一話 百年後

 ガチャン。ガチャン。ゴトン。ガチャン

 目に付くものを次々に木箱に放り込む。

 重要な物からどこで見つけたのか分からないどうでもいい物まで。

 どうせ帰ったら分類することになるのだ。気にする必要はないだろう。


「他には何があっただろう……ああ、家族へのお土産だ。いけないいけない、忘れるところだった」

「…………」


 僕はクローゼットを開けて、四人分の小箱を取り出す。

 それらを箱に入れて蓋を閉じる。

 これで荷物を詰めた木箱は三十個になった。

 あらかた片付いたとは思うが、見落としがないか再確認しなければいけない。

 ソファーの下やクローゼットの裏側など、隅々まで目を向けて忘れ物がないか探す。


「他には……いや、あれは必要ないか。置いて行くと決めている」

「…………はぁ」


 様子を見守っていたイリスがため息をついた。

 彼女は桜色のロングヘアーをさらりと揺らして部屋の壁の前に立つと、壁の一部を横にスライドさせてその裏にあるものを露わにする。

 そして、くるりと身体を半回転させて儂に微笑んだ。


「この大量の春画コレクションも持って帰った方がよろしいのでは?」

「うぐ……そこに隠してあると知っていたのか……」

「フフ、私はご主人様のことならなんでもお見通しです」


 人間離れした美しい容姿に、宝石のような紫色の双眸とシミ一つない白い肌。

 身に纏うは白を基調とした襟の立ったノースリーブの上着と、ひらりと揺れる短めのスカート。腰には双剣が備えられ、凜としたいでたちだった。

 

 さすがは僕が最も信頼を寄せる部下だ。

 春画コレクションのありかすら把握していたとは。


 僕は恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じながら、急いで木箱にそれらを放り込んで蓋をした。これで封印完了。予定としては全て置いていくつもりだったのだが、バレてしまったのならその選択ももはやとれない。

 後でどんな噂を流されるのか分かったもんじゃないからな。


 さて、これで全ての荷物は木箱に入れたか。

 やれやれ、詰め込みだけで二日もかかるとは、僕もあれからずいぶんと荷物を増やしてしまったものだ。


 僕は部屋に置かれている姿見をのぞき込む。

 髪と髭は長く伸びていて真っ白い。顔には深い皺が幾重にも刻まれ、ブラウン色の鋭い眼がぎらぎらとこちらを見ていた。

 襟の立った長袖の白い上着。それに白いズボン。

 胸には金のネックレスが一つ。その上からはフード付きの白いマントが羽織われており、右手に持った一メートル五十センチほどの杖と相まって威圧的な印象を与えていた。

 

 鏡に映る彼こそ魔界の賢者ロイ・マグリスである。


 僕が魔界に落ちて百年の年月が流れていた。

 思い返せば今日まで多くの困難があったものだ。

 右も左も分からないままこの地を彷徨い、何度も何度も死を覚悟した。

 人間界に戻れない悲しさ。襲いかかる悪魔デーモン共の恐怖と絶望。

 それを乗り越えた先に待っていたものは責任という重圧だった。


 だが、僕はそれら全てを乗り越えてきた。

 その末にようやく、ようやく手に入れたのだ。

 人間界への帰還の道を。

 気がつけば百十五歳。本当に長い道のりだった。


 コンコン。部屋のドアがノックされる。

 入室したのは茶髪を三つ編みにした若い精悍な男だった。

 彼は片膝を突いて頭を僕に垂れる。


「父上、どうかお考え直しください。民の為、臣下の為、そして、自分の為にどうかこの地に残っていただけませんでしょうか」

「ライオット。僕は昔から言っていたはずだ、人間界への帰還は悲願であると。ここは僕が暮らすべき本当の場所じゃない。帰らなきゃいけないんだ」

「父上のお気持ちは重々承知しております! ですがここは貴方様がお作りになった国ではありませんか! そこをなんとか!」

「もう決めたことだ。僕の気持ちは揺るがないよ」


 我が息子ライオットはしゅん、と力なくうなだれる。

 血の繋がりこそないが彼は僕の可愛い息子だ。

 

