二十五話 ベネディクトの密会

 ゴリゴリ。すり鉢で薬草をすりつぶす。

 近くの鍋には、どろりとした緑色の液体がゴボゴボ沸騰している。

 薬草を鍋の中に入れて、透明トカゲの尻尾を入れる。

 すると液体がピンク色に変化する。


「これで完成だ」


 液体をほどほどに冷まして小瓶へと移す。

 きっちり蓋を閉めてニンマリとした。


「ご当主様、お飲み物をお持ちいたしました」

「ありがとう。入ってくれていいよ」


 ドアを開けて入ってきたのはエドワードだ。

 彼はデスクにコーヒーを置いて僅かに表情を緩める。


「お作りになられているのは新薬ですか?」

「いや、これはすでに完成している薬だ。数が少なくなってきていたから補充しようと思ってさ」


 彼は「なるほど」とうなずく。

 心なしかほっとしているようにも見える。

 まさか彼も僕が爆発を起こさないか心配しているのかな。

 心外だ。たまにしか失敗していないのにさ。


「ところで新しく来た使用人とは上手くやってる?」

「お互いに綿密なすり合わせ行っておりますので、今のところはトラブルはございません。ですが強いて問題を挙げるとすれば、我々が人間ではないという点でしょうか」

「彼らは君達が悪魔デーモンであることは知らないよね」

「はい。ですので話を合わせるのに苦労しております」


 そりゃあそうだよね。魔界と人間界では常識がまるで違う。

 ましてや種族すらも違うとなれば、話なんて合わなくて当然だ。

 しかもサーニャ達はこちらに来て日が浅い。

 まだまだ人間に対しては勉強中だ。


「屋敷の防衛は?」

「そちらも問題ありません。敷地には侵入者除けの結界を設置しており、さらに屋敷自体にも常時多重結界を張っております。小太郎様とリルル様がいらっしゃる時点で、不要なものかもしれませんがね」

「そんなことはないさ。彼らが不在の際は、君達にここを守ってもらわないといけないからね。必要と思うのならいくらでも手を入れてもらって構わないよ」


 そこでエドワードが「実は私めに一つ案があるのですが……」と耳打ちする。

 内容を聞けば僕の少年心はキュンキュンする。

 それは名案だ。ぜひ進めてもらおう。


「おにーちゃん!」


 プリシアが地下研究室へとやってくる。

 邪魔になると思ったのか、エドワードは一礼してから退室していった。


「ふむ……ここに来てずっと感じていたが、あの執事はただ者ではないな。気配がまるでないのじゃ」


 執事の向かった先を見ながら妹が呟く。

 賢者と言うだけあってエドワードの異質さに気がついているみたいだ。

 彼は今でこそ僕の執事をしているが、元々は名のある悪魔デーモンなのだ。

 それこそ人間界でも有名なくらいの。


「プリシアなら言っておいてもいいかな」

「なにをじゃ?」


 きょとんとした妹はいつ見ても愛らしい。

 頭をなでなでしたい気分だ。

 それはそうと今から大事な話をするのだ。

 気を引き締めないと。


「僕が百年ぶりに魔界から帰還したことは理解してるよね?」

「どうやって、と言うのは謎ではあるが、おおむねそのように認識している」

「実は僕は一人だけで戻ってきたんじゃない」

「どう言う意味じゃ? もしかして他にも人間がいたのか?」


 疑問符が頭に浮かんでいるであろう彼女は眉間に皺を寄せる。

 召喚でもしない限り人間界に悪魔デーモンは来られない。そのような固い常識が僕の言葉の真意を読み取らせないように邪魔をしているようだった。


「僕は魔界の扉を使って悪魔デーモンと共に戻ってきたんだ」



「はぁぁあああっ!?」



 しばしの沈黙の後、妹は目玉が飛び出るかと思うほど目を見開いていた。

 予想していた通りの反応に僕は苦笑いするしかできない。

 悪魔デーモンが召喚陣を介さずに、こちらに来るなんて考えられないことだからね。


 プリシアは震える手で僕を指さす。


「お、お兄ちゃんは、首輪も付けていない悪魔デーモンを……連れてきたというのか?」

「そうなるね」

「召喚に失敗して野放しになるものとはわけがちがうのだぞ、あれらは見えない縛りが付けられ、帰還陣で魔界へと戻すことができる。じゃが、直接魔界からやってきた悪魔デーモンは……」

