出した。
ルドラークの領土に入って三日が経過した。
僕は不思議な物を見つけて足を止める。
それは僕のいる場所から左右にどこまでも続く二本の金属の道だった。
こういうのをレールというのだろう。一応僕もトロッコを一度だけ見たことがあった。しかしながら僕の知っているレールとは幅が余りにも違う。これだと相当な大きさのトロッコが走るのではないだろうか。
ぼぉおおおおおお。
遠くから奇妙な音が聞こえた。
僕は木の陰に隠れて様子を窺う。
「なんだあれ!?」
黒い塊がレールの上を猛スピードで走っていた。
煙突らしき場所からは煙がモクモク吐き出されている。
ソレが近くのレールを通過したところで僕は驚愕に目を見開く。
ソレは乗り物だった。黒い金属の塊が大きな長方形の箱をいくつも引っ張りながら走る。決して大きなトロッコではない。長方形の箱には窓が付いていて中には無数の悪魔が乗っていたからだ。
走り去ったあとも僕はずっと見送っていた。
魔界にあんな乗り物があったなんて初めて知った。
人間界とは違い過ぎる。なにもかも。
放心状態のまま僕は道に戻って先を進んだ。
「すごかった……どうやればアレに乗れるんだろう……」
興味は完全にさっきのアレに集中していた。普段以上に好奇心が刺激されてしまったのだ。
近くでまじまじと見てみたい気分が湧き起こる。できれば仕組みも知りたい。
グルルル。
そこからか獣のうなり声が聞こえる。
道の脇からのそりと一匹の肉食獣が姿を現わした。
山羊とライオンと蛇の頭部を有する魔物……キマイラだ。
人間界でも生息はしているらしいが、非常に珍しく冒険者でも見ることは滅多ないそうだ。まさか魔界にもいたなんて知らなかった。確かランクは上から二番目のミスリル級だったはず。
そう考えると恐怖が身体を震わせた。
「グガアアアアアアッ!」
咆哮に身体はびくんっと跳ね上がり後ずさりしてしまう。
こんな獣に襲われればひとたまりもない。懸命に頭を働かせ逃げる方法を考える。
キマイラが跳躍して飛びかかってきた。
だがしかし、その動きがやけに遅く感じるのだ。
僕はその牙が届く前に横に躱す。
滑るようにして着地したキマイラは振り返り、頭部の一つであるライオンの口から激しい炎が吐き出された。
僕は咄嗟に腕を交差して炎から我が身を守った。
「――熱くない?」
炎は僕の身体を覆う見えない膜で弾かれていた。
そこでハッとする。
確か悪魔は魔力抵抗値が高かったはずだ。
つまりキマイラの魔力を使用した攻撃は僕には効かない。
再び飛びかかってきたキマイラを今度は余裕を持って躱す。
よく見ればそこまで怖い相手にも思えない。
牙も爪も今の僕にはあるのだ。それにバッカスさんに教えて貰った武術が魔物に通用するか確かめたくもあった。まぁ基本しか知らないので武術と言っていいのかは正直怪しいけど。
リュックを投げ捨てて僕は攻撃に備えた。
どこを攻撃すればいいのかはおおよそだが知っている。村に来た冒険者が魔物退治の話をよく聞かせてくれたからだ。
僕がやる気になったことでキマイラは警戒を強めた。
姿勢を低くして様子を窺う。
僕はあえて背中を見せて逃げるそぶりを見せた。
「ぐがぁぁあっ!」
かかった。奴は再び飛びかかってくる。
反転した僕はぎりぎりで躱しつつ手刀で前足を切断。キマイラはバランスを失い着地と同時に倒れた。
チャンスとばかりに飛びかかって牙を立てる。
「じゅるるるる」
「ガウ! ガルルッ!」
激しく暴れるが僕は容赦なく魂を吸い続ける。
ただ、あまりにも甘味が薄い。これでは水を飲んでいるようだ。
悪魔がなぜ同族や人の魂を吸うのか分かった気がする。魔物の魂では到底満足できないからだろう。
魂を吸いきるとキマイラは力なく身体を横たえた。
運良く食料を手に入れたので内心で喜んだ。
実はそろそろ何か食べたいと考えていたのだ。
キマイラを爪で解体してバラす。
とは言え刃物ではないので綺麗に切るのは難しい。
やはりナイフは必要だろう。
さっそく道の脇で焚き火をして肉を炙ってみた。
通常なら血抜きをしないといけないのだが、魔界の生き物の特徴なのか、それとも僕の味覚が変ったのかは分からないが、生臭さはほとんど感じられない。
焼けた肉は普通に美味しかった。
臭いに引き寄せられ数頭の獣が木の陰からこちらを窺っている。
ただし、攻撃をしてくる気配はない。キマイラがあっさりと殺された事実が警戒心をかきたてているのだろう。
ほどほどに胃袋を膨らませてから先を進む。
振り返ればキマイラの死体に獣が群がっていた。
弱肉強食なのは人間界も魔界も変らないみたいだ。
◇
キマイラと戦った場所から三日。
広大な草原地帯を進み続ける。
どうやら僕の通っている道は往来が少ないようで、今まで一度も悪魔とはすれ違っていない。トイオックスに行く者がそれだけ少ないということだろう。
ふと、道の先に町らしきものが目に入る。
どうやら僕はようやく休める場所を見つけたらしい。
ずっと野宿ばかりだったので、そろそろベッドが恋しい頃だった。
あいかわらず鼻は麻痺しているが臭いも酷いようだ。たかってくる蝿がいい証拠だろう。
