魔界賢者のスローライフ

徳川レモン

第一章 帰還

プロローグ

 ザック、ザック、ザック。

 鍬を振り下ろす度に地面が掘り起こされる。

 嗅ぎ慣れた土の匂いは心地よく、ずっとこうしていたい気持ちにさせる。

 僕は無心に鍬を振るうこの時間が一番好きだった。


「おに~ちゃん~!」

「にい~ちゃん~!」


 遠くから聞こえる二人の声に、作業の手を止めて振り返る。

 畑に駆けてくるのは、僕の双子の兄弟だ。

 

 ツインテールの黒髪に屈託のない笑顔を浮かべた妹のルナ。

 短く切りそろえた黒髪に無表情がデフォルトの弟テト。

 二人とも五歳になったばかりでまだまだ小さい。


「お兄ちゃん、お弁当を持ってきたから一緒に食べよ!」

「いつもありがとうルナ。もう少し作業を進めてから休憩するよ」

「兄ちゃん駄目だって。休める時に休んでおかないと前みたいにぶっ倒れるんだぜ」

「そうだったねテト。ついつい夢中でやっちゃうのが僕の悪い癖だ」


 三人で畑の横の地面に座る。

 ルナが置いたバスケットからは、野菜と肉を挟んだパンと果実が出てきた。

 いつもと代わり映えしない母さんお手製の料理。

 僕はこれが昔から大好物だった。

 

 ゆっくりと流れる雲を見つめながらパンを囓れば、どこからか鳥の鳴き声が聞こえて、ゆるやかな風が草木を揺らす。

 今日はいつも以上に気持ちの良い日だ。


「喉は渇いてない? お水はいる?」

「うん、もらえるかな」


 ルナがかいがいしく世話を焼いてくれる。

 本当に可愛い妹だ。身内びいきってだけじゃなく、実際に彼女は誰が見ても愛らしい容姿をしていた。加えて愛嬌があって要領の良い性格は、村の人間を虜にしている。

 たぶん、同年代の男の子は全員ルナのことが好きなんじゃないのかな。


「半分あげるよ。兄ちゃん腹減ってるだろ」

「ありがとう。でも僕はこれだけで充分だ。テトの方こそ育ち盛りなんだからもっと食べないと。そうだ、半分あげるよ」

「いいって! 兄ちゃんはすぐにオレにくれるから困るんだよ!」


 あれ、僕ってテトを困らせてたのか。

 でも可愛い弟が心配してくれるのはとても嬉しい。

 テトは双子と言うだけあってルナと顔がよく似ている。

 

 男の子らしい活発で正義感の強い性格で、村で喧嘩があるとすぐに駆けつけて仲裁する。ただ、ちょっとやり過ぎるところもあって、仲裁していたはずの喧嘩がいつの間にか自分の喧嘩になっていたと言うこともしばしば。

 村の同年代の子供達には一目置かれる存在だ。

 

