五十九話 テト・マグリス

「八魔神の一柱……だと? そんなばかな、ではこの人間界に三人の最上級悪魔クラウンデーモンがいることに……いや、それよりも桜花のイリスなど聞いたこともない。もしや私を騙そうと……しかしそれにしてはあまりにも気配が大きい……」


 アルベルトは動揺を隠しきれずイリスにどう対処するべきか迷う。

 一方でプリシアとジュスティーヌもイリスの正体に驚愕し、後ずさりをしながら距離をとっていた。


「お、お主、八魔神の一角だったのか」

「なんたること! 我が国に三人の最上級悪魔クラウンデーモンが集まるなど! ダグラス召喚といい貴様を従えているといい、アモンとは一体何者なんだ!?」

「静かに」


 イリスのたった一言で二人は喋ることができなくなった。

 経験したことのない出来事に二人はさらに動揺する。


 その様子を見ているテトは事態を飲み込めず傍観者と化していた。

 三人が姿の見えないアルベルトと、なんらかのやりとりをしていることは辛うじて認識できた。だが、ただそれだけ。見えない鎖が彼を玉座に縛り付けているようだった。


「私の知る限りでは、キュベリア国の女王は八魔神の一角・愛獄のエデーレだったはず。桜花のイリスなど初めて聞く名だ」

「ずいぶん遅れた情報をお持ちなのですね。エデーレは数十年前に私に敗れ、魔神と女王の座を私に譲っています。とは言っても国政にはほとんど干渉しないので、形だけの王位となっていますが」


 イリスが一歩近づく。

 アルベルトは冷や汗を流して一歩下がった。


「どうしましたか? 悪魔デーモンとして成り上がれる最大のチャンスですよ? 私を倒せば絶大なる力が手に入り、魔界において地位も名誉も欲しいがまま。もしかしたら史上二番目の魔界統一者にだってなれるかもしれません」

「ふ、ふはははっ、言われるまでもない! 私は史上初の人間から魔神になった賢者となるのだ!」


 彼の右手から放たれた炎がイリスを包む。

 ――が、腕を振るだけでかき消える。


「これならば!」


 氷、岩、風、雷、毒、幻覚、音、光、闇。

 アルベルトは自身が知るあるとあらゆる術をイリスにぶつけた。

 だが、それらは彼女に傷一つ付けることはない。


「はぁはぁ、こんなにも! こんなにも魔神と私の間に隔たりがあるのか!? 受け入れがたい! なんと許しがたい!」


 両膝を屈した主席賢者をイリスは冷めた目で見下ろす。


「もう終わりですか? いいんですよ好きなだけ攻撃しても?」

「……くくく、ならば魔神には魔神をぶつけるだけだ」


 立ち上がった彼はテトに近づき耳元で命令する。

 魔皇帝は感情を失ったかのように頷き「魔神ベオルフよこちらに戻れ」と声を発した。

 アルベルトは平静さを取り戻しイリスに微笑む。


「もう間もなくベオルフがここへやってくる。万が一に備えて魔神を召喚させておいて正解だったな。制約に縛られている貴様では、全力を出せるアレとは戦いにもなるまい」

「制約?」

「分かっていてあえて知らない振りをするか。召喚の制約だ。魔界から呼び出された全ての生物はその力を半減される、人間においても悪魔デーモンにおいても常識ではないか」

「ああ、そのことですか。召喚されたことがないので、こちらに来るまで知りませんでした」


 妖艶に笑う彼女は「来なさい」とテトに命令する。

 その言葉に従い、彼は玉座から立ち上がって彼女の真横で反転した。

 まるでそれはアルベルトに反旗を翻したかのような行動。


 突然の出来事にアルベルトはまたもや激しく混乱する。


「テトよ! 私が誰か分からないのか! お前を作り出した主だぞ! 貴様、私の人形に何をした!?」

「なにをそんなに慌てているのですか? どうせベオルフは来ないのですから、彼が私の方へ来たとしても何ら問題はないはず」


「……ベオルフが来ないだと?」


 彼の顔はみるみる青ざめる。

 すぐに頭を横に振り、客観的視点からありえないと結論づけて反論した。


「もしやアモンがベオルフに勝ったとでも考えているのか。馬鹿も休み休み言え、人間にしては少々やるようだが相手は魔神だぞ。それもベオルフだ。今頃どこで油を売っているのかは知らないが、すでにアモンが死んだことは揺るぎようのない事実」

「なるほど……貴方はあの場にはいなかったようですね。あれを見ればそのような考えには至らなかったでしょうから」

「なんのことだ?」


 意味深な言葉に彼はひどく不愉快な気分となった。

 眉間に深い皺を寄せ、魔神と称する女を睨み付ける。


 彼はアモンには億の一も勝ち目はないと確信していた。


 実は彼もベオルフ召喚の場に密かに居合わせていたのだ。

 その時に感じた絶大なる力に、すくみ上がるも歓喜し、この者がいるだけで王国どころか世界までも手中に収めることができると笑みをこぼした。たかが人間のアモンが敵う相手ではないと直感で悟ったのである。


