第20話 手抜きではなく加減を覚える。

『ペース配分を制する者は「走り」を制する』と言われるほどマラソンにおけるペース配分は大事である。常に一定ペースで走るイーブンペース、前半に飛ばすポジティブスピリット、後半にペースアップするネガティブスピリットなど、ペース配分にはいくつかの種類があり、日々のトレーニングで自分に合ったペース配分を模索するのだが、このペース配分を誤ってしまうと自己ベスト更新はおろか、完走すら危うくなってくる。


そういえば今日も一人、職場を去っていった。入職して間もない突然のリタイア(退職)である。完走できる技術も体力もあったと思われたのだが。おそらくペース配分を誤ったのだ。マラソン同様、仕事でもペース配分が重要となる。まさに『ペース配分を制する者は「仕事」を制する』と言っても過言ではない。決して無理せず、断じて手を抜かず、ペース配分とは業務へ適応するためのテクニックといってもよい。では、人はどのようなペースを確保できたときに「この仕事(職場)に慣れてきたな」と、適応を実感するのか。


それは業務上のあらゆるルールの「遵守の程度」がわかってきたときである。


ルールなんだから全て均等に遵守すべきではないかと思う人もいるかもしれん。そういえば先日退職していった者もそう言っておった。実際、新しい環境で働き始めると、まずあらゆる業務、作業がものすごく大切で尊くて、重要で肝要で、意義深くて価値があるといったような指導をされる。そして私のような小心で真面目な人間はそれを鵜呑みにして、スタートしてしばらくは真面目に走り続けてしまう。新しい職場でのペースが皆目見当もつかないため、とにかく言われた通りに走り続ける。


しかしこの「序盤の真面目な走り」は、長く仕事を続けていく上で重要なポイントとなる。しかも誰かと並走するのではなく、単独で生真面目なフォームで走ることが望ましい。決して同期と和気あいあいと協力しあったり愚痴を言いあったり、休日にお揃いの格好でディズニーに行ったり、「同期飲みサイコー☆ コイツらと馬鹿できるから頑張れる!」などといって宅飲み風景をインスタにあげてはいけない。


あくまで「孤独」がポイントなのだ。周囲がつい手を差し延べたくなるような、皆が警戒を解くような孤独がいい。力強さや強い意思を秘めた周囲を引き寄せない孤独ではなく、弱さを内在した生真面目で無防備な孤独。


そうした孤独を背負って走っていると、重要で価値があると聞いていたある業務は「いいっすよそのくらい。どうせ誰も見ちゃいないんだから」と、こっそり耳打ちする者が出てきたり、全く無意味で無駄と思えるような業務を「これはちゃんとやっとかなきゃ、あの人がうるさいですよ」と、アドバイスする者が出てくる。


それらの助言やアドバイスを受けるうちに、生真面目にイーブンペースで走っていた状況から、どこで力を入れていいのか、手を抜いていいのか少しずつわかってくる。そして世の中には、絶対に守らなければならないルールと、たいして守らなくてもいいルールがあることがわかってくる。しかも職場で守らなければならないルールとは、法律や常識、道徳やモラルなどとは別の位置にある、誰かの機嫌とか顔色、その場の雰囲気などに判断基準がある場合が多いことに気付いてくる。


この機嫌とか顔色、フィーリングなどおざなりにすると、誰も見ちゃいない仕事をいつまでも全力で行ったり、全く無意味と思える業務を軽視して、その業務に超絶病的なこだわりを持つベテラン社員に怒られたりして痛い目に合う。しかし痛い目に合った者は、痛みを与えている側が悪いと認知し、自らが受けたその痛みに対して適切なケアを施そうとしない。いつまで経っても機嫌、顔色、フィーリング、つまりそれらで構成された「理不尽」というものを受け入れず、怒り、抗い、自己の正しさを主張しながら精神的に消耗していく。


