九話 マグリス家の足跡
人で賑わう市場。
僕とイリスは買い物をしながら声をかけて回っていた。
「知らないねぇ。聞いたこともない名前だよ」
「そうなんだ……ありがとう」
青果店の中年女性はアプーを購入した僕らを笑顔で見送る。
市場の適当な場所で足を止めると大きくため息をついた。
「市場ならマグリス家の情報が手に入ると思ったんだけどなぁ。あてが外れたみたいだ」
「そう落ち込まないでください。きっとどこかにご主人様のご家族のことを知っている者はいるはずです」
「だといいんだけどね」
僕の家族は数十年前に王都に引っ越してきた。
恐らくそれは間違いないと思う。
父さんは腰痛で畑仕事もまともにできない状態だったし、母さん一人で僕がいなくなった穴を埋めるのは容易ではなかったはずなのだ。おまけに育ち盛りの子供が二人もいる。
そう考えると、食いつなぐ為に今までのものを捨てて王都で心機一転。
新しい環境で新しい職についた、というのもあり得る話だ。
それにパタの町で会った老人は気になることも言っていた。
”そうだ。畑仕事をしなくても良くなったとかで、王都に引っ越して安定した生活を送るとかなんとか。これ以上は思い出せねぇな”
家を売る時点で安定した生活が約束されていたということだ。
だとすると移住した可能性はかなり高い。
「けど甥っ子やその子供が、今でも王都に住んでいるのかは怪しいところなんだよね」
「いくらなんでも手がかりがなさ過ぎます。どこかに住んでいたとかくらいは分からないと――」
僕はイリスの言葉にピクリと反応した。
「待った。今のもう一度言って」
「え? いくらなんでも手がかりが少なすぎる……」
「違う違う。その後だよ」
「どこかに住んでいたとか分からないと……あ、もしかしてそう言うことですか?」
そうだ。僕らはすでに糸口を見つけていたんだ。
僕とイリスは走って市場を出た。
◇
ソファーが対面に置かれた応接間。
そこで僕らと不動産屋の主は向かい合っていた。
ハンカチで額を拭いたりとかなり挙動不審だけど、その理由はなんとなく察することができる。まさか生きているとは思ってなかったんだろうな。
あいにくあんな下級
まぁ、今回はそんなことはどうでもいい。僕が聞きたいのは別のことだ。
「マグリスですか……聞き覚えのない名前ですねぇ」
「本当に? ずいぶんと昔のことだから忘れてるだけじゃないのかな」
「こう見えて関わったお客様の名前は全て覚えています。その私が思い出せないのですから、ここへは来られていないのでしょう」
主は自分の記憶に絶対の自信を持っているようだった。
けど、僕も簡単に引き下がりはしない。
彼が知らないのなら別の誰かが知っている可能性もある。
「君は見たところ六十代くらいだよね。僕が探している人達は三十年、いや、四十年や五十年以上前に来たと思うんだ。その頃の君はまだ幼かったと思うし、生まれてもいなかったかもしれない」
「何が言いたいのでしょうか」
「この不動産屋には先代はいるのかな。もしいるのなら紹介してもらいたいんだ」
「…………」
主は考え込むように沈黙してしまった。
それはつまり先代がいて尚且つまだ存命だと言うことだ。
もし彼の代から創業したのならいないと即答するはずだし、すでに死んでいるのなら同様に即答するはずだ。迷う時点で答えを教えているようなものである。
僕はダメ押しで懐から銀貨が詰まった革袋を取り出した。
「これでどうかな」
「なんでしょうかこのお金は?」
「謝礼だよ。貴重な時間をわざわざ割いてもらったしね」
「な、なるほど。先代を呼んできますので、少々お待ちください」
彼は慌てて部屋を出て行く。
前回もそんな気はしてたけどやっぱり金に弱いんだな。
あらかじめ用意していて良かったよ。
「せっかく稼いだお金を、あのような者に渡して良かったのですか?」
「いいんだよ。これくらいで家族の手がかりがつかめるのなら安いものさ」
「決して安くはないと思いますが……まぁ今回はいいでしょ」
そう言えばイリスは昔からお金には厳しかったな。
こっちに来てからは静かだったけど、そろそろ警戒しておかないと不味いかも。
研究用の材料を買うだけで怒られてはたまったものじゃない。
ガチャリ。ドアが開けられて不動産屋の主と一人の老婆が入ってきた。
二人はソファーに座ると話しを始めた。
「どーも、お待たせいたしました。どうやら私の曾祖母が詳しい話を知っているようなので連れてまいりました。こう見えてこの不動産屋の初代社長なんです」
「こんな老いぼれ呼び出してなんだってんだい。あたしゃこれから午後のお茶をしようとしてたんだよ。金になんない話だったら、さっさと帰らせてもらうからね」
「ひいばあちゃん、お客さんの前だから頼むよ。ほら、銀貨一枚あげるからさ」
「ったく、しょうがないね。一時間だけ付き合ってやるよ。で、あんたらはあたしから何を聞きたいのさ」
