五十八話 賢者という名の獣

 いくつもの巨大な水柱が上がる。

 僕は海面をバウンドしつつ体勢を立て直し、目の前で繰り出される激烈な蹴りを腕でガードした。

 衝撃が突き抜け身体はさらに加速。

 島の火山へと高速落下した。


「ふひ、なんだか楽しくなってきたかも」

「そうだ。戻るがいい。あの頃の貴様と我は戦いたいのだ」


 岩を押し退けて這い出る。

 すぐ近くの空ではベオルフが見下ろしていた。


「僕は人間だ。悪魔デーモンじゃない」

「かかかっ、いくら否定しようが貴様はもう悪魔デーモンだ。悪魔デーモンの肉を喰らいその魂までも啜った悪魔喰らいデーモンイーターだ」

「…………」


 封じていた力がどんどん僕の肉体を強化する。

 やっとここまで人の範囲内に戻ってきたところなのに。彼が現われたせいで長い年月が徒労となった。

 また戻るまで十年以上はかかる。いや、今度は二十年かかるかもしれない。


「懐かしいな、貴様と出会った時のこと。たかが雑魚だと侮った我は手痛い一発をもらった。気が付けば大国の主となり、今や貴様を中心に魔界は回っている。よもやここまでの大物だったとはな、くかかか」

「ずいぶん古い話をするんだね。それに僕はもうエターニアの国王でもなければ魔界の賢者でもない。ただのロイ・マグリスだ」


 服の土埃を払い口に溜まった血を吐き出す。

 ベオルフは地上に静かに降り立ち後光を強めた。


「もう一度だけ言う。我の配下になれ。貴様は我の元にあるのが最もふさわしいのだ。そして、魔界統一に助力せよ」

「君は相変わらず変な奴だよね、戦いたいって言う割には配下にしたがるし」

「人間で言うところのコレクションだ。勝利した相手をいつでも眺められるように配下にする。だが、その為には我が身で存分に力を味わいねじ伏せねばならん」

「あー、前にもそんなこと言ってたね」


 どれほど前だったか忘れたけど、その時も同じような会話を交わした覚えがある。

 結局分かったことは相容れないってことだけ。


 ありていに言えば僕らは殺し合う運命だったということ。


「答えはいかに?」

「断る」

「かかかっ、だろうな」


 今さらだ。僕と彼の理想は真逆、魔界で絶対覇者になりたい彼と弱者救済を目的に国を作った僕とでは見ている方向がまったく正反対。最初から答えなんて分かりきっている。


 ……とは言え彼の気持ちも分からなくもない。


 なんだかんだありつつ長い付き合いだ。これでもう最後だと思うと色々言葉を交わしておきたい気にもなる。

 だからこそこうなったことには残念に思う。


「一応聞くけど退く気はないのかな」

「無論だ。史上二番目の魔界統一を成し遂げ、我は歴史に覇者として名を刻む。その為には貴様と貴様の仲間が邪魔だ。そしてなにより、これほどの絶好の機会を逃すほど我は我慢強くないのだ」

