十八話 裏切り者

 ……あれ。真っ暗だ。

 おまけに身体も動かない。


 恐らく椅子かに何かに座らされて紐で固定されている。

 僕は近くに人がいる気配を感じ取った。


「誰だ。どうして僕を拘束する」

「お目覚めになりましたかご主人様」

「イリス? なんでこんな状態なのかな、教えてくれる?」

「……残念ながらそれはできません」


 えぇ!? このまま!?

 全然状況が理解できないよ。

 僕は確かレイモンドとイリスとで屋敷を出て、プリシアのいる場所へと向かっていたはずなんだ。到着した場所で……うぅ、頭が痛い。なぜだがそれ以上思い出せない。


「ご主人様は何をしたか覚えていらっしゃいますか?」

「それが思い出せないんだ。どこかの建物に来たことまでは覚えているんだけど……」


 イリスとレイモンドがこそこそと会話をする。


「都合良く記憶喪失になってくれているみたいですね。このまま面会を進めましょう」

「なんというご都合主義な男なんだ。あれだけのことをしでかしておいて忘れるとは……くっ、まぁいい。これ以上暴れられるとこちらも困るからな」


 レイモンドは「プリシア様を呼んで来る」と言ってドアを開けて出て行った。

 だとするとここは建物の中? 

 音の反響から結構広い部屋のように思える。


「ねぇイリス。僕は何をしたの? 何か良くないことをしちゃったのかな?」

「ご主人様が気に病む必要はございません。金貨を少し積んだら向こうは笑顔で見逃してくれましたから」

「やっぱり何かしたんだよね!? 金貨を積むってどういうこと!?」


 分からない。僕は一体何をしたんだろう。

 思い出そうにも記憶は蘇らないし、心なしか身体も若干痺れたような感じがする。

 ただ、なぜか興奮しているんだ。

 楽しくて仕方のない物を見た気がしたんだけど、何もかもにもやがかかっていて判然としない。

 

 それに過去にも同じようなことがあった気がする。

 あの時も拘束されていたような……。


 ガチャリとドアが開けられる。

 どうやらレイモンドが戻ってきたようだ。

 彼はため息をついてから話を始めた。


「プリシア様はどうやら急用ができて外出中のようだ。面会は後日改めるとのことらしい」

「それは困りましたね。こちらも暇ではないので、そう何度も呼び出されるわけにはいかないのですが……」

「今回はこちらに非がある。要望があるならできるだけ聞こう」

「……だそうですが、ご主人様はどういたしますか?」


 うん、それよりもこの目隠しと拘束を外して欲しいな。

 それとなくイリスに言うと「ダメです」と即答された。


「ちなみにだけどプリシア様の用事ってなんなのかな?」

「それに関しては僕も知らない。言伝を頼まれた者によればかなり焦っておいでだったそうだ。よほどの急務だったのだろう」


 ふーん、じゃあ今日のところは大人しく帰るしかないのか。

 ちょっとだけ会えるのを楽しみにしていたのに残念。

 

 そんなことを考えているところで、唐突に部屋のドアが勢いよく開け放たれる。

 僕は大きな音に心臓が口から飛び出るかと思うほど驚いた。


「あ、貴方は――!」

「君がどうしてここに!?」


 なに、なにが起きているの!? 視界が塞がれて状況が全く分からないよ!

 すると聞き覚えのある女性の声が聞こえた。


「主の研究を盗み出した罪人を捕まえました」

「研究が盗まれた? 僕はそんな話聞いていないぞ。まさかプリシア様が突然出かけたのも、に関係があるのか」


 先ほどから男のうめき声が聞こえる。

 この部屋には僕を含めた五名いることになる。

 

 それにしても現れた女性は誰だっただろうか。

 魔界で会ったと思うのだけれどはっきりと顔が出てこない。


「この者は賢者の一人であるベネディクトに、研究の過程を記した書物を売り渡したそうです。そして、たった今、魔界からベヒーモスを呼び出す実験が行われようとしている。我が主は召喚を中断させる為に急遽現地へと向かわれたのです」


 僕は心臓が掴まれたような感覚を味わった。

 人間界にベヒーモスを呼び出すだって? 

 冗談じゃない。アレは人の手に負えるようなものじゃない。

 正真正銘の怪物なんだぞ。下手をすればこの国が一夜で滅ぶ。


 この場にいる誰かが男のさるぐつわを取った。

 途端に縛りあげられているだろう男は笑い始める。


「ははははははっ、今頃気がついてももう遅い! ベネディクト様によるベヒーモス召喚はもう止められないのだ!」

「貴様! プリシア様の研究を盗み出しておいてよくもそんなことを!」

「残念だったな。俺を捕まえたところで罰することはできないぞ。なぜならこの俺は英雄の一人になるからだ。ベヒーモスを召喚したことで戦況は大きく変わる。その一端を担った者を誰が裁くことなどできようか」

「くっ、魔術師のプライドもない外道め!」


 僕は意気揚々と喋る男に声をかける。


「ベヒーモスがもしこちらに向かってきたらどうするのかな。悪魔デーモンにさえ手に余る怪物が人間に大人しく従うとはどうしても思えないんだ」

「ベネディクト様の有する技術は、すでに悪魔デーモンを越えている。新しく開発したと言う魔術ならたとえ魔界の怪物であろうと、飼い慣らされた犬のように支配下におくことができるだろう」


 へぇ、支配系の魔術かな。

 ずいぶん自信があるみたいだしかなり強力なんだろうね。

 だけどベヒーモスにそんなものが通用すると信じている時点で浅はかかな。


「ククク、あのプリシアももはや落ち目。これからの時代はベネディクト様が築くのだ。俺を捕まえてせいぜいいい気になっていればいい。最後に笑うのはこっちなのだからな」


 視界の塞がっている僕には、彼がどのような表情をしているのかは分からない。

 だが、自分に先見の明があると自慢しながら嗤っていることだけは察することができた。


「イリス、僕はプリシアの元へ行くよ」

「承知いたしました」


 彼女が剣を抜いただろう音が響き、僕の目隠しと拘束が切り落とされた。

 椅子から立ち上がると床に転がっている男を見下ろす。

 

 プリシアを裏切ったという魔術師は中年のひょろりとした細身の男だった。


 僕は彼に近づいて顔の前でしゃがむ。

 一応、精神支配されてないか確認したけどそれはないようだった。

 自分の意思でプリシアを裏切りベネディクト側に付いたということ。

 だとすれば自業自得だ。同情の余地はない。


「君は信頼すべき相手を間違えたようだね」

「はっ、何を馬鹿なことを。強く賢き者に取り入るのは世の常だろ。それとも俺が判断を間違っているという証拠でもあるのか」

「じゃあ教えるよ。ベヒーモスには魔術を無効化する力がある。つまりいかなる状態異常も効かないし、洗脳などで服従させることもできない。倒せるのは物理攻撃だけだ」

「魔術を無効化する……だと?」


 今度こそ彼はベヒーモスがどれほど危険な生き物なのか理解できたようだ。

 ベネディクトという人物がいかなる魔術を用意していようと、魔界の怪物ベヒーモスの前では無力なのである。

 きちんとした情報収集をしないからこうなる。


「じゃあ実験に加担した俺は……」

「当然罰せられる。国が滅びなければの話だけどね」


 僕は彼の傍に立つ女性に視線を向ける。

 そこには黒装束を身に纏った赤髪の女性がいた。

 一瞬、誰か分からなかったが、女性が口元を覆う布を外すと僕はハッとする。

 僕の記憶が正しければ、彼女はかえでと言う名前の悪魔デーモンだったはず。


「ここは私にお任せを。それよりもプリシア様をお助けください。主はたった一人で百人を超える魔術師と対峙されるおつもりなのです」

「場所は?」

「ここから南西にある”金木犀きんもくせいの森”です」


 なるほど。彼女はプリシアと契約したのか。

 うん、なんだか急に親近感が湧いたよ。

 プリシアは悪魔デーモンを選ぶセンスがあるね。


 僕らはこの場を彼女に任せ、プリシアの元へと急ぐ為に窓を開ける。

 それを見たレイモンドが慌てて僕を止めた。


「待て待て! 窓を開けてどこへ行くつもりだ!」

「へ? 今から金木犀きんもくせいの森に……」

「ここが何階か分かっているのか!? プリシア様を追いかけるなら馬車を出してやるからこれ以上変なことはしないでくれ!」


 なんだか引っかかる言い方だな。

 まるで僕がおかしなことをすでにしたみたいなニュアンスだ。

 あ、そういえばどうして拘束されてたんだっけ? やっぱり思い出せない。

 まぁいいや。今は急いでるからレイモンドは無視しよう。


「”飛行フライ”」


 魔術を発動すると強い風が部屋の埃を舞い上げた。

 僕の身体はふわりと浮き上がる。


「飛んでいる……だと!? なんだその術……!」


 尻餅をついたレイモンドは驚愕の表情で額から冷や汗を流していた。

 人間界では”飛行フライ”はまだ知られていない魔術のようだ。

 イリスも同様に浮き上がると僕らは窓の外へと移動する。


「行こうか」

「はい」


 僕とイリスは南西へ向かって飛行を開始した。

 この術はあまり速度が出ないのが欠点だ。

 果たして間に合うのだろうか。若干不安だ。


金木犀きんもくせいの森は遠いのでしょうか?」

「いや、王都からそれほど離れていないはずだよ。聞いた話では、ちょうどあの山を越えた辺りだったと思う。ナッシュ達が依頼で度々行っているところなんだ」

「なるほど。ならば道に迷うことはなさそうですね」

「ベヒーモスが召喚されればいやでも分かるよ。あの巨体だからね」


 ベヒーモスはかなりデカい。

 正確に計ったことはないが、立ち上がった時の身長は五十メートルくらいかな。

 だから呼び出されたらすぐに分かるはずなんだ。


 そろそろ王都を出ようとする頃、後方から馬のいななきが聞こえた。

 それはすさまじいスピードで空中を駆け、僕らと並走するようにこちらへと近づく。


「小太郎! 来てくれたんだね!」


 さすがは僕の愛馬。いつも必要な時に颯爽と現れてくれる。

 僕は小太郎にまたがり、イリスの手を掴んで彼女も後ろに乗せた。

 次の瞬間、小太郎は一気に加速した。


 僕らは南西にある金木犀きんもくせいの森へと急ぐ。



 ◆



 一台の馬車が草原を荒々しく走行する。

 車内に乗っているプリシアは衝撃で身体が浮き上がり、何度も天井に頭をぶつけていた。

 御者の男性が心配そうに振り返るが、彼女は頭をさすりながら彼を睨んだ。


「アタシのことは気にするな! もっと飛ばせ!」

「無茶言わんでください。これ以上速度を上げたら、車体が壊れて馬もぶっ倒れちまいます」

「あー、くそっ! もたもたしていられないというのに!」


 彼女のイライラは頂点に達していた。

 現在向かっているのは王都から南西にある『金木犀きんもくせいの森』と呼ばれる場所だ。そこで六賢者の一人であるベネディクトが大規模実験を行う予定だった。


 彼女が今回の話を耳にしたのはほんの一時間ほど前。

 たまたまベネディクト派の研究員が、会話をしているところに通りかかったことがきっかけだった。

 本日の午後、金木犀きんもくせいの森にて魔界の怪物を呼び出し兵器にする、そのような話を聞いてしまった彼女は、実験を中断させる為にすぐに研究所を後にした。


「アタシの研究を盗んだのは奴だったか! 以前から碌でもない人間だとは思っていたが、ここまで腐っていたとは! 愚かにもほどが――ぎゃっ!」


 再び頭部を天井にぶつけた彼女は涙目で頭を押さえた。

 馬車はでこぼこ道を壊れてしまうような勢いで走行し続けていた。


「プリシア様! 森です! もうじき到着しますよ!」

「よし、そのまま最大速力で向かうのじゃ! 間に合えばいいが!」


 馬車は森へと突入し、ひたすら道を突き進む。

 開けた場所に出ると彼女は御者に急停止を命令した。

 勢いよくドアを開けて飛び出したプリシアは、目の前の光景に杖を握りしめる。


 百人の魔術師が巨大な魔法陣を囲み、魔力を流し込みながら呪文を唱えていた。

 しかも魔法陣はすでに紫色の光が発している。

 直に術が完成することは明白だった。

 

 彼女は目に付いた魔術師に手当たり次第に麻痺の術を放つ。

 バタバタと倒れる仲間を尻目に魔術師達は動けないまま呪文を唱え続けていた。


「”光六槍ライトスピアー”」

「ふっ! はっ! たっ!」


 光り輝く六本の槍が次々に射出され、プリシアに向かって飛来する。

 彼女は軽快な動きで槍を躱し、最後の一本は魔術で創り出した岩の壁で防ぐ。

 

 壁がガラガラと崩れると、プリシアとベネディクトは杖を向けてにらみ合った。


「やはり邪魔をしに来たか。賢者プリシア」

「予期していたのなら話は早い。今すぐに実験を中止せよ」


 彼女を攻撃したのは黒いローブを身に纏う中年の男だ。

 白髪の短髪に右目には眼帯、口元には無精髭が生えている。

 その目は冷たく感情のようなものはそこからは垣間見えない。

 

