三十一話 ベネディクトの焦り

 巨獣の樹海より帰還した僕らは、地下研究室へと移動する。

 遅れてやってきたのは執事のエドワードだった。


「それでメイド達に不審な動きはあったかな?」

「約三名に外部と秘密裏に連絡を取っている行動が確認できました」

「相手の情報は?」

「すでにピノとレリアが入手しております」


 やっぱりか。ベネディクトは外に目を向けさせて、身近な使用人から目を遠ざけようとしたんだ。それにルナは昔から純粋で身内に甘い性格、きっとかいがいしく身の回りを世話してくれるメイドに疑いの心など 欠片も抱かなかったに違いない。

 悔しいけど奴の観察眼は本物だ。相手の弱いところをよく見ている。


 ポットからカップにコーヒーを注いだイリスが、それを僕に差し出しながら尋ねる。


「ご要望なら私がその三名を始末いたしますが?」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、しばらく泳がせることにするよ。今は奴との取引もあるし、変な影響が出るのは避けたいんだ」

「なるほど、大本を叩くために見逃すと。さすがですご主人様」


 それに無駄に奴の注意を引きたくない。

 せっかくノーマークなのだから最大限活用しないとさ。

 まぁ、イリスは賢いからどのような返答があるか分かってて、あえて質問したのだと思うけどね。


 それはそうとせっかく手に入れた鏡鳥の素材が羽一枚とは。

 ちらりとイリスを見ると、何かを察したのか睨むような目をして首を横に振る。

 や、やっぱりダメなんだ……辛い。


 不意に耳にはめている通信君八号から声が聞こえた。


『あー、あー、これで聞こえるのかの?』

「プリシア?」

『お兄ちゃんの声なのじゃ!』


 妹のはしゃぐ声が向こうから聞こえる。

 さっそく使ってくれたみたいだ。


『まだ馬車で移動中なのじゃ。最前線にはあと一週間はかかるらしい』

「結構遠いんだね」

『前線はバナジャ国の元領土じゃからな』


 隣接するバナジャ国はグランメルン国と同程度の領土を誇っている。

 山の多い入り組んだ地形が特徴的で、入るのも出るのも苦労する自然の要塞のような場所だ。

 過去、幾度となくグランメルンとバナジャは戦ったそうだ。

 その度に地形に阻まれ我が国は彼の国を攻めきれなかったのだとか。

 だが現在、皮肉にもその苦い記憶のおかげでこの国は守られている。


「そうそう、頼まれた件だけど順調に進んでいるよ。だいたいの目星は付いた」

『そうなのか!? お、お兄ちゃんは優秀すぎるのじゃ! あの楓すら首をひねっておったのに!』

「確かに悪魔デーモンは優れているけど、決して完璧じゃないんだ。失敗もするし見落とすことだってある。それに召喚に応じる者は多くの場合、召喚者に似ていたりするんだ」

『つまり楓はアタシと同じミスをしていた?』


 僕はとある理由から楓ちゃんの性格を知っていた。

 彼女も妹と同じく身内に甘いのだ。おまけに変なところでうっかりをやらかす癖がある。

 恐らく無意識にメイド達を調査対象から除外してしまったのだろう。

 スパイ捜しではよくあるミスだ。


「とにかく犯行が確定するまでは泳がせるつもりだ」

『分かったのじゃ。やっぱりお兄ちゃんに相談して正解だった』


 プリシアは『また連絡する』と言って通信を切った。


 可愛い妹が戦場に出向くというのは複雑な気分だ。

 いくら地位も名誉もある強力な魔術師になったとは言え、今でも僕の中ではか弱い妹のままなのだから。

 そうだ、強力な護衛を召喚してプリシアに付けようか。

 いっそのことエターニアの軍を呼び寄せて二十四時間厳戒態勢で守らせれば……。


「ご主人様、またよからぬことを考えていませんか?」

「そんなこと……ないよ?」

「だったらどうして目を逸らすのでしょうか」


 うぐぐぐ、イリスは鋭すぎるよ。

 どうしていつもこういうことには目敏いかなぁ。

 まぁでも、勝手に軍を動かすと息子ライオットに怒られるだろうし、しょうがない諦めるとしよう。


「引き続きその三名の動向を見てくれ」

「承知いたしました」


 エドワードは一礼して退室した。



 ◇



 次の日、ギルドに顔を出した僕らは、冒険者達に囲まれるナッシュ達と遭遇した。

 誰もが三人を笑顔で褒め称えている非常に珍しい光景だ。

 いつも何かにつけて突っかかるギルド職員の女性すら喜んでいる。


「これはオレの真の実力が発揮された結果だ! みんなもっと褒め称えてくれ! オレはとうとうなし遂げたんだぁ!!」


 ナッシュがテーブルの上で叫んでいる。

 近くで溜め息を吐いているアンリとライの姿を見つけたので、僕はそっと近づいて声をかけた。


「どうしたの?」

「ロイか。いやな、護衛していた商人の馬車が、偶然オーガの群れに襲われたんだ。それを退治したもんだから噂になっちまったみたいでさ」

「確かオーガってゴールド級の冒険者でないと倒せないって話だったよね」

「ああ、おかげでギルドからは昇格の話も出てるみたいなんだ。で、あれよあれよという間にウチのリーダーの鼻が伸びちまったってわけさ」


 なるほどねー。だからナッシュがあんなにも錯乱したように騒いでいるのか。

 でも彼らが成長していることを確認できたのは、僕としてもとても喜ばしいことかな。同じ血筋の者としても、身近な知り合いとしても、彼らの行く先をいつも案じているからね。


「やや、そこにいるのはロイじゃないか!」


 ナッシュが僕を見つけてこちらに駆けてくる。

 相変わらず低身長だが、心なしか一回り大きくなったようにも見える。

 なんというか頼りがいができたっていうのかな。


「師匠的後輩もオレの活躍を聞いて来てくれたんだな!」

「たまたまだよ。ライ達から聞いたけど、オーガの群れを倒したんだって? すごいじゃないか。急成長だよ」

「これも後輩に教えてもらった必殺技のおかげだ! 正直、シルバー級で頭打ちだと思ってたんだ! けど、お前が現れてくれたおかげで、こうしてゴールドに昇格できることになった! ありがとう師匠的後輩!」

「うん、とりあえずそのよく分からない呼び方は止めよう」


 いつものごとくライが彼を羽交い締めにして僕から引き離す。

 その際、ナッシュは「師匠的後輩! 師匠的後輩!!」などと叫んでいた。


「ご主人様もランクアップしたみたいですね」

「みたいだね……」


 呆れつつもナッシュらしいなどと妙な納得をしてしまう自分がいた。

 僕らはいつのもごとく掲示板の前へ。

 そこへアンリがニコニコとした表情でやってきた。


「ロイさん達も依頼を受けに来たんですか?」

「まぁね、定期的に顔を出さないとギルドや同業者に顔を忘れられそうだし。それで良さそうな依頼は出てるかな」

「だったらあれなんかどうでしょう」


 アンリは一つの依頼を指さす。

 それはサイクロプスの討伐だった。


「サイクロプスかぁ。前に倒したし今回は別のを相手にしたいなぁ」

「え、そうなんですか!? さすがロイ様! すでにゴールド級最上位の魔獣を討伐済みだったとは! その場にいられなかったことが悔しい! さぞ素晴らしい魔術で華麗に倒されたのでしょう! ああ、そう思えば思うほど歯がゆい!」

「う、うん……一緒に行けなくてごめんね」


 アンリの目がぐるぐるしてる。

 こういう時の彼女は暴走しがちだ。

 そこへライが戻ってくる。


「落ち着けってアンリ。ロイが困ってるだろ」

「あああっ! ごめんなさいロイさん! 話の途中だったのに考え事をしてしまって!」

「いいよ、気にしてないから。それでナッシュは?」


 僕の問いにライは後ろを振り返る。

 そこにはギルドの柱にくくりつけられたナッシュがいた。

 しかも、さるぐつわまでされていて「むー! むー!」と唸っている。


「今のあいつはほっとくと、どこでも喧しく自慢話しちまうから迷惑なんだよ。しばらくああしてれば頭も冷えるだろ」

「ウチの最大の欠点はリーダーがバカなところなんですよねぇ」


 ライとアンリは大きな溜め息を吐く。

 色々と苦労しているようだ。


「それにしてもやけに南方の依頼が多いですね」


 イリスに指摘されてハッとする。

 掲示板全体を見てみれば、確かに南方面からの依頼が圧倒的に多い。

 僕はライに質問した。


「そのオーガの群れと遭遇した場所は?」

「南方にある街道だったな。最初、どうしてこんなところにオーガが、なんて思ったりもした。あいつらって森の奥に出没することが多いしさ」


 南方の魔獣が活発化している?

