五十七話 九人目の魔神
エルメダス奪還から六ヶ月後、王国は行軍を開始した。
大森林を横断する石の道、兵士達は一日にして創り出された建造物に驚嘆と畏怖を込めて『アモンの道』と名付けた。
「まことにすごいの一言に尽きるのじゃ。お兄ちゃんは一体どれほどの魔力を有しておるのか。今では知るのが怖いくらいじゃ」
「それだけ世界は広いということですぞ。この場合魔界と言った方がいいかもしれませぬが」
「アモン様がプリシア殿の兄上だったトハ。ワタシにもこのような素晴らしい兄がいればきっとここまでひねくれた性格にはならなかったでしょうナ。羨ましイ」
僕に付いてくる三人は物見遊山気分だ。
のんびり歩きながらクッキーを食べている。
セレーナが道中でお食べくださいとくれたのだが、三人が「毒味をしなければ」と言い出して結局僕には一枚も渡されない。
ちなみにイリスも数枚食べているのに「毒がありますね」と言ってよこすことはなかった。この場合僕は味を知らないままセレーナに感想を言わないといけないのだろうか。
「しかし、こうずっと変らない景色を見ていると飽きるな」
「しょうがないよ。通り抜けるだけの場所だからね」
ダグラスは酒を飲みながらつまらなさそうな表情だ。
実際ここは石の通路がまっすぐ続くだけで、面白いものなんて一切ない。
せいぜい壁の外から鳥や獣の鳴き声が聞こえてくる程度だ。
「だらだら歩くのが嫌なら先に現地でのんびりしてていいよ」
「ふむ、それか壁の上を歩いて行くか」
彼は軽く跳躍して壁の上に立つ。
と思ったらさらに跳躍して道の外へと出てしまった。
暇つぶしに大森林を突っ切ることにでもしたのだろう。
「八魔神と言うからどれほど恐ろしい者かと思っていたが、なんというかとりとめのない無邪気な自由人じゃな」
「彼は昔からあんな感じだよ。だいたい八魔神なんて大半は戦い続けていたらそうなってたって人達ばかりだから。なりたくてなったんじゃないんだよね」
「もしやお兄ちゃんはダグラス殿以外の魔神も知り合いなのか?」
「まぁね。一応全ての魔神と面識はあるよ」
僕の言葉にプリシアだけでなく、フィリオにベネディクトも目を輝かせる。
やっぱり三人とも魔術師なんだな。新しい知識には敏感だ。
でも面識はあると言ってもその関係性は様々。
敵対している者もいれば親交がある者もいるし、そりが合わないからと関わりを断っている者もいる。魔界は常に争いの渦が巻き、絶妙なバランスで成り立っている場所なのである。
僕も成り上がるにはずいぶんと苦労したものだ。
「不思議なのは、それだけ有名なのに八魔神に入っていないことなのじゃ。やはりお兄ちゃんと言えど人の身で最上位に入るのは不可能だったのか」
「……そうだね。なんせ魔界の最高位だからね」
そう返事をしたところでイリスがじーっと見ていることに気が付く。
なんでそんな顔をするんだ、だって事実じゃないか。
実際、僕は八魔神に入っていないんだから。
それと妹たちに余計なことは言って欲しくないから。
目で返事を返すと、イリスは『分かりました』と肩をすくめる。
僕は人間界で穏やかに暮らしたいんだ。
◇
山脈の麓へと到着した僕らを待っていたのは、瓦礫の上で酒を飲むダグラスだった。
砦らしき場所だったのだろうが、彼の豪腕によって完膚なきまでに粉砕され、その周囲の森さえもすっかり更地と化していた。
「手間を省いておいたぞ。好きなだけ前線基地とやらを建てるがいい」
「お礼は美味しい食事と酒かな」
「ふはははっ、さすがは我が友。よく分かっているな」
軍は運んできた建築資材を山積みにして、今日はひとまず休息をとることに。
山脈を越えるのは予定では一ヶ月後だ。それまでは山越えの準備を淡々とこなす日々が続くことだろう。
フォリオとベネディクトが食事の準備を始め、プリシアは兵士の手を借りてテント作りだ。
その間に僕とイリスとダグラスは瓦礫の上で話し合いをしていた。
「気が付いているか?」
「うん、これは魔神の気配だね」
「魔族が誰かを呼び出したと言うことでしょうか」
西から漂う大きな気配。
このじっとりと絡みつく感じは覚えがあった。