そして「どんなルールであっても絶対に守るべきだ」「生産性のない業務は合理化、淘汰しなければならない」と、頑固な内的規範が形成され、外的雰囲気との乖離が甚だしくなり、周囲がルールを守らなければ守らないほど、ルールの重要さを声高に叫び続ける。決して間違ったことを言っているわけではないため周囲は苦笑いを浮かべるしかなく、その苦笑いを屈服と勘違いし、更に過剰な厳しさを主張してくる。


しかし、周囲は決して屈服したわけではなくただ苦笑いを浮かべているだけなので、要求通りのルールを遵守するわけではなく、むしろあからさまに反発する者も出てきたりして、正しいことを主張すればするほど苦笑いや冷笑、嘲笑を受けることになり、徐々に怒り、困惑、不眠、胃腸症状など出現し、被害妄想的念慮を経て最後には抑うつ状態となり、休職か退職かの選択を迫られることになる。正しいのに。正しいペースで走ってきたのに。


マラソンにはペーサーという者が存在する。その名の通りペースを作る者でペースメーカーとも呼ばれており、ランナーが好記録を出せるように、その目標となるペースを刻んで選手の前を走るランナーを指す。職場にも同様、「いいっすよそのくらい。どうせ誰も見ちゃいないんだから」「これはちゃんとやらなきゃあの人がうるさいですよ」と言ってくれる者が必要になる。つまり職場で、真実を伝える人、適切なペーサーが見つけけられるかが重要なポイントとなる。


ペーサーは決して同期ではない。同期が「いいっすよそのくらい」と言うと、それはただの手抜きである。手抜きをするのではなく、加減を知ることが重要なのだ。よって、ペーサーは同期ではなく、上司の部下であったり(中間管理職)、他部門のおじちゃんであったり、お客様であったりする。できれば業務上、直接関わりのない者が望ましい。


職場というコース上の様々な変化の中で、「頑張り続ける」という速度の維持ではなく、「加減をする」という低燃費を維持しながらゴールに向けて自分の体を運んでいくことが大事である。むやみに速度を保つためにアクセルを踏みすぎては、終盤の落ち込みにつながる。今日、職場を去った者もアクセルを踏みすぎていた。そして似たような正しい人とつるんで文句ばかり言っていた。正しいことばかり言っていた。人間は基本的にあまり正しくないので、周囲は誰も、彼のペーサーになろうとしなかった。そして彼は力加減がわからず、むやみに正しく、やみくもに走って、心を痛めてリタイアしてしまった。


しかし適切なペーサーさえ見つかれば案外容易にトップ集団に入り込むことができる。体力は温存してある。スパートかけるもかけないも自分次第。周囲と世の中と折り合いをつけながら第二集団で、半笑いで走ることができる。マラソンも仕事も長距離レースである。自分のペースを維持しながら虎視眈々とスパートのタイミングをうかがうのだ。


「ニット類はネットに入れて洗濯してって言ってるでしょ!」

「キッチンの布巾とテーブルの布巾は別々に使ってって何度言えばいいの!」


今日も会社で職人的ペースで軽快に走り終えて自宅に戻ると、機嫌が悪い妻が吠えている。手伝うと違うと怒られ、手伝わないと何ボーッとしてんのよと嫌味を言われる。ペースが掴めない。ニットはネットで布巾は別々らしい。そんなもの大したことじゃないじゃないか。結婚12年目、未だに妻のこだわり、顔色の変化を捉えられず、後続集団で悶え走る毎日。


「俺についてくれば間違いないよ」いつか言ったあの言葉、妻はまだ覚えているだろうか。「水一杯飲むだけでコップ出して馬鹿じゃないの!」妻は俺の目の前を怒り狂って走っている。コップ出しっぱなしで怒られた。長距離走に必要な水分補給もできない。早く追いついて、追い抜かねば。


いつの日か、妻の人生のペーサーになれることを夢見て、まずはおうちのルールはちゃんと守っていきたいと思います。

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