 だからこそいつまでも甘やかしてはいけない。

 今や彼は魔界第三の規模を誇る大国の主。

 去りゆく老兵にすがりついていては先が思いやられる。

 僕は同じように片膝を突いて彼の肩に手を載せた。


「自信がないからそんなことを言っているのかな。だったらそれは間違いだ。君は賢く強い。誰よりも素晴らしい王になれる素質を持っているんだ。だからもっと自分に自信を持ってほしい。どうか君を信じる僕を信じてくれないか」

「…………」


 ライオットは首を横に振る。

 うーん、そんなにも僕がいなくなることが不安なのだろうか。

 彼は涙を溜めた眼で僕を見つめた。


「寂しいのです。自分を拾って育ててくださった父上がいなくなるのが――!」

「そうだね。僕も寂しいよ、ライオット」


 僕は微笑んでから彼を強く抱きしめた。

 頑張れ息子よ。遠き地から応援しているからな。

 君ならきっとやれる。僕の最高の後継者なのだから。


「向こうに戻れたらいつか君を召喚するよ。それなら問題ないだろ」

「ありがとうございます父上。必ずやお声に応えましょう」


 よしよしと息子の頭を撫でる。

 大きくなっても寂しがり屋だな君は。

 いつまで経っても変わらない。


「あ、イリスもハグをしておくかい? 僕がいなくなると君も寂しいだろ?」

「遠慮しておきます。私もライオット様と同様ご主人様に拾われた身ですが、娘になった覚えはございません」


 ふむ、イリスは相変わらずか。

 昔は嬉しそうに僕の奥さんになるとか言ってたんだけどなぁ。

 すっかりそんなことも口にしなくなったし、最近は側近としての役割が板に付いてきているから、気持ちが離れちゃったのかも知れない。

 少し残念に思うけどこれはこれで仕方がないよね。


 さてと、そろそろ出発しないと。

 いつまでも名残惜しんでいると本当に帰る気が失せてしまう。

 

 僕はライオットの背中をポンポンと叩いてから離れると、パンッと手を打ち合わせて部屋に散らばっていた木箱を一瞬で専用空間マジックボックスに収納した。

 これで帰り支度は完了っと。挨拶回りももう済ませたしあとは帰るだけか。


 僕はイリスとライオットを引き連れて部屋を出る。

 

 廊下を歩けば僕を見た使用人達が、立ち止まって恭しく一礼をしてくれた。

 今でこそ見慣れた光景だが、実はこれはとんでもないことなのである。


 悪魔デーモンとは本来、人間など足下にも及ばない超越的種族だ。

 力、知識、技術とあらゆる面において人間を大きく引き離しており、その魂すらも一つ上の次元にあると言われている。

 生物としての格が隔絶していると言っていいほど圧倒的に違うのだ。

 

 そんな彼らが魔界においてである僕に従っている。

 これは驚くべき現実と言わざるを得ないだろう。


 スタスタと歩いてエントランスホールに出ると、見知った三人が僕を待っていた。

 朱を基調とした大鎧の御仁。焔丸ほむらまる

 紫色の髪をオールバックにしている金色の甲冑を身につけた男。ダグラス。

 禍々しい漆黒の鎧に身を包んだ、銀の長髪に呉藍くれないの双眸をした美男子。ゼノス。

 

