二十三話 巨獣の樹海
王都から南に下ったところに広大な森がある。
通称『巨獣の樹海』。
ここにはトロルなどやサイクロプスなどの大型種が、数多く生息しており王国内では危険地帯としてよく知られていた。
だが、冒険者達はこぞってここへ来るという。
その理由は手に入る貴重な素材の数々だ。
とある話では樹海の中心部にたどり着いた冒険者が、史上希に見るお宝を手に入れて、ミスリル級冒険者へと昇格したそうだ。
それがどこの誰でいつの時代の話なのかは定かではないが、もはや伝説にも等しいこの話は、冒険者の心をずいぶんとかきたてたそうだ。その為、危険を顧みず多くの者達が日夜、この樹海に挑み続けているのだとか。
「魔界にある巨人の島に似ているね」
「言われてみればどことなく。ですが、あそこはもう少しサイズが大きかったように思いますよ」
森の中を歩く僕らは、天を衝くような巨木に目を見張る。
爽やかな木々の香りと木漏れ日は緊張を緩めてしまいそうだった。
「ぶるるる」
「お腹空いたのかな」
「がるる」
「リルルも同じみたいです」
足として連れてきている小太郎とリルルが空腹を訴える。
まずはどこかで腹ごしらえをした方が良いかな。
五感の鋭いイリスが「向こうから水音がします」と教えてくれたので、ひとまず水のある場所へと移動することに。
小川を見つけた僕らは河原で荷物を下ろした。
「綺麗な川だね。大きな魚もいるみたいだ」
「では私は火をおこしますので、ご主人様は魚をお願いいたします」
「うん、任せて」
これは『誘惑釣り竿』と呼ばれる、僕の作ったオリジナルの
使い方は簡単で、針に餌になるような物を付けて垂らすだけでいい。
すると魚にはその餌がとんでもなく魅力的に見えるのだ。
僕は河原の石をひっくり返し、餌になるような虫を捕まえて針に付ける。
そのまま川に投げ込めば、わずか数秒で手応えがあった。
魚を水際へ引き揚げれば、生きの良い川魚がぴちぴちと跳ねる。
大きさはだいたい三十センチ前後ってところ。
口の先がくちばしのように尖っているのでマスの仲間だと思う。
思わず涎が出そうになった。
実は僕はサーモンやマスが大好物なのだ。
「よーし、この調子でどんどん釣り上げるぞ」
糸を川の中に垂らした瞬間、竿が持って行かれてしまうような衝撃を受ける。
危なかった。手を緩めていれば竿が奪われていた。
釣り竿は大きくしなり、リールから糸がどんどん出て行く。
予想外の大物がかかったようだ。
「逃さないぞ!」
竿を立てて糸を巻き上げる。
どれほどの大物だろうが、僕の作った特製の糸と釣り竿からは逃れられない。
少しずつ糸を巻き上げ魚をこちらへと強引に引き寄せた。
数分の格闘の末、僕は謎の魚を水際へと上げる。
それは一メートルもあるマスだった。
いや、正確にはマスの仲間だ。
上部はくすんだ黄色い体色をしており黒い斑点がいくつもある。
口元は丸みを帯びていて、一見するとマス系統には見えない。
だが、僕はこいつに見覚えがあった。
これは”イトン”と呼ばれる川魚である。
父と一緒に川へ釣りに行った際によく釣り上げたものだ。
脂が乗っていて非常に美味しかったのを覚えている。
僕はナイフで下処理を終えてからイリスの元へと帰還。
「見てよ、こんな大物が獲れた」
「こちらも準備は完了いたしました」
僕らは獲った魚を棒に刺して塩をふる。
さらにY字の枝をたき火の両端に突き刺し、そこへ棒に突き刺したイトンを置く。これなら大きさ関係なくしっかり焼けることだろう。
回転させながら焼いていると、魚から脂がしみ出して香ばしい匂いが辺りに漂った。
じゅわと涎が口の中で溢れてお腹が鳴ってしまう。
マスを食べられるなんてどれくらいぶりだろうか。
くふふ、待ち遠しなぁ。早く焼けないかなぁ。
「気持ちの悪い笑みを浮かべないでください。殴りたくなります」
「ひどい! 暴力反対!」
イリスが焼けた魚を差し出してくれたので、僕は顔が緩むのを我慢しながら受け取る。
囓れば絶妙な塩味と独特の味が僕の脳みそを直撃した。
「うんうん! これだよこれ!」
「美味しいですか?」
「最高! いくらでも食べられそうだ!」