 ちなみにではあるがテトもかなりモテるらしい。

 恋人すらいない僕にはとても羨ましい話だ。


「オレも早く大きくなって兄ちゃんの手伝いをしたいなぁ」

「アタシだってお手伝いしたい。でもお父さんもお母さんも駄目だって言うし」


 二人はつまらなさそうな表情で頬を膨らませる。

 僕はそんな気持ちが嬉しくて微笑んだ。

 きっと僕一人に負担をかけまいとする二人の優しさなのだろう。


 数年前に父が倒れた。原因は腰痛。

 医師によれば長年の無理がたたったらしかった。

 何せこの”パタ村”は、父を含めた大人達が必死で開拓して造ったもの。

 当時の過酷さは僕もよく知っていたから、父の不調は当然というか納得できた。


 そんなわけで現在は、僕が父さんの代わりに仕事をこなしている。

 今のところは成果も上々でなんとか家族を養うことができていた。

 だからなのかルナもテトも僕を尊敬してくれているみたいだし、いつも感謝してくれていた。

 ……いや、ちょっと行き過ぎてる気もしてるけどね。


「アタシ、いつかお兄ちゃんのお嫁さんになるの!」

「またそんなことを言っているのか。僕らは兄弟だから結婚できないよ」

「するの! アタシはお兄ちゃんと結婚するの!」


 ルナが僕の身体に抱きついてイヤイヤと首を横に振る。

 するとテトが反応してルナと同じように僕の身体に抱きついた。


「オレも兄ちゃんと結婚する!」

「あのね、テトは男の子だから僕とはどうやっても無理でしょ」

「そんなことわからねぇだろ! 愛は性別を超えるって隣の姉ちゃんが言ってたぞ!」

「お、おお……」


 愛されるって言うのも大変だなぁ。

 いつか二人に好きな相手ができるといいんだけどさ。

 ところで隣のお姉さんって、村中の男達を妄想の中でくっつけてるあのお姉さんかな。

 テトにはあまり近づかないようにって注意しておかないと。


「あ、そうだ。これあげるね」


 ルナがポケットから小さな物を取り出して僕の手の平に載せた。

 それは僕とルナとテトを模して作られただろう”毛糸の人形”だった。

 とても似ているとは言えなかったけど、僕はそれが宝物のように思えたんだ。


「ありがとう。大切にするよ」

「うん。テトと一緒に作ったから無くさないでね」

「もちろんさ。ずっと肌身離さず持っているよ」


 食事を終えて僕は立ち上がる。

 そろそろ休憩は終わりだ。作業に戻らないといけない。

 お尻に付いた土を片手で払ったところで視界に妙なものが入った。


 それは白く発光する小さなだった。


 畑の上をふわふわと飛び回る。

 僕は好奇心が刺激されてそれの後を追いかけた。


「ねぇお兄ちゃん。どこへ行くの? 畑仕事は?」

「探検に行くならオレも連れて行ってくれよ!」


 光に導かれて歩き続ける僕の後ろでは、ルナとテトが付いてきていた。

 二人には家に戻るように言ったが断固として聞かない。

 僕は二人が同行するのを渋々受け入れた。


「ようやく止まった……」


 光はとある場所でふわふわと漂う。そこで初めて周囲を確認した。

 ここは近づくことが禁じられている丘だった。


 別名『魔界の扉』。


 このグランメルン王国では遙か昔から、触れてはいけない土地があった。このパタ村もかつてはそのような場所だったのだ。しかし時が経ち、人の暮らす地域が広がるにつれて手つかずの土地も開拓の対象となった。

 

 人々は森を切り開き、家を建て、畑を作った。

 だがそれでもなお、触れてはいけない場所は完全に消えたわけではなかった。


 僕は円を描くように配置されている古びた石柱に触れる。

 この遺跡こそが触れてはいけない土地の原因であり中心だ。


「お兄ちゃん、もう戻ろうよ! こんなところにいるって大人にバレたら怒られちゃう!」

「そうだよ兄ちゃん! オレ、それがなんなのか分からねぇけどすげぇ怖いよ!」


 離れた位置でルナとテトが引き返すように言っていた。

 光に視線を向けると、ソレは石柱の中央に鎮座している石の舞台の上で漂っていた。

 まるで僕を待っているかのようだ。実に興味がそそられた。

 僕は熱に浮かされたように自然と足が動き、石の舞台の上に乗る。


「君はなんなんだい? 伝説に聞く妖精かな?」


 光に手を伸ばそうとすると、ブチッと音と共に激しい痛みが走る。

 指先からポタポタと血がしたたり落ち、石の舞台の上で小さな紅い花が咲いた。


 ……噛まれた? てことはやっぱり生き物なんだ。

 知りたい。目の前の光の謎を解き明かしてみたい。

 僕の頭の中はさらなる好奇心でいっぱいだった。

 けど、光がクスクスと笑っていることに気がついて僕はようやく違和感を覚えた。


「逃げてお兄ちゃん! 何か変だよ!」

「やべーよ! 早くそこから出た方がいいって」 


 二人の声が僕の耳に届いた時にはもう

 舞台に刻まれた魔法陣が赤黒く輝き、足下から身を焦がすような熱風が吹き出す。

 ぐにゃりと空間がゆがんだかと思えば、どこからともなく黒い球が出現して僕を飲み込んだ。


 僕は落下し続ける浮遊感を味わいながら目に見えるその景色に声を失う。

 赤や黄や紫とめまぐるしく色が変化するトンネルをどこまでも進んでいた。

 不思議なことにそのトンネルは透けていて、黒い空間の中をぐねぐねと一本の紐のように延びている全体像が内側からでもはっきりと見えた。

 

 どこまでこの道は続いているのだろう。

 そんなことばかり考えて自身への心配は頭の外にあった。


 長くも短い旅は唐突に終わる。


 僕は再び黒い球からどこかに放り出され顔から地面に着地した。

 口の中に入った砂を吐き出して顔を上げると、僕は今度こそ恐怖を感じる。


 そこは赤い空に覆われ、荒野とも言うべき赤い大地が遙か地平線にまで続いていた。

 鼻を刺激するのは獣と鉄の臭い。水の中にいるような重く身体にまとわりつくような感覚があり、呼吸をするだけでも苦しさを感じてしまう。



 僕――ロイ・マグリスはこの日、魔界へと落ちたのだった。


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