七話 屋敷に潜む者1

 早朝、ダイニングへ下りると良い匂いが漂っていた。

 テーブルにはトーストと目玉焼き。それとコーヒーだ。


「おはようございます。ご主人様」


 エプロン姿のイリスが僕に恭しく挨拶をする。

 僕は椅子に座りながら挨拶を返した。


「懐かしいね。君のエプロン姿なんて」

「使用人を雇い始めてからは、私もこのようなことをする必要はなくなりましたからね。久しぶりなので少し手間取ってしまいました」


 エプロンを外した彼女は椅子に座る。

 ざくっとトーストを囓るとふわっと甘い香りが鼻腔をくすぐった。


「どうでしょうか」

「美味しいよ。良い焼き加減だ」


 トーストも目玉焼きも焼くだけの料理だけど、彼女にしてみれば数十年ぶりの料理だ。

 きっと僕に食べさせるまですごく緊張していたのだろう。

 イリスはじっと僕の食事を見ていた。

 コーヒーを飲むと少し薄く感じた。これに関しては要練習だね。


「ところで昨夜はよく眠れた?」

「はい、ほどほどに。ご主人様の方はどうでしたか」

「僕もほどほどかな。枕が変わったせいかもしれない」


 彼女も敵が屋敷に潜んでいることは気がついているみたいだ。


「提案なのですが、今日辺りこの屋敷を調べてみませんか」

「ちょうど僕もそれを考えていた。色々気にかかることもあるし、この際ちゃんと調べておいた方がいいかもしれない」


 僕とイリスは食事を終えると、屋敷の探索を行うことにした。



 ◇



 ドアを開けて部屋の中を覗く。

 至って普通の書斎だ。

 壁には大きな棚があり、百冊を超える本が並んでいた。

 僕は一冊を手に取ってパラパラとめくる。


「魔術関係の本みたいだね。でも初心者向けの薄い内容だ」

「こちらは魔獣の生態を記したもののようです。冒険業に役立つのではないでしょうか」

「へぇ、それはいいね。ちょうどそういうのを欲しいと思ってたんだ」

「では他にも良さそうなのを……これは、空気の流れ?」


 イリスが本棚を動かす。

 すると棚の一部がドアのように開いた。

 奥をのぞき込むと下に続く階段が見える。


「お手柄じゃないか! 隠し扉を見つけるなんてさ!」


 僕はイリスの頭をなでなでする。

 顔を紅潮させた彼女はモジモジして嬉しそうだった。

 そして、さりげなく僕の身体に腕を回して抱きつく。

 うんうん、可愛いよイリス。よしよし。


「さぁ、階段を下りてみよう! きっとこの屋敷の秘密に迫れるよ!」

「あ……もう終わりですか。残念です」


 僕らは早速、螺旋階段を下りて地下へと移動する。

 確か前の持ち主は魔術師と言っていたから、この先は研究室か何かだと思う。

 だとすると侵入を防ぐ結界があってもおかしくない。


 階段を下りきると一枚の木製の扉に行き着いた。

 ドアには魔法陣が刻まれており、僕は陣の呪文に目を走らせる。


「許可なき者の出入りを禁ずるってさ」

「魔力は感じられません。効力は失われているようですね」

「うん。それにこの魔法陣は壊されている。恐らくなんらかの強い力に破られたんだ」


 魔法陣は亀裂によって途切れていた。

 これは外からの力によって陣とそれを支える基盤が壊されたのだ。

 つまり制作者の想定以上の何かが結界を破壊した、と言うこと。

 問題はそれが内側か外側からなのかだ。


 僕はノブを回してドアを開けた。


「驚いた。前の住人はここもそのままにしていったんだな」


 かなり広い部屋には研究機材がそのままになっていた。

 机には紙が乱雑に積み重ねられており、目を通すと実験結果が記載されていた。

 どうやらこの魔術師は”悪魔召喚”を熱心に行っていたようだ。

 よく見ると書類には名前が記されていた。


「えーと、名前はプリシア。女性なのかな」

「ご主人様、こちらに来てください」


 イリスに呼ばれて部屋の中央に行く。

 床には大きく複雑な魔法陣が描かれていた。

 プリシアという人物は、これで悪魔デーモンを召喚しようとしたのだろう。

 いや、


「見てください、うっすらとではありますが魔法陣が途切れています」

「僕も気がついていた。こっちは壊されたと言うより人為的なミスみたいだ。だとすると不完全なまま呼び出しちゃったんだろうね」


 悪魔召喚。それは魔界から悪魔デーモンを呼び出す術だ。

 契約によって悪魔デーモンを強制的に従わせ、その強力な力を行使させる。

 人間界では禁忌と言われている高等魔術である。


 ただ、悪魔召喚には危険も付きまとう。

 不完全な魔法陣で召喚した場合、悪魔デーモンと契約できないどころか、人間界に解き放ってしまうこととなるのだ。

 そうなると悪魔デーモンは自由の身だ。

 術者を殺すこともできるしやりたい放題である。


 ちなみに召喚できる悪魔デーモンは術者の実力――保有魔力によって決まる。

 魔力が多ければ多いほど、実力の高い悪魔デーモンを呼び出せるって寸法だ。

 ここで勘違いをしてはいけないのが、魔力だけで悪魔デーモンを使役することはできないという点だ。取引を行い契約を結ぶことで、ようやく力を借りることができるのである。悪魔召喚とは色々と面倒なのだ。


