十七話 グランメルン研究所

 レイモンドが帰った後、僕らは書斎で話し合いを行っていた。


「――癪ですがあの男の言うとおりです。この屋敷にも最低限の使用人は必要かと」

「僕としては気ままな暮らしができるから、あまり人を入れたくないんだけどなぁ」

「ご主人様の気持ちはよく分かります。私との甘い生活を邪魔されてしまうのですから。ですが、魔界の賢者であろう貴方様が、客人をもてなすこともできないとあっては大問題です。即刻使用人を呼び出すべきです」


 イリスの言葉に僕は反論できず、結局使用人を呼び出すことで話は締めくくられてしまう。

 そりゃあお世話係がいた方が便利ではある。

 面倒な家事から解放されるのだから。

 

 けど、その反面犠牲にするものだってあるんだ。

 たとえばプライベート。屋敷の中で彼らの目から逃れるのは至難の業だ。

 好き勝手振る舞っていた行動だってできなくなる。

 朝何時に起床して顔を洗って歯を磨いて何時までに朝食を食べて……と、決められた段取りに従わなくてはいけないのだ。


 渋々僕は屋敷の一番広い場所――エントランスへとやってくる。

 

 杖でトンッと床を突いて魔法陣を四つ創り出せば、中心から現れたのは燕尾服の男性とメイド服を着た三人の女性だ。

 彼らは僕の顔を見て表情をほころばせる。

 僕が何かを言うまでもなく片膝を突いて頭を垂れた。


「お呼び出し心待ちにしておりました」

「元気そうだねエドワード。それにピノ、サーニャ、レリアも」


 エドワードは執事だ。

 白髪をオールバックにしており鼻の下には立派な髭、眼光は鋭くただそこにいるだけで周囲を緊張させる空気を漂わせていた。その容姿から厳格である印象を受けがちだが、非常に温厚で優しい性格をした人格者なのだ。


 ピノは赤毛のショートヘアーにぱっちりとした大きな目が特徴的な子だ。

 性格は快活で行動的。一言多いのが玉に瑕。

 見た目は二十代前半くらいかな。


 サーニャは編み込んだ金髪を後頭部にまとめている物静かな子。

 凜としていてそこにいるだけで絵になるような可憐で可愛らしい女性だ。

 見た目はピノと同じく二十代前半。

 応用が苦手なのが短所かな。


 レリアは紫色の長い髪をしていて前髪によって右目が隠されている。

 大人びた美しい顔立ちをしており、男を誘惑するような肉体はメイド服の上からでも魅力を放っていた。

 いや、むしろ倍増されているのではないだろうか。

 

 僕の目に気がついた彼女はにっこりと微笑んでスカートを少しだけたくし上げる。チラリと見える足に興奮していると、イリスの強烈な肘が僕の脇腹に突き込まれた。


「ご主人様、彼らにご説明とご命令を」

「そ、そうだったね。君達に来てもらったのは他でもない、現在暮らしている屋敷の管理と僕らの身の回りのお世話をしてもらいたいからだ。くれぐれもここが人間界だってことは忘れちゃいけないよ」

「「「「御意」」」」


 四人はさっそく屋敷を見る為にこの場から去って行く。

 