 三人は僕を見るなり微笑みを浮かべる。

 いや、ゼノスだけは顔を逸らして無表情だ。


「人間界に帰ると聞いたぞ。寂しくなるな」

「ああ、ダグラス。君と会えないと思うと僕も寂しいよ」


 ダグラスとハグをして別れの挨拶を交わす。


「拙者も貴公と会えなくなるのは非常に悲しい。もう言葉を交わすこともなくなると思うと、なんと空虚なことか。もう魔界に未練はない。この場を借りて切腹いたす」

「焔丸殿、落ち着いて! 切腹なんてしないで! そうだ、人間界に戻ったら是非召喚させてもらうよ、それならいつでも話をすることができるからさ!」

「おおっ、召喚とは興味のそそられる言葉。こんなところでうっかり切腹してはお声に応えられぬな。失敬失敬」


 僕は焔丸と握手を交わす。


「…………帰るのか?」

「うん。でもまた会えると思うんだ」

「そうか。もし困ったことがあれば俺を呼べ。力くらいは貸してやる」

「ありがとうゼノス。必ず呼ぶよ」


 ゼノスはそれ以上は何も言わなかった。

 彼は無駄な言葉は交わさない。昔からそうだ。


「それじゃあ三人とも元気で。また会おう」


 僕は三人に手を振って歩き出した。



 ◇



 街を出てから僕はとある丘に登った。

 ここは街を一望できるお気に入りの場所なんだ。

 てっぺんに立つと景色が目に飛び込む。


 赤い空。緑に覆われた大地。流れる川。

 その中心には白亜の城とそれを取り囲むように造られた市街地。

 それらをさらに大きな外壁が取り囲んでいて、一つの巨大な生き物のように見える。

 あれこそがこの魔界で第三の大きさを誇るエターニア国の王都だ。

 僕が一から造った街とも言えるかな。


「父上……」


 振り返るとライオットが何かを言いたそうな表情だった。

 しかし、彼は顔を引き締めてドンッと拳を自身の胸に当てた。

 これは宣誓のポーズだ。


「自分は必ずやこの国を守り抜くと誓います。ですので憂いなく故郷にお帰りください」


 僕は何も言わずただうなずいた。

 きっと彼なら偉大なる王となれるだろう。


 街をこの目に焼き付けてから僕は歩き始めた。

 ライオットの見送りはここまでらしい。

 後ろにはイリスしか付いてきていなかった。


「ご主人様、本当に人間界へと帰還するのですか?」

「うん。この世界――魔界に落ちた時からずっと夢見ていたことだからね。必ず帰って家族と再会するってさ」

「家族なら私達がいるではありませんか。そんなにも肉親とは代えがたきものなのでしょうか」

「違うよイリス。僕は魔界にいる家族も人間界にいる家族もどっちも大切なんだ。誰にも代わりなんていない」

「……ご主人様は昔から変わりませんね」


 彼女は呆れているようだけど嬉しそうでもあった。

 もうじきイリスともお別れだと思うと寂しい気持ちになるな。

 何せ僕と付き合いが一番長いのが彼女だ。

 僕がいなくなった後でも元気でいて欲しい。


 数時間歩いたところで目的の場所へと到着した。

 それは僕が『石の扉ストーンゲート』と呼んでいる遺跡である。

 

 巨大な石柱が石の舞台を取り囲むように配置されていて、妙な圧力を持ってその場に存在していた。

 これこそが人間界へと至る道。


 通常、人間界と魔界は交わることのない世界だ。

 決してふれあうことのできない隔絶した場所。

 しかし何事にも例外というものが存在する。

 その一つがこのゲートだ。


 ”道”を通り抜けることによって、互いの世界を行き来することができるのである。


 ただ、これを使用するには条件があった。

 それは莫大な魔力が必要であること。

 あと触媒であるの血液も。

 この二つがそろって初めてゲートは開く。

 