「そこまで言うのなら早く連れてきてください。戦ってあげますよ」

「もう間もなくだ! 来い、ベオルフ!」


 ――十分が経過しても魔神は姿を現わさなかった。


「テト! 貴様、ちゃんと呼んだのか!」

「……呼び出しはしました。ですが返事はありませんでした」

「くそっ!」


 テトは無表情でアルベルトの問いに淡々と応える。

 ベオルフが来ないと分かると彼は頭をかきむしりいらだちを露わにする。


「もういいですか? そろそろ面倒になってきたのですが」


 イリスが双剣の柄に手をかけようとした時。

 主席賢者はテトに命令を下した。


「仕方がない! 最後の手段だ! テト、力を暴走させてこいつらを巻き添えに死ね!」

「了解しました」


 テトの身体が一気に膨れ上がる。

 服が内部からの圧力に破れ、肌色の肉塊は形を崩しながら爆発的に増殖する。

 ぶよぶよになった顔は天井に押しつけられ、人とも思えない声で涙を流しながらプリシアに語りかけた。


「おでがい゛、にげで」

「テト! いやじゃ! お前を置いて逃げるなど!」

「に゛いじゃん、を、だずげる゛んだろ゛」

「それはもういいいのじゃ! だから! だから!」


 イリスはプリシアとジュスティーヌに「退避しなさい」と命令を放つ。

 二人は強制的に身体が動かされ謁見の間から退避を開始した。


 残ったイリスとアルベルトは相対する。


「悪趣味なやり方ですね。反吐が出ます」

「褒めてもらえて光栄。魔術師というのは常に奥の手を持っているものだ。成功作とも言える彼を失うのは痛手だが、貴様を魔都ごと飲み込んでくれるなら安い代価だ」


 テトは急速に細胞分裂を繰り返し、その体積を増やし続けていた。

 エネルギーを求める肉体は次第に他の生物を求め、捕食細胞と化し、肉塊から無数の触手が伸び始めた。


 イリスは双剣で触手を細切れにして、テトを救い出す方法に思考を割く。


「そうそう、早くしないと彼は自我を失いあとは獲物を喰らうだけの獣と化す。できるだけ急いだ方がいい」

「ならば貴方が再命令しなさい! すぐにこの自爆行為を止めな――っつ!?」


 一際太い触手がイリスを弾き飛ばした。

 壁を突き破った彼女は、浮遊して体勢を立て直す。


 皇城に空いた穴から肉が漏れ出し、建物全体が悲鳴をあげるようにきしんでいた。

 彼女の脳裏では一瞬だけテトを殺すべきという言葉がよぎる。

 だがしかし、主の求めて止まない家族の一人であることを考慮すればするほど、それは愚行であると思えてしまう。なにより彼女は愛するロイに嫌われたくなかった。


「でもどうすれば……」


 内部を透視するが、すでに各内臓はばらばらにばらけ全体に散らばっている。

 あれら全てを回収した上で元に戻すのはほぼ不可能だ。


 スライムのような細胞は広がり続け、次第に城下へとその腕を伸ばしていた。

 逃げ惑う人々を触手で捕まえ飲み込んで吸収する。まるで悪夢のようだとさしものイリスも戦慄した。


「に゛い゛じゃん、だずげで、ぐる゛じいよお゛ぉ」


 城を破壊して巨大な顔が現われる。

 イリスはハッと周囲に視線を巡らせた。


 アルベルトがいない。


 どうやらどさくさに紛れて逃げたようだった。

 肉塊から数百もの触手がイリスめがけて伸びる。

 彼女はそれらを縫うようにして高速飛行しテトの身体に刃を走らせた。


「試しに斬ってみましたが効果はなさそうですね」


 傷口は即座に泡立って塞がれる。

 それどころかさらに増殖スピードは加速した。


 もはや打つ手なし、彼女はそう判断して術を構築する。


「ご主人様には申し訳ありませんが、ここで全てを消させていただきます」


 左手の剣を鞘に収め、天に掲げる。

 上空に渦を巻く冷気の嵐が創り出された。


 ――イリスは突如として動きを止める。


 こちらに猛スピードで向かってくる大きな気配を感じ取ったからだ。

 一筋の閃光が魔都の中心に衝撃波を伴って落下した。


 クレーターの中心で立ち上がったのは、両目を青藍に輝かせる青年。


 長い黒髪を風になびかせテトを見つめる。


「テトだね。僕には分かるよ。今すぐ君を助けるから」


 ロイは複雑な術式を一瞬にして完成させ、極大の魔法陣を魔都に形成する。

 その中心には今もなお人々を飲み込もうとするテトがいた。


「”肉体再構築ボディクリエイト”」


 テトは光の粒子となって消えて行く。

 完全に形を失い、粒子は渦を巻いて再び一つへと集まった。


 肉体再構築ボディクリエイトとは、今ある肉体を素材として新しい肉体に再構築する人間界では神話にしか語られない至高の魔術の一つ。

 人々は空を見上げ、目に映る幻想的で神々しい奇跡に恐怖を忘れていた。


