第13話 秘密結社であることを告白する。
ランニングが趣味になったからといって、毎日ランニングしたいかというとそうでもなく、正直なところできるだけ走りたくない。毎回、ランニングに出発する数十分前から頭の片隅でランニングに行かない言い訳を考え始める。いや、「行けない理由」を探している。
そう、「行かない」ではなく「行けない」ことにしたいのだ。
ランニングに「行かない」ということは自分の意志、いわば自己決定となる。しかもその自己決定は、行きたくないことを認める、自分の弱さを認める、決定するということになるので、自分にとってとても都合が悪い。自己肯定感の低下、自己嫌悪感などが発生する。
しかし一転、外的要因により「行けない」という不可抗力となると自尊心は傷つかない。なぜならば自己決定ではないから。人は物事を自分の意志で選択し、自己決定することにより自信や自律性が生まれ、自尊心を保っているなんて書いてある自己啓発本があるけどあれは嘘。
人は、都合のいい不可抗力によって自尊心を保っているのだ。
だから私は今夜も都合のいい不可抗力の訪れを望む。行きたいのに行けない。本当は行きたくないという思いを自分自身にすら気付かせないために。
行きたくないといえば、ランニングだけではなく私はあらゆる飲み会に行きたくない。酒が苦手なのではなく、本質的に人付き合いが苦手なのだ。しかし飲み会に誘われたらほぼ100%承諾する。待ってましたとばかりに喜色満面、喜び勇み、承諾というよりむしろ快諾する。そして即行後悔する。
「ああ、また飲み会を快諾してしまった。行きたくない飲みたくない今すぐ断りたい」と内心げんなりしているが、「それは楽しみでおますなあ」と、表面ははんなりしている。
なぜこのような言行不一致が生じるかというと、常に自分を他者に合わせようとし、周囲の空気を読み続け、人の顔色を見て自分の言動を調整する「過剰同調性」が高いからです。どう? 空気読みすぎの私。読みすぎて困ってる私。大変でしょう? 感覚や人の気持ちに敏感な私。繊細で感受性が強い私。生きづらいでしょう?
でもそんなこと思ってる人の半数は周囲に過剰同調なんてしていない。むしろちっとも同調していない。ということで私もあなたも過剰同調性なんて要素はない。
ただ、「行かない」という断るエネルギーを使うのが面倒臭いだけなのだ。
人の顔色ではなく自分の顔色を気にして、周囲に過剰同調なんてしない、自分に過剰"同情"しているだけなのだ。よって世の中で開催される全ての飲み会は、「参加する」と表明して、先方の都合で中止となることが理想である。
基本的に今その瞬間が良ければそれでいいのだ。飲み会どう? 「行く行く絶対行く!」 やったー! この一連の流れが重要なのだ。「行きたくない」という問題の先延ばし、とりあえずさしあたってひとまず暫定的にOKし、混沌の世界を創造する。これを機に正直に打ち明けようと思う。
私は秘密結社イクイミナィ(行く意味ない)のメンバーなのだ。
世界を裏で操っているといわれる秘密結社イルミナティは2000人程度、そして秘密結社フリーメイソンの会員数は600万人を越えるといわれているが、即答で内心とは裏腹の返答をする秘密結社イクイミナィはそれをゆうに上回る600億千万億人はいるといわれている。
彼らは容易に飲み会への参加を快諾し、やんごとなき事情(仕事のトラブル、体調不良、寝違え、法事、ペットの急病、ゲリラ豪雨、ゲリラ下痢など)で飲み会当日に突然キャンセルの連絡を入れ、居酒屋の予約人数、会計、男女比を狂わせ、フリーメイソンの陰謀論とは比較にならぬほど悪質で陰湿、そして稚拙な手段を駆使し、世界を破滅に導こうとする。
そんな我々イクイミナィは、なにも土壇場でキャンセルすることを信条としているわけではなく、どちらかというと飲み会の誘いをOKした瞬間から後悔に苛まれる哀れな病気持ちとして解釈した方がよい。飲み会快諾の後、行けない理由、相手が納得する理由を何よりも真剣に何日にも渡って考え始める。
万人が納得する「骨折」という最終奥義に憧れを抱きつつ、いまいち相手を納得させるドタキャン理由を見つけられずに飲み会当日を迎え、ダラダラと着替え、ノロノロと電車にのり、トボトボと会場に向かい、「イの六」とか書いてある居酒屋の靴箱の木製の鍵を差し入れる瞬間まで帰りたいと思っている。この凄惨なまでの往生際の悪さ、倫理観の欠如がイクイミナィの入信条件ともなっている。そして満面の作り笑いを浮かべて参加する、座席に座る、酒をオーダーする、二次会には絶対に行かないと密かに決意する、乾杯する、他愛のない話をする、そして10分後に思う。
「ああ、飲み会、めっちゃ楽しい」
これまでの葛藤がなんだったんだというくらい楽しい。行くって言わなきゃよかったという後悔していた日々を後悔しはじめる。だってそうでしょう。飲み会ってのは日頃の鬱憤をはらすために、アルコールの脱抑制作用によって普段言えないようなことを言ったり、気心の知れた仲間たちとしょーもないことで笑いあったりするでしょう。楽しくないわけがないでしょう。え、もうこんな時間? 二次会どこ行く?
ということをもう数千万回繰り返している。行ったら楽しいということはわかっているのに、直前まで憂鬱になっている。ランニングだってそう。走り出したら楽しいということはわかっているのに、毎回その楽しさがリセットされる。なぜならば私は秘密結社イクイミナィのメンバーだから。一度入信したからには二度と脱退は許されない。
「ねえ、洗濯物たたんでくれる?」ランニング葛藤中に妻から家事依頼。ああ、今まさに走ろうと思っていたのにこのタイミングで家事依頼。私と妻と娘3人、家族5人分の洗濯物をこの時間からたたむとなると30分はかかる。夜に走るランナーは、予定出発時間の数十分の遅れが帰宅後の就寝時間に影響するため、なかなかシビアな予定管理をしなければならない。ああ、走ろうと思っていたのに走れない。残念無念自分自身に遺憾の意。
正真正銘「行けない」理由が見つかった。妻の突然の依頼のせいで今夜のランニングは絶望的となった。
我らイクイミナィは自尊心を守るためにたびたび他責的・他罰的となる。正直、洗濯物なんて努力すれば10分程度で済んでしまうのだが、人のせいにして自己正当化するために、あえて防御力を下げて相手の攻撃を受け、「やられたあ!」と派手に倒れる精神的当たり屋なのである。
というわけで秘密結社イクイミナィは、骨折を夢見て、台風の訪れを期待し、洗濯物を嬉々としてたたみながらランニングの準備をする。飲み会も参加したら楽しい、ランニングも走ったら気持ちいいという大きな幸福が保証されているのに、今、この瞬間の小さな幸福を優先しようとする。
我らの信条は、ひと月我慢のゴディバより、10円あったらチロルチョコである。
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