第二章 賢者と魔界賢者
二十一話 妹のいる日常
「ふんふ~ん♪ ふふふ~ん♪」
今日も快晴。青い空とポカポカとした日光が気持ち良い。
ズボッ、引き抜いた魔界ニンジンがじたばたと暴れる。
うん、良いできだ。
手足のあるニンジンはしばらくすると大人しくなった。
ぽいっと背負っている籠の中へと放り投げてから、僕は次の野菜を抜きにかかる。
ベヒーモスとの戦いから一週間。
僕は変わらずのんびり生活を送っている。
百年経ってようやく村人に戻れた気分だよ。
こっちの方が僕の性に合っていると思うんだ。
「陛下っち、これなんかどうかな! 大物だぞ!」
メイドのピノが頭蓋骨のような魔界大根を引き抜いて掲げた。
「うん、おおぶりで良いできだよ。それよりも僕のことは、ご主人様とか当主って呼んでくれないかな。もう王様じゃないし、他の人が聞いたら驚くじゃないか」
「あ、そっか。だとすると……当主っち?」
「……それはそれで問題がありそうだね」
僕は呆れつつ、みずみずしく育った魔界ナスビを籠に投げ入れる。
今夜は焼きナスでも食べたい気分だ。
後でサーニャにでも相談してみようかな。
それにしても種を植えてたった一週間で実りを得たのは僥倖だったかな。
どうやら魔界の作物と人間界の土は、信じられないほど相性が良いらしい。
野菜レベルでこれだ、繁殖力の強い植物なんか植えたら危険かも。
下手をすれば人間界の生態系を狂わせる可能性だって十分にあるんだ。
魔界の作物はくれぐれも慎重に扱わないといけない。
「ご主人様、客人がお越しになっています」
「お兄ちゃん! また来たのじゃ!」
イリスがプリシアを連れて畑へとやってきた。
僕は駆け寄る可愛い妹を抱きしめる。
「いらっしゃい。今日も元気みたいだね」
「うむ、お兄ちゃんに会えるのならアタシはいつだって幸せじゃ」
そう言って腕の中で目を細めて頬ずりする妹。
様子を見ているイリスは無表情のまま不機嫌なオーラを放っていた。
「毎日来られると非常に迷惑です。ご主人様は暇ではありませんので」
「ふん、それはお主の個人的な感情だろう。お兄ちゃんはアタシが来てくれるのを楽しみにしていると言っておったわ」
ニヤニヤとするプリシアに、イリスはぴきりと眉間に血管が浮き出る。
不思議と周囲の気温が二、三度下がったような気がした。
「まぁよい。従者などどうでも良いからな。それよりも今日はお兄ちゃんに喜ばしい知らせを届けに来たのじゃ」
嬉しい知らせ? なんだろう?
賢者である彼女が持ってくるくらいだからよほどのことなのだろう。
ひとまず屋敷の中へと行くことにした。
◇
紅茶から発せられる香りは心に余裕を与えてくれる。
一口含めば仄かな甘味が感じられ、瞬時に疲れが消えて行くようだった。
「ありがとうサーニャ。君の淹れてくれるお茶はいつも美味しい」
「身に余るお言葉。これからも御当主様の為に精進いたします」
メイドのサーニャは静かに一礼して部屋の隅で待機する。
彼女の淹れる紅茶は魔界一だと僕は思っている。僕と同じように口を付けたプリシアも満足そうにうなずいていた。
「それで話は?」
「うむ、まずは先日に起きたベヒーモスとの戦いを整理するとしよう」
彼女はベヒーモスが召喚されてしまった経緯を話す。
グランメルン王国は現在、バロニア魔帝国と呼ばれる国と戦争中だ。
戦況は向こうが優勢。
現在はなんとか戦線を維持しているそうだ。
その為、戦争を早期終結させるような強力な兵器が求められていた。
そして、発案されたのが魔界の生物を呼び出して切り札とすること。
ベヒーモスの存在を知った王国上層部はこの案を強力に支持した。
なぜならプリシアが開発した新しい召喚陣がそれを可能としていたからだ。
だが、プリシアはこの案に強く反対した。
当然だ。碌に調べもせず怪物を呼び出そうとしていたのだから。
そこへ賢者の一人であるベネディクトが声をあげる。
彼は新しい召喚陣を完成させ、ベヒーモスを呼び出せると豪語したのだ。
しかし、実際は盗み出したプリシアの研究成果をそのまま流用したものだった。
ベネディクトは国王に許可をもらい大規模実験を行うことに。
結果は知っての通り失敗。
ベヒーモスは暴走したあげく多数の魔術師を殺した。
「――で、ここからがその後の処置じゃ。アタシの研究成果を盗み出した研究員は多額の罰金と研究所から永久追放。ベネディクトには罰金と七日間の謹慎処分が下された」
「あれだけのことをしておいてたった一週間!?」
「仕方ないのじゃ。奴は腐っても賢者の一人、おまけに現在は戦争中じゃ。有力な者を遊ばせておく余裕などないのだからの。それに奴を後押ししたのが上層部ということも関係あるだろう」
到底納得できない内容だ。
奴らの無知な行いのせいで死んでいった者達は報われない。
「問題はここからじゃ。陛下は今回の騒動の一端はアタシにあるとし、その責任を取る形で戦線の押し上げをお命じになられた」
「ふざけるな! ルナは何も悪くないじゃないか!!」
「お、落ち着いてお兄ちゃん。今のアタシはプリシアだから」
「――っつ、ごめん。思わず頭に血が上ってしまった」
けど、煮えたぎる怒りはそう簡単に消えやしない。
だってそうだろ。再三警告してきて、ベネディクトの尻拭いまでさせられた彼女に一体なんの責任があるって言うんだ。
可愛い妹に罪をかぶせようって言うのならただじゃおかない。
「これでも陛下は寛大なご判断を下されておる。なんせ大臣率いる上層部は全ての罪を、アタシになすりつけようとしていたのだからな。捕縛した研究員の証言がなければ、アタシはベネディクトの立場に立たされていた」
「それでも許せないよ。よし、僕が陛下に直接抗議してこよう」
勢いよく席を立つとプリシアが慌てて止める。
「待った待った! そんなことをすればなおさらアタシに批判が集中する! とりあえず今回のことはこっちでなんとかするから、お兄ちゃんは大人しくしてて!」
「そうなんだ……」
しょぼんと気落ちしながら、僕は椅子に再び腰を下ろす。
本人がそれでいいと納得しているのなら僕にできることなどない。
ようやく妹の役に立てると思ったのにさ。
「ご主人様は身内のこととなると碌なことをしませんからね。止めて正解です」
紅茶を飲みつつイリスが真顔でそんなことを言う。
ひどい。妹の為に頑張ろうとしていたのに。
「うむ、お兄ちゃんは昔からアタシやテトのこととなると無茶をしておったからの。ここで止めておかぬと本当に何をしでかすか分からん。下手をするとお城ごと陛下を吹き飛ばすかもしれぬしな」
「大丈夫だって。それは最終手段だし」
「笑顔が怖いのじゃ」
そう言えば倒したベヒーモスはどうしたのかな。
あれは解体すると良い素材が手に入ったと思うけど。
まさか無駄に腐らせてないよね。
それとなくベヒーモスはどうしたの、と質問してみた。
「もちろん素材はしっかりいただいている。魔界の怪物の死体となると、超が付くほど貴重な物。放置する方が魔術師としてどうかしておるわ」
「そうなんだ。ちなみに肉はどうしてるの?」
「兵糧として加工している。これでしばらくは食糧不足の心配もなくなるじゃろう」
うんうん、賢い判断だ。
せっかく死体を譲ってあげたんだから、どのような箇所も無駄にはして欲しくない。それにベヒーモスは見た目とは違い、その肉質は脂がのっていて非常に美味しい。
きっと兵士達の胃袋を満足させることだろう。
「それとベヒーモスは、お兄ちゃんが希望した通りアタシが倒したことにした」
「ありがとう。助かったよ」
「ぐぬぬぬ……」
なぜかプリシアは不満そうな表情をしている。
そりゃあそうか。これを言い出した時、彼女は「倒したのはお兄ちゃんなのに!」って怒っていたもんね。
もちろん気持ちは理解できる。
彼女にしてみれば兄が魔術師として、人間界で名を馳せる良いきっかけになると思ったに違いない。マグリス家の長男の存在を世に知らしめ、いずれは王国の賢者となることを望むのが普通だ。
けど、僕はそうしなかった。
理由は単純で、僕は今ののんびりとした生活が気に入っているのだ。
さらに言えば賢者なんてなりたいとすら思っていない。
魔界で散々もてはやされて僕はもう疲れていた。
忙しい毎日だってもう沢山だ。
汗水垂らして畑を耕す。
ただただ平穏な日々を送る。
それだけで充分に感じていた。
だから手柄を全て妹に譲ることにしたのだ。
「お兄ちゃんは実力相応の地位に座るべきなのじゃ。それこそ国内最強と呼ばれる筆頭賢者がふさわしい」
「いいよ、僕はそういうのはもうこりごりなんだ」
「良くない! アタシが強引にでも宮廷魔術師に押し込むから、お兄ちゃんは賢者となってこの国の頂点に立つのじゃ! 決定じゃ!!」
「だからならないって! うわっ、追いかけてこないでよ!」
僕が逃げ出すとプリシアが追いかけてくる。
部屋の中をぐるぐる回って十分経過。
息を切らした妹はようやく諦めた。
◇
「ほら、機嫌直して」
「大丈夫。もう平気じゃ」
紅茶に口を付けたプリシアは、ひとまず落ち着いた様子だった。
「それで話を戻そう。僕が喜ぶようなニュースを持ってきてくれたんだろ」
「そうじゃ! それを伝えなくてはな!」
元気を取り戻したプリシアに僕は微笑む。
反対にイリスは冷ややかな視線を向けていた。
「私はその話は聞かない方がいいと存じます」
「どうして?」
「嫌な予感がするのです」
でも嬉しい報告だと言っていたけど……。
そう思いつつ妹に顔を向ければ「ちっ、敵ながら褒めておくべきか」などと言っているではないか。
と言うか君達って敵対関係だったの?
プリシアはささっ、と僕の隣の席に座ってニンマリ笑みを浮かべる。
そして、僕の右腕に抱きついて猫のように甘えてくるではないか。
「もしアタシと毎日一緒にいられたら嬉しい?」
「そりゃあ嬉しいに決まってる。僕達は兄妹なんだから」
「ぬふふ、決まりじゃな」
我が妹は女の子とは思えないような下卑た顔をしていた。
対するイリスはハッと何かに気がついたようだった。
その時、ガラガラと複数の馬車の音が外から聞こえる。
お客さんかな。でも誰かが来るなんて予定になかったけど。
するとプリシアが素早く席を立って部屋を出て行く。
僕とイリスは顔を見合わせる。
「知り合いでも来たのかな?」
「違います。あの女の荷物が到着したのです」
「荷物ってどういうこと??」
「見れば分かりますよ」
イリスが立ち上がるので、僕も同じように席を立って部屋を出る。
エントランスでは玄関の扉が全開になっており、執事のエドワードが外の様子を眺めていた。
「誰が来たんだい?」
「ああ、ご当主様。実は突然五台の荷馬車がやってきて大量の荷物を下ろし始めたのです。プリシア様は許可をもらっているとおっしゃっていましたが、私には何が何だか困惑しております」
大量の荷物……?。
イリスは「やはりあの女」と呟いている。
ダメだ、僕も突然で事態を把握できていない。
ひとまず玄関を出て外に行けば、エドワードの言っていた通り五台の荷馬車が並んでいた。
しかも御者とその手伝いが車から次々に大量のトランクを下ろしている。
「下ろした荷物はこっちに固めるのじゃ。高い給料を払っておるのだからキリキリ働け」
「ういっす」
僕は慌ててプリシアの元へと走った。
「これはどういうこと!?」
「決まっておろう。アタシもこの屋敷で暮らすのじゃ」
「えぇ!? 一緒に暮らす!?」
「可愛い妹と毎日会えるなんてお兄ちゃんは幸せ者じゃな。ぬふふ」
そ、そりゃあ僕も毎日会えるのは嬉しいけど。
ちょっといきなりすぎやしないかな。
急展開に僕は苦笑いしかできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます