四十九話 グランメルン研究所へ再び
数日ぶりの畑はすっかり雑草が生えていた。
イリスとプリシアの協力の下、麦わら帽子をかぶって地道に草抜きをする。
「土いじりなどどれほどぶりだろうか。懐かしいの」
「手が止まっていますよ。やる気がないのならやめてもらって結構です」
「や、やる決まっておる! お兄ちゃんの畑なのだぞ!」
せっせと二人も作業を行っていた。
照りつける太陽に青い空と白い雲のコントラストが気持ち良い。
「本当に良かったのか。お兄ちゃんは無理に戦争にでてこなくてもいいのだぞ」
「でもまだ続くんだよね。だったら僕も行くよ。それになんだかテトに会えそうな気がしているんだ」
「お兄ちゃん……」
次の戦いまでプリシアは一週間の休暇をもらった。
ねぎらいの意味もあるのだろうけど、主に将軍の死が原因だ。
急遽代わりの者を選出する必要ができて、宮殿はてんやわんやの混乱状態だそうだ。
落ち着くまでにはもう少しかかりそうな感じらしい。
「この辺りは沢山草が生えてますね」
イリスが僕の近くに移動した。
今日に限って妙に薄着で胸元の大きく開いた服を着ている。
白い谷間が見えて僕は思わず視線を逸らした。
「そうじゃの、この辺りはずいぶんと草が茂っておる」
今度はプリシアが寄ってきた。
彼女もなぜか妙に薄着で、短いスカートから見える白い脚がやけに眩しい。
困ったな。目のやり場がないよ。
すると二人はだんだんと近づいてきて僕に身体を密着させる。
気が付けばサンドイッチ状態だった。
「ご主人様は私と一緒に畑仕事をするのが大好きなんですよね」
「う、うん……」
「何をバカなことを。お兄ちゃんはアタシと作業をするのが夢だとよく言っておったのじゃ。すなわちアタシと一緒にいることが一番なのじゃ」
「う、うん……うん?」
あれ? プリシアにそんなこと言ったっけ?
テトにはよく言ってた気がするけど。
でも余計なことを言うと怒られそうだから黙っておこう。
ほどほどに雑草を抜くと、僕は瓶を取り出して中の液体を作物の周囲にかけてやる。
「それはなんじゃ?」
「肥料だよ。魔界産の植物は成長が早い分、土の栄養素を急速に吸収するんだ。だから定期的に補給しておかないとすぐに畑がカラカラになっちゃうんだ」
ただしこれは魔界になると話は別だ。
向こうの土は異常なまでに栄養が豊富で、吸い上げても吸い上げてどこからか補給されるある意味では恐ろしい土地だ。そのせいで危険な植物が異常繁殖しやすく、動物と植物とで常に生存圏を奪い合っている。
その結果、草も生えない荒野が広がってしまっているのが現状だ。
たたたっ。
畑にフェニックスの雛であるシュナイザーがやってくる。
その後ろからはフォリオが追いかけてきていた。
「ぐびっ」
「あ、こら! やめるのですぞ!」
そろそろ収穫しようと思っていた魔界メロンを、シュナイザーに食べられてしまった。
彼は魔界キャベツも丸かじりして飲み込む。
追いついたフォリオは強引に雛を畑から引き離そうとする。
だが、体格があまりにも違い過ぎてピクリとも動かなかった。
「いいよいいよ、食事が足りなくてお腹が空いてるんだよね」
「ぐびっ」
「しかし、師匠がせっかく作った作物を!」
「種はまだあるから構わないさ。それにこの子はちゃんと僕達の分は残してくれているしさ」
メロンもキャベツもまだ残っている。
態度こそふてぶてしいけど、こう見えて気遣いはできる子なんだ。
それに魔界にいた時も畑の作物をしょっちゅう食べてたから、こっちでも僕なら許してくれると思ったのだろう。
「いやはやさすが師匠。シュナイザーのことをよく分かっておられる」
「まぁ僕が拾ったしね」
シュナイザーは畑に入ってきて、イリスとプリシアの真後ろに座る。
