八話 屋敷に潜む者2

 みすぼらしい格好の薄汚れた青年。

 しかし、その目は月に照らされてギラギラと光っていた。


「大人しく殺されろ人間。俺に魂を捧げるんだ」

「断る。僕にはまだまだやりたいことがあるからね、そう簡単には死んであげられないよ」

「だったら力尽くでも奪い取るだけだ。俺にはもう後がないんだからな」


 青年悪魔デーモンは両手の爪を伸ばした。

 爪は刃物のように鋭く、眩く光を反射する。

 接近戦を得意とするタイプのようだ。


 彼は地面をえぐるような踏み込みで僕に肉薄すると、空気を切り裂くような連続攻撃を繰り出す。

 僕はバックステップで全てを紙一重で避けきった。

 互いに距離を取ると様子をうかがう。


「攻撃を全て避けるなんてやるじゃないか。人間は弱いって聞いてたけど、噂ってのはあてになんねぇな」

「それは本当だ。人間はとても弱い。僕は他の人よりも踏んだ場数が多いってだけさ」


 戦いは再開する。

 今度は手数が多く速度も先ほどよりも速い。

 動きも獣じみてきて、攻撃が鋭さを増していた。

 それでも僕は危なげなく攻撃を躱す。

 

 やっぱりまだまだ若いね。動きに無駄が多すぎる。

 何より予備動作で攻撃が予測できてしまう。

 未熟としか言い様がないな。


 僕が大ぶりの攻撃を避けると、背後にあった大木が切断されて地面に倒れた。

 青年はそこで一度攻撃の手を休めた。


「なんでだ! なんで攻撃が当たらない!? お前、本当に人間か!?」

「うん、普通の……人間だよ」

「絶対違うだろ! 目が泳いでんだよ!」


 青年は地面を踏みつけて怒りを露わにする。

 確かに普通というのはちょっと無理があるかもしれない。

 魔界から帰って来た初めての人間だし。


「君にばかり攻撃させるのもなんだか悪いよね。そろそろ僕からもいかせてもらうよ」

「はっ、回避能力はスゲぇだろうが、あいにく人間ごときの攻撃でどうにかなる俺じゃねぇ――あげっ!?」


 パチンッと指を鳴らすと、青年は衝撃に吹き飛ばされて激しく地面を転がった。

 彼は何事もなかったかのように立ち上がったが、その足は少しふらついているように見えた。


「なんだ今のは、攻撃が全然見えなかったぞ!」

「うん、見えない攻撃をしたからね」

「あーくそっ、そうじゃない! 今のは魔術だよな!? 人間の魔術には詠唱って奴が必要だったと思うけど、ちゃんと詠唱したか!?」

「うん、僕は詠唱をしなくてもいいんだ」


 青年は「あれ、こいつヤバくね?」と冷や汗をたらした。

 なかなか頭の回転は悪くないね。

 

 魔術師が悪魔デーモンと戦う上でネックになるのが詠唱などの時間だ。

 ほとんどの魔術師はもたついている間に、悪魔デーモンによって殺されてしまう。

 故に術者は入念な準備をするのだが、もしゼロタイムで術を行使することができたのなら話は大きく違ってくる。たとえ相手が悪魔デーモンだろうと、対等に戦う状況を作り出すことができるのだ。