 僕の勘が警告している気がする。

 だが、それがなんなのか分からない。


「どうされましたか?」

「いや、なんでもない。ちょっと考え事をしていただけだ」

「そうですか。それで依頼はいかがいたしましょう」

「今日は止めておくよ。畑でやらないといけないことを思い出したんだ」


 僕らはナッシュ達に別れを告げて屋敷へと戻ることにした。



 ◇



 黄色い満月の照らす深夜の王都。

 僕とイリスは仮面をかぶって足早に歩く。


「あの者と会うのも三回目ですね」

「それも今回で終わりだ。まだ尻尾は掴みきれてないけど、この一手で一気に追い詰めることができる」


 フォーナスと言うベネディクトを強固に守る一角は落ちた。

 すでにコードブックもこちらの手にある。

 あとは決定的な証拠を押さえ、しかるべき相手に真の裏切り者が誰であるかを知らせることだ。


 僕らは見覚えのある家のドアを開け、静かに中へと踏み入った。


「いらっしゃいませ。二階でお待ちです」


 いつもの老人が一礼する。

 僕は返事をせずに二階へと上がる。


 使い魔であるグレゴリーウルフはいつもの数と配置。

 敵と判断された感じは今のところない。

 それだけ信用があるのか、それともこれ自体が罠なのか。


 ドアをノックする。中から返事があると、僕とイリスはドアを開けて一礼。

 すぐに椅子に座るよう指示があったので僕だけ椅子に座った。


 ちらりと部屋の四隅に置かれた、十センチほどの少女をかたどった陶器の人形が視界に入る。

 なるほどね、そういうことか。


「今宵は良い夜だなアモン」

「ええ、古来より満月の夜は魔力が最大にまで高まるとされています。魔術師にとって月の満ち欠けとはまさに演劇の開幕を待つに等しい」

「くくくっ、なかなか面白いたとえをするではないか」


 ニヤリとした彼はワイングラスをテーブルに置く。

 部屋の中には十匹のグレゴリーウルフが居座っていた。


「ずいぶんと使い魔の数が増えていますね」

「ちょっとした用心だ。私はいかなる者も疑うたちでね、貴殿といえどその対象から外れることはない」

「逆に安心いたしました。貴方ほどの方が不用心なのは僕としても憂慮するべきところですからね。どのような相手でも頭から信じるのは愚かだ」

「貴殿は私とよく似ているようだ。やはり是非とも手元に置いておきたい人材だ。おっと、約束はちゃんと覚えているとも。心配せずとも急かすような真似はしない」


 僕は胸の手を当てて感謝の言葉を述べる。


「ところで一つ聞きたいことがある」

「なんでしょうか?」

「貴殿の使役する悪魔デーモンのことを、この私に教えてはくれまいか」


 やっぱり来たか。奴はフォーナスが倒されたことをすでに把握している。

 ならば奴の頭を悩ませているのは誰が彼を倒したのかだ。

 普通に考えれば名付きを倒せるのは同等以上の悪魔デーモンしかいない。

 僕にどのような悪魔デーモンが従っているのか気になるのは、ごくごく魔術師として当たり前の流れだ。


 とは言え魔術師にとって悪魔デーモンとは言わば切り札の一つ。

 己の手札を晒すことは魔術師の間では自殺行為にも等しい行いだ。

 術者はどのような相手に聞かれようが使役悪魔を答える愚はしない。

 だが、僕はあえてその愚を行うことにした。


「実は僕が使役しているのは彼女でしてね。従者のように見せておいて常にそばに置いているのです。ほら、ベネディクト様に名前をお伝えしなさい」

「はい。私はエターニア国に暮らすと言う者です」


 ベネディクトは「エターニアは知っているが、アリスと言うのは……聞いたことがないな」と眉間に皺を寄せて腕を組む。


 イリスは悪魔デーモンであることを証明する為に一瞬で手の上に炎を灯した。

 魔術を即時行使できるのは魔界の生き物だけだ。

 それを見た彼は彼女に手を軽く上げることで、もういいと意思表示した。


「疑って悪かった。だが、いまいち腑に落ちぬのは、貴殿があっさりと使役悪魔デーモンを教えたことだ。魔術師ならどうあっても明かさぬのが常道ではないか」

「だからこそです。察するに今のベネディクト様は疑心暗鬼に陥っておられるようだ。ならばここはあえて危険を冒してでも切り札を明かし、信を得るべきではないかと思い至った次第です」

「なんと、貴殿はそこまで私に厚い信頼を寄せているのか。ここまで忠誠を示そうとした者は今までいなかった。やはり貴殿は私の元に来るべき者だ」


 ベネディクトは僕に最大の賛辞を送る。

 内心でなるほどと納得していた。

 僕も心地の良い言葉ばかりを並べているが、それは向こうも同じなのだ。

 こうやって人心を掴むことで人を操っているのだろう。


「では約束通り次の依頼だ」


 彼は封筒を差し出す。

 仕事の内容は前回と同じ。

 クロンドの町に行ってオーガ殺しを飲んでいる男に渡す。

 そして、男が差し出した封筒を受け取って戻ってくること。


 受け取った僕は席を立つと、一礼してから颯爽と部屋を出た。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る