五十六話 八魔神ベオルフ

 僕は正座してイリスとプリシアに睨まれていた。

 後ろには同様に正座するフォリオとベネディクト。


「では正体をバラされたどころか女の子にしてしまったと?」

「う、うん……」

「師匠は悪くないのですぞ! 全ては儂が!」

「貴方は黙っていなさい」

「はい!」


 すすっ、フォリオはあっさりと下がる。


「私に王国への忠誠心など皆無ですが、さすがにこれは問題ありと思います。国王より身柄を預かった重罪者に正体を明かすばかりか女にしてしまうなんて。これはご主人様の監督不行届きです」

「なによりアタシはこの者がビルフォリオだったことに驚いておる。どうして言ってくれなかったのじゃ。すぐに始末したものを」

「だからだよ」「だからです」


 僕とイリスの声が重なる。

 ベネディクトがどうして女の子になったのかを説明するには、ビルフォリオの辺りから話をしなくてはいけなかった。結果的にプリシアにフィリオの正体もばれることとなったのだ。


「まぁよい、以前はともかく今は幾分扱いやすくなったのじゃ。昔のことは大目に見てやるとしよう」

「ありがたきお言葉ですぞ」


 ははぁとフィリオは土下座する。

 一体この二人の間で何があったのか気になる。


 さて、それよりも問題はベネディクトの方だ。


 実はフィリオは性転換薬――TS薬の解除薬を作成していないのである。

 本人曰く、性転換することばかりを考えていて元に戻ることを考えていなかったと。つまり確実に数ヶ月から数年はベネディクトはこのままだ。


「ワタシはこのままでもよいデス。偉大なる賢者アモン様――いえ、ロイ様にお仕えできることは至上の喜ビ。それにアルベルトの眼を誤魔化すにもこれほど好都合なことはないデス」


 長い黒髪に眼帯を付けた少女がうんうんと頷く。


 年は十五ほどでぶかぶかの紺色のローブを引きずっている。

 ちなみに眼帯は飾りで、その下にはちゃんと眼があったりする。

 このままの方がカッコいいからと理由で今も付けているのだ。


 すっかり変ってしまったベネディクトに、プリシアは怒る気力も失せてしまったのか、現実を受け止めるので必死なのか何も発することはなかった。

 たぶん呆れて文句を言う気も失せたのが本当のところだろう。


「それほどまでにご心配なら、契約の紋様を刻んでくださっても構いませぬデス」

「おお、それは名案ですぞ! ぜひ師匠の紋様を儂の身体に刻みつけてくだされ!」


 契約の紋様とは、互いに決めた条件の中で主従関係を結ぶ言わば人と人の使役契約。

 効力はせいぜい一年程度で、条件を破れば死をも覚悟するほどの激痛に襲われるとか。基本的には奴隷などに使用する術ではあるが、王国では奴隷制度を撤廃したこともあって現在では表立っての使用は禁じられている。

 もちろん貴族の間では今でも使われている術ではあるが。


 イリスもその辺りが妥協点だと考えたらしく納得した様子だった。


「条件は二つ、我々の正体を口外しないことと裏切り行為を行わないこと。これを誓えるなら引き続き師事することを認めます」

「もし破ればどうなるのですぞ?」

「死あるのみ」


 がたがた二人が震え始める。

 激痛だけで終わらないことを知って恐怖に青ざめていた。


「なんですか、貴方方の忠誠心とはその程度なのですか。だとすれば我々に関わる記憶を一切消去して――」

「やりますぞ!」「やるデス!」


 覚悟が決まったのか二人は勢い立ち上がった。

 イリスは「……のようですが、どうしますかご主人様」と笑みを浮かべる。こうなった以上何らかの措置をとるのは当然だ。むしろこの程度で済んだのは幸いと言うべきか。

 フォリオがそれだけ彼女から信用を得た証拠でもある。


 僕は二人の背後に回り、うなじの辺りに特殊なインクを付けた筆で紋様を描く。

 そこからさらに術を構築して紋様に込めれば完成だ。


「こ、これで儂の全ては師匠のものですぞ。これだけで一ヶ月はオカズいらずですな」

「ふはははは、これでワタシはさらなる高みに至るのダ。今までの名声など所詮は踏み台に過ぎなかっタ。全ては師匠にお会いし、この身を差し出すための序章だったということカ」


 キャキャッと喜ぶ二人を見ていると、なんでこうなったのだろうと思わずにはいられない。地位も名誉も手に入れた賢者が子供のようにはしゃいでいる姿は妙な気分にさせる。

 しかも奴隷のような地位に転落したというのに。


 ところでフォリオさん、オカズってなんのオカズかな?