「くっ、マジでやるしかねぇな」


 青年の全身から赤黒いオーラが放たれ、頭部からは二本の黒い角が、背中とお尻からは服を突き破って大きな漆黒のコウモリ羽と尻尾が出現した。

 悪魔デーモンが本気を出した証拠だ。


 これを僕は『悪魔形態デーモンフォーム』と呼んでいる。


 悪魔デーモンと言うのは、普段は力を温存する為に真の姿を隠している。

 だから一見すると人間とは全く区別が付かない。

 けど、本気で戦う意思を固めた時、彼らはその真の姿をさらけ出す。

 その能力は人間形態の二倍、相手によっては三倍の時もあるほどだ。


「へぇ、なかなか悪魔デーモンらしい姿だね」

「余裕なのも今の内だぜ。こうなった俺はひと味違う。さっきみたいに逃げられると――思うなよっ!」


 彼は一瞬で僕の眼前に迫って爪を振るう。

 先ほどとは段違いの動きだ。

 僕は後方に跳躍しながら指を弾いた。


 ”圧縮空弾エアバレット


 魔力によって圧縮された空気を、指で弾くことによって弾丸のように飛ばす、僕のオリジナル魔術だ。最近作った術なので、未だにコントロールが怪しく、魔力を込めすぎると大砲のような威力になってしまう欠点がある。


「またこれか! 厄介な魔術を使いやがる!」


 青年は腕を交差させて四発もの空弾に耐える。

 人間であれば即死するだろう威力で撃っているのに、擦り傷程度で済むとは、さすがは悪魔デーモンだ。

 僕は空中で懐に手を入れてとある物を投げる。

 着地したところで向こうから魔術が放たれた。


「”闇泥ブラックマッド”」


 うわっ、なんだこれ!? 影が泥のように足を沈める!

 闇系の魔術だと思うけど、こんなのは初めて見た。

 まだまだ魔界にも僕の知らない魔術があるみたいだ。

 ちょっとワクワクしてしまった。


 ズシュ。

 青年の手刀が僕の胸を貫いた。


「所詮は愚かな人間だな、本気の悪魔デーモンと正面から戦って勝てるわけないだろ。最初から大人しく魂を捧げてればいいものを」

「そうだね。だから攻撃させてもらうよ」


 ボンッ。僕だったものは煙と共に消え失せ、ひらりと人型の紙が落ちる。

 アンリの魔術を見よう見まねで作った身代わり人形スケープゴートだ。


「しまっ――」

「”暗黒爆炎ダークバースト”」


 青年の背後に紫色の爆炎を直撃させる。

 数秒後に炎は消え失せ、小さなクレーターができていた。

 白い煙が立ち昇り、その中心には焼け焦げた青年が倒れている。

 手加減はしたので死んではいないと思う。多分。


「うぐぐ……背後を取られるとは……」


 彼はふらつきながらなんとか立ち上がった。

 しかし、ガクッと片膝を折って吐血した。

 外傷よりも内臓へのダメージが大きかったようだ。


「油断したね。人間だと侮ったのが君の敗因だ」

「マジでなんなんだよお前。俺が聞いていた人間共と全く違う」

「うーん、まだ分からないかな? 君は僕のことを観察してたんだよね?」

「あ? 何言ってんだ。まさか悪魔デーモンの俺がお前を知っているとでも思ってんのか。どんな有名人だか知らねぇけど、あいにく俺は召喚されたばかりで人間界についてこれっぽっちも知識がねぇんだよ」