足を速めて町へと急いだ。
ルドラーク国に入って最初の町はこじんまりとしたものだった。
規模はブロウの町と同程度しかしながらちゃんとした国の町だけあって、時々衛兵を見かけるし町自体も小綺麗で趣があった。
僕は早速宿へと向かう。
まだお金はいくらか残っている。
節約しながらなら二週間はこの町にいられるはずだ。
それまでにお金を稼いで次の町を目指さなければ。
ちなみにだが遺跡のある場所はルドラークの北にあるそうだ。
大陸の南の方から北上した僕は、いずれルドラークの首都を越えなければいけない目算だ。長い旅になりそうで嫌になる。
適当な宿を見つけて入ろうとすると、扉が勝手に開いて中から出てきた悪魔とぶつかってしまう。
僕は地面に尻餅をついてしまった。
「こんなところにガキかよ。邪魔だどけ」
「は、はい」
冒険者らしき格好の強面の男性がいたので僕は慌てて道を空ける。
宿の中からぞろぞろと四人の男女が出てきた。
僕は急いで宿に入ってカウンターにいる店主に声をかけた。
「今の人達は!?」
「傭兵ギルドの方達だよ。この辺りは位置的に物騒でね、用心棒として雇うことが多いのさ」
「冒険者ギルドみたいな場所ですか?」
「人間界にある組織とはちょっと違うな。あっちは魔物退治とか専門にしてるだろ? こっちは主に悪魔退治を専門にしている」
聞けば魔界では傭兵ギルドなどという組織が存在し、悪魔相手に日夜戦いを繰り広げているそうだ。
じゃあ魔物はどうするのかと言えば、大体の魔物は町の住人でどうにかできるらしい。キマイラとかはここの人達にとって野犬くらいにしか感じていないようだ。
では傭兵が魔物を相手する場合はどういったケースなのかと言えば、町を壊滅させるような存在が現われたときだ。それでも勝てない場合は国内における最大戦力が動くとかなんとか。僕はそれを軍と解釈した。
「坊やはウチに泊まるのかい」
「あ、はい。とりあえず一泊」
「八千ベルトだ」
た、高い……キーマではもう少し安かったのに。
でも普通はこれくらいだよね。あそこが安すぎたんだ。
お金を払って部屋に行く。
案の定だが店主に「その格好のままベッドに入らないように」と注意を受けてしまった。
どうやらここにも洗濯機とお風呂はあるらしい。魔界は確かに恐ろしいところだが同時に便利な物で溢れていて過ごしやすい。慣れると人間界に帰りたくなくなる気がした。
早速、洗濯機に服を投げ込んでスイッチを押す。
水がじゃばじゃば服を濡らした。
しかし、すごい汚れだ。みるみる水が茶色くなってゆく。これには恥ずかしさを覚えた。きっと町の人達は毎日洗濯しているに違いない。あの面倒ごとを嫌うバッカスさんですら洗濯は欠かさなかったのだ。
洗剤を入れると洗濯機が回り始めた。この道具は一体いくらするのだろう、お土産として家族に持って帰りたい。きっと母さんやルナが喜ぶはずだ。
それから風呂場に行くと驚きで声が漏れた。
そこはキーマの安宿とは違う大きな湯船があった。
綺麗な湯で満たされ、注ぎ口からじゃばじゃば新しい湯がつぎ足されている。
僕は気が付いていなかった。
まさかこの宿にはお風呂が二つあったとは。
白い湯気に覆われていて室内はよく見えない。
僕は前回の反省を生かしてまずは身体を洗うことにする。
それらしい場所を見つけて木製の椅子に腰を下ろすと、目の前の壁に鏡があることに気が付いた。恐ろしい。高価なはずの鏡が当たり前のようにあるなんて。だけど確かに便利ではある。お風呂場に鏡はちょうどいい。
蛇口をひねるとお湯が出てきた。これに関しては前の宿と同じだし、キーマでも水道と言う物があることを学んだので驚きはなかった。蛇口をひねったらお湯が出るなんてやはり魔界は恐ろしい。
そこで僕は見慣れない物を見つける。
白い石のような塊だ。
首を傾げながら触ってみるとひんやりとしていて石とは違う感触だった。
若干表面がぬるぬるしていて変な感じ。
ハッとした。もしやこれは噂に聞く石鹸と言う奴ではないだろうか。村でも村長しか所有していなかった身体を洗うナニカ。試しに身体にこすりつけてみるとみるみる泡だってゆく。すごい、すごいぞこれ。汚れが落ちる。
「見てみろよ、ガキが女風呂に入ってきてるぞ」
「いいじゃない。結構可愛いし」
「ねぇ聞いて、あの子さっきからいちいち驚いてるの」
「!?」
声に振り返ると、湯船に三人の綺麗な女性がいた。
僕は椅子から転げ落ちて部屋の隅に逃げた。
な、なんで!? なんで女の人が!?
どういうこと!?? 僕、なにか間違った!?
ざばぁ、女性達は身体を隠すそぶりも見せず僕の目の前で堂々とさらけ出す。
思わず六つの膨らみに目が行ってしまった。
「坊や、ここは女湯だよ?」
「お、女湯??」
「まぁいいじゃねえか。こいつ見てると無性に洗いたくなるんだよ」
「そうねぇ、汚れた子犬を見てるみたいで母性本能がくすぐられるわ」
「ひぇ!?」
僕は三人に捕まって強引に身体を洗われた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます