十九話 もう一つの顔

 地響きと共に巨体が歩みを進める。

 獣の目にはグランメルン王国の王都が映っていた。


 彼はひどく腹を空かせていた。

 食事をしたのは百年程前だったか。普段ならあと四百年は寝て過ごすはずが、慣れない環境へ突然放り込まれたおかげで完全に目が覚めてしまっていた。

 加えて足下を走る豊富な食料に刺激され、普段以上に胃袋は活発に動いていた。


 不意に目の前で小さな炎が弾けた。

 彼は眼下を覗いて攻撃をしたであろう敵を探す。

 食事の邪魔をする者はいかなる相手だろうと容赦はしない。

 

 地面をちょろちょろと走る中にこちらを睨む者がいた。

 彼は『抵抗する奴がいたか』と歓喜した。

 狩りをするのはこうでなくてはいけない。

 その者に向けて地面をえぐるように腕をなぎ払う。


「かかった!」


 プリシアは後方に大きく跳躍して攻撃を回避した。

 彼女が使ったのは”大跳躍ハイジャンプ”と呼ばれる魔術だ。

 風を身体に纏わせ跳躍力を高めることができる。

 数十メートルもの高さまで身体が浮き上がった彼女は、宙を舞いながら攻撃を放つ。


 ベヒーモスの顔前で起きる連爆。

 だが、ダメージを受けた様子はなかった。

 それでも彼女は木々を足場にしながら攻撃と跳躍を続ける。

 少しでも魔術師達のいる場所から引き離そうとしていた。


「グォオオオオオオオッ!!」

「クックックッ、目障りなのじゃろ。ならばアタシを追いかけてこい」


 巨獣が木々を踏み潰しなら突進する。

 彼女はひらりと躱し、その背中へ術を直撃させる。

 しかし、発生した爆発はすぐさま霧のごとく消え失せた。


「やっぱりダメか。信じられないことだが、魔術を無効化しているようじゃ。悪魔デーモンが怪物と恐れるのも納得できる」


 木か木へと飛び移りながら王都とは反対の方角へと向かう。

 彼女は地上の様子を窺い、魔術師達が避難を完了させるのを待っていた。

 

 そんな彼女の気持ちは裏腹に、ベネディクト派の一部の魔術師達はこの場にとどまり攻撃を開始する。

 

 ベヒーモスに向かって撃ち放たれる無数の魔術。

 それらはダメージを与えるどころか寸前で消失した。


「くそっ、次を撃て! 絶対にアレを王都に向かわせてはならない!」

「まったく効いている様子が見られません! 我々も早く逃げるべきでは!?」


 指揮を執る中年の魔術師に若い魔術師が意見を述べた。


「貴様は実験の失敗を放置するつもりか! ここで我々が倒さねば、全責任はベネディクト様に降りかかる! それどころかプリシアの手柄になってしまうのだぞ!」

「し、しかし、先ほどからそのベネディクト様のお姿が見当たりませんが……」

「あの方はすでに避難されている! 貴様は余計なことに気を回さず攻撃に集中しろ!」


 二十人ほどの魔術師達は隊列を組んで魔術を行使し続ける。

 プリシアは彼らに逃げるように声をかけようとした。


 次の瞬間、ベヒーモスが口から閃光を放つ。 


 魔術師達のいた場所は吹き飛び森の一部は焦土と化した。

 キノコのように立ち昇る黒煙にプリシアは絶句する。


「なんと言うことじゃ……」


 燃えさかる炎を背に、ベヒーモスは振り返って視線を突き刺す。

 圧倒的破壊者を前に彼女は恐怖ですくみ上がった。

 並のものならすでに意識を失っていたであろうプレッシャーを、プリシアは持ち前の精神力でなんとか耐えて意識を保つ。


 彼女はこのままでは勝機はないと判断し、距離を取りつつ思考を巡らせた。

 魔術による直接攻撃は効かない。けど、間接的ならどうか。

 並列の魔女の異名を持つプリシアは三つの術を同時構築する。


「”大氷牢フリーズロック”」


 ベヒーモスの足下にぐにゃりと渦を巻いて大穴が創り出される。

 穴の入り口が鉄格子でがっちりと塞がれると大量の水が流入した。

 そして、森の気温が一気に氷点下まで下降し始める。

 水が怪物の全身に達したところでぴしりと凍り付いた。


 プリシアは地下牢の近くに降り立ち、中の様子を覗く。

 そこには頭の先まで完全に凍るベヒーモスの姿があった。

 

