二十二話 結婚希望者

『わんわん!』

『あはは、可愛いね。君はどこから来たのかな』

『わんわんっ!』

『だめだって、そんなに顔をぺろぺろしちゃ』


 子犬は尻尾を振りながら僕の顔をペロペロなめる。

 どこから来た子なのかさっぱりだけど、そんなことなんかどうでもいいように思えた。

 楽しい楽しい一時。

 それにしてもこの子、やけに僕の顔をしつこく舐めるなぁ。


「ご当主様、そろそろお時間ですわ」

「…………ふぁ?」

「ほらほら、早く起きないと後悔いたしますわよ」


 重いまぶたを開ければ、メイドのレリアが僕の顔に刷毛はけで水を塗りたくっていた。

 彼女と目が合う。

 レリアはにっこりと微笑んだ。


 しかし、なぜか彼女の作業は止まらない。


 僕はあまりの冷たさに飛び起きてシーツで顔を拭いた。


「なんで!? 僕と目が合ったよね!?」

「はて、何のことでしょうか。お目覚めだったとは気がつきませんでしたわ」


 嘘だ! ばっちり目があっただろ!

 レリアはしれっとした態度で刷毛の入ったバケツを床に置いて、クローゼットから今日の衣類を用意する。


「何度も言ってるけど、変な起こした方は止めてくれないかなぁ」

「残念ですがこれが私の普通ですわ。それで本日はどのような夢を御覧になられたのでしょう」

「子犬に顔を舐められるリアルな夢を見たよ」

「なるほど、それはなかなか楽しそうな内容ですわね」


 彼女の持つ服に袖を通し、さらに髪をセットしてもらう。

 びしっと今日の格好が決まったところで、レリアがなまめかしく後ろから僕の首に手を回した。


「ご当主様はいつになれば私にお情けをくださるのかしら」

「え、いや、僕はそんなつもりは……」


 囁くように耳元で甘い声が発せられる。

 彼女の手はするすると僕の胸に下りてきた。

 おまけに背中に感じられるのは柔らかい感触だ。


 ダメだよ。それ以上は。

 そ、そうだ、こんな時はスーパー賢者タイムを……。

 くっ、興奮していて集中できない。


「はぁぁ、早く貴方様のお子が――」


 バンッ! 部屋のドアが勢いよく開け放たれてイリスが睨み付ける。

 舌打ちをしたレリアは僕から離れてイリスと対面した。


「ぼーっとしてると、私がご当主様を食べちゃいますわよ?」

「そんなことをしたら貴様を殺す」

「ふふっ、怖い怖い。せいぜい油断しないことね。私にもにも」


 レリアは流し目で僕を見ながらぺろりと唇を舐める。

 そして、美しくスマートな足運びで部屋を出て行った。


「雌狐め。そんなこと言われなくとも分かっています」


 イリスは眉間に深い皺を作って親指を囓った。


「あ、あの……」

「申し訳ございません。お見苦しいところをお見せしてしまいましたね」

「レリアとイリスって仲が悪かったの?」

「え? ああ、そういうわけではありませんよ。彼女とは比較的仲良くさせていただいていますし。ただ、女の戦いは非情というだけです」


 ギラリと彼女の目が鋭くなる。

 ひぇっ、僕の知らないところで戦いが起きてる!?


