導き蝉4 おかえり <了>

 やはり、そうだったのか。つまり、私は霊体となってこの世を漂っていたということだ。そして、おばあちゃんが私に伝えようとしたのは私がもう――。

「早とちりしてはだめよ」

 おばあちゃんは手にぐっと力を込めて私を抱きしめる。死んでいたとしてもそれを受け入れる覚悟はできている。それともまだ希望があるというのだろうか。

「あなたは完全には死んでいない。私の言葉が通じなかったのがその証拠。魂が肉体から撥ね飛ばされても、身体が死ぬ前に再び戻れば生き返れるわ。私が伝えたかったのは早く自分の身体を見つければ望みはあるってことだったの」

 死にかけの自分の身体は今どこにあるのだろう。自分が霊体だと自覚した途端、これまでの記憶が曖昧だったことに気付く。私がどこで事故に遭い、どこの病院に担ぎ込まれているかまではおばあちゃんも把握できていない。ただ、偶然あの世から現世を覗いていると、霊体になっていることに気付かずに、日常を送る私を見かけて飛んできたらしい。

「そんな……早く戻らないと私、本当に……!」

 差し迫る恐怖に涙がこぼれそうになる。霊だから涙は出ないのだが、胸に満ち溢れてくる苦しさに言葉が詰まる。

「落ち着いて。彼女が言っていたでしょう。「これから先はあなた次第」だって。あなたが強く願えばこの子が応えてくれるわ」

 どうしてその言葉を知っているのだろう。どこからか見ていたというの?

「契約上、私はあの店に再び立ち入ることはできない。でも、私が持っていた蝉が教えてくれたの」

「おばあちゃんが買った蝉って……」

「それを話すにはもう時間がないわ。さあ、あなたの蝉に願いを込めて」

 肩にいるビッキーを見る。相も変わらず得意そうな顔をしている……ように見える。でも、それも今は頼もしい。摘まんで掌に乗せてやる。

 そして、自分のありったけの気持ちを込めて祈りを捧ぐ。

「お願い。私を導いて」


 ジジジジジジジジ……。


 蝉は凄まじい音量でけたたましく鳴く。

 羽を開き、

 腹を震わせ、

 己の存在を大地に主張するかの如く、

 彼は生命の賛歌を歌う。

 魂を失った肉体を鼓舞するが如く、

 肉体からこぼれた魂を導くが如く、

 旅人は詩を紡ぐ。


 私達は光に包まれる。視界が閃光に覆われて何も見えない。それでも私は祈り続けた。見覚えのある数々の光景がビジョンとなって脳内を巡る。あらゆる風景が通り過ぎた後、自分がこうなったきっかけを思い出す。

 その日はおばあちゃんの命日だった。学校から帰ったらお墓参りにでも行こうと、家族で約束していた。人通りの少ない交差点、信号が青になったのを見計らって横断歩道を渡ろうとする。そこに一台の乗用車が突っ込む。衝突から救急車に乗せられるまでの間に、ぼやけた視覚と聴覚が喧騒を拾う。私はただ、「帰らないと」とうわ言を発していた。

 過去の記憶――それは肉体に蓄積されたもの、それが思い出せるということは肉体に近づいているという証拠だ。私は意識を研ぎ澄ませて深く深く記憶の断片を求め続けた。病院に運ばれた私を見て、悲痛な面持ちの両親、見舞いにきた友達や恩師、皆が私の無事を祈ってくれている。それが私をこの世に繋いでくれている。

「私は――帰らないと!」

 閃光を抜け切る。光に眩んだ眼をぱちぱちと瞬かせると、おぼろげだった視界がだんだんと確かになる。自宅とは違う天井だ。

 声を出そうとするけど言葉が出ない。「うぅ」とか「あぁ」とか喉から音が漏れるだけだった。人工呼吸器を着けていたのもあるが、何より身体の方はしばらく声を発していなかったからだった。それでも、看護師さんが気付いてくれたようで、急いで医師を呼びに駆けていった。

 さすがに何日も寝ていたからか、身体が重い。霊体の方がその分気楽だなと思った。

「おかえり」

 目線を横にずらすとおばあちゃんがベッドの傍らに立っていた。驚く私の疑問に彼女は答えた。

「だってあなたが事故に遭ったのは、私の命日じゃない。私のせいで何かあったと思われちゃまずいし、抗議しないと……。っていうのは冗談よ。お参りしようとしてくれてたんでしょ? 聞こえてなくてもあの子らに一言お礼言っておかないとね」

 お茶目で活発だったおばあちゃんらしい。もしかしてあの世からこっちを覗いていたのは、それが目的だったのかもしれない。

「この子もお疲れだね」

 私の掌に止まる一匹の蝉、今回はこの小さな命に救われた。あのお店のお姉さんに直接お礼は言えないけど、言われた通りにあちこち連れて行ってやらないとね。

 窓を見ると外には雪がちらついていた。そういえば霊体だと暑さや寒さを感じないからか、季節や時間の感覚さえも曖昧だった。そうか、今は冬だったか。

 掌で眠る小さな旅人は「ジージー」といびきをかいている。そいつを優しく指で撫でていると、外から「ジジジー」と蝉の鳴き声が聞こえた気がした。心なしかそれは仲間を称えているようでもあり、羨んでいるようでもあった。



〈導き蝉 完〉

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