十六話 王都に帰還します

 目が覚めると景色が逆さまに見えた。

 違う。僕が逆さまなんだ。


 ひとまず現状の把握から始める。

 昨夜はナッシュ達と遅くまで祝勝会を行い、その後は宿に戻ってきてベッドの中に入った。で、翌朝目が覚めるとこれだ。どう言うことなのだろうか。


 僕は器用にも壁際でくの字の状態で眠っていたようだ。

 ごろんと転がって身体を通常の状態に戻すと、首の辺りがやけに痛い。

 やっぱり寝違えてしまったか。今日はあまり良い日にはなりそうにもないな。

 自分のベッドに戻ると、なぜあのような体勢で眠っていたのか一瞬で理解した。


「すーぴー、すーぴー」


 僕のベッドの上で大の字で眠るイリス。

 パジャマの一部がめくれていて白いお腹が露出しており、その顔はだらしなく口の端からは涎をたらしている。

 床を見ると布団が放り出されていた。


 なるほど。イリスが僕のベッドに寝ぼけて入ってきたんだな。

 その結果、あんなことになっていたと。

 事態が飲み込めたので、僕は手早く服を着替えて顔を洗いに外に出る。


 井戸では昨日と同じ宿泊客が雑談をしていた。

 顔を洗っていると彼らの会話が耳に入る。


「聞いたか。向こうの斥候が全て倒されたらしいぞ」

「ほぉ、意外にこの辺りの奴らもやるもんだな」

「これでここらもしばらくは安全だろう。しかし王都の連中は何をしているんだろうな。斥候のことはすでに知っているはずなのに兵もよこさず放置している」

「どうせこの辺りは大したものもねぇし、とられてもいいと思ってんだろ。いつだってそうだ、都の連中は自分達さえ良ければ他がどうなっても見て見ぬふりをしやがる」


 二人の男性は感情的に会話を続けていた。

 僕はタオルで顔を拭きながら考えを巡らせる。

 もし本当に王都がこの地を見捨てるつもりなら、なんらかの魔族対策を施しておくべきかもしれない。ようやく探し当てた大切な場所を、そう簡単に壊されてたまるものか。


 すると二人の客の会話が突然変わる。

 内容はどうやら宿の馬小屋に関してのことのようだ。


「あの馬は何度見ても圧倒されるな。魔獣だと思うがあんなのを見たのは生まれて初めてだ。聞いた話だとこの宿に宿泊している客の持ち物らしいぞ」

「ああ、あれは確かに並じゃねぇ。周りの馬が完全にビビってたよ。そう言えばあそこには大きな狼もいたよな。俺の勘だがあの二匹はきっとミスリル級の魔獣だぜ」

「それを言うならアダマンタイト級じゃないのか。まぁ、そんな化け物を飼ってる奴はもっと化け物ってことになるから実際はゴールド級くらいだろう。今度、知り合いの冒険者にでも聞いてみるか」


 どうやら馬小屋にいる小太郎とリルルのことらしい。

 案の定というかやっぱり目立っていたようだ。

 二頭を預ける時も宿の人が腰を抜かして驚いていたしね。

 正体を聞かれた時の為に、上手い誤魔化し方を考えておかないといけないかもしれない。


 宿の部屋に戻るとイリスが起きていた。

 ベッドの端に座り、きっちりと髪をとかして着替えている。

 が、その顔は真っ赤だった。


「どうしたの?」

「申し訳ございません。寝ぼけていたとは言え、ご主人様のベッドに間違って入ってしまうとは。さぞご迷惑だったでしょう」

「寝相のこと? 大丈夫だよ、イリスのあれには慣れてるし。昔はよく一緒に寝ていたじゃないか」

「そ、そうですよね! ご主人様は私と床を共にするのに最も長けた方ですし!」

「でも、今日はかなり酷かったかな。目が覚めたら逆さまだったし」

「うわぁぁあああああんっ! やっぱり迷惑だと思ってるぅ!」


 ちょっとからかいすぎたかな。

 もちろん言った通り迷惑だなんて思っていない。むしろマシになってほっとしているくらいだ。昔の彼女はそれはもう酷かったからね、逆さまなんてかなりいい方だよ。


 よしよしと頭を撫でると、彼女は機嫌を直してくれた。

 こう言うところは昔から何も変わらないな。


 その後、僕らは宿をチェックアウトする。

 馬小屋から小太郎とリルルを連れ出すと、村の入り口では赤ノ牙レッドファングの三人が待ってくれていた。


「どうだったこの村は? 言った通り悪くない場所だっただろ?」

「むしろ最高だったよ。今後は定期的に来るつもりだから、時々同行してくれると嬉しいかな。もちろん無理をしない範囲でね」


 僕らはそれぞれ馬に乗る。

 最後に村をもう一度だけ眺めてから僕らは走り出した。


「帰りは楽ちんだな! やっぱ魔族の馬をもらっておいて良かったぜ!」

「ナッシュは何もしてないだろ。俺が兄貴と交渉してもらってきてやったから、こうして乗れているんだからな」

「でも王都に着いたらこの馬どうするの? 私達の収入だと世話ができないと思うけど……」

「そんなの決まってる。売るんだよ。ナッシュはバカだから飼いたいとか言い出すだろうけど、シルバー級の俺達にそんな余裕はない。ま、この馬達も俺達に飼われるよりもっと活躍できるいい場所があるだろうさ」


