十話 訪問者
屋敷の裏手にある敷地で僕は桑を振るう。
振り下ろす度に地面が掘り返され、嗅ぎ慣れた土の匂いが鼻腔をくすぐる。
これからここで何を育てようか、そんなことを考えてワクワクが止まらなかった。
「ふぅ、だいぶらしくなったな」
額に浮かぶ汗を袖で拭い周囲を見渡す。
草むらだった場所はすっかり掘り起こされて畑となっていた。
僕はニンマリと笑みを浮かべてから、
確かこの辺に……あったあった。これだ。
ズボッと引き抜いて出てきたのは、パンパンに種が詰まった麻袋だ。
それを十個取り出す。
袋の口を開けて種を掬うと、一粒ずつ丁寧に
「これは魔界ニンジンで……こっちは魔界大根……そうだそうだ、魔界キュウリも植えなくっちゃ。それに魔界なすびと……」
「あんまり沢山作ると食べきれなくなりますよ?」
声に振り返るとイリスがバスケットを持って微笑んでいた。
それもそうだな。じゃあ野菜はここら辺にして、あとは調合用の薬草でも育てようか。
新たに取り出した麻袋から、魔界マンドラゴラ、魔界ベラドンナ、魔界トリカブトなどなど。二十種以上を埋めた。
「これくらいでいいかな。魔界の作物が人間界でどの程度育つのかも知っておきたいし。それでイリスが抱えているのは何かな」
「ご主人様に食べていただこうと軽食を作ってきました。朝からずっと作業をされていますし、そろそろ休憩をされた方がよろしいのでは」
「そうだね、じゃあここら辺で一休みしようかな」
地面に敷物を置いて僕とイリスは腰を下ろす。
バスケットの中から出てきたのは肉と野菜が挟まれたパンだった。
僕の一番好きな料理だ。
ふわりと香ばしい匂いが香って胃袋を強烈に刺激した。
ばくっと口に頬張ると僕は思わず動きを止める。
「どこでこの味を……」
「フフ、ご主人様を驚かせる作戦は大成功ですね」
イリスは頬をピンクに染めて嬉しそうだ。
なぜ僕が驚いたのか。それは母さんの作った物と味が似ていたからだ。
若干アレンジは加えられているものの、独特の味付けは僕の記憶の中の味とぴったりと一致する。
しかし、彼女はどうやってこの味を見つけてきたのだろうか。
僕ですら再現できなかった料理なのに。
「実は市場であのおばあちゃんとたまたま会ったんです」
「もしかして不動産屋の曾祖母?」
「はい。それでちょっとした世間話をしていたのですが、彼女がかつてご主人様のお母様から料理を習ったと言っていたので教えていただいたんです」
話を聞いて納得した。
彼女は以前から僕の本当に食べたいものを知っていたから、機会を逃さずに聞き出してくれたんだ。まさかこれを食べられる日がもう一度来るなんて夢のようだ。
正直、もう食べられないものと諦めてたんだよね。
「ありがとうイリス。僕は帰ってきて良かったと心の底から感じたよ」
「とんでもありません。ご主人様の為ですから」
イリスは僕の肩に寄りかかって顔を赤くしながら照れくさそうにする。
ざわざわと風が草木を揺らして心地が良かった。
「あ、そろそろ地下の研究室を整理しなくちゃ」
すっと立ち上がると、バタンと横にイリスが倒れる。
完全に忘れていた。地下の研究室を掃除して自分の研究室にするつもりだったのを。それに残された前住人の研究資料などもまだ目を通していない。人間界の魔術師がどのような研究をしているのかを知る絶好の機会なのに。よし、急いで地下へ行くとしよう。
「それじゃあ僕はこれから地下へ――って、どうしたの? 怒ったような顔してさ」
イリスがなぜか頬を膨らませてにらんでいる。
あれれ? 何か怒らせるようなことしたかな?
