十三話 先輩とウサギ狩り

 早朝、鳥の鳴き声で目が覚めた僕はベッドから出る。

 隣のベッドではイリスが寝ているが、相変わらず寝相が酷い。

 布団を床へ投げ飛ばしていて、ここから見えるのはパジャマを着た彼女のお尻と足だけだ。

 どうやら寝返りを打っている内に上半身だけベッドから落ちたようだ。

 僕は彼女をきちんとした体勢に戻してあげる。

 最後に布団を掛けてあげるとイリスは幸せそうに寝言を言った。


「フフ、ご主人様はとってもモフモフなのですね……むにゃむにゃ……」

「どんな夢を見てるの!? すごく気になる!」


 気を取り直して僕は宿の外へと出る。

 裏手に回ると井戸があるのだが、そこではすでに数人の宿泊者が顔を洗ったり歯を磨いたりしていた。僕もその中に混じって顔を洗うことにする。


「そろそろこの村に来るのは控えた方がいいかもな」

「だよな。斥候がこっちにまで来ているって噂だろ。出くわしたら命がねぇぜ」


 顔を洗いつつ宿泊客の世間話を聞く。

 斥候? もしかしてグランメルン王国はどこかと戦争でもしているのかな?

 確かに周辺諸国ではいくつかの国と仲が悪かったけど、戦いにまで発展するほどのことはなかったと思う。僕がいない百年の間に何かあったのだろうか。


 僕は歯を磨き始め遠くの朝焼けを見つめる。

 すでに周りにいた客は宿に帰っていた。

 ここにいるのは僕一人だけだ。


 思い出すのは昨日のこと。

 まだ気持ちは沈んでいるけど、決して悲観しているわけではない。

 家族が死んでいることは最初から分かっていたし、事実をはっきりとさせたことですっきりした部分もあった。


 これは大きな一歩だと思う。

 僕は今まで家族の為に生きてきた。

 そして、魔界に落ちてからは家族の元へ帰る為に生きてきたんだ。

 けど、もう自分の為の人生を送ってもいいのかもしれない。

 この地上でのんびり暮らしていこう。

 長い人生をルナの子孫を見守りながら静かに生きて行くんだ。


「おーい、尊敬すべき後輩!」


 歯磨きを終えたところでナッシュ達がやってくる。

 ずいぶんと早い訪問だけど何の用だろう。

 よく見ると彼らはなぜか弓を持っていた。


「おはよう。弓なんかもってどうしたんだい」

「ウサギ狩りだよ! 一緒に行こうぜ!」


 へぇ、ウサギ狩りかぁ。懐かしいなぁ。

 僕も父さんに連れられてよくやっていた。

 たまには童心に返ってやってみてもいいかもしれない。

 今日は特に予定もなかったし彼らに付き合うのも悪くないよね。


「うん、たまにはいいかもね」

「そう言えばイリスちゃんがいないな。まだ起きてないのか」

「あー、あの子はまだ寝てるかな。結構寝起きが悪いんだ」

「意外だな。イリスちゃんっていつもぴしっってしてるだろ、だから寝起きも良いかと思ってたよ。彼女の寝顔はやっぱり綺麗なんだろうなぁ。くそっ、ロイが羨ましいぜ」


 ライが現実を知ったらきっと幻滅するだろうね。

 すっごく寝起きが悪いし寝相が悪い。おまけに朝は機嫌が悪いんだ。

 それに今でこそきっちりしているけど、あの子も昔はかなりだらしなかったからね。いつ頃だろうかあんな風になったのは。きっかけが思い出せない。


「おはようございますロイさん! 今日は私の必殺魔法の試し打ちもしましょう!」

「ああ、そう言えばまだきちんと撃ってなかったね。術式の構築はもう完璧なんだよね」

「はい! みっちり構築の訓練をしましたので、最短で十秒の発動が可能となっています! 後は威力の確認だけですよ!」


 アンリは目をキラキラとさせて僕にぐいぐい迫る。

 一秒でも早く新しい術を使ってみたいのだろう。

 気持ちは分かる。僕だって新しい術を試す時はワクワクしているからね。

 けど、唇同士がくっつきそうなくらい顔を近づけるのは止めてもらいたい。


「とりあえずイリスが起きてくるまで、宿の一階にある食堂で待っててもらっていいかな」

「分かった。じゃあ飯でも食ってるよ」


 僕はイリスを起こしに自室へと戻った。



 ◇



 パナルロイ村から少し離れた草原。そこでは数匹のウサギが草を食んでいた。

 僕らは様子を窺いながら草むらで息を潜める。


「最初はオレからだ。あの丸々と太った奴をいただくぜ」


 矢をつがえて数秒間の沈黙。

 ナッシュは狙いをつける為に左目を閉じていた。

 ビィンッ、矢が放たれウサギの胴体を貫く。

 他のウサギ達は危険を察知してちりぢりに逃げ出した。