 三人は会話をしながら先を進む。

 村からだいたい一キロほどか、そろそろいいかもしれない。


「三人とも悪いけど少し待ってくれないか」

「ん? どうしたんだ後輩?」

「もよおして来たから茂みに行きたいんだ」


 ナッシュ達が馬の足を止めると、僕は小太郎から素早く降りて茂みに走る。

 この辺りは草の背が高いので何をしているのか外からは見えない。

 僕は風の魔術で適当に草をなぎ払うと杖を地面に突いた。


 炎で形成された魔法陣の中心から、黒装束に身を包んだ男性が現れる。

 彼は周囲に敵がいないことを確認してから、片膝を突いて僕に深く頭を垂れた。


「殿のお呼び出しに応えて参上いたしました」

「うん、久しぶりだね。元気にしていたかな」

「ありがたきお言葉をいただき恐悦至極。拙者は御覧の通り変わらずでございます。殿の方は以前よりも力が漲っておいでで、この半蔵ご壮健なお姿に安堵しております」


 全身を覆う黒装束に口元を覆う布。

 背中には一振りの刀があった。

 半蔵は主に特殊任務をこなす僕の直属の部下だ。

 仕事内容は諜報、工作活動、暗殺。

 あとは……僕の畑仕事の手伝いかな。


 彼を魔界から呼んだのは他でもない、パナルロイ村を守らせる為である。

 魔族がこれで諦めてくれればいいけど、もしそうじゃなかった場合は村が危機にさらされてしまう。そこで僕は半蔵に村の警護を頼むことにした。

 彼なら間違いなく村を守り抜いてくれるだろう。なにせ半蔵は影の右腕なのだから。


「これくらいでよろしいか?」


 ドロンッと煙に包まれて、半蔵の姿がどこにでもいる村人へと変化した。

 彼は僕に村の場所を聞いてから一礼すると、草をかき分けてこの場から去って行く。半年ほど見張らせてから撤収させるつもりだ。


 僕はナッシュ達の元へ戻ることにした。



 ◇



 王都には帰還したのは三日目の朝。

 行きがのんびりとした馬車だっただけに帰りはとても速かった。

 僕らは王都に入ってすぐに解散し、それぞれの家路にへとつく。


「ご家族を見つけましたし念願は叶ったということでしょうか」

「うん、望んだ形じゃなかったけど僕は後悔してないよ。これからはあの村に暮らす人々を見守りながら人間界でのんびり暮らそうなって考えてる」

「では、いずれはあの村に?」

「そうだね。その方がいいかもしれない」


 僕とイリスは屋敷の敷地をゆっくりとした足取りで進む。

 小太郎とリルルは自由にしていい土地と聞いてすでに散歩に出かけていた。

 屋敷が視界に入ると僕とイリスは足を止める。


 玄関前に馬車が停まっているのだ。

 それも見覚えのあるデザインの車だ。

 誰だったかな……レ、レモン……顔は思い出せるのに名前が出てこない。


「またレイモンド・ベルザスなどという人物でしょうか」

「そう! レイモンドだ!」

「……まさか忘れていましたか?」


 イリスにジト目で見られる。

 不味いと感じて僕はそそくさと屋敷へと向かった。


 玄関の施錠は解かれていた。

 鍵は以前のままなので合鍵を使って中に入ったのだろう。

 普通なら勝手に入るなと怒るところだけど、あいにく僕はこの屋敷に大したものも置いてないので特に怒りなどは湧き起こらなかった。

 それに屋敷が僕の持ち物と言うには微妙なところだ。

 あの不動産屋のせいで所有者が二名存在していることになっているのだ。


「ご主人様、どうやらあの者は応接間にいるようです」

「そうなんだ。じゃあ紅茶でも出した方がいいかな」

「その必要はないかと」

「?」


 応接間に入れば、ソファーで紅茶を飲むレイモンドの姿があった。

 彼は僕の姿を見るやいなや怒りをぶちまけた。


「なんだここは! 使用人の一人もいないのか! 何度呼んでも誰も出ないし、鍵を開けて入ってみれば出迎える者も茶を入れる者もいない! よくそれで魔術師を名乗っていられるな!」

