十二話 墓場
それから僕とヒルダはお互いのことを沢山語った。
「――で、魔界から帰ってくる手段をようやく見つけて数日前に帰還したんだ」
「それでそんなにも時間がかかったのですか。血のにじむような過酷な道のりを経て戻ってこられたのですね。こうして生きてお会いできたことは幸運です」
「僕もそう思うよ」
彼女は僕の手を自身の頬に当てる。
目を細めて何かを実感しているようだった。
「あたしは昔からロイ伯父さんに会ってみたいと思っていました。母は父をとても愛していましたが、それ以上に貴方を愛していたからです。ですからどのような方なのかと強い興味がありました」
「まさかまだ僕と結婚するとか言ってたのかい?」
「ええ、ずっとです。父はそれも含めて母を好きになったそうなので、我が家では大した問題ではありませんでしたけどね」
ヒルダはクスクスと笑う。
恥ずかしいと言うか呆れると言うか、ルナは大きくなってもルナだったようだ。
それに結局、ルナの好意は異性として好きってことだったんだね。まさか百年も経って兄弟から向けられた禁断の愛を知らされるとは複雑な気持ちだ。
「母は魔術師として多くの研究にたずさわりました。その中でも最も心血を注いだのが悪魔召喚です。魔界から貴方を呼び出す方法を模索していました」
「悪魔召喚で人間を呼び出す? 確かに不可能ではないと思うけど、かなり難しい問題だ。すでに完成していると言っていい既存の召喚魔法陣に、さらなる改良を加えるということだからね」
「フフ、母も同じようなことを言って頭を悩ませていました」
悪魔召喚の魔法陣はいつどこで誰が創ったのかは不明とされている。
世間に広まった時点ですでに現在の形だったそうだ。数千年もの間、今の形を保ってきた召喚の魔法陣に改良を加えることが、どれほど大変なことかは考えるまでもない。
とは言え現時点で完璧かと聞かれると僕はNOと答えるだろう。
まだまだ改良の余地はあるし、手を入れる隙間も実はいくつかあるのだ。
実際、プリシアと言う魔術師はそこに気がつき、精度の高い召喚魔法陣を創り出している。
だからこそ僕は不可能とは思えなかった。
「ですが自力で戻られたのなら、母の研究は無駄になってしまったと言うわけですね」
「そんなことはない。きっとルナの成果は誰かの役に立っているはずさ。いつか悪魔召喚が進歩して、魔界と人間界を自由に行き来できる日だって来るかもしれない。そうなれば僕やルナのような悲しい思いする人だっていなくなると思うんだ」
「ロイ伯父さん……」
ヒルダは何も言わず静かにうなずく。
「ところでルナのことは聞けたけどテトはどうしたんだい。あの子の子供やその子供達もこの村にいるのかな」
「いいえ、テト伯父さんはこの村には何も残してはいきませんでした」
「どう言う意味かな」
「ある日、母と喧嘩して村を出て行ったのです」
僕にとってそれは意外なことだった。
あの二人が喧嘩することなんて一度もなかったからだ。
ルナもテトもとても仲が良くていつも一緒だった。
そんな彼らが喧嘩別れなんて想像ができない。
「テト伯父さんもロイ伯父さんを魔界から救い出す為に研究を行っていました。ですが、母と意見が対立したことで二人の仲は険悪なものとなってしまいました。村を出てからは独自の研究を行っていたそうですが、その後の消息は分かりません」
「そうなんだ……そうか、テトも僕を救う為に研究を……」
「ロイ伯父さんはとても愛されていたのですね。テト伯父さんも結婚するといっていましたよ」
「あ、うん、テトもそうなんだ」
恥ずかしい。きっとヒルダには変な家族なんて思われているに違いない。
これもそれも隣に住んでいたあのお姉さんが原因だ。
きっと僕がいなくなった後でもテトに変なことを吹き込んでいたのだろう。
あの人は妄想で男同士をくっつけるのが大好きだったからなぁ。
時々僕のことをニヤニヤしながら見てたし。うう、思い出すと寒気が。
「じゃあ僕の両親ことを聞かせて欲しいな。この村を造ったいきさつとか」
「そうですねそれでは……ごほっごほっ! こんな時に、ごほっごほっ!」
ヒルダは激しい咳をし始める。
僕は彼女の背中をさすってあげるけど一向に収まる気配はなかった。
「大丈夫かい?」
「あたしのことは、ごほっごほっ! それよりも母のことを、ごほっごほっ!」
「しゃべらないでいいからとにかく落ち着いて」
「母は、ぜーぜー、まだ、ごほっげほっ!」
部屋のドアが開けられ、ナッシュ達が飛び込んでくる。
彼らはすぐにヒルダを抱えて別の部屋へと移動していった。
遅れて入ってきたイリスが事情を説明してくれる。
「彼女は病気を患っているそうなのです。年も年ですしあまり長くは起きていられないのだとか」
「そうだったのか……」
最後に何かを言おうとしていたようだったけど、とても聞けるような状況ではないな。残念だけどここらで退散するしかない。もちろんこの家に泊まるのもなしだ。病人の寝ている家で五月蠅くするのはあまり気が進まないからね。
戻ってきたナッシュ達は一息ついてから話し始めた。
「大ばあちゃんが病気だってことを先に言っておけばよかったな。後輩には悪いことをしたぜ」
「いいさ、それよりもヒルダは大丈夫なのかい」
「ああ、あれくらいなら明日にはまた起きられると思う」
それを聞いてほっとした。
可愛い姪っ子には長生きしてもらいたいからね。
さて、話は聞けたし今日の宿でも探しに行こうかな。
家を出ようとするとナッシュが僕を引き留める。
「連れて行きたい場所があるって大ばあちゃんが言ってたんだ。けど、あの調子だから、俺達が代わりに連れて行ってやるよ」
ヒルダが僕を連れて行きたい場所?