「制約もなければ魔術で還すこともできない」


 召喚で呼び出された悪魔デーモンは彼女の言った通り、見えない鎖と首輪がはめられている。帰還陣で彼の地へと引き戻されるのもそれが理由だ。


 加えて召喚陣を通り抜けた悪魔デーモンは、力の半減と言うハンデまで負わされる。


 現にこの前に戦ったベヒーモスも、魔界で戦ったものよりもずいぶんと弱く感じていた。つまり召喚された生き物は、いかなるものであろうと百%の本気を出せないのである。


「その悪魔デーモンは今はどこに!?」

「うーん、今は自室の整理整頓でもしているんじゃないかな」


 プリシアは今度は目を点にする。


「整理整頓って……いや、そんなことよりお兄ちゃんは平気なのか?」

「平気って?」

「もしその悪魔デーモンが危険思想の持ち主であれば、この国は建国以来最大の危機を迎えるかもしれぬのだぞ」

「あははは、大丈夫だよ。あの子はそんなことしないからさ。どちらかと言えば僕と一緒にいられれば後はどうでもいいって性格だし」

「一緒にいられれば……まさか!?」


 気がついたみたいだね。

 そもそもおかしいと思わなかったのかな。

 魔界から戻ってきた僕に親しい仲間がいるなんてさ。


「君の考えている内容で正解だよ。それに加えてこの屋敷にいる四人の使用人は、僕が召喚した悪魔デーモンだ」

「四体の……悪魔デーモンを同時召喚している上に……何日も継続召喚しているなんて……あり得ない」


 プリシアは恐怖の入り交じった顔で後ずさりした。

 あれ、反応がおかしい。もしかして何か失敗したかな。

 知っていた相手が悪魔デーモンだったってことに驚くと思ったんだけど。


「お兄ちゃんはアタシの悪魔デーモンを知っておるか?」

「楓ちゃんだよね。この前会ったよ」

「あの子はとても優秀だが、週に一回は魔界へと還さなければならぬ。それは継続魔力が膨大だからじゃ。悪魔デーモンは優秀であればあるほど、こちらに引き留める魔力が高くなる傾向にある。賢者と呼ばれるアタシでさえ、あの子と他数体で手一杯なのじゃ」


 悪魔デーモンは召喚した後も多くの魔力が必要だ。

 彼らを人間界に引き留めるには術者の魔力が消費され、発動中は常に魔力が術に吸い取られることとなる。

 そして、魔力が尽きると悪魔デーモンは強制的に魔界へと引き戻されるのだ。

 たとえ召喚が失敗して逃げ出すことに成功したとしてもそれだけは変わらない。


 まぁ、そこまでは召喚を学んだ魔術師なら誰でも知っていることだ。

 魔界で暮らしていた僕ですらも。


 問題は人間界の魔術師がどれほどの魔力を保有しているかだった。

 どれだけの間、悪魔デーモンを召喚し続けられるかなんて僕は知らない。

 数だってそうだ。だから現在の状態が異常だとは考えもしていなかった。


「お兄ちゃんは一体どれほどの魔力を保有しておるのじゃ」

「はっきり調べたことがないから分からないなぁ。でもかなり自信があるのは確かだね。今の数ならあと千年は召喚し続けられるかな」

「せ、千年!?」


 妹が恐怖を通り越して目をキラキラさせ始める。


 でも千年はちょっとアレだったかな。

 実際は消費よりも日々の回復魔力の方が上回っているから、千年と言わず永遠に召喚し続けることができるんだけどね。怖がらせるのも可哀想だから控えめに言ったんだ。


 プリシアは「お兄ちゃんはやはり史上最高の魔術師じゃ!」とぴょんぴょん跳びはねる。

 最高かどうかは分からないけど、魔界で一目置かれているのは確かだ。

 そう思うと僕って、人間でありながらとんでもないことを達成してしまったんだな。あの群雄割拠の混沌とした魔界でさ。


「おっと、もうこんな時間じゃ。お兄ちゃんとはもう少し話をしたかったのじゃが、これから国王陛下を交えての会議があっての。アタシは参加せねばならんのじゃ」


 妹は懐中時計を確認してから足早に退室した。

 賢者というのは忙しいようだ。



 ◇



 時刻は午前零時。

 王都は夜のとばりに包まれ異様なほど静かだ。


 仮面を付けた僕とイリスは締め切られたギルドの前で人を待つ。


「くれぐれもこちらを見ないでくださいね」

「どうしてさ?」

「だから、その仮面で――ぶふっ、ぶふふふっ!」


 僕の顔を見た彼女は吹き出して笑い始める。

 そう言えばこの仮面はイリスに対抗して買った物だったね。すっかり忘れていた。

 中年男が唇を突き出しているこの仮面は、どうやらイリスの笑いのツボらしい。

 ギルドの壁を叩いて彼女は涙が出るほど大笑いしていた。


「おい、静かにしろ」


 現れた四人の一人が注意する。

 声から察するに僕の待っていた人達かな。


 彼らは顔に布を巻いているので容姿は判然としない。


 識別できそうなのは声と辛うじて見える目元くらいか。

 すると、彼らも笑い始める。


「待てって、その仮面はねぇだろ! どこで見つけたんだよそんなの!」

「パタの町だよ」

「やめろって、それでこっちを見るな! 笑い殺す気か!」

「そこまで!?」


 そ、そんなにこの仮面って面白いの?