 すっかり忘れてたよ。レリアがああやって度々僕をからかっていたことを。

 彼女は何でもそつなくこなす頼りになる女性だけど、唯一の欠点が他人をからかって遊ぶことなんだよね。

 そろそろちゃんと怒るべきなのだろうか。でも、あれはあれで嬉しいし……。

 隣を見るとイリスがジト目で僕を見ていた。


「さぁて、畑の様子でも見に行かないといけないなぁ」


 僕は足早に屋敷の外へと出た。



 ◇



 次の日、玄関前に一台の馬車が停まる。

 出てきたのはいつもと変わらない格好のレイモンドだった。


「出迎えご苦労。おや、今日は使用人がいるじゃないか」


 彼は僕らに目を向けてから後ろに並ぶ四人に視線を移す。


「声をかけていた人達がようやく来てくれたんだ。これでウチに来ても自分で紅茶を淹れる必要はなくなったなくなったよね」

「ふん、不味い茶を出すようだったら許さないからな。覚悟しておけ」


 レイモンドは僕らに「乗れ」と命令する。

 僕と一緒にイリスが馬車に乗り込もうとすると、彼は遮るようにイリスの前に杖を出した。


「なぜ貴様も付いてくる?」

「ああ、彼女は僕の護衛なんだ。それにこう見えて魔術も使えるから、いざという時は助けになるはずだ」

「剣士が魔術を? 貴様、名はなんと言う」

「イリスです。元王室騎士長と言えば分かりやすいでしょうか」

「王室騎士長!? し、失礼した、同行を許そう!」


 イリスはしたり顔で僕の隣へと座る。

 魔界での地位をあまりひけらかさないで欲しいな。

 僕が元国王ってことを言わないといけなくなるじゃないか。


 レイモンドは対面に座り、御者に「出せ」と指示をする。

 馬車がガラガラと走り出せば、玄関に並ぶエドワード達が恭しく一礼した。


「ところでイリス殿はどこの国で騎士長を?」

「グランメルンから遙か東に位置するエターニアと呼ばれる大国です。レイモンド殿はご存じないと思いますが」

「エターニア? 知らないな。東に無数の小国があることは知っているが……」

「それよりもさらに東ですよ。そこでは実力さえあれば、私のような若輩者でも分け隔てなく取り立てていただけるのです。それも賢王と呼ばれたあの方のお力でしょうか」

「それは大変素晴らしい国だ。確かに身分も大事だが、それよりも重要視すべきは実力。無能が上に立てば国は腐って行く一方だ」


 彼はエターニア国に強い興味を示しているようだった。

 これ以上は良くない気がする。彼にエターニアに行きたいと言い出されても困るのはこっちだ。僕はさりげなく話題を変えることにした。


「それで今日はどこで会うのかな」

「……そう言えば言っていなかったな。行き先は誉れ高きグランメルン研究所だ」


 どうだ嬉しいだろ、と言いたそうな表情だ。

 僕とイリスは顔を見合わせてきょとんとする。


「研究所って何を研究しているところなの?」

「僕を馬鹿にしているのか。そんなの魔術に決まっているだろ。薬学、錬金学、呪文学と魔術に関わる様々な試みが日夜研究されている場所だ」

「魔術の研究!?」


 それを聞いて僕は興奮のあまり踊り出してしまいそうだった。

 早く見てみたい。根掘り葉掘り人間界の知識を聞いてみたい。

 ぬふふふ、案外こう言った呼び出しも悪くないものだ。


「ご主人様、人にお見せできない顔になっていますよ」

「あ、ごめんごめん。ちょっと興奮しちゃった」


 だってしょうがないじゃないか、他人の研究が見られる機会なんてそうは巡ってこない。

 しかも様々な分野が一度に見られるなんて、僕には最高のご馳走だよ。

 ほら、レイモンドだって当然だとばかりにうなずいている。


「やはり貴様は根っからの魔術師ようだな。僕もあそこの所員になった日の夜は興奮して眠れなかったのを覚えている。なんせエリート魔術師が王国中から集まって、新技術の開発に勤しんでいるのだ。心がときめかないわけがない」

「僕も所員になりたいなぁ! 羨ましいよ!」

「くくく、残念だったな。研究所には有力な魔術師からの後押しがなければ入ることはできない。まぁ、プリシア様に気に入られることができれば、それも可能かもしれないがな。今日はぜいぜい頑張るんだな」