「ごめんね。まだここへ来たばかりで人を雇えていないんだ。あと、ここにいなかったのは大切な用事で北の辺境に行っていたからなんだ」


 レイモンドは「北の辺境?」と呟いて、表情が緊張の含んだものへと変わる。

 宮廷魔術師というくらいだから色々耳に入るのかもしれない。


「あれ? 誰が紅茶を君に出したの?」

「ふん、自分で淹れたんだ。使った茶葉の代金はあとで払ってやる」

「別にいいよ。少し気になっただけだから」

「そんなことよりも聞きたいのは辺境のことだ。向こうで何か変わったものは見なかったか?」


 うーん、じれったい聞き方をするなぁ。

 そりゃあおおっぴらに魔族が侵入しているなんて言えないのは分かるけど。

 面倒だし直球で言っちゃおうか。


「侵入していた敵の斥候は殲滅しておいたよ」

「ぶごっ!?」


 紅茶を飲もうとしていたレイモンドが勢いよく吹き出す。

 彼は激しく咳き込んでハンカチで口元を拭いた。


「せ……殲滅したのか? 魔族の斥候部隊を?」

「うん。あ、でも、知り合いの冒険者に手伝ってもらったから、僕だけの手柄じゃないけどね」

「数は? 敵の数は何人いた?」

「二十。パナルロイ村の騎士には全部伝えてあるよ。できれば早い内に応援を送ってあげて欲しいかな。もう来ないとも限らないし」

「生きた者は!? 捕らえた者はいないのか!?」


 それを聞かれて僕はハッとする。

 なんてうっかりをしていたんだ。捕らえた敵から情報を得るのは常識じゃないか。失敗したなぁ。ナッシュ達の実戦訓練のことばかり考えてて頭から抜け落ちてた。


「えーと、ごめんね?」

「こいつっ! 今すぐに殴り殺したい!」


 彼は立ち上がったと思えば杖で僕に殴りかかろうとする。

 が、理性が怒りに勝ったのか大人しく座った。

 もちろん抑えたと言うだけで未だに表情は怒りに満ちている。


「それはそうと魔族を殲滅したと言うのは驚くべきことだ。たとえ他の者の手を借りたとしてもな。その助力したと言う冒険者はさぞかし名のある者達なのだろう」

「うんうん、そうなんだ! 彼らはシルバー級のパーティーでね、僕の親戚の子達なんだ! 今回はきっと大きな成長になっただろうね! 次に会う時が楽しみだ!」

「は? シルバー級?」


 レイモンドは想像すらしていなかったとばかりに目が点になる。


「シルバー級の冒険者に手伝ってもらって二十人の魔族を倒したと?」

「そうだよ? まぁ、大半は僕が倒しちゃったけど、そんなのは些細なことさ。今回の主役は彼らだからね。あ、もしかして僕の可愛い親戚のことを聞きたいの? しょうがないなぁ、じゃあ少しだけ話してあげるよ。ナッシュって言うのはリーダーで――」


 バンッ、レイモンドは強くテーブルを叩いた。

 その顔は先ほどとは打って変わり青ざめている。

 あれ? 僕、何か変なことでも言ったかな?


「きさ、貴様は……魔族を一人で……どうやって?」

「魔術を使ってだけど?」

「そんはずはない。奴らは無詠唱を――そうか! その中には魔術師がいなかったのだな! はははっ、驚かせないでくれ! 貴様が賢者に匹敵する魔術師かと疑ってしまったではないか!」


 ソファーに背中を預けた彼は、安心したように笑みを浮かべる。

 魔術師もいたよ、と間違いを指摘しようかと思ったけど寸前で止めた。

 言ったところで碌なことにはならない気がするのだ。


「貴様のどうでもいい話のせいで、危うくここに来た理由を忘れるところだった」

「……もしかして屋敷の件かな?」

「喜べ。プリシア様のご厚意によりここへ住むことが許可されたぞ」

「許可って……譲渡じゃないの? 不動産屋には購入代金をちゃんと払ったんだけど?」

「その点については今後の貴様次第だ。プリシア様が貴様をつまらないと判断すれば、あの不動産の男に代金を返金させた上で強制的に追い出す。だが、もし気に入った場合は正式に譲渡するとのことだ」


 うーん、なんだか納得しかねる話だけど、向こうも元々売る気はなかったって言うし、この辺りがいい妥協点なのかなぁ。

 それに彼の口ぶりだといずれ会わないといけないみたいだし、プリシアがどんな人物なのかそろそろちゃんと調べておいた方がいいのかもしれない。難癖つけてくるような、ひねくれた人じゃなければいいけどなぁ。ちょっと不安だ。


「では、明日の昼頃に迎えに来るので準備をしておくように」

「うん。分かっ――明日!? 早過ぎじゃないかな!?」

「言っておくが、僕はこの数日間、何度もここへ足を運んでいるからな。恨むなら不用意に出かけた自分を恨め。それとも貴様は、わざわざ予定を空けてお待ちになっている、あの方の誘いを断るつもりか」

「そ、そんなつもりはないよ。明日だね、了解」


 レイモンドは「明日は貴様がどの程度の魔術師か見させてもらう」と言い残して、足早に部屋を出て行った。


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