 人の形となった光はゆっくりと地上に降り立つ。


 ロイは彼を抱き留め微笑んだ。


 その姿は幼き頃のテト・マグリス。

 大人の彼をロイは知らない故そのようになってしまった。

 ぱちりと目を覚ましたテトは、兄の姿を見つけて目を丸くする。


「……兄ちゃん?」

「ただいま、テト」


 みるみる涙が溜められ弟は兄へと抱きつく。

 嗚咽を漏らし、涙と鼻水が止めどなく流れた。


 イリスが地上に降下。


 二人を見て自分の入る余地はなさそうだと静かに見守ることに。

 ただ、その顔は満足そうに微笑んでいた。



 ◆



 これまでの経緯を聞いた僕は、頭がおかしくなるのかと思うほど怒った。

 はらわたが煮えくりかえり神経が焼き切れそうな感覚さえあった。

 正直、ここまで殺意を覚えた相手はいなかっただろう。


「入るよ?」


 ドアを開けるとベッドにはテトがいた。

 別れたあの日のままの姿で。


 こればかりはどうしようもなかった。

 テトの大人となった姿を知らなかったし、かといってイメージだけで再構築するのも問題があったのだ。

 で、結局一番記憶に強く残っているあの日の姿をそのまま創ることにした。


「なんだか世界が大きく見えるんだ」

「そうだろうね」


 ベッド横にある椅子に座りながらテトに返事をした。

 やっぱりあの頃とは違いずいぶんと大人びている。寂しいけど今の彼はもう立派な大人の男性なんだ。


「余はずっとこのままなのか?」

「もちろんちゃんと成長するさ。もし元の状態まで戻りたいなら、手元に急速成長の薬があるからそれを飲めばいい」

「それはいいな。さすがは兄ちゃんだ」


 疲れた表情の彼は覇気がなかった。

 己の全ての行動がアルベルトの手の上の出来事であると知ったのだから当然だ。

 人形と化し奴に意のままに操られ続けていた、その事実が彼をどれほど傷つけたかは僕にも分からない。


「頭の中はもう大丈夫なのか。もうアルベルトの命令を聞くことはないのだよな」

「何度も言ったけど君は魂以外の全てが再構築された。奴の削ったものや加えたものは全て元通りになったんだ」

「でも妙に力が強いのはなぜなのだ?」


 窓際に置いてあった堅い果実を手に取ると、彼は素手で半分に割ってしまう。

 半分を自分で食べて、もう半分を僕によこした。


「元になった素材の影響と僕が少し調整をしたからかな。今のテトは中級悪魔デーモン並の力を持つ人間なんだ」

「つまり今の余は以前の良いところだけを残した存在なのか」

「ありていに言えばね。でもプリシアに秘密だよ? 知ったらきっと自分も同じようにしろって五月蠅いからさ」

「あいつは絶対言うだろうな」


 クスクスと二人で笑い合う。

 懐かしい感覚だ。昔もこうやって家族のくだらない話をしていた。

 嬉しくてうっかり泣いてしまいそうだ。


 不意にテトが真剣な表情となる。


「兄ちゃんはアルベルトをどうするつもりだ」

「もちろん報いを受けさせるつもりだよ。僕の家族に手を出したのだからね。でも自分の手でケリを付けたいって言うのなら止めはしない」


 彼はふるふると首を横に振った。


「兄ちゃんに全部任せるよ。もうあの男とは関わりたくないんだ」

「その方がいい。それに今のテトはこの国の立て直しが急務だからね」

「……王国はこの国をどうするつもりなのか。それが心配だ」

「心配ないよ。それも僕が必ずどうにかするから。なにせ僕は青藍の賢者だからね」

「ありがとう兄ちゃん」


 コンコン。ドアがノックされる。

 僕は懐から仮面を出して顔に付けた。


 入ってきたのはジュスティーヌだった。

 最初は嬉しそうにしていたが、僕を見た途端に眉間に皺を寄せて不機嫌になる。

 彼女にはテトとの関係を伝えていないので未だ敵として認識されていた。


「また来ていたのかアモン。こう何度も来られては非常に迷惑だ、さっさとご帰還願おう」

「分かってるよ。それじゃあまた」


 テトは苦笑して小さく頷く。


 ドアを閉めると向こうから「今日は陛下の為に素晴らしい服をお持ちいたしました!」と興奮気味のジュスティーヌの声が聞こえる。

 するとテトが「ず、ずいぶんと可愛らしい服だな……」などとドン引きしているような返事があった。部屋を出るときにチラリと見たけど、クマさんが刺繍された服を持っていたな。確かに今のテトならよく似合いそうだ。


 魔都の静養所を出ればイリスとプリシアが待っていた。

 その背後にはフォリオとベネディクトの姿も。


「これより王都に帰還する。アルベルトを追い詰めるぞ」


 四人は揃って笑みを浮かべた。


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