「じゃあやるしかないね」

「そうだ。我と本気で殺し合え」


 己で押しとどめていた内圧を解放する。

 内側から膨大な魔力と力の奔流が全身に駆け巡り、骨格から全てを瞬時に創り変えた。

 身長は最も漲っていた青年期ほどにまで伸び、短かった黒髪も足下まで長くなる。

 背後には輪っかが出現、漆黒の後光がベオルフを照らした。

 両目が青藍に輝き肉体からは黒きオーラが漂う。


 これこそが僕の悪魔形態デーモンフォーム


「くひ、くひひひひっ、くひゃひゃひゃひゃっ!!」

「待ちわびたぞ! その姿、その力! さぁ、我を満足させ――っご!?」


 ベオルフの腹部に強烈なのを一発ぶちこむ。

 奴は面白いほど綺麗に飛んで行き、遙か先の島に直撃した。


 本気で振るう力にゾクゾクする。


 いつぶりだ。こんなに気持ち良いのは。

 いつも自分を押し殺して、我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢し続けていた。

 殺さず、血を啜らず、魂を喰らわず、善人のような顔をする。


 それがどれほどにとって過酷か。


 島から数万の音速の爆矢が放たれる。

 俺は同数の氷結の矢で相殺。

 すかさず雷撃の槍を投擲した。


 空中で向こうの放った炎の槍と雷撃の槍が衝突。大爆発を起こす。


「青藍!」

「ぐがぁ!」


 刹那に爆炎を吹き飛ばして拳と拳がぶつかり合った。

 みしみしとせめぎ合い拮抗する。


「かかかかかっ! ここまで力を増やしていたか青藍よ!」

「誰にもの言ってんだ赤髪」


 ほんの少し力を緩めて奴の腕をこちらに引き込む。

 腕を掴んで身体を内側へ潜り込ませ、真下へと投げた。


 すかさず構築した小さな光の球体、『滅炎メギド』を落下しているベオルフへと撃ち放つ。


 直後に海中で衝撃が広がり、極大の水柱と共にキノコ雲が立ち昇った。

 もうもうと漂う大量の白煙と摩擦で起きる静電気。

 その中から火傷を負った奴がびしょ濡れでゆらりと出てくる。


「さすがは貴様の専売特許とうたわれる滅炎メギドか。この我に魔術で傷を負わすとは」

「降参するなんて言うなよ」

「誰がそんなこと! まだまだ楽しませてもらうぞ!」

 