立ち上がった彼女は「私も屋敷に戻ります」と荷物をまとめる。
ただ、不機嫌オーラは継続中だ。
二人で屋敷の玄関へと歩いていると、噴水前に見慣れぬ馬車が停まっていた。
そして、その近くには見慣れぬ男が一人。
紺色のローブを身に纏った金髪をおかっぱ頭にした少年だ。
歳はだいたい十七ほどで端麗な容姿をしていた。
右手に持った杖から察するに魔術師なのだろう。
彼は少しつり上がった目でこちらを見た。
「この屋敷を購入したのは貴様達か?」
ツカツカと足音を鳴らして僕の眼前に歩み寄る。
雰囲気から貴族だと分かる。
一つ一つの動作が平民のそれとは違っているからだ。
それに香水らしき香りもする。多くの平民はそんなものは付けない。
少年は僕を頭から足先まで眺めてから、隣にいるイリスを一瞥した。
「魔術師のようだな。そっちは従者か」
「えっと、君は誰かな?」
「僕は宮廷魔術師のレイモンド・ベルザス。プリシア様の弟子と言えば分かりやすいか」
プリシア? 誰だっけ?
最近どこかでそんな名前を見た覚えがあるけど……。
するとイリスが肘で僕の横っ腹を突く。
「この屋敷の前の持ち主です。地下研究室の書類に名前が書かれていたではありませんか」
「ああ、そう言えばそうだったね。すっかり忘れてた。それで、そのお弟子さんが僕達になんの用かな」
レイモンドは表情を変えず、腕を組んで僕をじっと観察していた。
「弟子と聞いても動じないとは。よほどの切れ者もしくは愚か者だな。よもやあのプリシア様を知らないと言うことはないだろうが」
「え、うん。シッテルヨ。スゴク、シッテル」
「……まぁいい、ここへ来たのは貴様達とおしゃべりをする為ではない」
彼は懐から取り出した紙を僕に手渡した。
受け取ってすぐに目を通すと、そこには屋敷を買い戻したいと言うプリシアの言葉が書かれていた。しかも金貨三千枚を出すとまで。
「元々この屋敷は売る予定ではなかったんだ。一時的に封鎖した上で管理を任せていた。その為の費用も渡していたはずなのに、こともあろうに奴は勝手に売り払い、その代金をまるまる懐に入れようとしたのだ」
うん、だと思ったよ。
そもそも魔術師が召喚した
なぜなら悪魔召喚は禁忌の術とされていて、この国ではバレてしまうと罰せられてしまうのだ。それなのに召喚者の名前を知っている
別の
プリシアと言うのもあとでそうする為に、結界で
加えて不動産屋の主は、僕らが悪魔に殺されて売買の件はなかったことになると思っていたのかもしれない。だから平気で契約を破って売ったんだ。恐らく彼の曾祖母がチクったか、プリシアの方が気がついたか。
「悪いけど僕らはここを手放すつもりはないよ。結構気に入っているんだ」
レイモンドは僕の言葉を鼻で笑った。
「貴様も魔術師の端くれなら気がついているはずだ。ここには結界が張られ
「それなんだけど……結界は僕がもう壊しちゃったんだよね。ここにいた
「はぁ!? そんな馬鹿な!?」
彼は驚愕した表情を見せて慌てて屋敷へと向かった。
僕達も彼を追いかけて屋敷の中へと入る。
「そんな……本当に悪魔払いの結界を壊したと言うのか……」
エントランスホールに敷かれた絨毯をめくると、そこには亀裂の入った魔法陣があった。レイモンドは左手で髪の毛をくしゃりと握って怒りに震える。
「これは貴様がやったのか?」
「うん、ごめんね。屋敷をちょっとイジったら壊れちゃったんだ」
「……ちょっとイジったら壊れただと? 本気で言っているのか?」
彼は僕を睨み付ける。
実際にはうっかり侵入して壊しちゃったんだけどね。
けど、それを説明するにはイリスのことを話さないといけなくなるから、この場はなんとかごまかすことにする。
「貴様、どこの家の者だ?」
「マグリス家。君は知らないよね」
「……聞いたこともないな。しかし、僕が張った悪魔払いの結界を破るなんて、どう考えても並の者ではない。もしかして国外から来た者か?」
「うーん、そうなるのかなぁ。一応この国の出身なんだけどね」
レイモンドはエントランスで考え込むようにしてぐるぐると回る。
たぶん、彼の熟考する時の癖なんだと思う。