「私としては本当にいくらでも食べるから怖いのですけどね」
一匹目が終わると次はあの大きなイトンだ。
ほどほどに焼けた頃を見計らって一気に齧り付く。
ほろほろと身が口の中でばらけて噛む度に旨味が増す。
むふー、なんて美味しいんだ。
あと二十匹くらいは獲っておきたかったな。
いやいや、五十匹は最低だ。
その上でこのサイズのイトンをもう二匹くらい欲しい。
「ご主人様は、どうしてあの愚劣な者達を見逃したのですか」
「うん? ギルドで会った人達のこと?」
「はい。ギルド内では手は出せないとおっしゃられていましたが、だったら外でひっそりと始末すれば良かったではないですか。おっしゃっていただければ、私がきっちり豚の餌にしたのに」
僕は食事の手を止めてイリスに身体を向ける。
「君は魔界育ちだから、この感覚はなかなか理解できないかもしれない。人間界ではたとえ無礼な振る舞いをした相手だろうと、簡単には殺しちゃいけないんだ」
「ご主人様がよく言っている話し合いですか?」
「そう、人と人が衝突するのはお互いに無知だからだ。それぞれが相手のことを少しでも知れば、もしかすれば戦わずに済むかもしれない。実際、僕は魔界で多くの友人を得た。少なくとも戦うだけが選択肢じゃないんだ」
イリスはしばし考え「では向こうにその意思がなければ?」と続ける。
「そうなれば戦うしかないだろうね。僕だってただ黙ってやられるような人間じゃない。明確な殺意を向けられれば戦うし、それが強力で無慈悲な者であれば殺すことだっていとわない」
「……なるほど、あの者達は敵ですらなかったということでしょうか」
「簡単に言えばそうなるだろうね。ネズミに噛まれたくらいじゃ怒らないだろ普通は」
「ぶふっ、ぶふふ……ネズミ」
吹き出した彼女は腹を抱えて笑い始める。
機嫌が直って良かったよ。
「ぶるるる!」
草を食んでいた小太郎が何かを察して顔を上げる。
肉をむさぼっていたリルルも同様にその動きをピタリと止めた。
イリスは表情を引き締め剣の柄に手を伸ばした。
「敵?」
「分かりません。ですが大きな獣がこちらに向かっているのは確実です」
メキメキと木々をなぎ倒して現れたのはトロルだった。
身長はおよそ五メートル。
がっしりとした体格に体色は薄い緑。
だらりと長い舌を垂らす間の抜けた顔をしていた。
「お手は煩わせません。私が始末いたします」
「待った。どうやら戦う気はないみたいだ」
トロルの身体には無数の打撲痕があった。
見るからに弱っており、僕らを見ると怯えた様子すら見せる。
「この先に行きたいんだよね。どうぞどうぞ」
「ぐえ?」
意外な対応にトロルは驚いた様子だ。
そして、僕らのいる場所を避けつつ歩き去って行った。
「より大きな何かにやられたようですね」
「みたいだね。トロルを痛めつけるとなると、サイクロプスかクレイジーレッドベアかな」
いずれも僕らの敵じゃないけど、だからといって油断する理由にはならない。
この先は一段と警戒をするべきのようだ。
◇
食事を終えた僕らは、樹海の奥へとさらに進む。
位置でいえばだいたい十分の一に到達したくらいかな。
「どうですか? 何か見えました?」
「うーん、特にこれといって目立つものはないかなぁ」
木の最頂部で双眼鏡を覗く。
僕の視界にはどこまでも広がる樹海が写っていた。
ぴょんと地上に降りて、双眼鏡を
イリスは石に腰を下ろしてオヤツを食べているようだった。
それはバニーニと呼ばれる黄色い果物。
彼女から一本受け取って僕も食べることにした。
「ふはっふはひほふは、ほほひひふほはは?」
「ちゃんと飲み込んでから喋ってください」
「ごめんごめん。アーマーライノスはどこにいるのかなって言いたかったんだ」
パクッ、バニーニを食べきって飲み込む。
イリスは周囲に視線を向けてから返事をした。
「依頼に記載されていた通りなら、この辺りにいるのではないでしょうか?」
「でもそれらしい生き物を全く見かけないよね」
アーマーライノス。
それは頑強な鎧に包まれた大型の獣だ。
鼻の上には特徴的な大きな角があり、身体も鈍重でどちらかと言えばパワーと防御力に特化した魔獣である。