 奴との戦いは継続する。



 ◇



 一ヶ月が過ぎた。

 戦いの場は月に移り今もなお拳を交し続ける。


 どちらも青い血液を流し傷のない場所などなかった。


 奴の拳が俺の顔面を殴れば、お返しとばかりに頭突きを食らわし、奴が足を踏めば、すぐさま足を踏み返す。


「……かかか、どちらも満身創痍だな」

「俺はまだまだやれる」

「強がりを。膝が笑っておるわ」

「ふん」


 ベオルフの言う通りそろそろ限界が近い。

 お互いに魔力抵抗値が高すぎる為、一撃必殺の魔術は通用しない。かといって殴り合っても再生能力が高い為に仕留めるには時間が短すぎる。


 結局、同程度の実力を有した魔神が勝敗を決するのは精神力と体力の差だ。


「ふんぐっ!」

「うがぁ!」


 間合いを詰めて激しく殴り合う。

 ダメージが体内に蓄積して意識を朦朧とさせた。


 苦しい。この戦いを早く終わらせたい。

 けれど同時に快感が広がり本能が強制的に戦いを継続させる。

 勝手に右手が出て顔面を殴る。すると俺の視界も揺れた。


 なんで戦っているのかも分からなくなる。


 思考は真っ白になり、遠く離れた場所から映像を見ているようなそんな感覚。


 負けるかもしれない。

 不意に脳裏によぎった。




 『兄ちゃん、助けて』




 テトの声が聞こえる。

 弟が助けを呼んでいる。


 急速に意識がはっきりとした。


「うがぁぁぁっ!!」


 ふらつくベオルフに俺は連撃を繰り出す。

 月の大地を踏みしめ山を砕くほどの力を込めて殴り続ける。


「――ごぶっ」


 血液を吐き出した奴はふらふらしていた。

 俺は渾身の力を込めて打ち放つ。


 奥義・魔天崩撃。


 右の拳がベオルフの腹部にめり込んだ。

 力は駆け巡り内部から破壊する。


 びし、びしびし。


 奴の背後にあった後光を放っていた輪っかが砕け散る。

 そして、膝から崩れるように仰向けに倒れた。


「お前の魂……いただく……」


 首筋に牙を立てて噛みついた。

 ベオルフの魂と今までため込んできた膨大なエネルギーが俺の中に流れ込む。

 そう、俺はこうやって魔界を生き延びてきた。


 肉を喰らい、血を啜り、魂を喰らい、浅ましく醜く生き続けてきたのだ。


 賢者など大層なものではない。

 人間に戻って兄弟と暮らしたいだけの迷える愚者だ。


「あは、あははははは! くひゃひゃひゃひゃ!」


 魂を吸収した俺はまたさらに強くなったことを実感した。



 ◆



 ロイがベオルフと戦闘を始めた頃。

 ガルビア将軍率いる王国軍は西方へと歩を進めていた。


 その間に魔族はゲリラ戦を展開、何度も足止めをしようとするも、イリスとダグラスとプリシア達によってあっけなく敗走。


 一ヶ月の期間を経て、王国軍は魔皇帝の御座する魔都ヘウグストへと到着した。


 王国軍は目と鼻の先で陣地を形成、魔族側も籠城戦で抵抗の構えを見せた。

 両軍は数日のにらみ合いの末に激突。結果は言わずと知れた王国軍の勝利に終わる。


 魔都の入り口は開かれ王国はこれを制圧。


 バロニア魔帝国とグランメルン王国との戦いはようやく終局を迎えたのだ。






「残すは皇城のみか」

「はい、未だ魔皇帝が立てこもっているとの報告があります」


 プリシアは将軍と顔をつきあわせていた。

 本来ならすでに魔皇帝を捕縛していなければならない。しかしながら相手は強力な魔術で徹底攻勢の構え。プリシアも将軍もどうするべきか頭を悩ませていた。


「何を困っている。さっさと俺やそこの女に命令して突っ込めばよいではないか」

「そうなのじゃが……無理に押し入って自殺でもされたら大問題じゃ」

「姉弟だからか?」

「それもある。が、アタシが気にしておるのは魔皇帝が死ぬことで魔族が再び抵抗を始めることじゃ。できれば生きたまま捕らえたいのじゃ」


 ダグラスは顎を撫でて「なるほど」と返事した。

 イリスは言葉を発さずじっと腕を組んでいる。


「聞いておるのか?」

「え? ああ、はい聞いてましたよ」


 プリシアの言葉にイリスは慌てて応じる。

 一ヶ月前からずっとこの調子で困ったものじゃ、プリシアはそう思いつつ妙案はないかと彼女に尋ねる。


「ではこちらから話し合いを申し出ましょう。代表者はプリシアでどうでしょうか」

「説得するつもりか? だがしかし、すでに試みて断られておるのじゃが……」

「それは将軍などを交えた降伏を迫るものですよね。これはそれとは違い、姉弟による姉弟の話し合いです。出向くのも私とプリシアのみ」

「姉弟の話し合い……」


 顔を伏せたプリシアはそれが可能なのか思考を巡らす。

 不本意とは言え袂を分かち数十年、一度だけ手紙が送られてきただけで音沙汰もなかった相手。彼女はひどく迷っていた。


 会って後悔しないか、その言葉が脳裏をよぎっていた。


「ロイ・マグリスが何のために戻ってきたのかを思い出しなさい。泥を啜ってでも這い上がりこの人間の世界に戻ってきた理由を。私にとって貴方の迷いや後悔などどうでもいいのです。あの方が満足する結果だけを求めている」