 がくっ、彼女は膝を折る。


「さすがに魔力を使いすぎたのじゃ。これでしばしの猶予ができたと思うが、アタシの悪魔デーモンで果たして倒せるかどうか……」


 土系の魔術は魔力を無効化されようと、一度作られた形はそのままとなる。

 プリシアはその特性を生かし、大穴を作り出した上で、地下水脈から水を引っ張って穴の中を満たしたのだ。加えて直接凍らせず、周囲の気温だけを下げて水を凍り付かせる手段をとった。

 

 これは魔術師にとってはあり得ないほど非効率的な行いである。

 だが、その甲斐あってベヒーモスは沈黙。

 プリシアは怪物を封じ込めたことで安堵する。


 びしっ。


 びしびしっ。


 彼女は不気味な音に冷や汗が吹き出た。

 轟音と共に目の前に現れたのは穴の端に手をかける巨大な腕。


「嘘じゃ。これでも封じることができぬのか」

「グルルルルルッ……」


 穴から出てきたのは絶望を形にしたようなベヒーモスの顔だった

 

 巨獣は地上へと脱すると、牙をむき出しにして彼女に咆哮した。

 それだけで突風が巻き起こり、大地がびりびりと揺れる。

 プリシアは魔界の怪物を見上げながら何かを諦めたように空笑いをする。


「あは、あははは……終わりじゃ。せめてお兄ちゃんを助けて死にたかったが、所詮アタシには無理だったか。お父さん、お母さん……貴方、ごめんなさい」


 ベヒーモスの大きく開いた口内から光が溢れる。

 灼熱のブレスが放たれようとしたその時――。


 怪物の横っ面を何かが馬鹿げた力で


 直後にブレスが放たれ、プリシアの後方にそびえ立っていた山の頂上が消し飛ぶ。

 その後、怪物は地響きを立てて大地を転がった。

 状況が飲み込めない彼女は、ただただ座り込んだまま口をぽかーんと開ける。


 彼女の目の前に一人の青年が着地した。

 白い服に身を包み、その上に羽織る白いマントが風になびく。

 その手に握るのは一本の杖。

 胸に揺れる金のネックレスが炎に照らされて輝いていた。


「ここは危ないから避難してもらえるかな?」


 青年は彼女に手を差し出す。

 プリシアは彼の顔に視線が固定され言葉が出なかった。

 すると、彼は彼女を抱き上げる。


「悪いけど強引にでも連れて行くよ。いくら僕でもアレと戦いながら守ってはあげられないからね」

「た、戦うつもりなのか!? ベヒーモスと!?」

「え? ああ、心配しないで。僕はアレに勝ったことがあるからさ」

「勝った……じゃと?」


 プリシアが再び絶句している間に、彼の近くに一人の女性が馬にまたがって空から現れる。馬が地上に着地すると、女性は飛び降りて青年と言葉を交わした。


「ご主人様、その女はなんですか?」

「どうやら逃げ遅れたみたいなんだ。とりあえず小太郎に乗せれば安全だよね。そうだ、あれをイリスに返しておかないといけないね」


 青年は空間に空いた穴へと手を突っ込むと、二振りの剣を取り出し女性に渡した。プリシアは見たことのない魔術に目が点になる。


「なんじゃその穴は……」

専用空間マジックポックスだけど? そっか、これも人間界こっちはないんだね。魔界では結構当たり前にあるんだけどなぁ。不味い、そろそろかな」


 そうしている間にベヒーモスは起き上がる。

 ぎろりと青年達を睨んだ。


「とにかくこれに乗って! 早く!」

「ええい、お尻を押すでない! アタシは子供ではないのじゃ!」


 青年はプリシアを強引に馬に乗せて走らせた。


「な、なんじゃこの馬は!? 空を走っておるぞ!」


 自身の乗る馬が宙を駆けたことでプリシアは仰天する。

 空を飛ぶ馬と言えばペガサスが代表的だが、あれにはきちんと翼があった。なのにこの馬はそれすらもなく、不可解にも宙を走っているのだ。彼女は自身の知らない生き物がこの世にはまだまだ存在するのだと小さく唸った。


