二話 故郷が町になってました

 僕はいつしか走っていた。

 戻ってきた。故郷に戻ってきたんだ。


 林を抜けてもなお足は止まらない。

 途中、無様に転んだりもしたがすぐに立ち上がって僕は走った。


 脳裏には百年前の思い出が次々によぎる。

 ルナ、テト、お兄ちゃんが帰ってきたよ。

 ああ、早く会いたい。僕の愛する兄弟。

 

 これまでのことを沢山語ろう。

 魔界のことや。悪魔デーモンのこと。

 そうだ、二人のこれまでのことも聞かないといけないよね。

 沢山話をしてまた同じベッドで三人で寝るんだ。


 この時の僕は当たり前のことが完全に抜け落ちていた。


「やった、帰って来たぞ!」


 パタ村は健在だった。

 以前よりも発展しており、今では村と言うよりは小さな町にまでなっていた。

 道は石畳で整備され家々は以前よりも大きく頑丈な物へと変わっている。

 人々は僕が暮らしていた頃よりも豊かな暮らしを享受していた。


 僕は一軒一軒確認しながら、かつての村の配置と現在の配置を符合させる。

 外見は変わっても建物の場所はそう簡単には変わらない。

 自宅があるだろう場所を予想して僕は再び走った。


 それはあった。


 僕が暮らしていた頃とは少し変わっているほど、ほぼ同じ建物だった。

 恐る恐る玄関に近づいて扉を開ける。


 キィイイ。木製の扉が音を鳴らして室内を明るく照らした。


 ここから見えたのは並んで椅子に座る幼い男女の姿。

 食事をしているのか背中を向けて、テーブルにあるスープを飲んでいた。

 その後ろ姿はルナとテトそのもの。僕は扉を一気に開けて家の中へと踏み入った。


「ただいま! お兄ちゃんが帰ってきたよ!」

「「――っ!?」」


 開け放った扉に子供達は驚いたように振り返った。

 そこにいたのは全くの別人。

 ルナとテトとは似ても似つかない顔の子供だった。


「お母さん! 誰か来たよ!」


 少女が席を立って家の奥へと走る。

 すぐに出てきたのはふくよかな体格の女性だった。


「あの、どちら様でしょうか?」

「え、いや、あの、突然訪問して申し訳ないのだけれど……一つ聞いても構わないかな」

「暇というわけではないのですが、まぁそれくらいなら」

「ありがとう。それでだけど、ここに以前暮らしていた家族を知らないかな。ファミリーネームはマグリスと言うのだけれど……」


 母親は眉間に皺を寄せて首をひねる。

 しばらく考えたところで「少し待ってて」と言って家の奥へと入っていた。

 そして、一人の老人が杖を突いて出てくる。


「あんたかい、以前の住人のことが聞きたいって奴は」

「どんな些細なことでもいいから教えてほしい」

「ふーむ。この家を買ったのはワシの親父なんだが、かなり昔のことだから色々と忘れちまってるかもなぁ。そういやぁ、マグなんとかってあんたが言ったそうだが」

「マグリスだ。この名前に聞き覚えはないかな」


 老人は口の中で転がすように「マグリス、マグリス」と繰り返す。

 数秒ほどして、老人はカッと目を見開いた。


「思い出した! マグリスと言う夫婦からこの家を買ったんだった!」

「そ、それで彼らはどこに!?」


 しかし、老人はすぐに白い髭を触り始めて考え始める。


「確か……家を売って王都に行くと言っていた……気がする」

「王都? グランメルン王国の?」

「そうだ。畑仕事をしなくても良くなったとかで、王都に引っ越して安定した生活を送るとかなんとか。これ以上は思い出せねぇな」


 畑仕事をしなくても良くなった?