「お兄ちゃんの……そうじゃな。お主の言う通りかもしれん」


 プリシアは立ち上がった。





 イリスとプリシアは重厚な扉の前で足を止めた。


 この先は魔皇帝が立てこもっている謁見の間。

 プリシアは何度も右手で扉を叩こうとして寸前で止める。


「いい加減扉を叩いてもらえませんか?」

「そうなのじゃが……怖いのじゃ」


 怯えた表情をする少女にイリスは内心で溜め息を吐く。

 ご主人様が今も命を賭けて戦っているというのに、この程度のことで怖じ気づくロリババアを今すぐ絞め殺したい。と思いつつも彼女は言葉には出さない。

 こうなるのはなんとなく予想していたことだからだ。


 イリスは彼女の代わりに扉を二回ノックした。


「……誰だ」

「王国の者です」

「陛下は貴様らの降伏には応じない! 今すぐ帰れ!」

「今回はそう言ったお話をしに来たのではありません。魔皇帝の姉である賢者プリシアとその付き添いが家族に会いに来ただけです」

「陛下の姉上だと!? 少し待っていろ!」


 ジュステーヌらしき声の主は扉の向こうで走る。

 しばらくして返事があった。


「会うとおっしゃられている。ただし中に入れるのは二名だけだ」

「構いません。もとよりそのつもりでしたから」


 ギギギギ、扉が少しだけ開かれ二人は踏み入る。


 青い炎が灯る薄暗い部屋。

 扉の近くにはジュスティーヌが控え、最奥の玉座には魔皇帝が足を組んで二人を眺めていた。


「テト……なのか?」

「久しいなルナ」


 ふらふらと近づくプリシアをイリスは肩を掴んで止めた。

 彼女は魔皇帝の背後に別の気配を感じ取ったからだ。


「そこにいるのは誰ですか。出てきなさい」

「なにを言って――!?」


 ジュスティーヌの言葉は半ばで途切れた。

 いるはずのない玉座の裏側から一人の男が現われたのだ。


 歳は二十代ほど。金の長髪に端正な顔立ちをしており、その両眼は閉じられていた。

 その指には賢人の証である指輪が炎に照らされて光を反射する。


「アルベルトじゃと? なぜここに?」

「なぜとは心外だな。彼を造り上げたのは私なのだからここにいるのは当然」

「造り上げたじゃと」

「誰と話をしている?」


 テトはアルベルトが見えていないようで、プリシア達の視線の先を何度も確認する。

 それどころかアルベルトが彼の肩に手を置いても認識できない様子だった。


「私はかつて前国王陛下と共同の研究をしていた。テーマは悪魔デーモンの血肉で人間は不老不死になることが可能なのかだ。あいにく前国王は病で先に旅立たれてしまったがね」

「貴様、テトになにをしたのじゃ!」

「大したことはしていない。少し悪魔デーモンの肉を入れて、頭の中をイジっただけだ。そのおかげで彼は私を認識できないばかりか忠実に命令を聞くようになった」

「アルベルト貴様!」


 杖を構えようとした刹那、アルベルトの杖から雷撃が走った。

 プリシアは杖を落とし片膝を突く。


「瞬間行使じゃと!? まさか自身の身体に!??」

「いかにも、今の私は限りなく悪魔デーモンに近い存在だ。いや、すでにそうなったと言うべきだろうか。前国王陛下には不老不死と言っていたが、実のところこの研究は私がさらなる高みに昇る為のものだったのだ」


 アルベルトはゆっくりと両目を開く。

 その瞳はうっすらとだが朱く輝いていた。


「私はテトに魔帝国をけしかけ王国に宣戦布告させるように命令をしていた。正直どっちが勝っても負けても興味はなかった。負けた方から大量の実験材料を手に入れるだけだったからな。だが、研究が成功したことでその必要ももうなくなった」

「外道め! テトを、アタシの弟を返せ!」

「欲しいなら返してやる。どうせもうあと何年も生きられない身体だろうからな。それよりも私はこの新しい力を一刻も早く試してみたい。貴様達はその実験台だ」


 彼は杖を放り捨て一瞬にして両手に炎を創り出す。

 その姿にイリスはくすっと笑った。


「何がおかしい。アモンの使役悪魔よ」

「あまりにも脆弱な力を誇らしげにしているので、ついおかしくなってしまいました」

「この私の力が脆弱だと? 上級悪魔にも手が届こうとしている私を?」

「なるほど。ずいぶんと悪魔デーモンや人間を切り刻んだみたいですね。その執念には感心しました」


 イリスは仮面と耳に付けていたピアスを外して投げ捨てた。

 次の瞬間、彼女からすさまじい気配が噴き出す。


 アルベルトは驚愕と恐怖に後ずさりした。


「自己紹介がまだでしたね。私は八魔神の一柱・桜花のイリス。キュベリア国の女王にして青藍の賢者の忠実なる臣下です」


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