 ぽんぽんと僕の肩を叩いてニヤニヤする。

 プリシアに気に入られたら研究所に自由に出入りができるようになるのか。

 これはまたとないチャンスかもしれないぞ。僕の知的好奇心がプリシアに上手く取り入れと耳元で囁いている。


「あのさ、プリシア様はどんなものが好きなのかな?」

「そうだな……珍しい物を好まれる傾向にあるか。貴重な材料やアイテムに魔術などが喜ばれる。とは言え今頃知っても遅いと思うが……」

「気にしないで。ちょっと聞いてみただけだからさ」

「……おかしな奴め」


 ぷいっと顔を背けて外の景色を眺める。

 ガラガラと馬車は走り続け、王都の西方へと向かっていた。

 

 この辺りまで来ると住宅よりも商店が目立ち始める。

 薬草店やアイテム店や杖専門店などなど。

 うろついている人々も魔術師が多く見られた。


 馬車が大きな門をくぐり抜けると、石畳の敷かれた広い敷地が目に入る。

 その中心にあるのは、宮殿とみまがうような三階建ての巨大な建造物だ。

 ここからだと構造ははっきりしないが、恐らく上から見ると円形に見えるんじゃないかな。入り口だと思われる扉の前で馬車が停止すると、レイモンドは外に出る。


「ここがグランメルン研究所だ。なだたる六賢者がおわす場所でもある」


 彼は「付いてこい」と扉を開けて中へと入る。

 入り口には二人の兵士がいて、僕らをじろりと見るが何かを言ってくる気配はない。

 とりあえずレイモンドに付いて中へと足を踏み入れた。



 ◇



「どうだ、素晴らしいだろ」

「ほわぁ! これはすごいね!」


 僕らを迎えてくれたのは大きな二つの彫像。

 杖を持った二人の男前の魔術師だ。

 そこから奥に向かって長い廊下があり、多くの魔術師が話ながら歩いていた。

 

 廊下の壁にはロウソクが灯され、薬品らしき独特な臭いが漂っている。

 これがこの国の魔術研究の中枢。魔術師の英知が集まる場所か。


「ではプリシア様の元へ――おい、どこへ行く!?」


 僕は本能のままに走り出していた。

 早く研究をしているところを見てみたい。

 まずは薬学だ。いや、錬金学もいいな。


「ご主人様、落ち着いてください! あーもう、悪い癖が!」

「待て! 勝手にうろつくことは許さないぞ!」


 後ろから二人が追いかけて来ているような気がする。

 僕の邪魔をするつもりだな。そうはさせない。


「”足止め油オイルプレイ”」


 床に油溜まりが出現する。

 イリスは素早く飛び越えるが、レイモンドはつるんと滑って後頭部を打った。

 これでしばらくは時間が稼げるはずだ。


 僕は廊下を走り抜け『錬金学研究室1』と言う文字を見つける。

 そこでは多くの魔術師が、魔法陣に武器や防具などを置いて魔術を付与していた。

 こっそりと男性魔術師の背後に立って手元をのぞき込む。


 うん、なるほどなるほど。

 彼は杖自体に改良を施そうとしているんだな。

 仕組みから見て魔力操作の効率化が目的ってところかな。

 でも魔法陣に書かれている呪文術式が甘い。


「こことここは不要かな。あとはここに”強化”の呪文を入れないと、杖自体が魔力量に耐えられなくなって壊れちゃうよ」

「え? あ、確かにそうだ! ずっと何か引っかかってると思ってたけど、それだったんだ! ありがとう!」


 喜ぶ男性に抱擁される。

 しまった、思わず口に出してしまった。

 研究って言うのは自分で解き明かしたり発見をするから面白いものであって、誰かに教えてもらうものじゃない。少し申し訳ない気持ちになる。


「いやー、ほんと、これが完成しないとここから追い出されるところだったんだ。どこの誰かは知らないけど感謝するよ」

「そ、そうなんだ。だったらセーフかな?」

「ぜひ貴方のお名前を聞かせてもらえないか。その若さでこれを一瞬で理解できるなんて、さぞ名のあるお方なのだろう」

「えっと、僕の名前は「見つけたぞ!!」」


 部屋の入り口でレイモンドが荒々しい息をしながらにらんでいる。

 不味い。まだ僕は捕まりたくないのに。


「今すぐプリシア様の元へ――あげっ!?」


 僕は再び『足止め油オイルプレイ』を使う。

 ステンッと転んだレイモンドは後頭部を打った。


「面白い魔術だ。興味深い」

「それじゃまた!」


 僕は男性に別れを告げると、レイモンドを飛び越えて部屋を出て行く。

 

