孤独なクラゲ

@blanetnoir

私の右手に、1本の太いロープが握られている。




このロープの先は、遠く遠く離れた地で暮らす、幼なじみが握っている。



あと新しめの麻紐が1本と、生まれた時からある揺るぎない絹の紐が2本、見えざる手に繋がっている。



このロープは“人間関係”を可視化したものだ。



人によってロープの数、材質、太さが様々なこと、街を歩けばよくも絡まないものだと感心する。



もちろんこれは質量のない、なんなら私以外には見えていない可能性のあるもので、私はこれが見え始めてから人と関係を持つことが怖くなった。



誰にも分からないはずの関係性の本質を人目で伝わってしまう可視化という特技を活かしどころなく、眺めているだけの趣味に留めている。



そうすると、



職場内の人間関係が、言葉で聞くものと見で見えている情報とのあまりの食い違いにコントの様相すら感じて、笑いをこらえるのにツラい場面も幾度となくあり。



仲の良かった同期とすら距離を置くようになった。




要らない能力をさずかったものだと苛立った時期もあったけれど、今はそれなりに受け入れつつある。




街中で、たまに見かける姿がある。



切り落とされた紐の先をズルズルと引きずりながら歩く年配者の孤独な背中、男性でも女性でも、独特のオーラが澱んでいる。



これはもはや私でなくても気づくレベルの特異な姿で、見ていて言葉にできない痛々しさを感じる。



先日、人がロープを手放す瞬間を目撃してしまった。



人混みの駅で、友人同士と思われる連れ立ったマダムたちの中、ひとり声を尖らせて遅刻の言い訳に似せた「私は悪くない」という弁解の言葉をこぼし、その姿を言葉なくみつめる友人たちが、




ふっと、掌をひらき、ぽとりと比較的年季の入った麻の紐を手放した。




ファサッ、と軽やかな音を立てて紐が落ちた。切符を買いに歩く彼女の背中に力なく引きずられていく麻紐は、無抵抗な姿を晒している。




不気味な沈黙をまとったマダムのグループと、繋がりを失った麻紐の寒々しい先端。




寒々しい場面を見てしまったと、心がヒンヤリした。




紐を手放されたことに気づかないまま、繋がっていると信じて雑踏に漂うクラゲのような姿は、あまりに、グロテスクで。




あんな惨めな姿にはなりたくない、と強く右手を握った。

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