五話 オーガが現れた!

 芥子からし色の筋肉で盛り上がった肉体に身長はおよそ二メートル。

 ボサボサの赤髪は薄汚れており、腰には布きれが巻かれているだけだ。

 その目はギラギラとしていて獲物を目の前にする肉食獣のようだった。

 

 オーガ。


 それはゴールド級の冒険者になって初めて相手にできる獣。

 強靱な肉体に高い俊敏性。人間をも騙す知能。

 シルバー級以下の冒険者ではまず勝ち目のない相手である。

 故に出会ったら何もかもを捨てて逃げろと言われていた。


「うぐぐぐ、お前ら……逃げろ……」


 ナッシュが声を絞り出して逃走を指示する。


「嫌よ! ナッシュを置いていけない!」

「そうだぞ! 俺達は村を出る時にどこまでも一緒だと誓ったじゃないか!」


 アンリとライは武器を構えて戦いの意思を示した。

 オーガは口角を上げて薄ら笑いを浮かべる。


「大地に住まう新緑の住人よ、我が命に応え、敵なる者の自由を奪いたまえ。”草拘束グラスバインド”」


 アンリが呪文を唱えて魔術を放つ。

 次の瞬間、急速に伸びた草がオーガの手や足に絡みついた。

 

 突然の出来事に魔獣は戸惑いを隠しきれない。

 奴はナッシュを放り捨ててでも、次々に絡みつく草を引きちぎろうとした。

 なかなか面白い術だ。あんなのは魔界にはなかった。


「食らえ、螺旋突き!」


 間髪入れずライが槍をオーガに突き込む。

 矛先は脇腹に深々と突き刺さり血が飛び散った。


「どうだ、俺の渾身の一突きは――なっ!?」

「グルルルルッ」


 オーガは攻撃を意に介した様子もなく平然としていた。

 そして、ライの腹部に拳をめり込ませて振り抜く。

 強烈な一撃によって弾き飛ばされたライは、背中から樹に叩きつけられた。


 そして、奴はブチブチと絡みついていた草を引きちぎる。

 やはりというかあの程度の拘束では止められなかったようだ。

 オーガはナッシュには目もくれず、倒れているライの元へとまっすぐに歩き出した。


「くっ……俺が引きつけている内にナッシュを……」

「分かったわ! 死なないでね!」


 アンリはナッシュの元へと駆ける。

 倒れる少年を抱き上げ、安堵の声を漏らした。


「どうして逃げなかったんだよ……」

「そんなことできるわけないでしょ。ほんとバカ」

「バカはどっちだ。くそっ、どうにかしてライを助けないと」

身代わり人形スケープゴートを使うから心配ないわ」


 アンリは五枚の紙人形を取り出して魔力を込める。

 空中に放り投げると、ボンッと煙に包まれて偽物の僕らが出現。

 オーガは目を見開いて視線を彷徨わせる。

 何が起きたのか分からず混乱しているようだ。


「皆、今のうちに逃げるわよ。身代わり人形スケープゴートの効果はそんなに長くはないの。向こうは本物の私達の姿を見失っているはずだから大丈夫の――え!?」


 立ち上がった本物のライに、オーガは迷わず蹴りをたたき込んだ。

 再び背中から樹に叩きつけられた彼は吐血して力なく倒れる。


「なんで……どうして……?」

「臭いだ。あいつは臭いでオレ達の居場所を把握してる」


 アンリに支えられて立っていたナッシュは、自力で歩き出して剣を抜いた。

 状況を見ていた僕はなるほどと納得する。

 身代わり人形スケープゴートは紙だから臭いがない。

 視覚はごまかせても、嗅覚までは騙せなかったようだ。


 様子を見ていた僕にイリスが「どうしますか?」と質問をする。

 それはつまり見殺しにするのか助けるのかを尋ねているのだ。

 もちろん助けるつもりだ。

 

 ただ、僕はシルバー級冒険者の実力を知りたくもあった。

 

 もっともっと見たことのない技や魔術をこの目で見たかったのだ。

 きっと彼らにはまだ引き出しがあるはず。僕はそれが見たい。


「アンリ、今すぐにあいつを仕留められるだけの術を用意してくれ」

「まさかオーガと正面からやり合うつもり? 無茶よ」

「そんなのやってみないと分からないだろ。どちらにしろ逃げられないのなら戦うしかない。これはリーダー命令だ」


 駆けだしたナッシュは、素早くライとオーガの間に割って入る。

 彼は空気を切り裂くような斬撃を放った。

 