「お兄ちゃ~ん! おはよ~なのじゃ!」


 プリシアが部屋に入ってきて笑顔で挨拶する。

 返事をすれば妹は僕に抱きついてスーハースーハーと匂いを嗅いだ。


「朝からお兄ちゃんと一緒とは幸せこの上ない」

「僕もだよ。また一緒に暮らせるなんて夢のようだ」


 彼女は昨日から屋敷で暮らし始めた。

 まだ少しだけ違和感を覚えているけど、昔はこれが普通で僕らは平凡に生活を営んでいたんだ。

 そう、これこそが本来あるべき家族の形のはず。

 早く彼女との生活に慣れないといけないよね。


 僕らは朝食をとる為にダイニングへと移動した。



 ◇



 本日の朝食はパンにゆで卵とサラダ。

 デザートとしてフルーツも付いていた。


「ごちそうさま。美味しかったよサーニャ」

「恐縮です。お飲み物は何にいたしましょうか」

「コーヒーをお願いするよ」

「承知しました」


 僕の前にコーヒーが置かれる。

 うん、やっぱり朝はコーヒーに限るよ。


 しかし、僕に注がれる視線が痛いな。


 ダイニングには六人ものメイドが並んでいる。

 サーニャは元々いたから除外して、あとの五人は新しく入った者達だ。


 実は妹は引っ越してくる際、使用人も連れてきてしまったのだ。

 その数は三十人あまり。

 かなり多いとは思うが、賢者に仕える者としてはこれくらいが平均的だとか。


 ちなみにではあるが、彼女達の主は僕と言うことになっている。

 まぁ、ここは今や正式に僕の屋敷だしね。

 給料に関してはプリシアの財布から出ているので、僕が必要以上に支払う必要はない。

 とてもありがたい話ではあるが、妹に養ってもらっているような感じがしてしまって、申し訳なく思ったりもしている。


 とまぁそんなわけで、メイド達は新しい主人のことを知る為に、逐一僕を観察しているのだ。おかげでどこに行っても視線を感じて落ち着かない。


「あむっ、お兄ちゃんが育てた野菜は美味じゃ」

「そう言ってもらえると嬉しいよ」


 プリシアはサラダをもぐもぐと食べながら、その味とシャキシャキ感にご満悦の様子。

 同じように食しているイリスは当然と言った表情だった。


「ご主人様がお育てになった作物なのですから、最上級の食材であることは言うまでもありません。私ほどになればご主人様が踏んだ雑草でも美味しく感じられますよ」

「え……まさか食べたことあるの?」

「悔しいが同感じゃ。そのような雑草でも美味しいに違いない」

「共感しないで! それと、雑草は食べちゃだめだ!」


 プリシアは「ところで」と僕に視線を向ける。


「いつアタシと結婚するのじゃ?」

「ぶふっ!?」


 思わずコーヒーを吹き出した。

 け、結婚だって!? なにを言ってるの!?


「お兄ちゃんとの結婚はアタシの長年の夢じゃ。正直、もう叶うこともないと思っていたが、このような歳になってからチャンスが巡ってくるとはなんたる幸運。きっと天国で暮らす父と母がアタシ達を再び巡り合わせてくれたのじゃ」

「父さんも母さんも兄弟で結婚しろとは一言も言ってなかったような。むしろどちらかと言えば反対していたと思うけど……」

「余計なことは考えなくてよい。アタシとお兄ちゃんは結ばれるのじゃ」


 はぁぁ、変なところは百年前から変わってないね。

 自分で言うのもなんだけど、僕のどこが良いのかさっぱりだ。

 異性として好意を抱いてくれているのは嬉しいけど、やっぱり兄弟で結婚するのは問題があるんじゃないかと思うんだよね。

 一応、王国の法では禁じられているしさ。

 

 そこでハッとする。


 ……まてよ、今のルナは改名していてマグリス家とは無縁の人間となっている。

 つまり結婚しようと思えばできるわけだ。

 おまけにルナ・マグリスは死んだことになっているはずだ。

 ルナとプリシアは別人。世間ではそう認識されている。


「ぬふふ、気がついたようじゃな。アタシとお兄ちゃんの間にはなんの障害もないのじゃ。結婚もできるし子を宿すこともできる。我が百年計画ここに成就せり」

「すさまじい執念だ」


 いやいや、ドン引きしている場合じゃない。

 それでも血は繋がっているのは間違いないんだから。

 会話を聞いていたイリスが呆れた口調で呟く。


「お忘れでしょうが、すでにその女は他の男と子を成しています。言ってみれば使い古された中古品。なのにそればかりかご主人様とも結ばれようとは愚かにもほどがあります」

「うぐぐ、痛いところを突いてくる女じゃ。そ、そりゃあ確かに一度は結婚したが、やむを得なかったのじゃ。愛する人をあてもなく待ち続けるのは……アタシには耐えられなかった」


 イリスが鼻で笑う。


「言い訳ですか。私ならたとえ千年経とうとそのような判断はしませんけどね」

「なんじゃと! それではアタシが、お兄ちゃんをどうでもいいと思っているように聞こえるではないか! アタシはお兄ちゃんの為なら、荒波に身を投げ出す覚悟だってあるのだぞ!」