 彼女の脳裏に先ほどの青年の顔がよぎる。

 やはり何度確認しても思い出の中にある姿とぴったり重なる。


 まさか……まさか……。


 彼女はあり得ないと考えつつも期待に身体が震えていた。



 ◆



 僕は杖を地面に突き刺し、羽織っていたマントを投げ捨てる。

 まずは屈伸運動からっと。

 やっぱりこっちに来てから身体が鈍ってる感じがする。

 向こうじゃ定期的に訓練していたしなぁ。

 ベヒーモスに勝てるのか若干不安だ。


「それでは先に行きます」

「うん。僕はもう少し柔軟体操をしてから行くよ」


 イリスがシャリン、と双剣を鞘から抜き放つ。

 眩く光を反射するのは魔双剣ビオグランテ。

 彼女の自慢の愛剣だ。


 魔術でふわりと浮き上がると、爆風を発生させて飛んでいった。

 その直後、空気を震わす悲鳴と共に、怪物の肩口から血しぶきが上がる。

 さすがはイリスと言ったところかな。


 僕は深呼吸をして準備は完了した。

 ベヒーモスはイリスにすっかり翻弄されている。

 彼女を捕まえようと腕を振り下ろすが、その度にするりと逃げられ怒りを募らせているようだった。オマケにすれ違い様に身体を斬られるものだから、怪物の身体はいくつもの切り傷ができていて血が滴っている。


 さぁて、僕もそろそろ行かないとね。


 魔力を全身に巡らせ物理的な攻撃力に転化する。

 僕の身体から赤いオーラが放出して炎のように揺らめいた。

 これはナッシュ達に教えた『魔闘術』の一つの完成形だ。


 魔術が通用しないベヒーモスに対しては物理攻撃のみが有効。

 とは言ってもただ斬って殴れば倒せるわけではない。

 奴の身体は分厚い脂肪と筋肉で覆われ通常攻撃は簡単に阻まれてしまう。

 故にここで必要なのはそれを突破するような強力な物理攻撃だ。


 力が漲り脳みそから気持ちの良い何かがどぱどぱ出ている。

 こうなるといつもそうだ。妙に興奮してしまう。

 

 戦いが楽しいものに思えてくるんだ。

 できれば使いたくなかったけど、この際そんなことは言っていられない。


「グガァァァァアアアアッ!」


 ベヒーモスがなぎ払うように熱線を吐く。

 イリスは空中を鋭角に移動を繰り返しながら接近していた。


 そして、すれ違い様に首に刃を走らせる。

 血しぶきが森に降り注ぐも傷は浅く、仕留めるにはもう一歩足りない。

 彼女は空中でくるりと体勢を整えると、再び背後から首を狙う。


 ――が、ベヒーモスは先ほどとは別の生き物のように俊敏に攻撃を躱す。


 後方に高く跳躍、猫のように地面に着地したところで、イリスに向かって熱線を放射する。背後から直撃を受けた彼女は、黒焦げになって地上に落下した。


「イリス!? そろそろかなと思ってたけど、やっぱり出してきたか!」


 ベヒーモスが身体をぶるりと震わせる。

 すると全身から湯気が漂い、体色が紅紫色に変化する。


 生存本能が刺激されるとあのようにして強化されるのだ。


 手強いのはここから。

 悪魔デーモンでも単身でアレを倒せるのは両手で数えられるくらいだ。

 基本的には軍で討伐するような相手だからね。


 イリスのことは心配だけど、彼女があれくらいでやられるとも思えない。

 恐らく大丈夫だろう。なんせ僕の右腕であり弟子なんだから。


「いくぞ、ベヒーモス!」


 僕は定規で線を引いたように一直線に飛ぶ。

 そして、引き絞る右手を奴の胸に向けて解き放った。


 空気を震わせ轟く打撃音。


 肉が裂け骨が砕ける音が聞こえる。

 不意を突かれる形となった奴は大量の血液を吐いた。


 そこからさらに力を込めて振り抜く。

 数百メートルほど弾き飛ばされ、大地を削りながらバウンドするも、最後はなんとか着地して両手足でブレーキをかけた。

 

 ベヒーモスは血走った目を僕に向け、明確な敵と認識する。

 強烈な殺意が真冬の嵐のように押し寄せ、濃密な魔力が大地をびりびりと揺らした。


 それがスイッチとなって、僕のもう一つの顔が表に出てくる。




「……くひ、くひひひ、ひゃははははははっ!」




 笑いが止まらない。

 この感じは久しぶりだ。


 強敵との出会いと死闘。それは肉汁したたるステーキを食すのにも似ている。

 僕の脳みそはとろけそうなほど興奮と歓喜に包まれていた。


 きっと今の僕は人には見せられない表情をしているに違いない。

 魔闘術を使うといつもこうだ。

 を思い出して血を求めてしまう。


 ああ、もう我慢できない。

 早く始めよう。


 楽しい楽しい時間の始まりだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る