 一撃目は盾にした腕で弾かれる。

 だが、すかさず下から切り上げた二撃目はオーガの腕を跳ね上げた。

 間髪入れず切り込んだ三撃目は、敵の身体に深い傷を作った。


「グガァァァッ!?」


 肩口から脇腹にかけて刻まれた斬痕ざんこんからは、鮮血が吹き出した。

 オーガはふらついた様子で後ろへと下がる。


「はははっ、オレは未来のオリハルコン級だぜ。てめぇみてぇな雑魚相手に負けるわけないだろ」

「そんな台詞がよく言えたな。俺達が助けなきゃ殺されていたくせに」


 起き上がったライはナッシュの隣で槍を構えた。

 互いに顔を向けずに会話を交わす。


「うるせぇ、あれは不意打ちだったんだ」

「どんな攻撃にも対応するのが一流冒険者じゃなかったか。可愛い後輩の前でずいぶんな恥をかいたな」

「こ、これからだ、これからオレは尊敬される先輩になるんだよ! このくらいの失敗ならまだ取り戻せる! それよりもお前、ちゃんと戦えるのかよ!」

「ギリギリってところだがなんとかいけそうだ。足手まといになったら大人しく下がるつもり――さっ!」


 一気に距離を詰めたオーガが拳をライに振りおろす。

 寸前のところで回避した彼は、バックステップで距離をとった。

 その隙にナッシュが斬りかかり、オーガは片腕で斬撃を防ぐ。


「隙だらけだ」


 背後からライが槍を突き刺す。

 オーガは振り返り様に攻撃を繰り出すも、そこにはすでにライの姿はなかった。

 いい連携だ。ヒットアンドウェイでじわじわと体力を削る作戦らしい。

 その間、アンリは着実に術式を構築していた。


「術ができたわ! 二人とも離れて!」


 杖を掲げたアンリに、ナッシュとライはその場から一気に距離を取った。

 恐らく彼女の持つ術の中で最も強力なものだろう。

 それがどのような魔術なのか僕はワクワクしていた。


「深き魔より出でし焦熱よ、輝く紅玉となりて敵を灰燼とせん、我が命に応え現れたまえ。”爆炎球バーストスフィア”」


 アンリの前に直径一メートルほどの火球が出現する。

 真っ赤に輝く炎の球体は、杖が振り下ろされると同時に発射された。

 攻撃はオーガに見事直撃、爆風が周囲の木々を吹き飛ばして炎は空に向かって立ち昇る。

 僕のいる場所にも空気を震わせる音と衝撃が届いた。

 口の中に土が入ってきて思わずえずく。


「うえぇ、土が口の中に入ったよ。ぺっぺっ」

「あれが人間の魔術ですか……なるほど」


 イリスは意味深につぶやいている。

 ま、何を考えているのかはだいたい分かるけどさ。


 円形にえぐれた地面。

 その中心には黒焦げになったオーガが立っていた。


「オーガと言えど私の切り札――爆炎球バーストスフィアには耐えられなかったみたいね」


 肩で息をするアンリは額から玉のような汗を流していた。

 先ほどの魔術に魔力をごっそりと持って行かれたのだろう。

 雰囲気から保有魔力は半分を切っていると推測した。


「やったじゃないか! さすがはオレが見込んだ魔術師だな!」

「違うって、アンリを冒険者に誘ったのって俺だっただろ」

「あれ、そうだったけ? まぁいいじゃん。これでオレ達もゴールドになれるかもな」

「喜ぶのはギルドに報告してからだ。気が早いよ」


 ナッシュとライはオーガに背を向けて勝利を喜び合っていた。

 シルバー級冒険者と言えど、やっぱりまだまだ子供だな。

 敵が死んだかどうかを確認するのは戦いにおいて基本中の基本だ。

 

 ましてや敵を放置するとは。


 僕の予想通り、焼け焦げたオーガは目を開いて動き出した。

 一瞬にしてナッシュ達との距離を詰めると、オーガはナッシュの腹部に強烈な打撃を入れる。あばら骨が何本か折れたような音が聞こえた。


「ナッシュ!? くそっ、こいつまだ生きて――」


 攻撃に移ろうとするライの顔面に拳が沈む。

 ナッシュとライはほんの瞬きほどの時間で地面に倒れた。


「あ、いや……ナッシュ、ライ……」


 オーガはドシッドシッと重い足音を響かせて、ゆっくりとアンリに近づいていた。魔力がほとんど残っていない彼女には抵抗する手段もない。


「ご主人様」

「そうだね。そろそろいいかな」


 もう充分に技も魔術も見せてもらったし頃合いだと思う。

 彼らには後で謝らないといけないかもね。

 僕はすたすたと軽い足取りでオーガの前に立ち塞がった。


「駄目! 私のことはいいから早く逃げて! 貴方ではオーガには敵わないわ!」

「心配いらない。僕はだからね」


「…………え?」


 アンナににっこりと微笑んでから僕は指を鳴らす。

 

