第三・五章 平穏と魔界賢者

六十一話 悪夢

 薄暗い通路を裸足で駆ける。

 足下の水たまりが音を立てた。


 何が起きている? どうなっている?

 私はどうしてこんなところにいるのだ?


 噴出する疑問の数々に頭の中を埋め尽くされながら、私はたった一つの行動だけを取らざるを得ない状況だった。


 私は立ち止まって乱れた呼吸を整える。


「はぁはぁはぁ……ここまでくれば……」


 き、ききききききき。


「ひっ」


 まただ。またあの音だ。

 あのガラスを引っ掻くような音。


 ききききき。


 確実にこちらへと向かっている。

 私はすでにアレがなんなのか知っていた。


 一言で言えば絶望。そう、絶望を形にしたような存在だ。


 捕まれば何度も殺される。もちろん比喩ではなく事実。

 私がいるこの世界では何度死んでも強制的に蘇ってしまうのだ。それがどれほど苦痛で救いがないのか身をもって理解している。


 唯一この地獄から解放される方法は狂ってしまうことだ。


 だが、それすらもこの世界では許されない。

 ここは肉体も精神も元の状態へと戻してしまうのだ。

 継続しているのは記憶だけ。


 ききき、ききききき。


 ああ、もうすぐそこまで近づいている。

 逃げなければ。


 再び走り出して光が漏れる扉を抜けた。





「ここは」


 とある小さな村。私の生まれ故郷だ。

 見覚えのある家々が並び記憶の片隅にある人々が道を行く。


「ふざけるな! なにが魔術師だ!」

「あぐっ」


 記憶の残る建物から一人の青年が蹴り出された。

 遅れて興奮した様子の中年の男性が建物から姿を現わす。


 かつての私と父だ。


「貴族のアルベルト家に養子に行きたいだぁ!? ざけんな! てめぇはウチの長男だろうが!」

「やめて貴方!」


 母が父をなんとか押しとどめる。


 そうだ、かつて私はただの平民だった。

 幸か不幸か魔術師としての才能に恵まれ、後継者のいなかったアルベルト家から養子の誘いがあったのだ。結果的に私はその話を受け、平民としての過去は捨てることとなった。


「ハンス、もう一度考え直して。貴方は私達の子供なのよ」

「冗談じゃない。平民のままで終わるなんてまっぴらごめんだ。僕は底辺で満足しているようなあんた達とは違う。上に立つべき存在なんだ」

「まだ言うかこのクソガキ!」

「どっちがクソガキだ。子供を殴るような父親くせに」

「てめぇ!」

「やめて貴方!」


 青年は立ち上がって口元の血を拭う。

 かつての私は上流階級に憧れ、不遇な平民の人生を憎んでいた。平民であることに満足する父も母も兄弟も。いや、この村全てが私の憎しみの対象だった。


 だが、今なら理解できる。父と母の気持ちが。


 私もすでに人の親だ。子も孫もいる。

 もしそれらがいなくなると考えると身を引き裂かれるような思いを抱くことだろう。

 かつての私は思慮の足らない愚かな子供だった。


 そう、本当に愚かだった。


 ぺっ、血を吐いた青年は父と母を睨み付けてから村を去る。


「待て! 行くんじゃない!」


 その背中を追いかけるが追いつくことはできなかった。

 気が付けばあの薄暗い通路を走り続けていた。


「はぁはぁ……なんなんだここは」


 分からない。なぜ私にこんなものを見せる。

 今さら後悔しろとでも言うのか。馬鹿馬鹿しい。


 確かに私はいくつかの失敗をした。だがそれは今に至るに必要なことだったのだ。

 私がこうして主席賢者になれたのもそれらがあるからこそ。それを今さらなかったことにしたいなどと言うはずもない。


 思い出せ私がなぜこんなところにいるのかを。


 恐らくこれはアモンの精神攻撃だ。

 私の知らないような魔術でこの世界を創り出している。

 魔術ならば魔術で破ることができるはずだ。


 術式を構築、即座に行使する。

 悪夢破りの術だ。これならばいける。


 周囲の景色が一瞬で変り私は歓喜した。


 謁見の間に対峙するアモンの姿。

 その奥には国王が怯えた表情でこちらを見ている。


「ふははははっ! 悪夢の術とは恐れ入った! まさかこのような小手先の攻撃で、私を一時とは言え追い詰めるとはな! 褒めてやろう!」

「あの術を破っただと!?」

「ふふ、では終わりにしよう!」


 私は最大の攻撃魔術を放つ。

 爆炎の閃光が部屋を眩く照らした。


「――ここはっ!?」


 気が付けば私はあの薄暗い通路にいた。

 手に触れる冷たい水。どこから吹く肌を撫でる風。

 全身に噴き出す嫌な汗。


「なぜだ! 悪夢を見せる術ではなかったのか!?」


 地面を叩いて感情を吐き出す。

 間違いなくこれは奴の精神攻撃のはず。なのになぜ破れない。