「間違いなくベオルフだね。しかも首輪の付いていない」
「例の奪われた禁書ですか」
「恐らくは。マズい状況になった」
「あいつがしゃしゃり出てくるとは、よほどお前をたたきのめしたいようだな」
ベオルフとは浅からぬ因縁がある。
彼の国と僕の国が比較的近い位置にあることも関係して、度々顔を合わしては小競り合いのようなことを続けてきたのだ。で、勝敗は付かずいつもうやむやになっていた。
僕はともかくベオルフは気の短い極端な男だ。
勝負事は勝つか負けるかの二択しかなく、必ず狙いを定めた相手とはきっちり白黒付けると決めている。
虎のようで蛇のような男なのである。
「三対一なら余裕を持って勝てると思いますが、ご主人様のことですからそうはなさらないのでしょうね」
「まぁね、最強の個である魔神は一対一を唯一のルールにしているくらいだし。それを新参者の僕が破るわけにはいかない」
「律儀な奴だな。ルールとは言っても破ったところで罰則などはないのだぞ」
「でも他の魔神はいい顔しないよね」
こちらに戻ってきたとは言え、エターニアの元国王という地位は継続している。
僕の行いは即エターニアに向けられるのだ。そう考えれば下手なことはできない。
それにいつか彼とは決着を付けないといけないと思っていたんだ。
「向こうもすぐに仕掛けてくる感じはないな。時期を見計らっているのだろうか」
「この山脈の向こうにある大湿原で迎え撃つ算段でしょう」
「仮にベオルフはそうだとしても、敵軍は山脈を越える間に必ず仕掛けてくる。ここで食い止めないとあとは障害らしい障害はほとんどないんだ」
敵の本陣である魔都ヘウグストは、ここからそう遠くない距離にある。
すでに向こうは背中に火の付いた状態、勝つためならどんな手段だって使ってくるはず。
戦いとは勝利目前が一番怖いのだから。
◇
前線基地が完成し、一部の部隊を残して行軍が再開された。
すでに山脈を通り抜けるルートは確保されているので、ただただ雪の降り積もった山道を登るだけである。
「仕掛けてくるならそろそろじゃな」
「儂もかつては賢者と呼ばれた者、師匠にばかり頼っていては名折れですぞ」
「タリスマンを失ったとは言え、ワタシの魔術はいささかも衰えてはいナイ。魔族共に見せてやろうベネディクトが健在だト」
メキメキメキ、ドガァ。突如として雪崩が発生する。
しかしプリシアの行使した術は、瞬く間に時を止めたように雪崩を固めてしまう。
進行方向では待ち伏せしていた敵兵が弓と魔術で攻撃、それをベネディクトが光の剣で狙い撃ちして数秒で壊滅。
後方から襲撃をした敵兵は、フォリオが創り出した障壁によって完全に阻まれてしまった。
今さらだけど賢者クラスが三人も揃うとやはり強い。
敵軍は奇襲が失敗したと分かると即座に撤退、最小限の犠牲に留めた。
すると直後に山道が爆発、多数の兵士達は巻き込まれて負傷する。
奇襲は囮で本命は仕込んだ罠だったようだ。
「少しでも進行を遅らせるつもりらしいね。おまけに揺さぶりをかけて戦意を低下させるつもりらしい」
「うむ、参謀が変ったのかいやらしい手を使うのじゃ」
だが、こんな手が通用する僕らではない。
ダグラスを先行させて罠を残らず発動させることで排除する。
彼の場合ちょっとやそっとじゃ傷なんてつかないからね。
無事に山脈を越えた先には大湿原が広がっていた。
けれど敵軍の姿は見えない。
いるのは二人の男女だ。
僕は将軍に距離をとるように指示を出し、イリスとダグラスだけで接触することにした。
どちらも見覚えがあったからだ。
「ベオルフと……ジュ、ジュテーム?」
「ジュスティーヌだ! 敵の名前くらい覚えろ!」
ジュスティーヌに怒鳴られる。
申し訳ない。興味のない相手の名前を覚えるのは苦手なんだ。
一方のベオルフは悠然と構え言葉を発しない。
やるべきことはすでに決まっているといった様だ。
「ベオルフ、ようやく決着の時が来たようだね」
「おお、雌雄を決する時だ。もはや戯れ言は不要、力を解き放て青藍の賢者――」
彼は一拍おいて言葉を発した。
「いや、九人目の魔神よ」
僕は仮面とネックレスを外す。