 どう言うことだ。僕のいない間に家族に何があったと言うんだ。

 僕は老人にお礼を言ってから家を出ることにした。



 ◇



 パタ村――現在は辺境の町パタ。

 僕は町から少し離れた原っぱで空を見上げてぼーっとしていた。


「いつまでそうしているつもりですか?」

「うん……」

「私のことは愛していますか?」

「うん……」

「イリスと結婚したいですか?」

「うん……」


 イリスが傍で何か言っているけど全く頭に入らなかった。

 迂闊だった。悪魔デーモンに慣れすぎて最も大切なことを忘れていたんだ。


 人間はとても短命だってこと。


 悪魔デーモンにとって百年なんて一年みたいな感覚だ。

 ほとんど老けないし変わらない生活が続く。

 だからなのか僕も多大な影響を受けていた。

 それこそ人間の平均寿命を忘れてしまうくらいにだ。


 だとすると両親はもう死んでいると考えるのが妥当だろう。

 恐らくルナもテトも。

 僕は帰ってくるのが遅すぎた。遅すぎたんだ。


「イリスちゃん大ちゅきって言ってください」

「うん……うん? 何を言ってるのイリス?」

「ボーナスタイムは終了のようですね」


 彼女はオホンと咳をしてから、きりっと表情を引き締めた。

 しかし、これからどうしようか。戻ってきたはいいけど、目的を見失っちゃったな。

 僕が帰りたかったのは家族と会う為であって、人間界自体に未練があったわけじゃない。ほんと、どうしよっかなぁ。はぁぁぁ。


「それにしても家族がいなかったというのに、あまり悲しまれていませんね」

「失礼だな。こう見えてすごく落ち込んでいるよ。ただ、あまりにも実感がなさすぎて、まだ泣くとかまで気持ちが達してないだけなんだ」

「そう言うものなのですか」

「そう言うものなの」

「ですがこれでは目的がなくなってしまいましたね。せっかくご主人様が苦労して戻ってこられたというのに……あ、良いことを思いつきました。こう言うのはどうでしょうか」


 イリスがピンッと人差し指を立てる。


「ご家族の子孫に会うって言うのは?」


 その言葉は僕の中に雷鳴を轟かせた。

 

 そうだ、ルナやテトが大人になったのならその子供がいるはずだよな。

 つまり僕の甥っ子だ。それならまだ生きている可能性は高い。

 それに僕がいなくなったあとのことも知っているかもしれない。

 悪くない。むしろ最高の案だ。


「君は天才か!」

「フフッ、もっと褒めてください。そして、頭をなでなでしてください」


 いくらでもするさ! 君は僕に新しい希望をくれたんだ!

 イリス可愛いよイリス。なでなで。


「くぅぅ、数十年ぶりのいい子いい子。たまらないです」

「そう言えば昔はよくしてあげてたね。最近はすっかりご無沙汰だったけどさ」

「模範である為には仕方なかったのです。私はご主人様の右腕でしたから」


 そう言いながら白い顔を耳まで赤く染めていた。

 なんだかすっかり昔のイリスに戻っちゃったみたいだ。

 まぁ、その方が僕としては安心できてありがたいんだけどね。


 よーし、僕も元気が出てきたぞ。

 甥っ子を探す為にすぐに出発の準備をしないと。


 僕は立ち上がって専用空間マジックボックスを開く。

 空間にあいた穴に腕を突っ込んでごそごそとすると、とある一本の瓶が出てきた。

 これこそが僕がこの年まで生きられている最大の秘密だ。


「ご主人様、それはまさか……」

「うん。今までは威厳を優先してこの姿でいたけど、そろそろちゃんとべきかと思ってね」


 ぽんっと瓶の蓋を開けて、瓶の中にある液体を一気に飲み干す。

 計算上ではこの一瓶で二十代まで若返るはずだ。

 

 僕の身体はみるみる肌に張りと艶が表れ、衰えていた体力が急速に取り戻される。加えて老眼だった目は回復してゆき、聴覚はかつてこれほど五月蠅い世界で暮らしていたのかと思えるほど鋭くなった。

 衰えたありとあらゆる身体機能が最も活発だった頃に引き戻され、僕はかつての僕へと変化した。

 身体から放出する白い煙が晴れると、イリスが嬉しそうな表情を浮かべていた。


「ずいぶんとお若い頃に戻られたのですね。初めて見ます」

「二十代くらいに戻ったつもりだけど……あー、十七歳くらいまで若返っちゃったかぁ」


 鏡を取り出して確認してみると、僕の顔は予想よりも若返っていた。

 魔界に落ちたのが十五歳くらいだったから、それよりも少し大人びた感じだ。

 

 艶のある黒髪はなんだか懐かしいな。

 すっかり白髪に慣れてたからさ。

 とりあえず髪の毛と髭が長いままなので、イリスに散髪をしてもらうことにした。


「見た目の歳で言えば今の私と同じくらいですね」

「そうだね。イリスも十七歳くらいの見た目だしちょうど良かったのかも」

「お似合いのカップルってことですね。分かります」

「いやいや、違うから。同じ村の幼なじみってことなら納得されやすいって言いたかったの。僕らはこれから連れ立って旅をするんだ。変に歳の開きがあると不審がられて不味いだろ」


 イリスはすぐに僕をからかうから、どこまで本気の発言か分からないんだよなぁ。

 まぁでも、いざという時はカップルってことにしてもいいかもしれない。

 僕が魔界帰りの人間だと知られると色々と不味いだろうし、イリスも悪魔デーモンだってことは秘密にしなくちゃいけない。

 だから誤魔化せるならそれに超したことはないんだ。


 髪を切り終わって鏡を見ると、短髪になっていた。

 髭も綺麗に剃られて、どこからどう見てもただの十七歳の少年だ。

 