首をひねりつつもナッシュ達の案内に従って村の外れへと行くことにした。
◇
案内された場所は墓場だった。
名前の刻まれた石版がずらりと並び、その下には今はなき者達が眠っていることを教えてくれる。僕はヒルダが何を伝えようとしていたのかすぐに理解できた。
恐らくここにあるのだろう。マグリス家の墓が。
ナッシュ達は墓地の一番奥にある、ひときわ大きな墓石の前で立ち止まった。
その墓にはツタが絡みついていて刻まれた表面の文字も泥や砂で酷く汚れていた。僕は名前が刻まれているだろう箇所の汚れを手で払った。
そこには父さんと母さん。ルナとその夫であろう名前が刻まれていた。
テトは僕と同様、死んだかどうかも分からない扱いのようだ。
「ごめん、少し一人にしてくれないかな」
「承知しました。皆さん、私がおごりますのでどこかで食事にしませんか」
イリスはナッシュ達を連れて墓地を出て行く。
僕はそれを見送ってから我慢していたものを解放する。
「ううっ……ひぐっ……うわぁぁぁぁぁぁっ!!」
何度も地面を殴って自分の愚かさを呪う。
ようやく僕は実感してしまった。
家族を失ったということを。
もう愛すべき彼らはいない。
マグリス家は僕一人になってしまったんだ。
あの日、僕が魔界に落ちなければ……僕の名前もここに刻まれたはずなのに。
幾度となく後悔したことだが、今日という日ほど悲しく、そして悔しく思ったことはなかった。
ロイ・マグリス、お前は本当に馬鹿で愚かだ。
何が魔界の賢者だ。大切な家族の最後を看取ることもできなかった、ただの親不孝者じゃないか。
「ごべんね、ぼぐが……おぞがっだがら……」
地面を引っ掻くように握りしめながら墓に頭を下げた。
ずっと帰ってくると信じ続けてくれた彼らに僕はもう何もできない。
全ては遅すぎたんだ。
涙も鼻水も垂れ流したまま僕は泣き続けた。
◆
王都のとある一室。
そこでは一人の少女がデスクの前で書類仕事を行っていた。
最後に『プリシア・ウィリアムズ』とサインを記すとそっとペンを置く。
その少女は艶やかな黒髪をツインテールにしており、整った可愛らしい容姿は誰もが見惚れてしまうような魅力を放っていた。反面、漂わせる雰囲気は冷たく、十七ほどの少女でありながら威厳を醸し出す。
身に纏う紫のローブと近くに置かれた杖から、魔術師であることは一目瞭然だった。
コンコン。部屋のドアを誰かがノックする。
入室したのは煌びやかな服を身に纏った中年の男性だった。
肥えた腹は服を押し上げはち切れんばかり。
彼はプリシアが何かを言うまでもなくソファーにどかっと腰を下ろす。
「プリシア様、例の件はどうなりましたかね。そろそろ了承してくれますか」
「その話は以前に断ったはずじゃ。あれを呼び出すのはあまりにもリスクが高すぎる。もし暴走でもしたらどうなるのか分からぬのだぞ」
プリシアはそう言いながら対面のソファーに座る。
「ならば貴方はこの国がどうなってもいいと言うのか。このグランメルン王国が戦争に負けて、民が奴隷のように扱われてもいいと本気でおっしゃるのか」
「そうは言っていない。あれを兵器として使うには、あまりにも不安要素が多すぎると言っておるだけじゃ。少なくとも
男性はテーブルを強く叩いた。
「話にならない。たかが一匹の獣相手に怯えるとは、それでよく賢者の椅子に座ってられるものだ。とても六賢者の一人とは思えん」
「何とでも言え。アタシはベヒーモスを魔界から呼び出すことは反対だ。よってこの話はここで終わりにする。すぐに王城に帰るがいい、ゲブロ大臣よ」
舌打ちをした大臣は立ち上がってドアへと向かう。
が、急に立ち止まってニヤリと笑みを浮かべた。
「これは聞いた噂なのですが、賢者の一人が新しい魔法陣の作成に成功したそうですよ。なんでも魔界から