 どうしてここに戻ってくる。どうして脱出できない。


 きききき、きききききききき。


 まただ。またあの音。


 私は立ち上がって音のする逆の方向へ走る。


 いやだ。もう終わりにしたい。

 こんなところからは一刻も早く出たい。


 光の漏れる扉を見つけて開け放つ。


「これは……」


 燃える村。悲鳴をあげて逃げ惑う村民。

 空からは次々に炎の塊が降り注いでいた。


「あははははっ! 実によく燃える! 平民とはこんなにも気持ちよく燃えるものなのだな! また一つ賢くなったよ!」


 杖を振るうのはかつての私だ。

 貴族らしい衣装に身を包み邪悪に顔をゆがめている。


 建物から火だるまになって飛び出す父と母の姿があった。


 それを見たかつての私は愉悦に浸る。


「私には平民であった過去は必要ない。ハンス・アルベルトは生まれも育ちも貴族なのだから。成り上がりなどでは決してない」

「やめろ……やめろ!」


 杖を振り上げようとする過去の私にしがみついて止めた。


 私に後悔があるとすればただ一つ。両親や兄弟を殺したことだ。

 歳を重ねて家族ができてから私はよく思い出すようになっていた。かつての父と母の面影を。まだ幼かった兄弟達の顔を。


 かつての私ははっきりと私を見た。


「お前がしたことじゃないか。楽しかっただろ。嬉しかっただろ。それすらも忘れたのか。次の日、家族を殺したお祝いにパイを食べたじゃないか」

「違う! あれは私が愚かだったから!」

「言い訳か? 弔うこともせず記憶の彼方に投げ捨てたお前が?」

「それは……!」


 私を払いのけた彼は容赦なく杖をふるって両親を爆散させた。


 気が付けば再びあの通路にいた。だが、今度はすぐに動けない。

 激しい動揺が全身を頭を麻痺させていた。


「ちがう……ちがうんだ……私は……」


 言葉が漏れるが思考が鈍化している。


 ききき、ききききき。


 またあの音。さっきよりも近づいているように感じた。

 私は重い身体を起き上がらせてなんとか歩く。


 先にある光の漏れる扉をくぐった。


「ここは?」


 景色ががらりと変り、私は謁見の間にいた。


 玉座に座るのは先王。傍に控えるは当時の六賢者達だ。

 この時の私はすでに主席賢者となり、身体の一部を悪魔化していた。


「元賢者システィ・ベルザスの推薦もあり、二人の者を賢者にすることを決定いたしました」

「ほう、男女の双子とは珍しい。して魔術の腕はいかほどか」

「すでに宮廷魔術師として確固たる地位を築いていることからも、賢者として活動するにはいささかも見劣りないかと」

「ならば異論はない」


 先王にかつての私は頭を垂れる。


 そうだ、この時から私は焦りを覚えていた。

 次々に現われる新しい才能と迫る老い。

 それに対抗する為に着手したのが悪魔化だった。


 極めつけは二人のマグリスの登場だ。


 ルナ・マグリスとテト・マグリスは想像を超える優秀さだった。

 二人は瞬く間に世間を騒がせるような新薬や道具を開発し、驚異的なスピードでその名を広めていった。

誰しもが次の主席はどちらかと噂していた。


 がらりと景色が変る。


 そこはとある小部屋だ。

 かつての私は先王と会話をしていた。


「寿命を延ばせるとはまことの話か?」

「はい。私の研究が完成すれば、寿命だけでなく悪魔デーモンにも匹敵するような力を手にすることができます。ただ、その為にはさらなる実験が必要となりましょう」

「よかろう。余が手配するので存分に励むが良い。ただしことがことだ、くれぐれも内密に頼むぞ」

「心得ております。陛下の協力あってこその成功なのですから」


 私は先王を研究に誘い込み協力させた。

 この時の私は行き詰まっていたのだ。動物での実験は嫌と言うほど試したが、それだけでは圧倒的に不足している。肝心の人の悪魔化のデータが必要だった。


 私は先王を使ってゲブロを大臣にねじ込み、忠実な下僕として各所から人を集めさせた。

 さらにゲブロの手足となるマードンなる人物を将軍に据え、研究を行うための環境は整ったかに見えた。


 再び景色ががらりと変る。


 宮殿の廊下でかつての私とテト・マグリスが話をしていた。


「非道な研究をしていることはすでに把握している。貴様、それでも主席賢者か。このことをすぐにでも陛下にお伝えするつもりだ」

「愚かなのは君だ。この研究は陛下の肝いりなのを知らないだろう」

「陛下が!?」

「言ったところで処罰されるのは君だ。だが、反対に私に協力すれば君と君の姉の地位をより確固たるものにすることができるがどうする? 君も姉もようやく掴んだ栄光を手放したくはないだろう?」