「あははははっ! どうだ、オレの腕前は!」


 仕留めたウサギを掴んで僕らに自慢する。

 へー、その程度で満足しているのかぁ。甘いなぁ。

 僕はその場で弓を構えた。

 狙うはここよりも遙か先にいるウサギだ。

 大きさだいたい一メートルほど。

 恐らく大型種のジャイアントラビットだ。


 矢を斜め上に放つと、放物線を描いてウサギの頭部に命中する。

 どさっとウサギを落としたナッシュは愕然としていた。


「こう見えて僕は弓が得意なんだ。魔術師って基本遠距離担当だし、できて当たり前なのかもしれないけどね」


 ちょっと大人げなかったかな。

 久しぶりのウサギ狩りだったから本気を出しちゃった。

 振り返るとなぜかアンリがあわあわと焦っている。


「ま、魔術師って弓もできないとダメなんですか!? 私、下手くそなんですけど!?」

「あはははっ、今のは弓の向き不向きを言っただけで魔術師についてじゃないよ。それに弓は魔術とは全く違うから、身につけてもあまり意味はないかもしれない」

「そうなんですか。一流魔術師になれないのかと焦りました」


 へー、アンリは一流魔術師になりたいのか。

 やっぱり人生には夢が必要だよね。

 遠い親戚だからと言うわけじゃないけど、できるかぎり応援してあげたいな。

 アンリは良い子だし、同じ魔術師としてやってあげられることがあるかもしれない。

 僕らは仕留めたジャイアントラビットの元へ歩いて行く。


「これなら五人分の昼食くらいにはなるかな」

「やっぱり後輩はスゲぇよ! ジャイアントラビットって異常なほど臆病で、めちゃくちゃ逃げ足速いのにさ! さすが後輩だ!」

「ちょ、抱きつかないで。ウサギを落としちゃうよ」


 ライに羽交い締めにされて引き離されたナッシュは「後輩! 後輩!」と喚いていた。毎度のことだから抱きつかれるのにはもう慣れちゃったけど、やっぱりその情熱がどこから湧いているのか不思議でたまらない。


「さぁて、これからどうする。このままウサギ狩りを続けるか、それとも別の何かを狩るか。今日は馬で来ていることだし、俺としてはキツネ狩りをお勧めしたいところだ」

「キツネかぁ、この辺りには結構いるのかい?」

「ツーフォックスをよく見かけるな。たまにブルーフォックスがいるくらいか」

「え!? ブルーフォックスがいるの!?」


 僕は思わず興奮してしまう。

 隣で黙って一部始終を見ていたイリスは首をかしげた。


「ツーフォックスとはなんですか?」

「尻尾が二つあるキツネのことだよ。ごくごく普通のキツネだね。キツネ狩りと言えばだいたいワンフォックスかツーフォックスのことを指すんだ」

「なるほど。ではブルーフォックスとは?」

「文字通り青いキツネさ。その毛並みは美しく毛皮は珍重されているんだ。王都で売ればなかなかの値段になるんじゃないかな」

「だとするとあれはブルーフォックスでしょうか」


 イリスが指さした方角に一匹のキツネがいた。

 その毛は確かに青いが、尻尾が二つ存在していた。

 あれはまさか幻のブルーツーフォックス!?

 ナッシュ達も正体に気がついて興奮していた。


「ブルーツーフォックスなんて初めて見た! 激レアだぞ!」

「ああ、俺も久しぶりにドキドキしてるよ。なんてったってブルーフォックスの二倍の値段で取引されているらしいからな」

「どうするの!? 今すぐ馬で追いかける!?」


 僕らはこそこそと身をかがめて馬のいる場所へと向かう。

 三人が馬に飛び乗ると、僕とイリスは彼らから少し離れた。


「どうしたんだよ後輩。早く追いかけようぜ」

「一頭に二人乗るのはキツネ狩りには不向きかなと思ってさ」

「そりゃあそうだけど、今日は三頭しか連れてきてないぜ」

「うん、だから僕らは自分達の馬を用意するよ」


 キツネ狩りは元々予定になかったから、三頭に五人乗ってきちゃったんだよね。

 それだと機動力が落ちてせっかくのレアものを逃してしまう。

 まぁ、そろそろ呼び出そうと思っていたし、このタイミングはちょうど良かったのかもしれない。おいで僕の馬。


 杖を地面にトンと落とせば、炎が走って魔法陣を形成する。

 赤い炎が紫色に変化したところで、その中心から黒色の鱗に覆われた馬が出現した。

 その馬は頭部からは二本の枯れ枝のような角が後方に向かって生えており、金色のたてがみが頭頂部からお尻にかけて生えていた。さらに鼻の下からは二本の長い髭が伸び、黄金のその目は見る者を威圧する。