 次に見つけたのは『薬学研究室1』だ。

 そこでは大きな鍋に薬草や薬液を入れていたり、試験管の中にスポイトで液体同士を混ぜ合わせていたりしていた。

 机に置かれている薬草や鉱物などは、僕の見たことのないものがてんこもりで、棚の中にガラス瓶で納められている薬液も見慣れない物ばかりだった。

 

 僕は素早く一人の女性の背後に回り込み、手元の研究書類をのぞき込んだ。


「あとは……地獄草ね。他には何が必要かしら?」

「これは何を作っているの?」


 女性は振り返って首をかしげる。


「何って『肉体強化薬』に決まっているじゃない」

「へぇ、それは面白い試みだね。僕も昔に似たような物を作ったことがあるんだ」

「そうなの!? どんな材料を使ったのか教えてもらえるかしら!」

「えっと、乾燥させてすりつぶしたコロギオ草を一さじ入れて、それからガルーダの涙を数滴入れて、すりおろした魔界マンドラゴラを大さじ二杯に、バイコーンの角を一欠片入れて三日ほど煮れば完成だったかな」


 彼女は熱心にメモを取りながら材料の効能を聞いてきた。

 恐らく僕の言った材料からなんらかのヒントを得ようとしているようだ。

 一方でこちらも人間界の薬草などをそれとなく聞き出して知識を増やす。

 

「――なるほど! 私の薬に足りなかったのはトロルの尿よ! あれには血流を早める作用があるの! 盲点だったわ!」

「僕の知識が手助けになって良かったよ」

「それよりも貴方すごいわね! 私よりも早くにこの薬を創り出していたってことでしょ!? もしかして有名な方だったのかしら!」

「いやいや僕はただの――「見つけたぁ! ここにいたか!!」」


 ぜはぁぜはぁ、とレイモンドが入り口で睨んでいた。

 しまった、長居をしてしまったみたいだ。


「ところでこの魔界マンドラゴラってどこで手に入れて……」

「ごめんっ、もう行かないと!」


 僕がテーブルの上に飛び乗ると、入り口にいるレイモンドは魔術を放つ。

 恐らく麻痺か拘束系の術だろう。

 咄嗟に躱すと、研究員の一人に直撃した。

 

 当たった人はバタリと床に倒れていびきをかき始める。

 なるほど、強制睡眠の術か。


「ちっ、外したか! だが次こそは!」

「遅い! ”粘液流ローションプレイ”!」


 ドパッ、とレイモンドの頭上から大量の粘液が降り注ぐ。

 再び彼はステンッと転んで尻餅をついた。

 風の魔術で彼の上を華麗に飛び越えると、僕は次なる研究室を求めて走り出す。


「あはははっ! ここはいいなぁ! 僕の求める最高の環境だ!」


 沢山の研究機材に沢山の材料。

 豊富な知識を持つ研究員が山のようにいて、日夜様々な実験が繰り返されている。

魔界にこんな場所はなかった。

たまに僕と似たような知識の探求者はいたけど、それでも数えるほどだ。

そうだよ、こうやって複合巨大研究所を作れば良かったんだ。

どうして気がつかなかったんだろう。

幼い子供に英才教育を施して研究者を大量に作り出せば――。


「捕まえましたっ!」

「あぐっ!?」


 曲がり角からイリスが姿を現して僕を押さえ込む。

 いやだっ! 僕はまだここの全容を見ていない! まだまだ研究が見たいんだ!


「仕方ありませんね……”電撃エレキショック”」


 バチッ、と音がして僕の意識はぷつりと途絶えた。


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