老婆は妙な圧を放っていた。
おまけにその目は人の中をのぞき見ているようで嫌な感じだ。
「かなり昔にマグリスと言う名字の四人家族がここを訪れたと思うのだけれど……記憶にあるかな?」
「あん? マグリス?」
彼女は両足をテーブルの上に乗せて腕を組んだ。
なんて態度のデカい年寄りだ。
ひ孫である主はあたふたとする。
「あああああっ! 思い出した! いたよそんな名前の家族!」
「本当に!? 彼らはここに来たんだね!?」
「間違いないね。あたしは今まで会った全ての客の名前と顔を覚えてんだ。あの家族には特に世話したからね、忘れようにも忘れられないよ」
ようやく手がかりを掴んだ。
僕は拳を握りしめて喜びに打ち震える。
逸る気持ちを抑えて話の続きを聞くことにした。
「そうそう、あの日は土砂降りだった。びしょ濡れの夫婦とまだ幼い子供がウチにやってきて、部屋を借りたいって言ってきたんだよ。最初は仕事を探してどっかの田舎から出てきたんだろうって思ってたんだけどね」
「父親は腰を痛めてた?」
「そうだよ。あんたよく知ってるね。父親は腰痛持ちで歩くのも辛そうだったんだ。それを見てあたしゃすぐに、家賃が払えなくなって出て行くだろうと予想してたんだよ。だから一番安くて貧相な部屋を貸してやったのさ」
老婆は「けど、あたしの予想は大外れさ」と話を続ける。
「次の日、様子を見に行ったら二人の子供が魔術師のローブを着ていたんだよ。あたしゃ心底驚いたね。魔術師ってのはだいたい金持ちや貴族がなるもんだろ。なのに、貧乏丸出しの一家から二人も出るなんてただごとじゃない。しかも聞けば、有名魔術師の弟子になるって言うじゃないか、慌ててもっといい部屋を紹介したよ」
ルナとテトが魔術師の弟子?
だとすると相当に才能があったということだ。
魔術師とは一定以上の魔力を保有した者がなることのできるものだ。
どんなに高度な知識があろうと魔力のない者がそう名乗ることは許されない。
ではどうやって魔術師にふさわしいだけの魔力を手に入れるのか。
それはどこの家系で生まれたのかで決まる。
魔力とは多くの場合、親やその親から引き継がれる。
父親と母親の魔力量を足して二で割った値が子供の魔力量となるのだ。
もちろんこれはだいたいの話で実際はかなり上下する。
つまり魔術師になるには魔術師の子供に産まれなければならないのだ。
加えて魔術師は豪商や貴族出身の者が多い。
いくら魔力があろうと、それを扱う術を知らなければ宝の持ち腐れだ。
高い教養は必須である。
だからなのか高位な魔術を扱えることは、世間では一種のステータスとみなされ、魔術自体が平民には手の届かない力と認識されていた。
役人になるには魔術師でなければならないというのだからよっぽどだ。
それらのことを踏まえて考えると、ルナとテトが魔術師の才能があったことは驚くべき事実だし、両親が家を売って王都に来るのも納得できる。
二人がもし役人になれば将来は安泰だ。
おまけに高名な魔術師の弟子になったとなればそれだけで箔が付く。
きっと僕でも両親と同じ決断をしたに違いない。
老婆の話は続く。
「でね、あたしゃあ両親に聞いたのさ。将来は有望だけど、家賃を払えるあてはあるのかいって。すると生活費はその師匠が全て払ってくれるっていうじゃないか。たまげたよ、どこぞの農民の子供を弟子にとるばかりか、その家族の世話までしてやるってんだから。よっぽど気のいい魔術師なんだと思ったよ」
「生活費まで? いくらなんでも虫の良すぎる話だと思うけど……」
「だろ? だからいくらあたしでも少し心配しちまったんだよ。その師匠ってのがあの家族に悪さするんじゃないかってな。ほら、たまにいるだろ小さい子にしか興味のない奴。その手の輩じゃないかって勘ぐっちまった」
おばあさんが言っているのは、ロリコンと呼ばれる人種のことかな。
まぁ、ルナもテトも可愛いから彼女がそう思うのは当然だ。
でも口ぶりからすると違ったってことなのかな。続きが気になる。
「あたしゃあその師匠ってのに直接会いに行ったのさ。人を見る目には自信があったからね、どんな奴があの一家を田舎から引っ張り出したのか見定めてやろうと思ったんだ」
「結果は?」
「女だったよ。それもとびっきりの美人。あたしゃあすっかり気を抜かれちまった。同性でも見惚れるってのはあんな感じなんだろうね。今でも時々思い出すんだよ」
「いやいや、そんなことより直接会ってどうだったのか聞きたいんだ」
「ああ、そうだったね。で、師匠ってのから詳しい事情を聞いて納得したよ。何でも二人には天賦の才があるらしくて、どうしても弟子にしたかったらしいんだ。けど、両親をそのままにはしておけないって二人に言われちまって、仕方なく家族ごと王都で面倒を見ることにしたらしいのさ」
天賦の才……あのルナとテトに?
