第14話 生存に不利なモードで生きる。
ランニングを始めて約半年。走っている最中は相変わらず辛く苦しいのだが、3キロほど走った頃からスッと苦痛が消える時間帯があることに気付く。苦痛が消えるだけでなく、逆にパワーが溢れ、活気がみなぎり気分も高揚、なんだか幸せで気持ち良く、この状態であれば何十キロでも走れそうな気がしてくる。これまで長距離をまともに走ったことがなかったので気づかなかっただけで、実は特異体質、もしくは特殊能力の持ち主だったのかもしれない。
私はこの状態を「極楽浄土モード」と密かに名付けた。
今は数分しかこのモードを維持することができないが、積極的に挨拶をする、無駄遣いしない、路上のゴミを拾う、目上の人を敬うなどの徳を積むことで極楽浄土に近づくという仏教の教えに従い、これからもあらゆる善行を重ねることによって極楽浄土モードが数分から数十分、数十分から数時間に延長していくのではないか、今後の成長次第ではオリンピックも夢ではないのではないかと、一人ほくそ笑んでいた。
しかし40歳過ぎて「俺はゴクラクジョーダーだ」などと公言するのは恥ずかしいし誰も信じてくれないのならまだしも、変に信じられてしまい、大衆が急激にこの特殊能力に対して不安を抱き始め、恐怖が膨張し、目上の人を敬うなど徳を積んでいる最中に「こいつは極楽延長モードの延長を企んでいる!」と、唾吐、投石などで迫害されてしまう可能性がある。
やがて軍事利用を企む政府の耳にでも入り、幽閉、人体実験、拷問、自白強要などを経て、それでも目上の人を敬い続ける姿勢が評価されて参院選に出馬させられるかもしれず、健康のためと真っさらな気持ちでランニングを始めた結果、政党のためと真っ黒い政治家になるという最悪の結果を迎えるかもしれず戦々恐々。普通の人っていいな。気楽で。なんて悲壮感と優越感をないまぜにしながら極楽浄土モードを楽しんでいた。
そんなある日、部下のハコナー(第11回参照)から、「走ってる最中に疲れなくなる時間帯ってありません?」と突然訊ねられたので、コイツ何か知ってやがる。平素の従順な振る舞いは仮の姿、もしかしたら政府の回し者、もしくはロシアあたりのスパイかもしれん。たしかにそういわれてみればピロシキみたいな顔貌をしている。国家レベルでドーピングに関わってきた国なだけに、こいつもさまざまな秘密を包み隠しているのかもしれない。ピロシキなだけに。油断ならん。ここは平静を装わなければと、「ハッ! な、ない! そんなものはない! 走ってるのに疲れない? ハハ、何を馬鹿げたことを言っているんだ? 変なの。君はアレか、参院選にでも出るつもりか」と、混乱困惑、焦燥狼狽。クソ、いつバレたんだ。極楽浄土モードの時に走りながら余裕ぶっこいて鼻唄とか歌っている姿が路上の監視カメラに撮られていたのかもしれん。
「まあ、まだ始めたばっかりですもんね。走ってる最中に爽快感とか高揚感を感じるランナーズ・ハイってやつがあるんですよ」と、警戒レベルを最高レベル(親しい人にもぶっきらぼう)まで高めて聞いて損しちゃった。極楽浄土モードは誰にでもあるものらしく、オリンピックも参院選もピロシキも私には全く関係のない話であった。露と落ち 露と消えにし 我が身かな。
ランナーズ・ハイとは、長時間のランニングなどで身体に一定の負荷がかかるとβ-エンドルフィンという脳内麻薬や分泌され、苦しいのに気持ちいい、辛いのに心地良いという、ドMの極みのような状態になることで、脳内から麻薬が分泌されるなんてにわかには信じがたい話であるが、こういうものは信じるに限る。
というのも、都内のいくつかの駅のホームの端に青色LEDが設置されているのをご存じですか。青色の照明には線路への投身自殺を踏みとどまらせる効果があるのです。なぜならば青色照明には人の精神を落ち着かせ、冷静になる効果があるためで、死にたいとまでは思わなくとも、職場や学校でイライラすることがあった時には、帰りに駅のホームに立って青色照明のとこに行くと良いですよ。できるだけ脱力して、目も口も半開きにして、全ての毛穴を開くイメージをもって全身で青色シャワーを吸収するのです。そうするとあら不思議。あれだけ爆発寸前だったイライラがきれいさっぱり流れていきます。