その目はお尻の辺りを見ていて妙に愉悦の色を浮かべている。
時々この子が僕の元にいるのは、女の子を見る為なんじゃないかと思うときがあるんだ。
今さらだけどほんと変な雛を拾っちゃったなぁ。
不意にエドワードから連絡が入る。
(ご当主様、本日は研究所への挨拶がありますし、そろそろご準備をしてはいかがでしょうか)
(そうだね。そうするよ)
僕はイリスにメロンを冷やしておいてと言い残し、単身で屋敷を出発した。
◇
アモンとしてグランメルン研究所に到着した僕は、当然ながら忘れていた記憶を思い出すこととなった。
ただし、今回はあの時のような失態はしない。
さすがに二度目だし、これからは堂々と入ることができるからだ。
研究所は六つの区画に分かれており、一人の賢者に一区画が与えられる決まりとなっている。
で、僕が受け取ったのはベネディクトの研究室がある区画だった。
区画内の全研究員の集まる会議室に入った瞬間、一斉に冷ややかな目が僕に向けられる。
ここにいるほとんどはベネディクト派と呼ばれる魔術師達だ。
尊敬する指導者を引きずり落としその座に座った僕は、ここではまだまだよそ者であり、むしろ敵とすら認識されているようだった。
白衣を着た研究員達の前で壇上に立つ。
ざっと見て五十余り。多いか少ないかと言えば少ない方じゃないだろうか。
この国の魔術師の総数は数万、その中の一握りのエリートがここに集結している。
彼ら自身その狭き門を突破した自負があるだけに、そのプライドの高さをひしひしと受ける。
「初めまして。僕が新しく賢者となったアモンだ」
場はしんっとしている。
とりあえず話を続けることにした。
「これから君達には僕の指示に従い研究をしてもらう。とは言っても僕はこの通り身元不詳、山のものとも海のものともしれない人物だ。都合によってはたびたび顔を出すこともできないかもしれない。よって君達には今まで通りの研究を継続してもらうつもりだ」
「質問です」
眼鏡をかけた長身の青年が手を挙げる。
切れ目に顔立ちが良く見た目だけで頭脳明晰な印象受ける。
「発言を許可する」
「ではお聞きしますが、それで貴方は統括責任者としてやっていけると本気で思っているのでしょうか。ベネディクト様はその頭脳だけでなく管理能力も大変優れておられました。そんな方の後任として来られたのなら、せめて形だけでも同等くらいには働いていただかないと」
クスクスとどこからか押し殺した笑い声が聞こえる。
なるほど、僕はベネディクトよりも低く見られているんだね。
だとしたらまずはその認識を改めさせないといけないか。
「そこまで言うのなら僕からも君を試させてもらおう。問一、感覚倍加の秘薬の作り方は?」
「精製水五百㏄に対しマンドラゴラの抽出液を一滴、乾燥させたスライムをすりつぶして小さじ二杯加え二時間加熱。粗熱を取った後、血流促進剤を三滴加えさらに一時間加熱。風通しの良い暗所に二十四時間寝かせると完成です」
「正解」
彼は眼鏡を指で少しあげて笑みを浮かべた。
「では問二、部位欠損回復薬の作り方は?」
「部位欠損回復薬!?」
彼は目玉が飛び出るかと思うほど目を見開いて驚く。
数十秒ほど答えるのを待った。
その間、青年は冷や汗を流し周囲はざわついていた。
「時間切れ。答えはヒュドラの心臓を細切れにして鍋で十二時間煮込み、こしとった液体にミノタウロスの涎とチュパカブラの血液を加え二時間煮込む。粗熱を取った後、レモン果汁を混ぜながら大さじ一杯加え、マーメイドの皮膚を加えて五時間煮込む。そこから急速冷却を行い完成だ」
「まさか本当に!? 部位欠損は未だに治療不可能だと言うのに!」
「信じられないなら現物を見せるよ」