 ここまでウケると変な自信が湧いてきそうだよ。


「無駄話はこれくらいにして、さっそく目的の場所へと向かうぞ」

「ここから近いの?」

「ああ、相手さんと会う時はいつもそこを使っている」


 四人は僕らの先を行く。

 王都の中心部から離れ、入り組んだ路地裏へと入った。

 しばらく歩き続けると一軒の家が目に入る。


 そこは古びてはいるがよく手入れがされていて趣があった。

 四人は無言で家の扉を開けて僕らに入るように仕草する。


 中は簡素な造りだった。

 特に目立つようなものもなく、生活に必要最低限の物だけが置かれている印象だ。

 ただし、奇妙なことに生活感は全く感じられない。

 もしかすると普段は無人の場所なのかもしれないな。


「いらっしゃいませ。主は二階でお待ちです」


 住人らしき年老いた男性が一礼する。

 物腰から一般人ではないと察した。


 気配が非常に薄い。


 それに一見すると無防備に見えるが、至る所に武器を隠しているようだ。

 動きも無駄がなく、一瞬でこちらの人数と武器と確認した感じだった。

 なかなかの手練れだと見る。


「行くぞ」


 四人が階段を上がる。

 僕らもその後を付いて行く。


 武器を取り上げないとは自信の表れか。


 普通なら入り口でそう言った物は預かるものだ。

 それをあえてしないのは、いかなる攻撃があろうと反撃できると考えているからだろう。

 現に先ほどから建物内で不可視の”使い魔”がうろついている。


 単純明快に言えば、魔術によって支配された魔獣だ。


 複雑な術といくつかの過程を経てしもべにすることができるのだが、奴はその使い魔に視認不可の術をかけているようだった。


 数はぱっと見て三匹。

 どれもが同種の狼の魔獣だ。

 身辺を警護するなら悪くない選択だと思う。


 リーダー格の男がドアをノックする。


 中から「入れ」との返事があった。

 僕らは部屋の中へと踏み入る。


「ごきげんよう諸君」


 ベネディクトと思われる中年の男は、椅子に座ったまま優雅にワインを飲んでいた。

 黒いローブに白髪の短髪。

 右目には眼帯、口元には無精髭が生えている。

 テーブルの端に立てかけられているのは、使い古された上等な杖だ。


 僕は視線だけで部屋の中を観察した。


 使い魔は五匹。

 だとするとこの家には全部で七匹の使い魔がいることになる。

 恐らくどこかに使役する悪魔デーモンもいることだろう。

 イリスが内密の通信を入れてきた。


(屋根裏に悪魔デーモンらしき者が一人)

(やっぱりね。ありがとう)


 リーダーはテーブルを挟んだ対面の椅子に座る。


 特に上下関係のような物はないようだ。

 もしくは信頼されているのか。


「そこの二人は――ぶふっ!」


 なぜかベネディクトは吹き出す。

 すぐに表情を引き締め、僕から目をそらすようにしてリーダーに話しかけた。


「それでそこの二人はなんだ?」

「以前に優秀な仕事人を欲しいとおっしゃっていましたよね。できればトロルを一撃で倒せるような強く賢い人物がいいと」

「そのようなことを言ったような気もするな。で、その者達が条件に合うと?」

「俺の見立てではクリアしているかと。それに貴方様を尊敬していると言っているので、口の堅さも問題はないと考えています」


 ベネディクトは口の端を鋭く上げる。

 だが、それでも僕の顔を見ようとはしない。


「そこの魔術師。私を尊敬していると言うのなら、使い魔の種族名を当ててみろ」

「グレゴリーウルフ。プラチナ級の魔獣だったはずだ」

「ふふっ、ご名答。その通りだ」


 ベネディクトは機嫌が良くなったようだった。

 そのせいか饒舌になる。


「この部屋には使い魔が三匹いる。君達に分かるかな」

「なっ!? この部屋に!?」

「落ち着きたまえ。別に襲わせようなどとは思ってはいない」


 冒険者の四人は安堵した様子だった。

 それよりも僕は彼の発言が気になった。


 この部屋には五匹いるはずなのに、三匹と言ったのはなぜだろうか。


 恐らくは油断をさせる為だろう。

 いざという時に背後から襲わせる伏兵なのだ。


「王国の守護者にして、英知そのものであらせられるベネディクト様へのお目通り、心より感謝いたします。僕のことは『アモン』とお呼びください」

「くくく、ずいぶんと持ち上げるな。まぁよい、名を覚えたぞ」


 さらに機嫌を良くしたベネディクトは、ワイングラスをテーブルに置く。

 どうやら本題に入るようだ。


 僕は仮面の下で笑みを浮かべた。


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