むふふ、むふふふふ、そうだよね。僕の可愛い兄弟だもんね。
魔界の賢者と呼ばれる僕の妹と弟なんだから当然さ。
なんだ、考えてみれば至極当然のことだったよ。
「ご主人様、どうしてニヤニヤしているのですか。気持ち悪いです」
「酷い! 兄弟が褒められて喜んでいるだけだから! 妹と弟が天才なんて言われたら兄としては嬉しいに決まってるだろ!」
「だとしても度を超えてニヤけていましたよ。そういうのは私の頭をいい子いい子する時だけで充分です」
「え!? そんな時もニヤけてるの僕!?」
僕ってだらしない顔を頻繁にしてるんだな。知らなかった。
それはそうと、老婆から話の続きを聞かなければならない。
まだ家族がどこに住んでいてどうなったのかが不明だ。
「それで一家のその後は?」
「さぁね、二人の子供が一人前になってからは、どっかの町に引っ越しちまったみたいだ。その後は音沙汰もないし年が年だからおっちんじまってんだろうよ」
彼女も行き先は知らないと言うことか。
「じゃあどこに住んでいたとか教えてもらえるかな」
「そうしたいのは山々なんだけど、あの家族が暮らしてた物件はもうないんだよねぇ」
「え? ない?」
「売り払っちまったんだよ」
聞けばとある人物が、その物件を含めた一帯を破格の値段で買い取ったと言うのだ。その結果、建物は取り壊されて大きな屋敷が建ったのだとか。
「今思い出しても美味しい話だったよ。まさかあの建物をあんな値段で買い取るなんてね。どこの誰だか知らないがかなり儲けさせてもらった」
「知らない相手に売ったってこと?」
「まぁね。けど、そういうのはよくあるんだよ。愛人を連れ込む為に偽名で代理人立てて物件を購入したりさ。ま、あたしらは金が入ればなんでもいいんだけどね」
老婆はニヤリと笑う。
そうか……もう家族が住んでいた場所はないってことなんだね。
どんなところで暮らしていたのか見てみたかったけど、それならどうしようもない。
そこでふと、老婆が何歳なのか気になった。
よくよく考えてみると相当な高齢のはずだ。
「あの、失礼かもしれないけど年齢を聞いてもいいかな」
「ふひひ、あたしゃあ今年で百二十歳だよ。長生きの秘訣を聞きたきゃ金を払いな」
ひゃ、百二十歳!? 嘘だよね!?
僕の反応を見た老婆は腹を抱えて大笑いする。
ぎょっとしない方がおかしいでしょ。
「ところでずっと気になってたんだが、あんたあの一家のなんなんだい?」
老婆の言葉に僕は表情を引き締める。
「家族だよ。何物にも代えがたい大切なね」
「へぇ、そう言えるほど深い関係があるようには思えないけど、複雑な事情があるのだろうね。そんな気がするよ。あんたの家族、見つかるといいね」
必ず見つけるさ。どんな手段を使ってでも。
僕は情報を提供してくれた老婆に感謝を述べる。
そして、話している間ずっとハンカチで汗を拭いていた主にも。
「あ、言い忘れていたことがあった」
去り際に僕は振り返って主に声をかけた。
彼は一瞬で何を言おうとしているのか察して顔が青ざめる。
「屋敷に住み着いていた
「い、いやぁ、それはその……ひっ!?」
主は老婆がにらんでいるのに気がつく。
部屋のドアを閉めると「あんた、客になんてもの売ったんだい! この大バカが!」と怒声が聞こえる。さらに主の泣き声も。
僕とイリスは笑みを浮かべながら屋敷へと帰還した。
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