ということをメンタルヘルスの講義などで説明すると、「ハーイせんせー!」と素直に信じる学生もいて、しかも数日後に、「せんせー! 駅でブルーライト浴びたらストレスも授業の内容も忘れちゃいましたー!」なんて言ってくるあたり、こういう無邪気に信じて自然に忘れられる子は精神的に健康なんだろうなと思う。
このように人の話を簡単に信じることと、記憶力が悪いことは、精神的に健康でいつづける重要な要素となる。
なぜならばストレスが溜まりやすい人を見てごらんなさい。いつもイライラしてる人は、猜疑心が強くて記憶力が優れている人でしょう。というのも私の妻、いまだに「8年前の11月に私に言ったあの一言だけは許せない」と、定期的かつ発作的に私に対する怒りがこみ上げてくるらしく、リビングですれちがいざまに肩をぶつけてきたり、片方の靴下の洗濯を故意に遅らせたり、突然敬語で他人行儀に話しかけられたりする。私の方はそんなこと全く記憶になく、記憶にないものだから更に腹を立てて、折りたたみ傘のカバーを隠されたり、夜間に私の枕カバーだけ洗濯中であるといった嫌がらせをたびたび受けている。
なぜこういうことが起きるかというと、記憶は脳の「海馬」というところで入ってきた情報が重要かそうでないかという判断がなされるのだが、その記憶をさらに忘れないようにするために、「偏桃体」というところでこの情報が有益か無益か、好きか嫌いかなどという感情的な判断がなされる。
ここで気を付けなければいけないのは楽しい情報が記憶されやすいのではなく、不快な情報が記憶されやすいということ。ムカつく思い出がいつまでも残っているのは、再び同じような状況に遭遇したときに円滑に対処できるよう、人間という動物の生き残りのメカニズムがなせる技なのである。ということで、感情と結びついた記憶は強固なエピソード記憶となり、それをたびたび思い出してイライラして更に感情と結びつき、記憶を象が踏んでも壊れない強固なものにしていき、永遠に忘れてもらえないあの独特の負の記憶が完成するのである。
一方、私のように何事に対してもあまりイライラしない者は、感情と結びついて記憶を強固にする偏桃体があまり働いていないのか、あらゆる出来事が記憶できず「いつもボーッとしている」と評されやすい。不快な記憶を脳内に留めておくという生き残りのメカニズムが機能しないため、ホラー映画などですっからかんな楽観性をもって序盤で死ぬ。
結果、記憶力が悪いことにより不快な記憶のストックがないため、私の心はおおむね平穏である。
さらに青色照明が興奮を鎮めたり、走ると脳内から麻薬が分泌されるなどたしかに眉唾ものであるが、青色照明に効果があるないではなく脳内麻薬が出る出ないではなく、それを信じるか信じないかの方がよっぽど大切である。
「青色照明に効果がある」ではなく、「青色照明の効果を信じることに効果がある」のだ。
記憶力が悪く、人を信じやすいと相手の言葉をすぐに納得する。つまり納得とは相手を信じるのではなく、相手を信じる自分を信じるということなのだ。だから自分のことが信用できないと周囲に対しても猜疑心が芽生えてしまう。つまり自分を信じるということは、相手が言うことを全て納得することから始まるのだ。相手を信じて自分を信じると人ってどうなると思います?
いつもボーッとしているんです。
人間の脳は快適なことはすぐ慣れるが不快なことはいつまでも覚えてるという、ネガティブバイアスといって生存に有利な能力を備えているのだが、私の脳は基本的にポジティブバイアスなので、不快なことはすぐ忘れてボーッとしていて何度も同じ失敗繰り返してそれでいて毎日幸せです。生存に不利でいつもニコニコです。
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