僕は懐に手を入れて
会議室の中を見渡して人差し指を失っている青年を見つけた。
たぶん、実験中に指を失ってしまったのだろう。ちょうどいい。
人差し指のない青年を手招きすると、彼は驚きつつも壇上に上がる。
「コレを飲めば指が元通りになるよ」
「本当ですか? なんだか信じられないんですけど……」
「まぁ飲んでみなよ」
小瓶の蓋を開けた青年は液体を飲み干す。
すると右手を押さえて悲鳴をあげた。
一分ほど経過しただろうか。
青年の上げた右手には人差し指が戻っていた。
「そんな! 数々の賢者達が開発を断念し、ベネディクト様ですら制作を放棄した薬を作ったと言うのか!?」
「問三、魔術師殺しの劇毒の作り方を答えよ」
「魔術師殺しの劇毒??」
「あれ? 知らない? 魔術師だけが死ぬ毒だよ。普通の人は口にしてもなんの害もない特殊な毒薬」
再びしんっととなった。
しかし、最初とは違い今度は恐怖からの静けさだ。
彼らは頭が良いからこの毒の恐ろしさがよく分かるはずだ。
魔術師だけを狙い撃ちにできる毒なんてあれば、非魔術師による毒味なんてものがまったく役に立たなくなる。
タイミングさえハマれば恐ろしいほど効果を発揮する毒薬だ。
「正解は――「やめてください!!」」
青年は遮って答えを聞くことを拒否した。
やっぱり賢いね。
「貴方がもしここでそれを言えば、その毒で死者が出た際この場にいる全員が疑われる」
「そうだね。では話すのはやめておこうかな」
実はね、僕はこの毒が人間界にまだないのを知っていたんだ。
だからあえて問題として聞いてみたんだ。ちょっと意地悪だったかな。
「問四、魔力増強薬の作り方を答えよ」
「……魔力増強薬とは?」
「飲めば誰でも魔力が増える薬だよ。完全に効果が出るまでには二、三年かかるけど、最終的には以前の二倍の魔力生産ができるようになる」
「一時的ではなく!? ずっとですか!?」
「うん。ずっと」
全員が頭を抱えながらも是が否か議論を始める。
これには賛否両論あると思っていた。
今日の王国は魔術師という階級ピラミッドの上に存在する者達によって築かれている。
貴族が魔術師だから、魔術師が貴族だから、どちらが先かはもう分からない。
だがもし、その基盤を根底から覆す薬ができてしまえば、貴族達のアドバンテージは崩壊する。せいぜい知識を自慢するくらいしかできなくなるだろう。
ある意味で王国にとっての劇薬なのである。
「今までの態度をお詫びいたします。それとこれはこの場にいる者達の総意として、作成方法は誰にも教えないでいただきたいです。できれば世に出さないでいただきたい」
「知りたくはないの?」
「聞けば……多分作りたくなる。そうなった時、王国魔術界の崩壊が始まるのは間違いないでしょう」
「そうだね。その通りだ」
眼鏡の青年は僕に謝罪をして指導を受けたいと申し出た。
他の研究員も同じなのか最初と態度ががらりと変っている。
良かった良かった。なんとかまとめられたね。
「あの……もう一つ質問をしても良いでしょうか」
「なに?」
先ほどの青年が今度は恐る恐る手を挙げる。
まだ気になることでもなるのかな。
「アモン様はそれほどの知識を一体どこで?」
「多くは話せないけど、強いて言うのなら魔界で一、二を争うほどの頭脳を有した
「それほどの
青年は興奮したように褒め称える。
魔界から帰ってきたとは思わなかったみたいだから一安心だ。
でも、ちょっと期待値を上げすぎた気もしなくもない。
皆の僕を見つめる目がやけに熱が籠もっている。
僕は手短に挨拶を終えると、逃げるようにして研究所を後にした。
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