 ふと、甘い匂いが感じられた。心地の良い甘い香り。

 僕はハッとしてすぐにイリスに注意する。


「イリス。魅了香チャームが漏れてるよ」

「申し訳ございませんっ。つい、興奮してしまいました」


 サキュバスであるイリスは、身体から異性を虜にする香りを放つことができる。

 普段は自制して抑えてもらっているけど、たまに油断して漏れ出してしまうことがあるのだ。

 僕の場合、魅了香チャームは全く効かないのだけれど、周囲に与える影響が大きすぎるのでこんな風に注意をしたりしている。


 しゅんと、落ち込む彼女の頭を撫でてあげる。

 分かってくれればそれでいいんだ。


「それじゃあパタの村――じゃなかった。パタの町で色々買いそろえてから王都に出発しよう」

「了解いたしました。ところでお金はお持ちなのですか?」

「心配しなくても大丈夫だよ。ちゃんと持って来ている」


 僕はニヤリと笑みを浮かべる。



 ◇



 パタの町には貴金属などを取り扱う店がある。

 僕はそこに行くと一枚の金貨を出した。


「これを買い取ってもらえないか」

「ずいぶんとデカい金貨だな。王国のものと比べると二倍……三倍はあるか。あんちゃんこれをどこで手に入れた」

「知り合いからさ。とても遠い国に住んでいるから聞いても分からないと思うよ」

「ほぉ、名前も知らないような遠い国ね」


 店主は金貨を秤にのせて重さを調べる。

 僕が渡した金貨は魔界で流通している物だ。

 裏表には魔界の怪物ベヒーモスが描かれていて、一見するとそれがどこの貨幣かは分からないだろう。案の定、店主も僕の話を信じてしまっていた。


「はい、じゃあ金貨三枚」

「ありがとう」


 お金を受け取った僕はすぐに周囲を見渡す。

 ここは表向き貴金属店だが、店内には所狭しと雑貨などが置かれていた。

 他にも下級の魔道具マジックアイテムなども見られ、武器らしき物も一部見られる。実に混沌とした店だ。僕は割とこう言った乱雑な店が好きなのである。


「これなどはどうでしょうか」


 イリスがどこからか見つけてきた、髭付きのサングラスを僕に見せる。

 よく似合っていて、不覚にもぷふっと笑ってしまった。

 じゃあ僕はこれだ。唇を突き出した中年男の仮面。


「あははははっ! ご主人様、それは卑怯ですよ!」


 よほどツボにはまったのか、イリスはお腹を押さえて大笑いしていた。

 もしかすると後で使えるかもしれないのでサングラスと仮面を購入する。

 その他にも地図や水筒やテントなど、役に立ちそうな物を購入して店を出ることにした。


「どうしますか、もう町を出て出発しますか?」

「うーん。そうだなぁ」


 町の中を歩きながら僕は悩んでいた。

 どうすれば正体がばれずに旅をできるか。

 

 まず考えるべきなのは、どこから発覚してしまうかだ。

 そこで僕は現在の装備に思い至る。


 イリスも僕も魔界屈指の武器を使っている。

 間違いなく分かる人には分かるだろう。

 だとすればここで安物に買い換えておくべきか。

 僕はイリスを連れて武器屋へと入った。


「らっしゃい。どのような武器をお探しで?」


 体格の良い店主に要望を伝える。

 すると程なくして期待通りの物がカウンターに置かれた。


「こっちは鉄の双剣。こっちが初級魔術師向けの杖。見たところかなり良い武器を使っているみたいだが、こんな物で本当にいいのかい。売る側としてはちょっと申し訳ない気分だな」

「これでいいんだ。買わせてもらうよ」


 僕はお金を支払って武器を受け取る。

 すぐに路地裏に入ると、魔界製の杖と双剣を専用空間マジックボックスに放り込んで、安物の武器を装備した。


「不安になる性能ですね。魔界の最安値の剣でもここまで酷くはありませんよ」

「これくらいでいいんだ。僕らはベヒーモスやフェニックスと戦うわけじゃないんだからさ」

「それはそうですが……え、人間界にはベヒーモスとかフェニックスっていないのですか?」

「それだけじゃない。リヴァイアサンもいないしヴリトラとか麒麟もいないよ」

「人間界って平和な世界なんですね」


 違うから魔界が異常なだけだから。

 それに怪物がいない分、人間という厄介な生き物がこの世界には山ほどいる。

 決して油断はできないんだ。魔界には、人間は悪魔デーモンよりも悪魔デーモンだって有名な言葉もあるくらいだしね。


 それはそうと、やっぱり店主には武器を見抜かれていたみたいだ。

 やはり武器を変えて正解だったと考えるべきだろう。


「じゃあ準備もできたし王都に出発しようか」

「はい。どこまでもお供いたします」


 こうして僕らはパタの町を旅立った。

 目指すはグランメルン王国の王都である。


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