 黒色の杖をプリシアに向けたまま彼はニヤリとする。


「それはできない。なぜならこの実験はすでに陛下の許可が下りている正式なものだ。たとえ貴様であろうと止める権利はない」

「ならばお主が召喚陣を盗んだことを報告させてもらう。陛下のお耳に入ればただでは済まないぞ」

「ふはははっ、どこにそんな証拠がある? 貴様の部下からアイデアを譲り受けただけかもしれないぞ? 私が盗人などとずいぶんな物言いだな」


 プリシアはトカゲの尻尾切りか、と舌打ちした。

 確かにそのように言われてしまえば追求はできない。

 彼女にはベネディクトを追い詰める材料が圧倒的に不足していた。

 彼は話を続ける。


「しかし、それも大事の前では些事よ。これから行われるベヒーモス召喚は、我が国の戦況を大きく変えることだろう。それどころか先に負けた二国を奪い返し、吸収することで、グランメルンはより大きく強固な大国へと姿を変える」

「だからアタシの研究を奪っていいと!? ふざけるなっ! だいたいベヒーモスに関しては不明な点が多い、安易に手を出すべきものではない! もし手に負えなかった時、お主はどう責任を取るつもりじゃ!」


 ベネディクトは大笑いする。

 その笑い声は周囲に響くほどだ。

 彼の様子にプリシアはますます怒りをたぎらせる。


「あり得ない。私には成功の光景しか見えないな。それとも私が魔界の怪物を見事に操って見せれば納得するかね。所詮はただの獣。知恵ある人間には逆らえはしないのだよ。そのようなものにビクビク怯えているとは、あのプリシアも落ちぶれたものだ」

「くっ……言わせておけば……!」


 二人は前触れもなく唐突に戦いを再開。

 炎と水が空中でぶつかり合って爆発する。

 風の刃が地面をえぐれば、すかさず反撃の稲妻が走る。

 賢者同士の応酬は周辺の地形が変わるほどだった。


「どうしたプリシア! その程度か!」

「こいつっ! 異常なほど魔術行使が早い!」


 光の槍を地面を転がることで躱したプリシアは、同時構築していた二つの魔術を発動する。


「”氷縛雷アイスボルト”」

「しまっ――!?」


 ベネディクトの身体が一瞬にして凍り付き、強烈な電撃が皮膚を焼いた。

 彼は白い煙を漂わせながらどさりと地面に倒れる。


「アタシの異名を忘れたか。ベネディクトよ」

「並列の魔女。だったか……っつ、抵抗値の高いこの私でもこれほどのダメージを受けるとはな。少々侮っていたよ」


 立ち上がった彼は杖で身体を支えながらプリシアに笑みを見せた。

 彼女はハッとして、慌ててベネディクトの背後にある巨大魔法陣を確認する。


 すでに魔法陣からは眩いほどの光が溢れており、その中心からはゆっくりと角のような物が現れていた。

 上手く時間を稼がれてしまった。

 プリシアは怒りに杖を握りしめる。


「ふはははっ、見るがいい! あの凶悪な面構えと巨体を! これが魔界の怪物、ベヒーモスか! 想像以上だ!!」


 両側頭部から生える天を衝くような黒色の二本の角。

 虎のようなネコ科の獰猛な顔に人のような上半身と獣のような下半身。その肉体は筋肉が盛り上がり、体色は燃えるようなクリムゾンレッドだった。覗かせる巨大な牙はどれも鋭く、縦長の瞳孔はぎょろりと地上を睥睨した。


 周囲に吹き荒れるすさまじい魔力に、プリシアは恐怖で息もできないほどだった。圧倒的捕食者を前に、彼女の本能が悲鳴をあげていたのだ。


「ようこそ魔界の怪物ベヒーモスよ、君を待っていたぞ! さぁ、私にひざまずけ!」


 ベネディクトは支配魔術をベヒーモスに放つ。

 が、術は獣に当たると霧散して消えた。


「む? なんだ? どういうことだ?」


 彼は再び術を放つ。

 しかし、命中したはずの術は発動することなく先ほどと同様に霧散した。

 ベヒーモスはぎろりとベネディクトを睨み付ける。


「魔術が効かないとはな。これでは支配できない」

「おい、ベネディクト、どうするつもりじゃ! 早くなんとかしろ!」

「……これは貴様の召喚陣で呼び出されたものだ。責任は貴様にある」

「はぁ!? なんじゃと!?」


 彼は「後の処理は任せた」それだけを言い残し、部下を置いてこの場から逃げ出した。


「グルルルル……」

「嘘じゃろ。こんなものアタシにどうしろと」


 足下では逃げ出す魔術師達の群れ。

 だが、怪物は土ごと彼らを握ると口の中へと放り込んだ。


「最悪じゃ……奴は腹を減らしておる……」


 プリシアがそう言ったあと、ベヒーモスは二本足で立ち上がる。

 そして、天に向かって鼓膜が破れるようなすさまじい咆哮を轟かせた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る