 ◆



 青い炎が照らす謁見の間。


 玉座に座る黒いマントを羽織った黒い長髪の若い男性。

 頬杖を突いて無表情で睥睨していた。


「もう一度言ってみよ」

「は、はい。我が軍は王国軍に敗退、バナジャとエルメダスのどちらも放棄いたしました」

「なぜ負けたのだ。総合的な力では上回っていたはずだぞ」

「敵に恐ろしく強力な魔術師がいたと報告を受けております」


 魔皇帝テト・デ・バロニアは立ち上がって身をかがめる将軍に歩み寄る。

 彼は将軍の首を掴むと軽々と持ち上げた。


「敵の名は? 役職は? 称号は?」

「あぐっ……アモンという……最近賢者になった者……です」

「アモン?」


 どさっ、将軍は床に落とされる。

 魔皇帝は傍に控えるジュスティーヌに視線を向けた。


「アモンとはお前と相対した者だったか」

「はっ、尋常ではない術を次々と繰り出す仮面を付けた傑物です」

「謎の賢者か。興味深い」

「いかがいたしましょうか」

「そうだな……このまま奴らがエルメダスの奪還にとどまるだけとはとても思えぬ。時期を見てここへ攻勢をかけてくると考えるのが妥当か」


 玉座に再び座る魔皇帝。

 将軍は頭を垂れながら必死で次の機会を与えてもらえるよう願い出る。


「もう一度! もう一度だけ私めに汚名をそそぐ機会を! 次は必ず!」

「では聞くが、アモンとやらを無力化する策がお前にあるのか?」

「それは……」

「もうよい、この者を牢へ」

「陛下! どうかもう一度だけ、陛下!!」


 将軍は兵士に拘束され、謁見の間より引きずり出された。

 ジュスティーヌは哀れみを含んだ眼で将軍が消えた先を見つめる。


「よろしかったのですか? 彼は人望の厚い忠臣でしたが?」

「だからこその罰だ。しかるべき刑を終えればまた指揮官に据えるつもりだ」

「なら安心いたしました」


 頭を垂れるジュスティーヌに彼は目を細めた。

 目の前の女も将軍同様に敗戦を喫した者、ただ彼女は戦時には欠かせない高度な権謀を用いる者故、謹慎にのみにとどめていた。

 

「どうにかアモンをこちらに引き込めないか?」

「それは難しいかと。何分あの者の情報が少なすぎます。弱点が分からなければ誘惑のしようもありません」

「ふむ、それもそうか。しかし余の知らない実力者がまだ王国にいたとはな。さすがはアルベルトが支配している国と言うべきか」


 魔皇帝は意味深な言葉を呟き歯がみする。

 彼は表情を緩め、懐から一冊の古びた本を取り出した。


 それを見たジュスティーヌは険しい顔となる。


「本当に解き放つおつもりですか」

「今の王国に対抗するならこの方法しかない。すでに使役悪魔を通じて交渉を重ね許諾も得ている。呼び出すなら今しかない」

「ですがもし向こうが約束を違えたら……」

「ならば貴様は王国に降伏するか? 人を人とも思わぬ残酷な奴隷人生が待っていたとしても? 余が何のために王国から放たれたか知らぬ訳ではあるまい」


 ジュステーヌはぶるりと身体を震わせた。


 かつてこの魔帝国で一人の人間が掴まった。

 名はテト・マグリス。王国の賢者の一人。


 彼は死を恐れず、前魔皇帝の前でも堂々とした態度で処刑を望んだ。


 なぜそうまでして死を望むと問うた前魔皇帝は、彼の国王より受けた命令と、賢者アルベルトにされた所業を聞いて怒り狂った。


 当時のグランメルン国王は彼に『奴隷にするに適した国かどうか調べよ』との命を与えていたのだ。


 前魔皇帝はテト・マグリスの持つ情報と力に注目し、なによりその王国への怒りをたいそう気に入った。ひどく同情していたと言ってもいいだろう。

 魔皇帝は彼を重用し、彼もこれに応えいつしか懐刀とまで呼ばれるようになった。

 そして、魔皇帝は彼を養子に迎え入れ、後継者として指名した。


 その頃には王国が魔族を狙っていることは魔帝国において公然の事実と化していた。


 王国は魔帝国を蹂躙し、植民地化しようと目論んでいる。

 この事実に魔族の誰もが恐怖を抱き先祖の受けた悲劇を思い出すに至った。

 テト・デ・バロニアは国民に声高々と宣言した。


 『王国を打倒し、この大陸に魔族の千年帝国を築かん』と。


 先に手を出したのは王国。

 国民に根付いた怒りは大火となって魔帝国全土を立ち上がらせるに至ったのである。

 前魔皇帝から意志を引き継いだ新魔皇帝は、富国強兵を行い戦いに備えた。

 全ては王国とアルベルトを打倒するため。


「知っているか、余がなぜ魔族とそう変らぬ身体能力を持っているか」

「いえ、詳しいことは聞かされておりませんので……」

「賢者アルベルトは幾度となく余の頭の中をいじったのだ。それも前国王と共謀してな。奴らは真の不老不死を望むが余り、人体実験にまで手を染めている。現国王がそれに手を貸しているかは不明だが、少なくともアルベルトは今もなお実験台を求めているはずだ」

「つまり植民地化は……豊富な実験台を探すため!?」


 ジュスティーヌの顔は瞬く間に憤怒へと変った。

 それを見た魔皇帝は立ち上がる。


「余が背水の陣で挑む理由が分かったであろう」

「はっ、どこまでも御身に付いて行く所存でございます」


 魔皇帝は小さく頷き、謁見の間をジュスティーヌを連れて出る。

 行く先は王城の地下にある神殿。


 そこでは巨大な魔法陣が存在していた。


「魔力を集めよ」

「はっ」


 控えていた数名の術者が、水晶の乗せられた金属製の台座に術をかける。

 次の瞬間、数十万人が暮らす魔都から魔力を吸い上げ、魔法陣に膨大な魔力が流れ込む。

 召喚の魔法陣は紫色に輝き始めた。


「いでよ、八魔神ベオルフ!」


 魔法陣の中央から一人の男が出現する。


 目も覚めるような長く紅い髪。口元には獣のような牙をむき出しにしたマスクを付けていた。視線だけで相手を射殺すような眼光は、最上級悪魔クラウンデーモンにふさわしい威圧を誇っている。

 一糸まとわぬ上半身には複雑な文字が刻まれ、両腕には鉄球の付いた手錠がはめられていた。その場にいる術者達は泡を吹いてバタバタと倒れ始める。


「ベオルフ殿、配下には手を出さぬ約束」

「おっと、そうだったな」


 放出していた気配を収め、ベオルフは申し訳なさそうにぽりぽりと頭を掻いた。


「ジュステーヌ、約束の魂をここへ」

「はっ」


 ジュステーィヌは札が幾重にも貼られた大瓶をいくつもベオルフの前に置いた。

 中では無数の白い光がみっしりと収まりうごめいている。


「ほぉ、これはなかなかの量だ。一瓶十万ってところか」

「五十万人分ある。これで余と契約を結んではくれぬか」

「条件がある。我と青藍の賢者を必ず戦わせろ」


 テトは顎に手を添えしばし考えた。

 実は以前からその条件は提示されていたのだが、青藍の賢者というのが何者でどこにいるのかを掴みきれなかった。分かっているのはエターニアという大国の元国王にして魔界の賢者、それだけである。

 彼はベオルフがこれだけ固執するのだからこっちにいるのは確実だと踏んだ。


「いいだろう。その要望必ずや叶えよう」

「ならばいい。我の力、存分に貸してやる」

「契約成立だな」


 テトはベオルフと契約を交わし使役悪魔とする。

 そこから本を開いて長い詠唱を唱え、大瓶に入った赤黒い液体を彼にかける。


 ぱきっん。


 ベオルフの首や手足にはめられていた見えない手錠と鎖が破壊される。

 これを行うのに際し、貴重な鉱物と植物をふんだんに使い、特殊な血を有するというエルメダス国の王族を十人ばかり犠牲にした。

 実のところこの書が禁書指定されているのは、エルメダス王族の都合も含まれているのである。


「かかかっ、これで我は自由か」

「魔界へ帰還する際は言ってもらえればこちらで手配しよう」

「そんなものはあとでいい。で、我にふさわしい場はできているのか?」

「もうじき整う計画だ。それまでゆるりとすごされよ」

「ならよい。人間界の強者を根こそぎ喰ろうてやるわ」


 じゃらりと鎖を鳴らし、鉄球をごりごりと引きずる。

 ベオルフは不敵な笑みでテトをその目に映した。


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