すると両目が青藍に輝きベオルフと僕の気配がぶつかり合った。
それだけで突風が発生し、上空にどんよりとした雨雲が立ちこめる。放出する魔力同士が擦れ合って静電気が走る。のしかかる重苦しい空気にジュステイーヌは冷や汗をかいて片膝を突き、王国軍に至ってはバタバタと気絶していった。
「じ、次元が違う……
「そこの貴方、ここにいると巻き添えを食って死にますよ?」
「くっ、言われなくとも分かっている! 頼みましたベオルフ殿!」
ジュステーヌはベオルフをこの場に残して退避する。
これで多少は被害を抑えられるかな。王国軍もイリスとダグラスが守ってくれるだろうし、僕が本気で戦っても犠牲者はほとんど出ないはず。
僕は杖とマントを
それだけでベオルフは口角を鋭く上げる。
「本気みたいだな。我は嬉しいぞ」
「ここまで来てもらったんだ。きっちり死んでいってもらわないと申し訳ないよ」
「かかかかっ、相変わらず減らず口をたたく」
魔闘術を発動、赤いオーラがこの身を纏う。
ベオルフも両手の手錠を解いて身軽な状態となった。
八魔神は強くなりすぎた故に、誰もがその力を封じる抑制装置のようなものを付けている。
そうでなくてはうっかり自国を滅ぼしかねないからだ。
力の象徴にして最強の個、極地に至った戦士こそが魔神なのだ。
「ふっ!」
「だっ!」
前触れもなく拳をぶつけ合った。
それだけで衝撃波が半球状に広がる。
「うらららららっ!」
「だだだだだだっ!」
至近距離で乱打を繰り出した。
打撃音は爆音にも似た響きとなり、拳と拳がぶつかり合う度に大湿原全体が振動する。発生する強風に木々はへし折れ、草花ごと土がめくれて吹き飛んだ。
「どっせい!」
「っつ!?」
刹那、ベオルフの回し蹴りが脇腹にめり込む。
蹴り飛ばされた僕は勢いを殺しきれず、山脈の中腹辺りに勢いよくめり込んだ。
技のキレが以前よりも上がってる。これは手こずりそうだ。
「どりゃぁっ!!」
音速で突貫してきた奴は拳を繰り出し打ち込む。
僕は咄嗟に腕を交差してガード、そのまま山を貫き大森林へと僕は猛烈な速度で落下する。
「もう一発!」
「魔闘術二式」
赤いオーラが紫色に変り、奴の拳を寸前で躱す。
大地に振り下ろされた打撃は巨大なクレーターを作り出し、大森林の地面に蜘蛛の巣状の大きな亀裂を生んだ。
がら空きの奴の腹部を思いっきり足をめり込ませ、遙か上空へと蹴り上げた。
「”
無数のビーム光線がベオルフに向かって放射される。
その光景は地上から天へと流れる流星のようだ。
上空で雲を吹き飛ばす連鎖爆発が発生した。
「かかかっ、この程度! ”
百メートル級の巨石が爆炎を突き破って、猛スピードでこちらへと向かってきていた。
どうせ岩陰にいるんだろ。だったら直接受け止める訳にはいかない。
僕は後方に高速飛翔しながら、風の魔術で巨石を粉みじんに切り刻む。
案の定、岩陰から姿を見せたベオルフは僕を追いかけた。
このままもっと離れた人気のない場所にまで誘導する。
「この辺りでいいかな」
大陸を出たところで再び戦闘を再開する。
拳を打ち合わせその度にどちらかが海の上をバウンドして水柱をあげた。
拳は鳩尾にめり込み、蹴りは骨をきしませ、至近距離で魔術を放つ。
「”
胸に添えた手から魔術を放った。
ベオルフは紫炎に包まれて小島に垂直落下する。
轟音が響き土煙が立ち昇った。
僕は島の浜辺に降り立ち背伸びをする。
それから屈伸運動をして軽く身体の状態を確認。
まだダメージはそれほどでもない。
筋肉もちょうどほぐれてきたし調子が良いくらいだ。
「かかかっ! 準備運動はこれくらいでいいだろう青藍!」
木々をなぎ倒して無傷のベオルフが姿を現わした。
「そうだね。そろそろ本気でやろうか」
「待っていたぞこの瞬間を!」
気配がより強大となり、空気が極度に張り詰める。
奴の身体がメキメキと変化、腕は二対となり、背中には輪っかが出現し後光が輝く。
額には第三の目が開き、腕や足などには紅い外骨格が覆った。
ベオルフは
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