草食である為に食欲で獣を襲うことはないが、性格が非常に臆病なこともあって縄張りに入った生き物には問答無用で攻撃する習性がある。
素材となるのはその角と鎧のような表皮だ。
なんでも防具の材料になるとかで高値で取引されているらしい。
骨に関しては一部のコレクターが欲しがっているとも聞く。
冒険者の間では比較的金になる魔獣として有名だとか。
「もしかしてですが、小太郎とリルルの気配を察して逃げているのではないでしょうか」
「あり得る。リルルはともかく、小太郎は気配を隠すのが下手だし、ライノスがそう言うのに敏感な生き物だとすれば当然の結果かも」
と言うわけで、小太郎とリルルにはしばらく、適当な場所でぶらぶらしてもらうことにした。
これでアーマーライノスも現れるはずだ。
そう信じて僕らは探索を再開。
二十分経過したところでようやく目的の生き物を発見する。
それは樹海の中にある草原にいた。
草を食みながら、しきりにキョロキョロと目を動かし周囲を窺っている。
事前に調べていたよりも大きな個体のようで、体高はおよそ三メートルに、体長は五メートル近くあった。
身体は鉄鎧のような表皮に覆われ、陽光に照らされて鈍い光を反射している。
ゴールド級の討伐対象と言うだけあって、一筋縄では倒されてくれない印象を受けた。
「どういたしますか? 私が行ってもいいですが、この最弱の武器では手こずると思われます」
「だよね。わざわざ魔界製の武器を使うほどでもないし、ここは魔術師である僕が出た方がいいかな」
今のイリスの武器は
いくら彼女でもアレを相手にするのは至難の業かな。
それにアレは物理防御に強い。
無闇に斬りかかるより魔術で仕留める方が効率がいい。
素材を手に入れないといけないから、できるだけ身体を損傷させない魔術がいいかな。
僕は術を構築する。
さらに水が入った水筒を取り出した。
先ほどの川で事前に汲んでおいたものだ。
水筒の蓋を開ければ、発動した術に従って水筒から生き物のように水が顔を出す。
それはにゅるりと蛇のように空中に舞い上がると、球体になってから、ライノスの方へと飛んでいった。
”
にゅるりとライノスの口に入った水は、気管へと侵入を果たす。
呼吸ができなくなったことで魔獣は暴れ出すが、そこからさらに体内で高圧放電を始めた水によって内側から焼かれる。
どすんっ、アーマーライノスは白い煙を全身より発しながら倒れた。
近づいた僕はライノスの死体を
これで依頼は達成した。
後は研究に役立ちそうな素材を集めて帰ろうかな。
メキメキメキッ。
木々をなぎ倒す音が響く。
加えて地面が僅かに揺れた。
ぎゃぁぁあああ。
今度は悲鳴が聞こえた。
木々のへし折れる音は次第に近づき、地響きも大きくなる。
「ご主人様、アレを見てください」
イリスの指さした方角から、四人の男達が走ってきていた。
彼らを追いかけるように、その後方の森から巨体が姿を表す。
身長はおよそ十メートル。
がっちりとした筋肉質な身体に鮮やかなピンク色の体色。
頭部に毛はなく、大きな一つ目が眼下で走る男達に向けられる。
鋭い牙の並ぶ大きな口を開けて咆哮するそれは、巨獣の森の生態系において頂点に君臨する魔獣サイクロプスだった。
「助けてくれ! アレが追いかけてくるんだ!」
先頭を走る男には見覚えがあった。
ギルドで僕にいちゃもんを付けてきたゴールド級の冒険者だ。
後ろにいる三人にも見覚えがある。
「どういたしますか? アレの餌にしても構わない輩だと思いますが」
「見捨てちゃダメだよ。助けてあげないと」
そう言うとイリスはやれやれと首を横に振る。
「お優しいというか甘いですね」
「君が厳しすぎるんだよ。目の前に助けを求める人がいたら手を差し伸べてあげなきゃ」
「無理な話ですね。私はあのような者達が溺れていれば、手を振り払って笑顔で眺めます。ご主人様に屈辱を与えたことを死の淵で詫びさせなければ」
怖いよ。どんだけ怒ってるのさ。
それはそうと、サイクロプスをどうにかしないとね。
「頼むよイリス」
「はぁ、しょうがないですね」
双剣を抜いた彼女は走り出した。
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