 そうだ、私は脅してきたテト・マグリスを反対に脅し甘言で釣った。

 同じ成り上がりだからこそ分かる地位への執着心。それを利用したのだ。

 この時の私は双子のどちらかを利用できないか調べ上げていた。

 テト・マグリスを脅して操ることも容易だったのだ。


 この後、陛下と私はテト・マグリスを使って研究を嗅ぎつけた輩を始末し続けた。


 がらりと景色が変る。


「もう、もう許してください! オレはもう殺したくない!」

「まだそんなことを言っているのか」


 足にすがりつくテト・マグリスを過去の私は蹴り飛ばす。


 ここは……私の研究室のようだ。

 棚には保存液に漬けられた人の頭部が並んでいる。


「君とルナ・マグリスが今の地位にいられるのは誰のおかげだ。すぐにでも賢者の称号を剥ぎ取ってもいいのだぞ」

「姉が……ルナが娘を産んだんです。オレは伯父さんになった」

「だからどうした。何を言いたいのか分からないな」

「あの子の大きくて綺麗な瞳を見ると、オレは今の自分を恥じることしかできなかった。オレはあの子の為にもうこんなことはやめなきゃいけないんだ」

「下らん。失望したぞ」


 過去の私は全身麻酔の術をかけ、テト・マグリスを手術台に載せると、とある部屋へと運び込んだ。


 前々からやりたかった悪魔の肉が脳へ及ぼす影響の実験だ。

 開いた頭に悪魔の脳の一部を埋め込み、さらに魔法陣を刻んだ金属片を埋め込む。

 この時すでに私は命令に忠実な肉人形を作る術を手にれていた。


 テト・マグリスは私の隷属物となったのだ。


 ハッとした。そうか、ここがターニングポイントだったのだ。

 テト・マグリスを開放していれば今のようなことにはならなかった。

 いや、彼とルナ・マグリスを始末していれば。


 当時の私には油断があった。


 研究が理想の道筋を辿り始め日々前進していた。

 故に貪欲にさらなる成果を求めていた。

 手に入る力と名誉と地位に目がくらんでいたのだ。


 そして、私は魔族との戦争を思いつく。


 何度か小規模の争いを起こして慣れていたのもあった。

 さらなる研究の進展には多くの死体が必要だったことも重なり、私はテトを魔族へと潜り込ませ先導するように指示をした。


 その後、すぐに先王は病死し、若き国王が即位する。


 私は非常に苛立った。この国王がなかなか言うことを聞かないのだ。

 おまけに名を改めたルナ・マグリスが重用されじりじり私の地位へと近づいていた。

 あの女は私を敵と定め主席から蹴落とす意志を明確に持っていた。


 焦りを覚えた私は研究を急ぎ、とうとう悪魔化を完成させた。


 あとは魔族でも王国でも勝った方を私が治める算段を整える。

 どっちでも良かった。私が王となり支配できれば。


 私を頂点とした私の一族だけが全てを支配するのだ。


 景色ががらりと変る。


 そこにはあのアモンがいた。

 奴が初めて我々の前に現われたあの日だ。


「貴様さえいなければ!」