 雄々しくも神々しいこの生き物こそ、魔界の怪物の一つ麒麟きりんである。


 イリスが剣を抜いて地面に突き刺すと、瞬時に水が走り魔法陣を描く。

 水が紫色に輝けば、その中心からは白銀の狼が姿を現した。

 四メートルもある狼は、青色の目をキョロキョロと彷徨わせて、イリスを見つけると地面に伏せて舌をだらりと出した。

 魔界の怪物の一つフェンリルである。


 僕らは愛馬と愛犬を撫でてやると、どちらも久しぶりに見る主人に喜んでいるようだった。

 これもそれも地下に残されていたプリシアの研究のおかげだ。

 あれを見ていなければ悪魔デーモン以外の召喚は今もできなかった。


「「「…………」」」

「どうしたの三人とも?」


 ナッシュ達は馬に乗ったままポカーンとしていた。

 ああ、そうか。麒麟のあまりの美しさに声を失っているんだね。

 僕の自慢の愛馬だから仕方のないことかもしれない。


「フフ、私のリルルの風格に言葉を失ったようです」

「違うよ。彼らは小太郎に感動しているんだ。生きた芸術とも言うべき僕の愛馬にさ」


 僕とイリスの間で火花が散る。

 小太郎とリルルは互いに目を合わせてやれやれと首を振っているけど、これは飼い主として譲れない部分だ。魔界ナンバーワンの馬は僕の小太郎なんだ。狼ごときに負けるつもりはない。


「……なぁライ。あの生き物ってなんなんだ」

「俺に聞かれても知るわけないだろ。とにかくヤバい生き物ってことだけは分かる」

「しゅ、しゅごい。ロイさんは魔法陣を魔術で創るんだ……はぁはぁ」

「「アンリ……お前……」」


 僕とイリスは互いの愛馬に颯爽とまたがる。

 麒麟である小太郎は、ナッシュ達をチラリと見てからゆっくりと歩き出した。

 一歩一歩大地を踏みしめながら確認する。彼は非常に頭の良いので、ここが人間界であることは言うまでもなく理解いることだろう。周囲の状況からどれが仲間なのかも分かっているはずだ。

 一方でナッシュ達の馬は怯えた態度を見せていた。

 フォルムこそ馬ではあるが中身は全くの別物だ。

 馬の形をしたドラゴンとでも言えばいいか。普通の馬が怯えるのは当然だ。

 それに小太郎は気配を隠すのが下手なので、昔から無駄に周囲を怖がらせてしまうのだ。


 フェンリルであるリルルはあくびをしたりと、のんびりとした雰囲気を漂わせている。

 彼女は小太郎と違って気配を隠すのが上手い。

 見た目は大きいのに不思議と子犬ほどにしか感じないのだ。

 でも一度本気になると小太郎に引けを取らないくらい凶悪な気配を放つ。

 普通の人間が彼女の殺気をまともに食らえば気絶は免れないだろう。

 小太郎同様に非常に頭が良いのですでに状況は把握しているはずだ。


「じゃあブルーツーフォックスを追いかけようか。先行はナッシュ達にお願いするよ」

「了解。オレ達は囲い込むように誘導するから後輩が仕留めてくれ」


 互いに親指を立てて笑みを浮かべると馬を走らせる。

 彼らを先行させたのは小太郎の足が速過ぎるからだ。

 こちらが向こうのペースに合わせる方がここは無難だと判断した。

 ナッシュ達の背中が小さくなる頃に僕らも出発する。


「行こうか小太郎」

「ぶるるる」


 小太郎は軽く走り出した。

 すると前方からナッシュ達の声が聞こえる。

 どうやらブルーツーフォックスの囲い込みにかかったようだ。

 僕は弓に矢をつがえて引き絞る。

 イリスも僕が外したときの為に同じように矢を構えていた。


「ここだ!」


 矢は頭部に見事命中する。

 僕らはキツネの死体を囲んでハイタッチした。


「やったな後輩! 村に帰ったら大騒ぎだぞきっと!」

「まさか僕もこんなレアものを仕留められる日が来るとは思ってなかったよ。これも誘ってくれた三人のおかげだ」


 互いに喜び合っていると、イリスから内密に声がかかる。


(ここから一キロほど先に兵士らしき姿が確認できます)

(分かった。ナッシュ達にはひとまず隠れるように言うよ)


 僕は盛り上がっている三人に声をかけた。


「三人とも聞いて欲しい。どうやらここに兵士が近づいているみたいなんだ。見つかると面倒なことになるかもしれないし隠れてやり過ごさないか」

「兵士だって? 王国軍か?」

「分からない。もし違っていたら不味いよね」

「そう言えば最近、敵国の斥候がこの辺りをうろついてるとか言ってたな。よし、後輩の言うとおり隠れようぜ。そんでもってオレ達が真実を確かめてやる」


 そんなわけで僕らは馬から下りて草むらに身を潜める。

 もちろん馬達にも伏せてもらってカムフラージュは完璧だ。


 しばらくすると馬に乗った五人の男達が、僕らの潜む場所のすぐ近くで足を止める。


 僕はそっと草むらから覗いた。

 そこにいたのは僕の予想とは違った者達だった。


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