 なんだ簡単な話じゃないかと思うだろうが、この事実を突き止めるまでに僕は多大な時間と労力を要したのだ。来る日も来る日も遺跡を調査してようやく得た結論だった。


 専用空間マジックボックスを開いて、四つのクリスタルを取り出す。

 大きさはだいたい五十センチほどで、それらを舞台に載せて前段階は完了する。

 このクリスタル一つでエターニアの王都が十回は蒸発する。それほどの魔力が内包されていた。加えて魔力を収めるこのクリスタルも大変希少なものだ。

 二度とこれだけの品を集めることはできないかもしれない。


「イリス、ここでお別れだ」

「ご主人様……」

「よく僕に尽くしてくれたね。君との日々は決して忘れない」

「…………」


 彼女は顔を伏せて唇をかみしめていた。

 すまない。我が儘な僕を許してくれ。

 どうしても帰りたいんだ。


 僕は懐から取り出した人形を眺める。

 僕とルナとテトを模して造られたもの。

 それはひどく薄汚れててところどころほつれていた。

 再び懐に入れて表情を引き締める。


「さようなら僕の第二の故郷!!」


 ナイフを抜いて手の平を軽く切る。

 血液が流れ落ちてぽたぽたと舞台の上に紅い花を咲かせた。


 次の瞬間、舞台の床が赤黒く発光する。


 舞台の表面に刻まれた魔法陣が輝き、空間がゆがんでどこからともなく真っ黒い球体が出現する。

 あの時と同じだ。僕が魔界に落ちた時と同じ状況が再現できている。

 恐らくこれなら僕は帰ることができる。


 父さん、母さん、ルナ、テト! 今、帰るよ!


 僕は球体に飲み込まれて”道”を通り抜ける。

 初めて通った時はとても長かったような気がしたけど、二度目となると短く感じた。

 僕は”道”から出ると盛大に顔から地面に着地した。


「うえっ、ぺっぺっ。二度も同じ目にあうとはな」


 立ち上がって身体に付いた土を払う。

 僕は周囲を見渡して言葉を失った。


 変わらない。僕が旅立ったあの日と全く変わらない光景だ。

 魔界とは違う青い空。草木を揺らす心地の良い風に鳥の鳴き声が耳に届く。

 帰って来たんだ人間界に。百年かけてやっと。


「ぬぐわっ!?」


 ドスンッ、と背中に強烈な衝撃があった。

 再び盛大に地面に顔をぶつける。

 いたたた……何が起きたんだ?


「ここが人間界ですか。思っていたよりも良いところですね」


 この声……まさか……。

 立ち上がって見れば、そこには大きなリュックを背負うイリスがいた。

 彼女は僕を見るなりにこりと微笑む。それはまるでしてやったりといった表情だ。


「私はご主人様とどこまでも共にあると契約したはずですよ? お忘れになりましたか?」

「それって出会った頃の話だよね。まだ覚えてたのか」

「当然です。悪魔デーモンは契約を決して破りませんからね」

「だったね」


 頭をポリポリと掻いて苦笑する。

 遺跡を見れば当然というか入り口は完全に閉じており、イリスを送り返すことはできそうもない。

 

 いや、送り返すことはやろうと思えばできなくもないのだ。

 なぜなら人間界側の石の扉は、触媒である人間の血液とほんの少しの魔力で作動するからである。これは魔界の古文書に記載されていた、かつて魔界に落ちた人間の証言からすでに確証は得られている。

 

 ゲートとは行くのはたやすいが戻るのは困難な、ほぼ一方通行の通路なのだ。

 

 理由は不明だが、悪魔デーモンが魔界から出てこられないシステムとなっているのは確かである。

 てなわけでイリスを帰らせると言うことは、僕も帰らなくちゃいけないということだ。ようやくこちらに帰還したのにそれは御免である。なので彼女のことは受け入れるしかなかった。


「こうなった以上仕方ないから同行を許すけどさ。一つだけ約束して欲しい。君が悪魔デーモンだと悟られないようにしてもらいたいんだ」

「人間界では我々はとても恐れられているのでしたね」

「うん、悪魔デーモンがいると分かれば、きっと人々はそっとはしてくれない。恐怖から排除しようとするはずなんだ」

「かも知れません。了解しました」


 物わかりの良いイリスは素直に応じてくれる。


「ちなみにだけど、君は最初から付いてくるつもりだった?」

「当たり前です。この荷物が見えませんか?」


 ですよね。てことは最後の別れの時も機会をうかがっていたんだね。

 可愛い顔して油断ならない子だ。

 ある意味、さすがは悪魔デーモンってことかな。


「じゃあイリスに僕の故郷を案内するよ」

「はい、とても楽しみです」


僕は故郷の村へと帰還することにした。


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