 僕は金のネックレスを首から外す。

 すると両目が青藍せいらんに輝いた。


「その眼!? まさか”青藍の賢者”!?」

「正解。と言うかこの屋敷では、何度かロイ・マグリスって名前を出したんだけどなぁ。その時点で気がつかない君はやっぱり三流だよ」


 青年は「ひぃいいっ!」と悲鳴を上げて土下座する。

 名前の方はまだまだ広がりが薄いみたいだ。


「あの、その、大変なご無礼を……だから殺さないでください。お願いします」

「うーん、どうしようかなぁ。どう思うイリス」


 屋根の上で座って戦いを見物していたイリスは、立ち上がると軽やかな動きで地上に降りてくる。スタスタと僕の近くに来ると、青年を一瞥して答えた。


「面倒ですし消してしまってはどうですか?」

「死にたくない! 殺さないでください殺さないでください!」


 イリスは僕の顔を見て「どうしますか?」と微笑みを浮かべる。

 なかなか意地の悪い脅し方をするなぁ。

 最初から僕の考えなんて分かってるくせに。

 僕はしゃがみ込んで青年の肩に手を載せた。


「君は後がないとか言っていたね。もしかして魂の摂取期限が近づいているんじゃないのかな」

「実は俺の家は貧乏で魂を買うお金もないんです。それでも今まではなんとかやってきたけど、もう限界で……だから召喚に飛びついてしまったんです」


 悪魔デーモンには定期的に摂取しなければならないものがある。

 それが魂だ。

 彼らにとって魂とは人間で言う食事と同じだ。

 摂取しなければいずれは死んでしまう。

 寿命を終えるその日まで魂を食べ続けなくてはいけないのだ。

 故に魔界では悪魔デーモン同士の食い合いはよく見る光景だった。


 だが、彼らにだって感情が存在する。

 同族を食べることを嫌がる者だって当然いるわけだ。

 そこで出てくるのが悪魔召喚である。

 

 人間は呼び出した悪魔デーモンに取引を持ちかける。

 魂を与えるかわりに契約を結ぶのだ。

 こうして悪魔デーモンは同族殺しに心を痛めることなく魂を手に入れ、人間は強力な力を使役できると言うわけである。


 一方で魔界では魂を売買する業者も存在している。

 人間界で得た魂を高値で売っているのだ。

 召喚される機会のない弱者は、こう言った業者から手に入れるしか方法はない。


「俺にはまだ小さい兄弟がいるんです。あいつらを養う為にはまだ死ぬわけにはいかないんです。お願いします。大人しく魔界に帰りますから見逃してください」

「でも魂の件はどうするのかな? まさか人間を食べてから魔界に帰るなんてつもりじゃないだろうね」

「あの、その……どうしてもダメですか?」

「ダメだ」


 兄弟がいるって聞いて僕は彼に同情的になっていた。

 けど、それとこれとは話が別だ。長く魔界で暮らしていたとはいえ、何の罪もない人間が食べられるのを黙って許す僕じゃない。


 僕は専用空間マジックボックスから一枚の紙とペンを取り出した。

 すらすらと書き綴り、紙を折りたたんで青年に渡す。


「これは……?」

「エターニアの国王へ向けた手紙だ。これを持って兄弟と共に王都へ訪ねるといい。そこで君は僕の開発した”疑似魂”を受け取ることができるし、安定した暮らしもできるはずだ」

「疑似魂? もしかしてあの噂の?」


 疑似魂は僕の研究の過程で生まれた革命的な発明だ。

 それを体内に取り込むことで、悪魔デーモンは死から遠ざかることができるのだ。

 おまけに生き物を殺す必要もないし、材料も手に入りやすく安価に製造できる。

 魔界に暮らす誰もが待ち望んでいた物なのである。

 まぁ、僕が賢者なんて呼ばれている理由の一つがこれなんだけどね。


「ありがとうございます! なんとお礼を言っていいのか!」

「いいよいいよ、僕は少しでも召喚に飛びつく悪魔デーモンを減らしたいだけだからさ」


 僕は杖を地面にトンッと突く。

 次の瞬間、青年の足下に炎が走り、複雑な魔法陣を形成した。

 これは召喚された者のみを魔界に還す術だ。

 魔法陣が光り輝くと、青年はその場から消え失せた。


「彼が悪人でなくて良かったよ。じゃないと消さなければならなかったからね」

「私はあの程度の輩に情けをかける必要はなかったと思っています」

「そんなことを言っちゃダメだよ。どんな悪魔デーモンや人間にだって、事情ってものはあるんだ。話し合える内は会話を試みないといけない」

「はぁ、ご主人様は優しすぎます。私は心配でたまりません」


 イリスはため息をついてうなだれる。

 あれ、変なこと言ったかな? 

 至って普通のことだと思うけど。


 僕らは今度こそゆっくり寝る為に屋敷へと帰った。


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