「召喚に失敗したことで家主は逃げ出したんだ」

「殺されたという線はないのでしょうか」

「屋敷を見た感じ、術者が殺された痕跡は見られなかった。それどころかこの屋敷には悪魔封じが張られていたようなんだ」

「あ、もしかして……」

「うん。初めて屋敷に入った時に僕らが壊した」


 思い出せば初めて屋敷に来た際に、ガラスの割れるような音が聞こえた。

 あれは悪魔デーモンを外に出さない為の結界だったんだ。

 だけど、僕らが壊してしまった。

 あまりにも弱すぎる結界だったから。


 だとするとあの不動産屋は、全てを知っていたに違いない。

 普通の人間がこの屋敷に入れば悪魔デーモンに殺されると分かっていた上で、僕らに多額で売り払ったんだ。

 道理で家財をそのままにして出て行くはずだよ。

 持ち出す時間なんてなかったんだからさ。


「結界もなくなったことだし、ここにはもう用はないよね。どうしてまだいるんだろう」

「我々がいるからでしょう」


 なるほどね。納得した。

 自由の身となった悪魔デーモンが、最初に何をするのかは簡単に予想がつく。

 しかもどれほどの間、結界によって閉じ込められていたのかも分からないのだ。

 極度に腹を空かせている可能性だって否定はできない。


 僕らはひとまず地下から出ることにした。



 ◇



 屋敷の探索を終えた頃には日が暮れていた。

 ここは僕の考えていたよりも遙かに広い建物だったようだ。

 プリシア。一体何者だろうか。

 これだけの屋敷を建てる財力はかなりのものだ。

 ただの魔術師とはとても思えないな。

 

 そんなことを考えつつ、湯船にゆっくりと身体を浸らせた。


「はぁぁ、やっぱりお風呂付きっていいなぁ。購入して正解だったよ」


 この屋敷には給湯装置がある為、いちいち火で湯を作る必要がない。

 蛇口をひねれば欲しい時にいくらでもお湯がでてくるのである。

 夢のようなこの技術は百年前にはなかったものだ。

 

 興味があったのでその給湯装置とやらを見てみたけど、仕組みは至って簡単で、金属の箱の中で、炎を発生させる魔法陣が水を温めるだけのシンプルなものだった。

 動力は魔力。蛇口に触れるだけで給湯装置に魔力が供給されるのだ。

 しかも必要魔力も最小限度で、万人が使えるように調整されていた。

 まさに画期的技術だ。僕は久々に感動した。


「ご主人様、タオルをここに置いておきますね」


 浴室の外からイリスの声が聞こえた。

 相変わらず気が利く子だ。


「お、お背中をお流ししましょうか?」

「ええっ!? それはさすがにいいよ!」

「ですが昔はよく一緒に入ったではありませんか」

「あの頃は君も小さかったし! とにかく流さなくていいから!」


 イリスは「そうですか……残念です」と少し落ち込んだ様子で返事をした。

 一緒に入っていたなんて数十年も前の話だ。

 あの頃のイリスは小さかったし、妹の面倒を見ているような感覚だったんだ。

 けど、さすがに今の彼女とはそんなことできない。年頃の女の子だし、僕だって色々と困ってしまう。


「ふぅ、そう言えばお風呂なんていつぶりだろう」


 魔界では使用人にほぼ毎日というほど入らされていたから、あまり意識しなかったけど、人間界こっちに戻ってきてからは、お湯で身体を洗うなんて初めてだ。

 なんだかんだ贅沢な生活をさせてもらっていたんだなと思い知る。


 湯船から出るとタオルで身体を拭いた。

 そして、いつもの服を身に纏う。

 

 本来なら就寝前は白いパジャマに着替えるのだがそうしなかった。

 恐らく今夜、この屋敷に潜んでいる悪魔デーモンが襲撃するからだ。

 向こうは正体を知られて焦っているはず。

 だとすると一刻も早く殺してしまいたいに違いない。


 昨夜の様子から察するに、相手は今回初めて召喚された者だ。

 経験のある悪魔デーモンは、人間がどれほど弱く悪魔デーモンがどれほど強いのかをよく分かっている。必要以上に警戒なんてしないし殺すなら一瞬だ。

 

 まだ若い悪魔デーモンなのかもしれないな。

 自分の力に自信がなく真っ昼間から襲う勇気がない小心者。

 なかなか可愛いじゃないか。たまには若者とのもいいかもしれない。


 お風呂場を出ると自室に戻って就寝する。

 杖はベッドの近くに立てかけてある。

 戦いの準備は万端だ。


 ベッドに入って一時間が経過。

 敵は一向に襲ってこない。

 おかしいななんて思い始めていた。


 不意に襲いかかる殺気。

 僕は杖を手に取ると転がるようにしてベッドを出る。

 そのまま素早く立ち上がって確認すると、そこにはベッドに腕を突き刺した男がいた。

 しかし、暗がりなのでよく顔が見えない。


「ちっ、気づかれたか……」

「攻撃の瞬間に殺気を漏らすのは三流のすることだよ」

「人間の分際で偉そうなことを。お前は黙って俺に魂を差し出せばいいんだよ」


 一瞬で距離を詰められて腹部に蹴りを入れられた。

 そのまま僕はドアを突き破り廊下の窓も突き破って外に放り出される。

 空中で一回転して着地すると、敵も屋敷の外へと飛び出してきた。


 僕の前に現れたのは、みすぼらしい格好の薄汚れた青年だった。


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