「馬鹿な!? アタシ以外の者があの召喚陣を創っただと!?」
「私はプリシア様を思って先にお声をかけたのです。ですが、これでは手柄は向こうのものとなりましょうなぁ。いやぁ、本当に残念でなりませんよ。うっははは」
大臣が退室すると同時にプリシアは走り出し、部屋にある本棚の一部を開くと、その裏にある大きな金庫を勢いよく開け放った。
そこにはあったはずの研究の過程を記した紙の束が綺麗さっぱりと消えていた。
彼女は力なく両膝を折って座り込む。
「やられた……苦心して考え出した研究が……」
唇をかみしめふるふると震える。
その目は怒りに燃えていた。
「誰が研究を盗んだ? 金庫を空けるにはアタシしか知らない、四桁の番号が必要のはずじゃ。しかも金庫自体にも認識阻害の術をかけておる。だとすると身内の犯行か……いや、そう断定するには早過ぎるか」
コンコン。再びドアがノックされる。
すぐに「レイモンドです」と声がドアの向こう側から発せられた。
プリシアは金庫を閉めると、本棚を閉じてデスク前の椅子に座る。
「よいぞ、入室を許可する」
「失礼します」
恭しく入室したレイモンドは、プリシアの前で一礼する。
「例の屋敷ですが、購入した魔術師が
「ほぉ、下級とは言えそのようなことをやってのけるとは、なかなかの実力を備えた者のようじゃな。それで向こうの返事は?」
「気に入っているのでこのままここに住みたいと言っています」
プリシアはデスクを叩いて大笑いする。
その様子にレイモンドはあっけにとられた。
「すまぬすまぬ。なかなか肝の据わった者のようじゃの。アタシの名前を見ても動じないとは実に面白い。して、その者の名前は?」
「申し訳ございません。名前までは聞いておりませんでした」
「ふむ、それは残念じゃ。それで家名の方はどうじゃ」
「それに関しては聞くまでもないかと。僕の知らない家名でしたので、恐らく成り上がりの魔術師でしょう。ちなみに歳は十七ほどでした」
「若い成り上がりか。ますます興味が湧いた」
背もたれに体重をかけたプリシアは、愉快だと言わんばかりに満面の笑みを浮かべる。
成り上がり。それは魔術的血脈を有していない、平民から生まれた魔術師のことを指す言葉である。貴族階級の間では主に蔑称として使用されていた。
「報告は以上です」
「うむ、ご苦労。アタシが了承したと言っておいてくれ。それとその若い成り上がりをここへ連れてきて欲しいのじゃ。直接会って話がしてみたい」
「どこの魔術師かも分からない者とお会いになるのは僕は反対です。貴方はこの国に六人しかいない賢者ですよ」
「賢者だからこそじゃ。もしその者が攻撃をしようものなら即座に灰に変えてくれる。それともお主は、このプリシアが若輩の魔術師に敗れるとでも考えているのか」
「い、いえ……そのようなことは……失礼いたしました」
レイモンドは一礼をすると退室する。
部屋にたった一人となったプリシアは窓際に移動して外を眺めた。
「アタシと同じ成り上がりか。どのような者か楽しみだ」
彼女はクックックッと笑う。
だが、すぐに表情を怒りに変えた。
「どこの誰かは知らぬが、アタシの研究をよくも盗んでくれたな。あれはお兄ちゃんを魔界から助け出す為に、心血を注いで作りあげた新魔術だというのに」
プリシアが「
赤髪に黒装束を纏っており、口元は布に覆われている為に容姿は判然としない。楓と呼ばれた女性は、片膝を突いてプリシアの背中に頭を垂れる。
「誰がアタシの研究を盗み出したのか調べるのじゃ」
「犯人はどういたしますか?」
「殺すな。まずは何者かアタシに報告せよ」
「承知。それでは」
女性はその場から一瞬で消える。
プリシアは王都の中心にそびえ立つ王城を睨み付けた。
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