再び僕の前に来ると微笑みを浮かべた。
「失礼した。まさか腕のある魔術師だったとは。僕としたことが、つい見た目で実力を推し量ろうとしていたようだ。それがいかに不愉快なことかは、僕自身がよく知っていたのに」
「いいよ、それで屋敷の件はどうなるのかな。こっちとしてはこのままここで暮らしたいんだけど……ダメかな?」
「すでに
彼はツカツカと玄関を出て行く。
そして、馬車に乗り込むと風のように去って行ってしまった。
「ご主人様に対するあの男の態度。私は身の程知らずの愚かな人間は嫌いです」
「相手はまだ人生経験の浅い子供だ。あれくらい笑って許してあげようよ。それにこっちでは僕らはただの平民なんだしさ」
「はぁぁ、ご主人様は本当に甘いですね」
イリスはやれやれといった様子で屋敷の奥へと消えていった。
それにしてもプリシアがどのような魔術師なのか聞きそびれちゃったな。
レイモンドの様子ではずいぶんと有名なようだけど、あんな下級
僕はそんなことを考えつつ、手を洗う為に洗面所へと向かった。
◇
「既存の悪魔召喚は条件に合った者達にアポイントをとり、応じた者をランダムで呼び出す仕組みとなっている。今回、開発した魔法陣はその条件をさらに限定し、より術者が求む
僕は目を通していた書類を机に置いた。
すでに地下研究室の掃除は終わっている。
さらに魔界から持ってきた機材もセッティングが完了し、木製の棚には所狭しと研究用の資料や材料も並んでいる。
で、現在は前住人の残した研究関係の書類を見ていたのだが、これがなかなか興味深いのだ。プリシアはどうやら悪魔召喚を熱心に研究していたらしく、なぜこのような術が存在しているのかなどの考察や、その運用方法まで多岐にわたって書類に書き綴っていた。
魔界で長年研究を続けてきた僕でも、手放しで賛辞を贈りたいレベルだった。
「ただ、危ういんだよなぁ。別の研究書類では既存の召喚魔法陣を改良して、
例を挙げるとするならベヒーモスだ。
もしアレがこちらに召喚されてしまったら町がいくつ滅ぶやら。
それどころか国が滅びてしまうかもしれない。
できるなら早い内に警告しておくべきだろう。
(ご主人様、
脳内でイリスの声が聞こえた。
僕は彼女に返事をしてから研究室を出る。
応接間に行くと、ナッシュ達がソファーに座ってキョロキョロしていた。
いや、アンリだけはイリスの出した紅茶を飲んでおり、ぼーっとしている。
そう言えば彼らがここに来るのは初めてだったね。
村から家計を助ける為に出てきた、なんて言ってあるからさぞ驚いたに違いない。
僕は対面のソファーに座ってにっこりと微笑む。
「驚かせたみたいだね。実はここは両親の知り合いが貸してくれている屋敷なんだ。今は旅行に出ていていないから、僕らが好きに使わせてもらっている」
「後輩はこんなところで暮らしてんのかよ。スゲぇな」
「ちくしょー、俺もこんな屋敷で美女を侍らせて夢のような生活を送りたいぜ」
「この紅茶美味しいですね。クッキーとかあれば最高なんですけど」
三人とも僕の話をまったく聞いていない。
相変わらず自由な人達だな。
(確かクッキーがいくつかあったよね。それを出してくれる?)
(分かりました。すぐにそちらにお持ちします)
イリスがクッキーをテーブルに置くと、ナッシュとライは素早く口に放り込む。
一瞬で二十個ほどあったクッキーは一個だけとなった。
「ちょっと! これじゃあ私の分がないじゃない!」
「はんほはふはほう?」
「ほほ、ほほひひっほあふ」
「何を言ってるのか分かんない! バカ!」
アンリはポカポカッと二人の頭を杖で叩いた。
これでいつまで経っても話が始まらないので、僕はわざとらしく咳をする。
あ、っと気がついた三人が姿勢を正した。
「もしかして僕の家族を探してくれている件の報告かな?」
「そうそう、それで来たんだよ。結構大変だったんだぜ。王都中を駆け回ってさ。それで肝心の結果なんだけどさ――」
彼はマグリス家が見つかった、と言った。
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