 プリシアとイリスの口論は次第にヒートアップしてゆく。

 見かねた僕は仲裁をすることに。


「ほら、二人とも喧嘩しないで。僕は過去に何があっても気にしないからさ」

「お兄ちゃん! やっぱりお兄ちゃんは優しいのじゃ!」

「ご主人様は甘すぎます。そのような女に寛大である必要はないと思いますが」


 プリシアは僕に抱きついて嬉しそうだ。

 がばっと顔を上げて「それでいつ結婚するのじゃ!」などと諦める様子はないようだった。


「そういうのは……ちゃんと相手を知ってからにしよう。えーっと、あれだよ、僕らは百年も離れていてお互いに何があったのか知らないしさ」

「ふむ、それは一理あるの。アタシもお兄ちゃんが魔界から帰還した、と言う事実しか知らぬからの。きちんと話し合いの場を設けるべきかもしれん」


 納得してくれたので僕はそっと胸をなで下ろす。

 これはそう簡単には諦めてくれそうにもないな。


 食事を終えた僕らはダイニングを出た。



 ◇



 ギルドに顔を出した僕とイリスは手頃な依頼を探していた。


「そろそろ大きな依頼を受けたいかな」

「ここ最近はナッシュ達に付き合ってオーク狩りばかり行っていましたからね。上の依頼に挑戦するには頃合いかと存じます」


 僕はゴールド級の掲示板をじっと眺めて手頃な物がないか探す。

 報酬はどれも金貨数枚の多額なものばかりだ。

 でも、できればもっと稼ぎたい。

 今の収入では心許ないからね。


「これなんか良さそうだけど――痛っ!?」


 誰かに横から強く身体を当てられた。

 まるで邪魔だから退けとでも言うようにだ。


「ブロンズがこんなところでウロウロすんるんじゃねぇよ」


 四人組のゴールド級冒険者の一人が掲示板の前に立っていた。


 金の短髪に耳や口元にピアスが付けられ、いかにもガラが悪そうな印象だ。

 仲間である他の三人も身体にタトゥーが入れられ、僕には彼らが荒くれ者の集団に見えた。

 もとい冒険者というのは元々そう言う者達の集まりだ。

 今さら驚くようなことではない。


 僕はひとまず先輩である彼らに詫びることにした。


「邪魔になっていたことに気づかず申し訳ない。僕はロイ・マグリス――」

「気安く話しかけてくんなよ。これだから調子に乗ったブロンズは嫌いなんだ」


 今度は右手で強く突き飛ばされた。

 僕はよろけて床に尻餅をつく。


「ご主人様! 大丈夫ですか!?」

「うん、気にしないで。たいしたことじゃないから」

「貴様! よくもご主人様に!」


 イリスが怒気を発して双剣の柄に手を伸ばす。

 僕は慌ててそれを止めた。


「本当、全然大丈夫だから!」

「なりません。この者達は許しがたい罪を犯しました。今すぐにでも細切れにして豚の餌にしなければ」

「ダメだってイリス! こんなところで暴れないで!」


 彼女はしばらく迷った後、僅かに引き抜かれていた刀身を鞘に収める。

 ふぅ、危ない危ない。あと少しで僕達が衛兵にしょっ引かれるところだったよ。


 しかし、今の出来事が四人のゴールド級冒険者の機嫌を激しく損ねてしまう。


 リーダー格らしき男が突然、僕の顔を強く殴ったのだ。

 いきなりのことで対応できず、ギルドの壁に勢いよく背中を打ち付けた。


「なんだその態度! てめぇ、ブロンズ級の自覚が足りねぇんじゃねぇのか! 初心者なら先輩にはもっと敬意を払えよ!」

「貴様――!!」


 イリスが再び抜刀しようとしたので、僕はそれを左手で制する。


「うっ……申し訳ありませんでした。確かに僕にはその自覚が欠如していたようです」

「だったらもっと丁寧に頭を下げろよ」


 僕は床に膝を突いて深く頭を垂れた。

 良くも悪くも彼らは先達者だ。

 長くやっていくならここで無用な争いは起こすべきではない。


 ただ、イリスは怒りに震えていた。

 主人のこのような姿を見るのは屈辱的なはず。

 彼女には後できちんと謝っておかないといけない。


「ぺっ、根性のねぇ奴だ」


 僕の頭に唾を吐いた男は、掲示板から適当な依頼を取ってカウンターへと歩いて行った。

 三人の仲間もニヤニヤしながら彼の後に付いて行く。

 一部始終を見ていたギルドの職員は、事態が収まったことを確認してから、何事もなかったかのように再び通常の業務へと戻る。


「どうして! あのような輩、私がすぐにでも切り捨てたのに!」

「落ち着いてイリス。ここはギルドだ、下手なことをすれば捕まるのは僕らなんだよ」

「ご主人様が殴られてもですか!?」

「残念だけど事実だ。ゴールド級とブロンズ級ではそもそも価値が違う、ギルドがどちらに有利な証言をするかは分かりきったことじゃないか。よほどのことでない限り、ギルドは向こうの味方なんだよ」


 それに僕らは階級に合わない依頼を探していた。

 向こうが無謀な新人を指導したとでも言えば反論はしにくい。


 ナッシュ達が良い子だから、ついつい忘れていたよ。

 冒険者は気性の荒い人達が多いってことを。

 今後は用心しないと。



 その後、ゴールド級の掲示板から『アーマーライノスの討伐』を引き受けることにした。

 

 僕らはライノスが度々目撃されている南の森へと出発。

 太陽が真上に来る頃に現地へと到着した。


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