 次の瞬間、パァンとオーガの身体の大部分が円形に

 ボトボトッと残った手足が地面に落下する。


 あ、コントロールを間違ったかも。失敗失敗。

 

 僕の魔術は背後にあった樹まで吹き飛ばしていた。

 丸い何かが木々を貫通したような光景。

 アンリはカランと杖を落として呆然とする。


「今のは……何?」

「ん? 魔術だよ。オリジナルだけどね」

「だって、詠唱が……」

「ああ、僕には詠唱は必要ないんだ」


 彼女は目を見開いて絶句した。

 

 基本的に魔術とは、術式の構築、魔力操作、詠唱の三つが必要とされている。

 故に大きなタイムロスが生じるのだが、僕の使用する悪魔デーモンの魔術はその三つをすっ飛ばして行使する。

 

 つまり詠唱は全く必要ないし、ほぼゼロタイムで魔術を放つことができるのだ。

 まぁ、人間の中には無詠唱を使う人もいるらしいので、ここで異常な魔術だとツッコまれる心配は皆無だと僕は思っている。


「も、もしかして、本当に賢者様ですか?」

「住んでいた場所ではそう呼ばれていたってだけだよ。あいにく国に認められているような本物ではないんだ」

「でも無詠唱なんて賢者クラスの人にしかできないことです。あー、もう。お人が悪い、出会った時にそう言っていただければよかったのに」


 へなへなと涙目で地面に座り込むアンリは、安堵と驚きと怒りが混じり合ったよく分からない感情を僕に向ける。

 納得してもらえて安心だ。

 この国において賢者というのは魔術師の頂点のことを指す。

 国に認められ称号を与えられた者がそう呼ばれているのだ。

 僕の場合、魔界で自然とそう呼ばれていただけなので正式な賢者とは言えないのである。


「ほら、ちゃんと自分の足で立ってください」

「もっと怪我人に優しくしてよイリスちゃん。俺だけすっげー殴られたんだぜ」

「それだけ喋られれば問題ないと思いますよ。それとも引きずって連れて行ってもらいたいですか?」

「あ、うん。急に歩けるようになってきた」


 イリスに肩を借りていたライは元気に歩き始めた。

 そして、その足で僕の元へとやってくる。


「本当はめちゃくちゃ強かったんだな。いやぁ、騙されたなぁ」

「それについては悪かったと思ってるよ。別に隠す必要はなかったんだけど、言い出すタイミングを逃してしまって……」


 僕の言葉にライはヘラッと笑みを浮かべる。


「そっか、まぁそう言うことなら仕方ないよな。ところでブロンズ級冒険者ってのも嘘なのか」

「いや、本当に今日登録したばかりのド新人さ。君達もその様子は見ていたんだよね」

「こっそりとな。ナッシュが前々から後輩が欲しいって言ってたから、ギルドに行く度にそれらしい奴を探してたんだよ。で、偶然登録している奴らを見つけて声をかけたってところだ。まさか賢者様だったとは恐れ入る」


 僕はライにも正式な賢者ではないってことを説明する。

 秘密ってほどのことでもないけど、あまり四方八方に話を広めてはもらいたくないからだ。


「…………」


 ナッシュが落ち込んだ様子で僕の元にやってくる。

 後輩が自分よりも強かったと知ったのだ、当然の反応かもしれない。 

 が、突然に彼は僕の足にすがりついた。


「すげぇじゃねぇか、あのオーガを一撃なんてよ! どうやったんだ!? あれはオレにもできるのか!? もしできるなら教えてくれ! 頼む!」

「え、あ、ちょっ、足を掴まないで」

「本当はさ、ダメダメな可愛い後輩が欲しかったんだよ! でも尊敬できる後輩ってのにも憧れがあったんだよな! ロイは今日からオレの尊敬する後輩だ! さぁ、このオレに超奥義を伝授してくれ! な!」


 ナッシュは目をキラキラとさせる。

 おまけに言っていることがめちゃくちゃ。尊敬する後輩ってなんだろう。尊敬する先輩なら分かるけどさ。彼の中の先輩後輩の関係が全く理解できない。


 すると、ライから右手がすっと差し出された。


「バカなリーダーに代わって礼を言っておく。助けてくれてありがとう」

「うん。こちらこそ色々と教えてもらって感謝してるよ」


 彼の手を握って握手を交わす。

 今後とも仲良くしてもらいたいところだ。


 僕らはひとまずギルドに戻ることにした。


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