 反射的に術を放つ。爆炎で謁見の間が炎に包まれ破壊された。

 だが、アモンは転がる死体や瓦礫の真ん中で平然とこちらを見ていた。


 仮面の奥から覗く目は蒼く輝いている。


 ききき、きききききき。


 どこからかあの音が聞こえた。


 どこだ!? どこから聞こえている!?


 視線を彷徨わせるが位置が分からない。


「ぶはっ!?」


 薄暗い通路で目が覚めた。

 どうやらずっと眠っていたらしい。


 ききき、ききききききき。


 通路の曲がり角の奥からあの音が聞こえていた。


 もうすぐ近くまで来ている。


 私はなんとか立ち上がろうとするが、力が入らず立ち上がれなかった。


「みぃぃいいつ、けぇぇえええたぁあああああ」

「ひぃいっ」


 曲がり角から出てきたのは、不細工な肉の塊と化したテト・マグリスだった。

 彼は右手にメスを持っていて壁を擦りながら歩いている。

 左手には大きなペンチを握り、身体の至る所に血液が乾いたような汚れが付着していた。


 がちん。ペンチで右足首を挟まれた。


「たのしぃいいいいじっけんんんのはじまりいいいいいいい」

「ゆるして! ゆるしてくれ! ひぃいいいいい!」


 ずるりずるり、引きずられる。

 これから今まで行った数多くの実験を私の身体で行われる。

 何度叫ぼうが、何度許しを懇願しようが、何度死のうが実験は終わらない。


 そして、時が来れば再びこの通路に放り出されるのだ。


 まるで逃げ惑う私を捕まえるのを楽しんでいるかのように。


 私は終わりのない地獄に絶望していた。




 ◆




 僕は台所で調理をしていたイリスに声をかける。


「ねぇ、アルベルト知らないかな?」

「ああ、ここにありますよ」


 元主席賢者であるハンス・アルベルト(肉塊)が、漬物の入っている桶の上に載せられていた。


 相変わらずビクビクしていて気持ちの悪い物体だ。

 作った人間がこういうのもアレだけど。


 でも確かに漬物石にするにはちょうどいい重量だよね。

 見た目と違って重量は変化前と同じだし。


「ほんと助かりました。ちょうどいい重しがなくて困っていたんです。ほら、魔界あっちでも重しにはコレを使ってたじゃないですか」

「そう言えばそうだったね。イリスの作る漬物は美味しいって評判だったし」

「おかげで犯罪者が『漬物小屋は嫌だ』って叫ぶんですよね」


 ふと、とあることを思い出す。

 ウチの国では刑期を終えた囚人は漬物が食べられなくなるそうだ。

 なんでも肉塊だった頃の記憶が蘇るとか。


 あの状態だと嗅覚が働いていないので分からないと思うのだが、どうもなんらかの感覚器官で漬物の臭いを覚えているらしい。実に不思議だ。


 よーし、せっかくだしアルベルトを観察しながら、どこで漬物の臭いを嗅ぎ取っているのか調べることにしよう。


 ぺちんっ。


 僕は肉体を軽く叩いた。


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