導き蝉3 私に起こった出来事

 今日は不思議なお店に行ってきた。どのくらい不思議かと言えば、へそで茶を沸かしてそれをお客さんに提供する喫茶店くらい不思議なお店だ。

 お店にはほんわかした雰囲気のお姉さんと、ミステリアスでちょっと怖いお姉さんがいて、そこでお客さんに昆虫の蝉を売っている。カブトムシやクワガタならわからなくもないけど、蝉って所が神秘的だ。

 そこで私は今日、蝉を買ってきた。買ったというより貰ったに近いかもしれない。昔、おばあちゃんにお世話になったとかで、お代を受け取ってもらえなかった。

 肩にその蝉を乗せて街中を歩く。どこかに飛んでいかないかと心配になったけど、私に寄り添うようにピタッと羽を閉じてくっついている。すれ違う人から変な目で見られないかと思ったけど、彼らの目には蝉の姿が映っていないように思えた。

 帰宅してからは夕食を取らなかったこと以外、いつもと変わらない夜を過ごした。空腹を感じなかったのは、不思議な世界に遭遇して気分が高揚していたからかもしれない。

 家族の前でも変わらず、蝉をずっと肩や頭に乗せていたけど、何か言われることはなかった。

 夜も更けていよいよ眠りの時が来た。今日もきっとあの夢を見るだろう。ずっとおばあちゃんが伝えようとしていた思いを、ようやく受け取ることができる。小さい頃は何かと助けてもらったから、今度は自分が助ける番だ。待っていて、おばあちゃん……。

 意を決して布団に入る。蝉のビッキーも枕元でじっとしている。枕元に虫がいるなんて、普段ならびっくりして飛び起きてしまう状況だけど、不思議と嫌悪感を抱くことはなかった。お店にいる時も蝉が側に寄ってきたけど、何故か愛らしく感じている自分がいた。

「おやすみ、ビッキー」と呟く、ビッキーは「ジー」とささやかに鳴いた。気分が高まっていた割りにすんなりに眠れそうだ。


 数刻の暗闇から再び、自分の部屋の光景が浮かび上がる。ここが現実ではないことはすでに理解している。ぼーっとする頭を働かせる為に、寝返りを打って体を動かす。

 しんと静まり返った暗闇の世界に、揺れ動く影を見つける。影は少しずつ一歩また一歩とこちらへ近付く度に像を形成し、やがてそれは人の形となる。私の枕元に立つと、それは明確な姿を現した。

「おばあちゃん……」

 悲しげな瞳をこちらに向けて佇む老婦はゆっくりと口を開く。

「玲奈……」

 聞こえた……!

 喜びが私の胸に満ち溢れる。枕元にいたはずのビッキーが私の肩で「ジジジ」と鳴いている。

「おばあちゃん通じるよ! 今までわからなかったおばあちゃんの言葉がわかる! おばあちゃんは私の話していることがわかる?」

 ばっと起き上がって、おばあちゃんに呼びかける。彼女も表情を輝かせて、私の手を取る。

「ああ、わかるよ……。玲奈……本当に良かった。今またこうして言葉を交わせるなんて……」

「おばあちゃんが教えてくれたあの人たちのおかげだよ」

 私の肩に乗る蝉の姿を見とめると、おばあちゃんは心から安堵した様子で息を漏らした。ビッキーは「俺のおかげだぞ」とでも言いたいのだろうか、心なしか誇らしそうに見えた。

「彼女だけじゃない。あなたが心に強く願ったから彼女は話を聞いてくれたの。あなたは自分の力で道を開いたのよ」

 たしかに私はおばあちゃんを手助けしたい一心であの店の扉を叩いた。私の力なんてちっぽけだし、「道を開いた」なんて大袈裟だけど、少しは貢献できて良かった。

「そうだ。彼女への謝礼はどうしたの? あなたを助ける為とはいえ、結果的にあなた自身に負担を強いることになって申し訳ないけど……」

「お代なら昔、支払ってもらった分があるからいらないと言われたよ。それよりおばあちゃん、私を助ける為って何を言っているの? 私は言葉が通じなくて困ってるおばあちゃんを助ける為に、あのお店で契約したんだよ?」

 私が事態を察していないことに気付き、表情を曇らせる。それを見て、蝉屋さんも私を初めて見た時、同じような顔をしていたことを思い出す。

「やはり、気付いていなかったのね。これから話すことを、夢の世界のことだと思わないでよく聞いて」

 そんなこと、聞いてみないとわからないじゃない。何も言わぬ私に、彼女は隣に座って肩を抱きながら優しく語りかける。

「まず今、私とあなたがいるのは夢の世界ではなく、間違いなく現実の世界よ。私は死後の世界から現世にやってきたの。あなたは現実の世界で生きているからこの世界の言葉、謂わば日本語を話す。私は幽霊だから幽霊語を話す。場所は現実世界でも、存在している環境が違ったから言葉が通じなかったの」

 睡眠中に顔を合わせていたつもりだったから夢の中の出来事だと認識していた。彼女の言う通りならば現実味があるに決まっている。それでは何故もっとわかりやすい時間帯に来られなかったのだろう?

「霊は昼間の活動力が著しく減退するのよ。強い怨念を持ってこの世に執着していたり、現世に縛りつける物がない限り、昼間は形を保つことさえできないの」

 幽霊にとって私達のいる世界はこの上なく生きづらい(すでに死んでいるが)環境のようだ。

「それにも関わらず、あの世からこの世に来て私に何を伝えようとしてくれたの? 私を助ける為ってどういうことなの?」

 縋りついて問う私におばあちゃんは口ごもる。

「一度事実を話してしまったのだから最後まで話して。何があっても受け入れるから、お願い」

 話の結末は何となく察している。蝉屋のお姉さんが導き蝉を渡した理由も、町行く人が蝉だけでなく私すら気にしない理由も、帰宅後に空腹を感じぬ理由も、この答えに集約される。

「あなたは……数日前に事故に遭ったの」

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